■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  052 「鳳グループ(企業集団)(1)」

 1927年3月26日、日本の財界は激震に見舞われた。
 鳳FHCという、この時代の人には今ひとつ理解できない新たな形態の銀行を頂点として、破綻したに等しかった鈴木商店(財閥)を鳳財閥が豊富な資金力で丸呑みして巨大化したからだ。
 特によく分からない形態なので、その衝撃も大きかった。

 しかし人とは慣れるもので、鳳はこれ以後、頂点に立つ機関銀行は鳳ホールディングス、財閥の方は鳳グループと呼ばれるようになる。
 せっかく用意した『鳳金融持株会社』や『鳳企業集団』という漢字だらけの名は、正式名称としてしか使用されなかった。横文字好きな日本人は、今も昔も変わりなし、だ。
 もっとも、横文字の意味についてはあまり考えない人が多いので、ホールディングスを銀行の別の名称程度に思っている人も多いらしい。
 まあ、『だいたいあってる』で良いんだけど。

 それに世間様より、他の財閥の方がはるかに煩(うるさ)かった。
 三菱や一部の関係の深い財閥には話を通していたが、仲の悪い江戸時代から大店(おおだな)な、三井、住友辺りとの話を通していないせいだ。
 田中義一政権というより高橋是清蔵相に色々骨を折ってもらったおかげで直撃は避けられているが、三井あたりは鈴木が倒壊するのを待ち構えるハイエナムーブだったのに、鳳が丸ごと掻っ攫った形なので怒り心頭だ。
 鳳じゃなくて鳶だと怒り心頭だったという。20世紀末以後だったら、ハゲタカ呼ばわりされているところだろう。

 しかしうちだって、また鈴木だって、他の財閥対策を何も考えていないわけではない。
 今後の商売を考えて、鈴木商店というより鈴木財閥の一部切り売りはしている。だから三菱と話が付いたとも言える。
 けど、鈴木というより金子さんが「三井だけは駄目」と譲らなかったので、三井との交渉は全部金子さんに投げた。
 揶揄表現として三井が直接うちに怒鳴り込んできたが、金子さんが窓口だからうち経由だと取次料もらうと言って事実上追い返した。
 鳳の言葉を聞いて具体的には動かなかったのは、大損してまで鈴木の会社を買い取るほどでは無かったという事なのだろう。

 一方台湾銀行だが、鳳が順次鈴木への融資を順次肩代わりしていくと言ったら、正直ホッとしていたらしい。既に鈴木に融資していた分も実質的にはかなり焦げ付いていたから、当たり前と言えば当たり前だ。
 それに鈴木以外でも色々ヤバイのだろう。何しろ鈴木抜きでも、3000万円分も震災手形が未消化だったのだ。
 ただ、うちとの関係では三井に虐められている件があるので、その点で突かれたから買取では色をつける事になった。
 
 また、企業単体で業績の良いところを売る筈もなく、アテが外れて手を引いた財閥も少なくない。
 さらにハイエナムーブな財閥が買収を嫌がった理由として、業績拡大や統廃合を理由に株式の一部を公開した件がある。
 持株が当たり前のこの時代の日本の財界で、一般株主という面倒と不確定要素を嫌ったのだ。その一方では、一般株主という立場で増資する有望企業の株を買っている財閥も少なくないので、「皆さん強かでいらっしゃる」としか言いようがない。

 一方では、私と一族の一部だけが知る「昭和金融恐慌」が未発なので、私が前世の歴史として知っている「大財閥」形成が少なくとも遅れる事になった。
 それでも鈴木の事実上の破綻に見るように、世界大戦後の不況、震災後の不況で銀行、会社の倒産と統廃合の動きは断続的に続いているし、これを根本的に止める手段はない。
 だから大規模財閥、大企業への集中の流れも続いている。
 いずれ「3大財閥」などの呼ばれ方もされるようになる筈だ。

