■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  032 「疾病の殲滅へ」

「どうだ。我が天才の冴え思い知ったか!」

「はい。御免なさい。私が悪う御座いました。もう二度と侮ったりしません」

「分かれば良い!」

 目の前の背の高い20代後半くらいのおっさんが、私の言葉に満足そうに頷く。
 今日も今日とて紅龍さんが、ボサボサ頭と豪快な無精髭、そして徹夜でギラついた目で私の前に傲然と立っていた。
 その年の師走も半ば、夏に話しをしたばかりなのに、もう結核の特効薬が完成したからだ。

(ただ、一言だけ言わせて欲しい。その何日も徹夜して頑張りましたってスタイルは、私に褒めて欲しいから? それとも、幼女にジト目で見られたいから? 実はこの人マゾなの?)

 内心色々思うところはあるが、私は私が望むクラシック・メイドスタイルでクールキャラのシズに目配せする。

「紅龍様、あちらに湯浴みの用意をして御座います。その後の準備も滞りなく。まずはこちらへ」

「うむ。では玲子よ、また後でな」

「はーい。・・・あの徹夜明け姿を私に見せるのは、あの人にとって何かの験担ぎなのかも」

 大きな背中を見送りつつ、なんだか妙に自分自身の仮説に納得するのだった。

 そして約四半日後、またもおやつの時間に、紅龍さんは私とおやつを満喫している。ちなみに今日のおやつは、屋敷の料理人に作り方共々リクエストした、スイートポテトのパイだ。

(ハムハム。お芋の美味しい季節になりました。これで紅龍さんが、いなければなあ。とは言え、朗報だよね)

「新薬の開発が順調なんですか?」

「順調? 何を馬鹿な事を言う。論文まで完成したに決まっているだろうが。この天才紅龍を見くびらないでもらいたいものだな」

 めっちゃドヤ顔だ。
 けど三白眼なつり目のせいで、悪役顔にしかならない。ライティングを工夫すれば悪役の役者としてよく似合う事だろう。
 頭の片隅でそんな現実逃避をしてしまう。

「えっ? 話したのこの夏の終わり頃よね。4ヶ月も経ってないのに? 本当に? 凄すぎない?」

「もっと褒めろ。天才に不可能などないのだ。と、言いたいところだが、流石に一人でこの短期間は無理だった」

「あ、一人でしたんじゃないんだ? おっと」

 紅龍さんの言葉が少し意外で、思わず手にしていたスイートポテトパイを机の上に落としてしまう。
 それを手にする前に、素早くメイドのシズの手が伸びてそれを拾う。机の上でも、食べ続けさせてもらえないのは、私がブルジョアすぎるせいだ。
 前世が普通の人だった身としては、いつもこうした場面は勿体ないと思ってしまう。
 そんな事を思っている間にも、紅龍さんの返事が続く。

「そうだ。お前が急げと言うから急いだ。だが、まああれだ。私としても、麒一郎様の身に何かあっては寝覚めが悪いからな」

 そう言って少しだけ顔を背けて、ほんの少し顔を赤らめる。この顔でツンデレされても引くだけだけど。
 それはともかく、だ。

「どこの協力を仰いだの? やっぱり鳳の大学、それとも病院? 製薬会社?」

「どれも多少は協力させた。だが、鳳の医者や学者、技術者では、やはり役者不足だった。設備は立派なのだがなあ。だから北里先生に色々とご助力いただいた」

「えっ、北里先生って、あの北里柴三郎?」

(出ましたネームド。けど安全安心の人だ)

 そんな気軽に思ったけど、私の言葉に紅龍さんの眉の外側がクーッと上がる。八の字眉といい、可動式のお面のようだ。

「そうだ。それと呼び捨てにするな。私にとっては恩師と言っても過言ではない方だぞ」

「あ、うん御免なさい。それで、北里先生にお願いしたんだ」

「うむ。目処がついたところで、北里研究所の助けを借りた。北里先生とそれに志賀潔先生までが協力して下さった。おかげで論文の確認、翻訳、日本の学会への提出、海外各所への翻訳論文の送付、発表会の開催準備と、非常に捗ったわ」

