■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  066 「1928年の大陸情勢(1)」

 4月は私にとってイベントの季節。今年の4月もイベントはそれなりに多かった。鳳ホテルの開業式典に続き、結局4月半ばに固定された鳳ホテルでの『鳳凰会』。
 さらに5月には、同じく鳳ホテルで鳳一族の園遊会改め、だが園遊会スタイルを踏襲した、格式張らない屋内での立食パーティー形式の会食会が行われた。

 私個人としては、入学式はないが次の年への進級、そして4日には私の誕生日が待っている。今年で8歳になるけど、1年前倒しだからもう3年生だ。
 けど、基本的に去年と大きな変化はなかった。私以外は家臣候補を選ぶのは中等学校くらいかららしいので、親しい人が増える事もない。

 それに鳳学園で私は生まれながらの女帝状態だから、親の関係などで頑張ってすり寄ってくる子はいても、無邪気に、もしくは心から友達になろうという子はいない。
 仮にそう言う風に見えたとしても、鳳の使用人達による調査や審査が入り、素性を洗って安全と確認されないといけない。

 友達作りという点では、学習院に行くべきだったかもしれないと少し後悔する事もある。もっとも学習院に通ったところで、同じ学年に私に並ぶかそれ以上の家格と財力を持つ家じゃないと、私と対等に付き合うのも難しいだろう。

 けど、華族の子女が毎年そんなに沢山いるわけじゃないし、学習院に通う財閥の子女となるとさらに少ない。親が政治家や高級官僚、高額納税者といった程度では、余程じゃないと私と対等とは行かない。
 そして寄ってくる、もしくは私が寄っていくのは、全て利害と打算によってと言う事になる。
 なんとも、子供の頃から世知辛い話しだと嘆きたくなる。

 家臣候補のみっちゃん、お芳ちゃんは私的には友達感覚が強いけど、やっぱり上下関係だし、最大限譲歩しても同じ方向に進む戦友だ。しかも私が突撃を命じて、先に倒れるのは2人、いや輝男くんを含めて3人の方だ。

 鳳の子供達も今は仲良しで兄弟姉妹や友達感覚だけど、年とともに色々と考えないといけない立場になる。時が来ればどこかに嫁いでいく瑤子ちゃんですら例外じゃない。それが上に立つ家に生まれた者の生きる道だ。
 だからこそ、子供でいられる時間が貴重で愛おしい。

 にも関わらず私は『夢見の巫女』だから、すでに半ば大人の仲間入りしている。一族も子供扱いはしてくれない。
 私自身もそれで一向に構わないと考えているのだから、我ながら救い難い。
 龍也お兄様は、私の立ち位置などに心を痛めてはくれるけど、いざという時は甘やかしてはくれないだろう。

 そして救い難い私は、今日も今日とて仕事部屋で書類や資料に向かっている。

「それにしても、大陸は相変わらず騒がしいわね」

「左様でございますね」

「張作霖は、中華民国を統一すると思う?」

「分かりかねます」

「そうかもしれないけど、感想とかない? 切っ掛けって、案外そういうのからくるのよ」

 そこでシズが私を見てから、少し考え込む。
 うん。いい傾向だ。
 もっとも答えは非情で、きっぱり言われてしまった。

「知識がないので、いい加減な事を申すわけには参りません」

「あ、はい」

 それにしても、もう一つの私の部屋で新聞を広げてシズを相手に論評しているんだから、我ながら本当に救い難い。
 返事をしてからしばらくして、天井を仰ぎ見て思う。

(何やってんだろう)

 ため息は出なかったけど、伸びをして気分転換。前世の仕事中は、いつもこんな感じだった。
 そして今は、午前中は『仮面小学生』を演じて、癒しのひと時の給食を済ませて帰宅してからは、夕方までは鳳の子供達と家庭教師による英才教育、もしくは華族としての習い事、そして夕食後はこうして仕事をする毎日が続く。
 はっきり言って、毎日なにかで遊ぶということがない。
 前世の、一応OLだった時代と変わらない。そして慣れているから、意外に苦にならないのが我ながら一層物悲しく感じてしまう。

