■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  067 「1928年の大陸情勢(2)」

 この年から鳳一族の園遊会は、規模が大きくなりすぎた事を受けて鳳ホテルの大宴会場での会食会に変更となっていた。
 そして鳳の園遊会で話題になったように、日本も見ているだけでは済まなかった。

 揚子江流域が再び戦場になる可能性が出てきたので、列強諸外国と念入りに調整した上で、海外警備を担う海軍陸戦隊による各租界の兵力増強を実施していた。
 そして6月、前世の歴史のような展開が発生する。これは歴史の揺り戻しというものなのかもしれない。
 勿論だけど、前世の歴史通りに張作霖が列車ごと爆殺されたんじゃない。

 コミンテルンと言うかソ連指導部の命令で、共産党が華中、華南の大都市(上海、南京、武漢、広州、さらに香港)で暴動を起こした。共産党は混乱を利用して、国民党の権力奪取に動いたのだ。
 そして暴動に対して、日英米を中心とする連合軍が各所に出動。特に暴動で死傷者と損害を出した米英が今回もブチギレ。
 イギリスはシンガポールから、アメリカはフィリピンから兵力を投入。さらにアメリカは、日本と調整をつけて西海岸から海兵隊を乗せた巡洋艦戦隊を追加で派遣する始末。
 
 けど、米英に加えて日本がさらに兵力を投入するより早く、潰走する国民党軍の後ろを撃ちつつ、南下していた張作霖軍が南京、上海の奪取もしくは占領に成功した。そしてそのまま、上海、南京で暴れていた共産党軍を攻撃。
 ここまでは張作霖の完全勝利ムーブだ。
 張学良が共産党を攻撃しまくるとか、私的には何かの悪いジョークを聞くようだった。

 しかし内陸部の武漢で、アメリカから急ぎ返り咲いた蒋介石が掌握したバラバラになっていた国民党軍右派の軍勢が、張作霖軍と現地の共産党の暴徒と国民党左派の事実上の政府を攻撃。
 一方で、汪精衛の国民党左派(容共の広東政府)は華南、広州に逃亡。
 散々に打ち破られた共産党の残存勢力は、都市を捨てて内陸の農村部に逃亡。その後、村八分状態の各村々のゴロツキを口八丁手八丁で動かして、各地の地主を血祭りにあげつつ奥地で解放区を作り始める。
 なんだか、1年ずれで前世の歴史を見るようだ。

 当然だけど、(第一次)国共合作は完全崩壊。国民党も左右に分裂する。そこに長男が出迎えられ南京入りした大元帥な張作霖から、蒋介石に右手が伸ばされる。
 大元帥な張作霖は、新たな皇帝の座を得たも同然と考えたのだろう。

 そして大元帥様は、調子に乗って無茶に出る。
 前世の歴史では国民党がやらかした事を、張作霖は息子の張学良を使ってしてしまったのだ。
 それはソ連がロシア時代から北満州に保有する中東鉄道(=東清鉄道)を事実上占領してしまう行動だ。そして軍の指揮が意外に上手い張学良は、満州北部の鉄道のかなりを事実上占領してしまう。
 つまり「華ソ紛争」の勃発となったのだ。

 自分たちに火の粉が降りかからないようにしないといけないと、ソ連との軍事格差に怯える関東軍が震え上がったおバカな行動だが、意外にソ連軍の動きは鈍かった。
 というのも、当時のソ連は年内は第一次五カ年計画開始の年で、自作農など色々な反発が強くて、国内に力を注がざるを得なかったからだ。
 けど、なにか大きな勘違いをしている大元帥様のムーブは続く。少なくとも見た目には、圧倒的という以上に張作霖は優位にあった。

 その年の7月1日から3日にかけて、南京で張作霖と蒋介石が会談。
 その結果、国民党の青天白日満地紅旗が、国民党の旗として廃止される事になった。私の前世だと「易幟」が発表され、五色旗が消えて無くなるのとは、ある意味真逆の事が起きたのだ。
 青天白日満地紅旗は、国父孫文が定め国民党の旗となっていたけど、今回の会談であくまで『孫文の旗』と定義され、国家や党、結社の旗として使う事を国法で禁じたのだ。