 謝ると直ぐに眉は下がり、そして言葉とともに指を折りながらやった事を挙げていく。本当によく働く人だ。しかしゲーム世界では、これで空回りなのだからヤサグレもするだろう。

「あー、面倒臭そうだもんねー」

「うむ。一人では流石に時間がかかりすぎるからな。鳳の方も、鳳商事を通じて日本と海外双方の特許申請をしてもらっている。あとは、各種申請と鳳製薬での生産準備だな。まあこっちは北里先生の方でも、各所で色々してもらっている。理研にも話をして、協力できるところでは協力して頂ける予定だ」

「手回し良いんだ。けど、特許料だけだと紅龍さんしか潤わないし、鳳製薬というか紅家が文句言わない?」

「言うわけないだろ。次期当主候補が直々に開発した新薬をどうしようが、文句など言える筈もあるまい。それにだ、既に他で儲かり始めているから、まだよく分からない新薬に興味を持っていない。最近は少し変わったが、また次期当主候補が変な実験を始めた、くらいにしか思ってないわい」

(なんか、後半は愚痴ね。紅家の一族でも浮いてるんだ。ま、仕方ないだろうけど。うーん、お爺様に頼んで、この人の見合いでもセッティングしてもらおうかなあ)

「それよりもだ」

 私が呑気に紅龍さんの顔を見ていると、その顔の真剣さが増す。
 それに対して首を傾げると、小さく頷く。

「麒一郎叔父さん、否お前の父の様子はどうだ?」

「あ、うん、秋口になっても咳が止まらないから、鳳の病院から医者を呼んで診察。そこで症状は軽いけど慢性の気管支炎って一度は診断。けど、軽い咳が続くだけで比較的健康なまま」

「それでそのままか?」

 その言葉に私は首を横に何度かフルフルする。

「私、万が一があるから、もっと専門家のいる病院で結核の検査してみないかって言ったわ」

「それで?」

「一度目は笑って『そんな事ないだろう』って却下。で、2週間後にもう一度。その時も軽い咳は続いてたから、当人も流石に気にし始めて、ようやく鳳の病院で精密検査。そして」

「当たりか」

 深刻そうな声に、深刻に頷いてしまった。
 そう祖父にして私の今の父である麒一郎は、この時代の死因トップ3の一つ、結核にかかっていた。
 幸いまだ軽度で、仕事も忙しくはないし衣食住は充実しているので、今のところは生活に支障はなかった。おかげで進行速度も遅い。

「……分かった。このまま待って、今夜麒一郎叔父さんには私から話そう。そして新薬を使っていただく」

「えっと・・・」

「もう治験は終わっていると言っただろう。もちろんまだ多くの追加の治験をした方が良いが、十分な効果が出ることは確認済みだ。軽度なら、すぐに治るだろう」

「そう、有難う紅龍先生」

「き、気持ち悪い言い方をするな。それよりあれだな」

「あれ?」

 私の心からの感謝の言葉をはぐらかされて、少しオクターブの低い声で思わず問いかけてしまった。
 しかし気にすることなく紅龍先生が続ける。

「結核、肺炎、胃腸炎、これが何か玲子は知っているか?」

「日本人がよくかかる病気」

「そう、その通り。より正確には死因の上位3つだ。まあ、たまに違う死因が上に来る事はあるがな。
 それでだ、この3つをお前の『おばあちゃんの知恵袋』と私の天才的頭脳によって全部克服してしまったわけだ。薬の値段もあるから全員とは言わんが、多くの者が今後助かるようになる。しかも既に助かり始めている」

