■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  060 「小学校生活」

 昭和3年(1928年)が明けた。
 歴史が私の前世と同じなら、「張作霖爆殺事件」以外、この年は比較的穏やかに過ぎる。
 夏には「アムステルダム・オリンピック」があるし、確かあのラジオ体操が始まった年だ。
 大相撲の放送が始まって、相撲好きの昭和天皇が喜んだと言うような記事を読んだ事もあるけど、それもこの年の事だ。

 けど、私が色々と動いた影響で、変化している事がある。
 何より大陸情勢が激変してしまった。張作霖は爆殺されるどころか、息子の張学良を先頭にして南京に向けて進撃続行中だ。
 そして左派と共産党に牛耳られた国民党は、そんな連中に上に立たれた軍閥たちが士気も萎え萎えで、連戦連敗どころか逃げたり寝返ったりと、張作霖が大フィーバー状態だ。
 その上、左派、共産主義者が好きな軍閥もいないので、さらに張作霖の優位となっている。

 一方では、アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発明もしくは発見をしたのがこの年の筈だ。
 しかし既に紅龍先生の手によって、発見どころか薬にまでなって数年が経過している。かのフレミングも、紅龍先生の論文を読んで実験や治験を進めて、幾つもの論文を発表していたりする。

 そして紅龍先生が発明した数々の新薬の影響で、助かった人が大勢現れ始めている。鳳一族の曽祖父、祖父もおかげで一命を取り留めたけど、加藤高明前首相など他にも大勢いる。
 特に、生産が容易く安価な経口補水液(とその簡易バージョン)は世界中で爆発的に普及しつつあり、「魔法の水」と呼ばれているらしい。
 日本でも、紅龍先生の神社や小さなお社が建てられたりしているけど、世界中でもそんな動きがあるのだそうだ。
 なんだか少しファンタジーっぽい。
 けど、身近な病の各種胃腸炎がどれだけ人類を苦しめていたのかが、この事でも良く分かる。

 私個人は、去年の春以後から穏やかな日常が続いているので、この間に前世の知識を活かして、私が少しでも快適に楽しく過ごせるようにと、せっせと未来の知識を啓蒙する事に努めている。
 こんな事で、私のオタク知識やカラオケ修行が活きるとは考えもしなかった。
 料理は作るより食べる派だけど、それでも一人暮らしだったからそれなりに作る事もできたので、そうした知識や経験も役に立った。
 と言っても、この世界での私は基本アイデアマンでしかない。
 一人で何でもできるわけないし、そもそも子供でできる事に限界が多過ぎる。

 ファッション、オシャレ関連は、絵と文でまとめて鳳に出入りしている仕立て屋、洋服屋に委ねる。
 去年くらいからは、何と帝人にまで回っているらしい。すごいプレッシャーだ。
 けど繊維会社に対して、私が出来る事はアイデアを少し提供するくらい。これが本当のチート歴史物なら、ナイロンの製法を伝授するところだけれども、残念ながら私の前世の記憶にはインプットされていない。

 合成樹脂、合成繊維なんてものがあるから、誰かが発明したらとっとと取り入れろとハッパをかけるのが精一杯だけど、それも当てずっぽうに等しいからしていない。
 そもそも、繭の需要を自分から減らしたところで、その代替手段を提供できないから出来たとしてもしていなかっただろう。

 一方で主に私が食べたい料理は、屋敷の料理人達とそのお仲間の人が頑張ってくれている。中には、既に私が提示したものとは少し違う料理に昇華してしまったものまである。
 そうした中で、アメリカで既にハンバーガーのファーストフード店があると言う現地から報告が来たので、それを真似た食べ物にありつく事には成功した。

 ただ残念ながら、インスタントラーメンは未だ開発中だ。色々と問題に直面しているらしい。だから、時田に支援を頼んである。お父様な祖父や龍也お兄様も食べてみたいとの事だったので、是非とも早期実現して欲しい。
 それでも、限定的とはいえコーラとポテチは家でも楽しめるようになったので、食生活は一番早く充実していると言える。

 ある意味問題は音楽だ。
 私は人並みにカラオケは好きだった。魂が求めるのでアニメソングが多いけど、JPOP、洋楽、それにある程度なら昭和の歌謡曲も歌ったものだ。演歌だって有名な曲は、前世の祖父母の為に子供の頃に覚えた。唱歌、童謡でも、この時代にないものも多少はレパートリーにある。
 なんだか、私は意外に歌好きなのかと思うけど、まあ長年生きてきた平凡な女子なら、こんなもんだと思う。
 もっとも、私の音楽センスと歌唱力は平凡だ。この悪役令嬢なチートボディになっても、多少の補正がかかっているに過ぎない。
 それよりも私の前世の記憶力をカバーしている方が、このチート頭脳は凄過ぎる。

 それに引き換え虎士郎くんは、間違いなく「本物」だ。そのまま伸びていけば、私などいなくても歴史に名を残すのは確実だろうと思わせる。
 ただし、まだ自分で何かを創作するというレベルにはまだ到達していないらしく、午後の勉強会のあとか、ほぼ必ず虎士郎くんに音楽をせがまれる。最初は毎日でこっちも少し面白がったけど、今では週一に落ちつている。
 そして今日が、その週一の教える曜日だった。

