■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  030 「最後の新薬」

「また、お前が私に連絡を寄越すとはな。それで次か?」

「もう、手は空いているのよね?」

「そうでもない、と言いたいところだが、私が栄光を掴むためだ」

「じゃあ、その栄光の最後の一手よ。今度は畑に入ってもらいます」

「なんだぁ、またお婆ちゃんの知恵袋か? やれやれ、これで第四弾だな」

 私といつものやり取りをしているのは、紅龍さんだ。
 口中ヒゲがゴマになっているので、暇という事はないのだろう。最近は、ここ1年ほどで色々してきた影響で、かなり忙しいらしい。
 けど私は、次の一手、いや、私が医療で切れる実質的に最後の一手を進めるべきだと判断した。
 そして私が核心を話そうとしたところで、紅龍さんが話しを続ける。

「だが、言いたい事はある程度分かる。私は天才だからな」

「だから何を? まだ何も話してないでしょ?」

「話したではないか、畑、と。土の中には沢山の微生物が住んでいる。微生物の宝庫とすら言って良いだろう。私がそれに目をつけないと思ったか? 既にサンプルは多く収集済みだ。もっとも、青カビのような抗生物質になりうるヤツはまだ見つかっておらんがな」

 その言葉に思わず舌を巻く。いや、既にペニシリンという大きなヒントが提示されているのだから、思考と実践を進めるのは少なくともこの人にとっては当然なのだろう。
 それに既にペニシリンの論文は世界中に発表されているし、フレミング博士も実験、治験を進めている。似たような事をしている世界の天才達は数多くいると考えるべきだろう。
 そう思うと、早めに動いて良かったとも思う。
 そして私が今回提示するのは少し違うので、ニヤリと笑みを返してやる。

「なんだ、幼女が悪女ぶってもお遊戯にしか見えんぞ。私が的外れな事をしているとでも言いたいのか?」

「いいえ、紅龍叔父様の慧眼には脱帽よ。けど、私がして欲しい事は、ちょっと違うの。ねえ、放線菌って知ってるわよね」

「当然だろ。って、つまり次の青カビになりうるのは放線菌のどれかなのだな。しかし、黄色ブドウ球菌に明確に作用した放線菌はまだ見つけてないぞ」

(このオッサン、どんどん先に進めすぎ。けど、やっぱり知らないから的がずれてる。やっぱり歴史チートって凄い、いや本当に狡いのね)

 しかし今はそんな事を思う気は無い。
 だから紅龍さんの前で、指を左右に振って「チッ、チッ、チッ」と煽ってやる。
 そうすると当然のように紅龍さんの顔が少し歪む。

「もったいぶらずに早く言え。正直なところ、研究は頭打ちとは言わんが停滞していたところだ」

「わかってるわよ。紅龍さんは、戦わせる相手を間違っていただけ。ある特殊な放線菌が戦う相手は、結核菌よ」

「なっ!! なんだとっ! 本当かっ! い、いや、この件で嘘は言わなかった。そこは信じよう。しかし、本当なんだな」

 明らかに狼狽しているし、やっぱり信じきれていない。
 まあ当然だろう。結核は今から私が話す抗生物質が発明されるまで、不治の病だ。
 既にBCGが発見、開発されているが、そちらは予防措置。結核を治すには、可能性の低い体力勝負しかない。

「本当よ。けど、放線菌と絞っても見つけるのは大変だと思うわ。だから、資金援助とか必要だったら言ってね」

「お、オオっ。お前が資金援助まで言うとは、それほど大変なのか、それとも急ぐのか?」

 少し身を乗り出して心配げに聞いてくる。

「急ぐ方ね。結核が治療できれば、沢山の人が助かるでしょ。それに、もしかしたらだけどね、お爺様じゃなくて、お父様が結核かもって気がするの」

「なっ、なんだと! 麒一郎様が? 本当か?!」

(そのセリフ、さっきも聞いた。しかも大声すぎていい加減耳が痛い)