 かといって、遊ぶのは小学校の休み時間に申し訳程度にするけど、子供達に気を使われているのが丸わかりなので、あまり遊んだ気にならない。子供の頃からこれじゃあ、令嬢が悪役化するのも納得しそうになる。
 そういう意味で、あえて気を使ってこない他人であるお芳ちゃんの存在は貴重だ。それに、鳳の子供達との勉強の合間などでの短いじゃれ合いもすごく貴重だ。
 ゲーム設定だろうとも、こうした人達が近くにいるのは私の心にとって大きな救いになっている。

 話が逸れたけど、何の習い事をしているのかと言うと、お茶、お花、踊り、西洋ダンス、音楽などなど色々している。今年からは乗馬もする予定で、外で動けるのがちょっと楽しみ。けど、全部華族や財閥の一員としての習い事だから、趣味もないに等しい。
 もちろん遊ばないわけじゃないけど、遊ぶと決めた時に何もかも忘れて騒ぐのが常だ。
 そしてふと振り返って驚く。

(今の私の生活って、『24時間戦えますか?』な時代のリーマンじゃん!)

 そう思った日から、一時期は日曜日だけは可能な限りダラダラと休むようにした。だがこれとて、ブラック気味なリーマン生活と同じ生活サイクルなので、我ながらげんなりしてしまった。ハッキリ言って前世より酷い。
 衣食住から健康管理までシズなど使用人達が完璧にしてくれるから、気にしなければ気にならないのが、ある意味裏目になっていた。
 そして二度目の心の転機以後、結局元に戻っていた。
 半ばヤケクソ気味な、全力全開全速力だ。

 とは言え、私のスケジュールは夏までは平穏だった。
 そして、とある日に提出された資料を論評したように、大陸情勢は目まぐるしく変化していた。

 私がそれなりに忙しく、それなりに楽しく過ごしていた4月、日本での成果を得られなかった蒋介石は、今度はアメリカ行脚の旅に出ていた。宋美齢が一緒じゃないのは、いい気味だ。
 一方で我が世の春となりつつある張作霖は、容共姿勢の国民党征伐で反共姿勢を諸外国に見せ、諸外国の支持を得ようとする。
 そして他に相応しい権力者がいないと言う現実を前に、諸外国は張作霖を支持。日本の田中内閣も、周りの様子を確認した上でだけれど張作霖推しを強める。

 けど張作霖は、外国の支援を受けているから、国内人気は低下の一途。大陸でのナショナリズムの高まりのせいで、列強から支援を受ける奴は売国奴状態だからだ。
 それでもなんとかなるのは、各国から張作霖への援助金と、国民党がどうしようもないからだ。
 そして大抵の事がお金で物事が済んでしまうのも、大陸クオリティーだ。

 そして5月某日、張作霖軍と対抗して北進してきた汪兆銘率いる国民党の国民革命軍が激突した。
 列強から見れば軍隊とも呼べない集団同士の戦い、刀剣や弓すら未だに用いているレベルで、主な武器は小銃程度。軽機関銃があれば重武装なほどだ。長距離射撃が出来るような大砲も殆どない。
 戦争というよりは、昔ながらの合戦の様相すらあるそうだ。
 そしてそんな戦いだから、数と勢いが勝敗を決する。そしてどちらも張作霖と愉快な仲間達が圧倒していた。

 張学良を実質的な司令官とした張作霖軍が大勝利を飾り、国民党はバラバラになって南京などに敗走。周辺の軍閥が張作霖についていった。
 これで勝負あったと思わせる状況だ。
 勝負が付いたのがちょうど5月吉日の鳳家の園遊会の頃だったので、園遊会での話題もこれで持ちきりだった。

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