 そして鳳は、巨大財閥から滑り落ちる直前の鈴木商店を、アメリカ株から出る莫大な利益で飲み込んだ形で、一瞬にしてパッとしない中堅財閥から巨大財閥になりおおせた。
 この事は日本の財界に激震をもたらし、恐慌を発端としない財界の再編成、具体的には大財閥への集中の流れを作り出す事になる。
 各大財閥が、体力を付ける為に積極的に銀行の合併吸収、企業の買収を進めたからだ。

 なお戦前は、21世紀と違ってメガバンクどころか都市銀行もない。あるのは大財閥の機関銀行を除けば、主にナンバリングされた銀行と、それ以外の中小の銀行ばかり。しかもその街、その地方に1つだけというような銀行も少なくない。日本各地に支店を持つ大銀行というもの自体が少なかった。

 だから1926年には銀行は1420行もあった。
 そしてこの世界では、1933年までに650行と半減以下にまで減っていく。昭和金融恐慌が発生していたら、さらに最低でも100行は少なくなっていた筈だ。実際、私の前世の歴史上では、それくらいまで減っている。
 一方で預金自体は、日本全体の総額が90億円程度。そしてこのおおよそ4分の1が五大銀行と呼ばれるようになる、三井、住友、三菱、安田、第一に私の前世の歴史より少し遅れる形で集中していった。
 そして金融恐慌がなくても、大財閥は十分に巨大だった。

 しかしそこに、鳳ホールディングスという異端児が加わる。
 鳳が異端なのは、金融会社をひとまとめにしている点と、預金総額ではなく自己資本の巨大さだ。そして銀行のさらに実質的な上位に、巨大すぎる潜在的な資金力を持つ投資銀行が存在している事だ。
 そしてその投資銀行である『鳳投資資金 Phoenix Fund Investment (フェニックス・ファンド・インヴェスティメント = PFI)』は純粋に鳳一族の資産が元手となっているので、財閥や企業ではなく鳳一族の所有物。そして実質的支配者は、高祖父が定めたという鳳一族の取り決めにより鳳の長子のみ。
 現時点では曾お爺様、お父様な祖父、そして私だけ。
 しかも曾お爺様は既に隠居のうえ、当人も仕事は終わったとばかりに終活に入る気満々。お父様な祖父は一族当主としてはともかく、財閥運営、金儲けに積極的に関わる気はなし。
 となると、私しかいない。

 私は亡き父である麒一の代わりなのかもしれないが、それとは別に鳳にとっての「夢見の巫女」として率いる義務なり権利なりがあると、少なくとも鳳長子の二人は考えている。
 そして鳳一族を守るため、他に渡す気がない事も。

 何しろ財閥総帥の善吉大叔父さんは養子、虎三郎大叔父さんは機械弄り以外興味なし。凡庸な玄二叔父さんは、長子ではなく次男坊。天才な龍也お兄様は軍人になった上に、祖父の弟だった龍次郎の子供。他の、既に他家に嫁いだ女子に権利なし。
 そして亡き父麒一の子は私一人。私と同じ世代の子供は他に四人いるけれど、いずれも長子の筋からは外れる。私より年長の虎三郎大叔父さんの子供についても同様。
 つまり一族内で見た場合、他に人がいないのだ。

 もちろん長子が途絶えた場合は、スペアである一族の他の者にお鉢が回るけど、今までにそう言った例はないし、曾お爺様、お父様な祖父にその気はなさそうだ。
 その証拠に、私は一族の他の者より厳重に守られている。
 私と色々と話し、一族トップの話し合いに呼び、色々と体験させているのも、私を一日でも早く育てようという意図があるのは間違いない。
 そして私も、たまに忘れてしまうが、私自身の破滅と一族の破滅、さらには可能なら日本の破滅を避ける為にこれに応える気でいる。
 曾お爺様らが私の考えをどう捉えているのか少し分からないが、少なくともWinWinの関係だ。

 しかしこうした鳳の家の事情は、他の財閥や華族の一部はある程度知っている。鳳から嫁いだ者、鳳に嫁いできた者が、鳳一族の結束について他家に伝えているからだ。
 また、鳳の家に出入りしている者、鳳財閥内で上層に位置する者、鳳との関係が深い企業のあたりの者も、多少は雲の上である鳳一族について、それぞれの位置から感じ取るものがある。