「当人は夏風邪だって言っているけど、ここ数週間ケホケホって軽い咳を時々してるの。体調は特に変わってなさそうだけど、万が一そうなら大変でしょ」

「当たり前だ。私も叔父を一人を結核で失った。よし、心得た。私に任せるが良いぞ。すぐにでも、結核を倒す奴を首根っこ掴んで連れて来てやろう」

 紅龍さんの態度は、祖父の麒一郎が変わり者で分家の紅龍さんにも公平に接する影響だろう。もしかしたら、私への態度も祖父が影響しているのかもしれない。

「それは良いけど、援助は?」

「あ、ああ、それなら大丈夫。ご隠居様から相応の援助を頂いている。加えて、お前が前に紹介してくれた椎茸の人工栽培で、かなり儲けさせてもらった。本格的な収穫はまだ1年以上先だが、方法を売るだけで引く手数多だ。何しろ私の細菌に関する名声は、このところ鰻登りだからな。ワハハハハハハハッ!」

 そう言って、両腕を腰に当てて馬鹿笑い。
 馬鹿笑いするような話ではないが、妙に似合っているのがこの人だ。

「まあ、それだけ余裕なら任せるわ。あと、追加情報として、抗生物質の大半は放線菌の代謝物から作られる筈だから、そっち重視で他も頑張ってね」

「任せろ。それで、放線菌は沢山あるのだが、その結核に対応したやつの詳細は何か分からないのか? 手がかりの一つでも分かれば、尚の事早くできるのだが」

「えーっと、詳しくないのだけれど、私が夢で見た薬の名前はスプレトマイシンよ。これってヒントになる?」

「い、いや、ヒントどころか、ペニシリンと同じで半ば答えを言っとるようなもんだぞ。それ、放線菌の名前の一つだ。もちろん、さらにその中の種類も多いが、これで大きく絞れる」

「あ、なるほど、名は体を表すね」

「用法を間違っている気がするが、まあそうだ」

 少し納得いってない表情だが、なんにせよこの人がいて良かった。
 仮に同じ時代でも、先端医療しかもピンポイントに細菌学と化学に長じた天才なんて、そうそう居るもんじゃない。
 ましてや、江戸時代とか異世界ファンタジーのナーロッパにでも飛ばされていたら、例え私の記憶を鮮明に呼び出せたとしても、数々の薬の殆どは絵に描いた餅以上にはならなかっただろう。

(ホント、私一人じゃあ何もできないのね。悪役令嬢の名が泣くわ)

「ん? どうした? 急に静かになって」

「なんでもない。これで私の紅龍さんへ教えられる事も終わりだなあって思っただけ。あとは、それこそお婆ちゃんの知恵程度のやつよ」

「そのお婆ちゃんの知恵が、ノーベル賞を連発で取れるほどの発明ばかりなのだがな。流石の私も罪悪感を感じそうだぞ」

「何いってるの。沢山の人が助かるんだから、それくらい受け入れなさいよ。男でしょう」

「オオッ! その通りだ。十字架を背負うのも、また医者、科学者の宿命だからな!」

 そういってニヤリとニヒルに笑う紅龍さんは、ちょっとだけ格好良いと思った。

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放線菌 (ほうせんきん)
土の中の細菌でもカビでもない微生物が放線菌。
放線菌がいる土では、他の細菌の数は減る。
この放線菌の代謝物から、様々な抗生物質が作られる。

スプレトマイシン
結核に特効がある抗生物質。これ以上の説明は不要だろう。

ネタバレというかあれですが、本当は「ストレプトマイシン(Streptomycin)」。主人公は間違っています。
意図的に変に変えて追記に半日置きましたが、気づかれましたか?(上の解説もわざと偉そうに書いてます。)

つまり、間違っていてもちゃん気づく紅龍さんえらい。
主人公は所詮素人。主人公は、これからもたまに前世記憶で間違う(間違わせる)予定です。(万能すぎる人なんていないと思っているので。)
記憶をクリアにしたとしても、所詮は人の記憶。

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