「ねえ、今週はどんなお歌を教えてくれるの?」

 天使&無邪気に虎士郎くんが笑いかけてくる。
 もうそれだけで心が蕩(とろ)けてしまいそうだ。そして何時も、この笑顔に負けてしまう。

「もう何も思い浮かばないわよ」

「玲子ちゃんの嘘つき。幾らでもあるでしょ?」

 私が前世の記憶、しかも未来の記憶を持っているという真実に気づいているのではと思う事すらあるけど、これは天然なだけだ。
 その一方で、天性の勘とかそういうやつで、私の言葉や仕草からまだまだ叩けば出てくると分かっている。そして私も、「まあ、虎士郎くんに教えるだけならいいか」と妥協してしまう。

 ただそれが危険なのは、去年の園遊会で分かった。
 しかも虎士郎くんの歌唱力が凄く高く評価されて、今では歌と音楽のレッスンを専門家から受けている。
 だからこう言わざるを得ない。

「私達だけの秘密だからね」

「うんっ! 大好きだよ玲子ちゃん」

 そしてとびきりの笑顔で返された上に、抱きつかれてスリスリまでされてしまう。
 (何だこのご褒美はっ!)って感じで昇天してしまいそうだ。

 もっとも、ギャラリーは虎士郎くんだけじゃなくて他の鳳の子供達も一緒なので、勉強会の週に一度のちょっとしたイベントと化している。
 当然だけど、全員に箝口令を敷いている。
 1曲2曲程度なら、別に広まっても大して害はないと思いたいし、この時代に電子楽器の類はないから問題はないようにも思える。
 ただ、もう園遊会で歌った歌だけは隠しようがない。歌のレッスンの人からは、時折あの歌をもう一度聞きたいとか、新しい歌を作ってみないかとか言われているらしい。
 けど虎士郎くんは、天才&天然だけど約束を違える男の子じゃない。外では決して私が教えた歌は歌わないし、口ずさみすらしない。
 だからお約束の返事を聞いた後、こう問いかけるのだ。

「今日はどんな歌がいい?」

「下の学級、また虎士郎様が歌っておいでですね」

 給食も終わった二年生の教室で、私の側の『みっちゃん』こと七美(しずみ)光子(みつこ)が、僅かに耳をそばだてる。
 私がリクエストした頭のポニーテールはかなり成長して、ポニーテールらしくなっていた。

 そしてこれも私のリクエストで、みっちゃんには人の倍は給食の牛乳を飲んでもらっている。家臣になる子には十分栄養のある食事は取らせているけど、これもゲーム再現のためだ。
 みっちゃんには、高身長のイケメンJKになってもらわないといけない。中身は、かなり生真面目で恥ずかしがりだったりと、それなりにポンコツなところもあるけど、それはチャームポイントだし私が曲げて良いところじゃない。
 そしてそんなみっちゃんを、いつも斜に構えて見るアルビノ&サングラスな美幼女がぞんざいに声をかける。

「ミツ、お虎様は何歌ってる? 雑音で分からないんだけど?」

「えーっと、こんな曲調です。〜〜♪」

「アヴェ・マリアか」

「へーっ、聞きに行こうかな。輝男(てるお)くんも行く?」

「お嬢様が行かれるのでしたら」

「お嬢、私は無視?」

「興味ないでしょ?」

「ない」

 『お芳ちゃん』こと皇至道(すめらぎ)芳子(よしこ)とは、いつもこんな調子だ。輝男くんともいつも通りで、必要な言葉以外は無口で通している。
 こういう場合、みっちゃんには聞くまでもない。せめて学校内でくらいと、私を護衛する気満々だ。

「じゃあ、聞きに行きましょう。その後二人と一緒に私は屋敷に帰るわ」

 その言葉とともに私は動き出し、ヒラヒラと手を振るお芳ちゃんに見送られつつ、二人を連れて一年生の教室へ。
 そこで一通り虎士郎くんの美声に聴き惚れ、虎士郎くん、瑤子ちゃんと一緒に小学校内の待合室へ。そこで屋敷の迎えと合流する。
 私の場合はメイドのシズで、二人もそれぞれ使用人が1人来る。そして鳳の本邸で勉強してからそれぞれの家に帰るので、車も2台使う。そして私の家臣候補は、この待合室までがお役目という事になっている。
 なお鳳の二人は1年生なので、私のように家臣候補はいない。それに、こんな子供の時点で家臣を選び始めるのは本家の長子だけなので、小学校の間はこの流れになるだろう。

 攻略対象の輝男くんとは今ひとつコミュニケーションが取れていないけど、まだ気にする事ではない筈だ。それにこの時点で掬い上げ、しかも私の側に置いているのだから、私が何か仕出かさない限りバッドなフラグは立たないだろう。

(それに輝男くんも、恋のお相手はゲーム主人公なのよねー)

「?」

 なんて思いながら扉のそばで待機状態の輝男くんに視線を流していると、目ざとく見つけてきた。
 この勘の鋭さは、貧民窟で培われたんだろう。
 ちょっと気になったので、そのまま手でチョイチョイと呼ぶ。

「何でしょうか玲子お嬢様?」

 平たい感じの言葉で返されるが、これでまだ7歳なのだから、大人びているというより感情が欠落しているとしか思えない。
 といっても、これがゲーム上でのキャラでもある。手をつけたいけど、つけて良いのかと悩むところだ。

「待ってる間退屈でしょ。一緒にお話ししましょう。みっちゃんも」

「は、はい」

 今は輝男くんとの関係も、このくらいの距離が良いのだろう。
 鳳の子供達と勝次郎くんの距離が近すぎるのだ。

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ファーストフード店
A&Wが1919年創業。日本には沖縄にしかチェーン店がないらしい。
ただし、メインの飲み物はルートビア。

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