 そこに降って湧いたのが、勝つ事を知っていたかのようなアメリカ株での未曾有と言えるほどの大成功。この成功から、ごく一部で噂されていた「鳳の巫女」というキーワードに行き当たる。
 流石に紅龍先生の大活躍にまで話は結びついていないが、鳳に運気が向いている証の一つと捉えられているらしい。

 それと曾お爺様の筆頭秘書の時田が、私の父が身罷(みまか)った代替的措置として私付きになって、その時田がアメリカで派手に動いている中核人物だという事は、知っている者は知っている。
 そこで、『では誰が、ここ最近の鳳の派手な動きを演出しているのか?』という疑問に行き着き、一つの仮説を立てる。
 そして大半の者が、考えの一つを否定する。

 確かに私は「鳳の巫女」かもしれないが、まだこの春に7歳になる幼女でしかないからだ。
 如何に何かしらの超常的な力を持つ巫女で、さらに神童だったとしても流石に無理があるだろう、という当たり前すぎる常識が思考の壁となる。
 だが先日、その疑惑の幼児は表舞台に登場して、新たな財閥の門出を祝った。それはまるで『寿(ことほ)ぐ』ようだったそうだ。

「それで玲子、今後のえーっとグループ? の方針だが」

 4月のある日、屋敷の離れで曾お爺様、お父様な祖父と話す。
 最近は屋敷の者だけでなく一族内にも知られるようになっているが、私の教育という事にされている。

「鳳は実質巨大になったけど、これは肥大ってレベルよ。だからしばらくは合併と再編、整理に力を入れましょう」

「当然の選択だな。あと結束の強化もしたいところだ」

「それじゃあ、社長の全体会合のようなものをしない? 出来れば定期的に」

「一族会ではなく?」

「そう。グループ傘下の企業の社長さんが集まる、会議? 報告会? いや親睦会かな?」

「陸軍にも『偕行社』と言って、似たようなものがあるぞ」

 お父様な祖父が面白がるようにコメントを添える。
 それに私は、ポーズを付けて少し考える。

「組織自体とみんなが一堂に集まれる場所は欲しいけど、集まる会合自体をしたいの。だから社長会ね」

「社長会ねえ。その企業集団には必要なものなのか?」

「結束を高める為にね。うちと一緒。あ、同じにするなら、年に一度の園遊会もありなんじゃない」

「良いんじゃないか、父さん。俺は玲子に賛成だ。形はこれから具体的に煮詰めていくとして、同じ釜の飯を食うってのは兵隊じゃなくても効果あると思うぞ」

「2対1なら民主主義の原則に従おう。だがせっかくだ、その会合に名前を付けないか?」

(そういえば、戦後の日本の旧財閥グループって「何がし会」って付けてたような)

「俺は良いと思うぞ。玲子、何か案はあるか?」

「そう言われても。二人は?」

「そうだな、こないだの帝国ホテルの会場にちなんで『孔雀会』はどうだ。孔雀なら鳳と近いしな」

「良いかもな。だがそれだと、毎回帝国ホテルにあの会場を借りたりしないといけないなあ? 玲子は? ちなみに俺は思いつかん」

「お父様は勝手ねえ。・・・そうねえ、孔雀は私も賛成しても良いんだけど、もっと派手に『鳳凰会』はどう? 鳳と凰で鳳と鈴木って受け取ってもらえるかもだし、グループ化だと翼の下って意味でも鳥を名前に冠するのは良いと思うの。それに社長会の会場は、これから鳳で作ってその名前を付けても良いでしょ」

 私の言葉に二人がイエスと表情で表す。
 そして後日、鳳グループは社長会の発足決定の通知を出す。
 組織名は『鳳凰会』。鳳にちなんでだが、世界に羽ばたく姿勢を示すものとされた。

 そして鳳グループは、金融と持株を鳳が主導するも、鳳と鈴木の両輪体制で驀進(ばくしん)を開始していく事になる。

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