「ええ。凄く良い事よね? 何か?」

「分からんか? 生きている以上、人は食っていかねばならん」

「そりゃそうだけど。死者が減るから失業率が上がるとか? それなら、鳳で沢山雇えるように頑張らないとなあ」

「まあそれもあるだろう。だが、もっと根本的な問題だ。一年間で最大30万人が助かるんだ。これが10年も続いてみろ、300万人だぞ。半分でも150万人だ。それだけ食い物が必要になる。
 それにだ、金持ち育ちのお前にはまだ分からないかもしれないが、この日本でこうして贅沢に食っていられない連中も少なくない。
 まあ、そもそも日本で結核などが多い理由は、十分食っていけない層が分厚いからなんだが、多少でも金のある奴らはこれで助かるようになる。経口補水液は安いから、国民の殆どが恩恵を受けられるだろう。既に、各種胃腸炎による死者は劇的に減りつつある。
 つまりだ、食料を今まで以上に輸入するか増産でもしないと、エライ事になるかもしれん、と言っているのだ」

(か、考えてもみなかった。確かにその通りだ)

「……どうしよう? 紅龍先生」

「そんなに青い顔をするほどの事か? 一気に増えるわけじゃないし、政府がそれなりの対応をするだろう。奴らの仕事だからな。しかし、今の日本人の病気による死亡率が高いのは、十分な食べ物がない連中が少なくないからだ、という事も頭の隅に留めておけ。
 で、念のため聞くが、これでとんでもない未来の薬の話は終わりで良いのか?」

「え、あ、うん、流石に打ち止め。あとは、本当にちょっとした知恵袋的な知識くらい」

「それでもまだあるんだな。まあ、ちょっとした事なら紙面にでもまとめるか、暇つぶしにでも聞きに来てやる」

「あ、うん、お願いします?」

「何故疑問形なんだ。だが、こうして暇つぶしをしている時間は、今後減るかもしらんから覚悟しておけ」

 そう言ってまたドヤ顔になる。
 真面目な話をする時とのギャップが、もはや面白キャラだ。

「覚悟は紅龍先生がするのであって、私関係ないわよね?」

「していないに決まっているだろ。忙しくなるのは私だ。何しろ、ノーベル生理学・医学賞を幾つ受賞するのか、見当も付かないほどだからな」

「ああ、そうか。けど、そうなれば本当に良いわね」

「うむ。そうなれば玲子、お前のお陰だ。なんでもしてやるぞ。男紅龍の約束だ」

「ハイハイ、お願いは考えとく。けど私は、ちょっとした切っ掛けを見せただけよ。紅龍先生の、それこそ天才的頭脳と才能が無かったら、ほとんどは絵に描いた餅で終わっていたもの。有難う。私の近くにいてくれて」

「な、なんだ、急に。それに求愛の言葉のようではないか。そういうセリフは10年早い!」

「プッ。そうね。親子ほどの年の差だもんねー」

「全くだな。私が未婚で子がいないのが残念だ。と言っても、お前の結婚相手は、蒼家の従兄弟の誰かになるのか」

 紅龍先生が、少し大人な表情でそんな事を言う。
 確かに今のまま鳳が順調なら、一族と財閥の結束を強める為にも、その言葉通りになるだろう。

(私が14年後に破滅する時、紅龍先生が独身だったら41歳だったっけ? 21世紀なら結婚してもギリオーケーな年の差かもだから、なんでもするって約束果たしてもらおうっと。悪役キャラと悪役令嬢だから、お似合いよね)

 そう思ってニッコリと紅龍先生に微笑む。
 そうすると、紅龍先生は怪訝な表情を浮かべた。

「なんだ、もう気に入った奴がいるのか? マセた子供だ」

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志賀潔 (しが きよし)
医学者、細菌学者。ドイツ語が堪能。
赤痢菌の発見者として知られる。
他、欧州に行ってBCGワクチンの株を持って帰ってきている。

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