 そしてこの事件は、国民党とそれを率いる蒋介石が、張作霖の政府、北洋政府に降伏した事を意味する。それどころか北洋政府が、正式に中華民国政府に固定されてしまった。
 私が前世で知る南京への遷都は起きる筈もなく、首都も北京のままだ。

 歴史の揺り返しどころか反転状態だ。
 「歴史の揺り戻しはどこへ?」と思わず問いかけたくなる状態に、私は振り回されることになった。

「どうかされましたか、玲子お嬢様」

「時田、国民党の旗が無くなったわ」

「左様ですな。しかし『孫文』は彼らにとっての国父。張作霖が大陸を統一した以上、国民党だけが使うのは許されないというのは、それなりに筋は通っているのではありませんかな?」

「まあ、そうだけど、この事態は予想外だったわ」

「確かに、『夢見』には無かった事ですな」

「ええ。しかも、私の見た夢と真逆の事が起きているのよ。日本で憲政党政権を早く降ろしたのが、ここまで影響するとは思いもしなかった・・・」

「……後悔、しておいでですか?」

 少し声のトーンを落として聞いてくる。冷静になるようにというサインだ。
 だから小さく深呼吸する。

「ううん。真逆だったら、今頃張作霖は関東軍が暗殺して、日本で軍が暴走し始める切っ掛けになったし、田中内閣も大変な事になってるのよ。けど、私が求めたのは、昭和金融恐慌の回避だけだから。・・・とにかく、色々な方面の事を考えて行動しないとダメね」

「構わないのでは?」

「えっ? けど、夢からどんどん外れたら、私の夢の意味が無くなるわよ」

「それでも我々だけが、もう一つの可能性を知っている事になります。これは他者と比べ物にならない利点です。
 それに大変失礼な事なのですが、私個人といたしましては、玲子お嬢様にはもう少し穏やかに、せめて成人されるまでは健やかに成長される事を一番に考えられるよう過ごして頂きたく思っております」

 そう言って慇懃に礼をする。「差し出口を申しました」と。
 だから私はゆっくりと頭(かぶり)を振る。

「私も出来ればそうしたいわね。けど、あと一踏ん張りはしないと。まあ、それはともかく、これからの支那情勢はどうなるのかしらね。向こうの支社とかから何か話は来ていない?」

 私の安寧(あんねい)を自分でおざなりに扱ったので、時田は一瞬眉をひそめるが、すぐに私の質問へ意識を向ける。

「上海からは、国民党の混乱を伝えております。事実上のクーデターで復権したとは言え、蒋介石の影響力や権力はまだまだ小さいもののようです」

「まあ、軍事力も勢力範囲も張作霖が圧倒的に優位だものね。それにしても、これからは蒋介石が張作霖の下について、汪精衛と共産党が敵って形になるのね」

 訳が分からない。思わず腕組みして「フムッ」って考え込む。

「はい。張作霖は、近々中華民国政府主席に就任する事になるかと。そして蒋介石には、汪精衛、共産党の討伐を命じる事になりそうです」

「美味しいところだけ独り占め? けどそれだと、蒋介石が功績あげたら張作霖がヤバいんじゃない?」

 時田相手だと「ヤバい」も通じる。何しろ付き合いの長さが違う。他に「ヤバい」が通じるのは、シズとお芳ちゃんくらいだろう。
 そして「ヤバい」を正確に理解した時田の言葉が返ってくる。

「日本をはじめ列強の援助は張作霖にもたらされ、膨大な額となります。これがある限り、張作霖の政権は揺るがないでしょう。それに、蒋介石が使い潰されて終わるか、討伐に失敗する可能性も高いと予測されています」

「そりゃ張作霖が蒋介石に金を渡さなきゃ、そうなるわよね。それで、張作霖政府の当面の基本政策は?」

「反共、対日英米善隣外交しかありませんな」

「ソ連に喧嘩売ってるし、反共しないと全部の列強から援助絶たれるものね」

「はい、左様にございます。ですが逆に、広州政府、共産党が反発を強めるのは確実で、もうしばらく混乱は続くかと考えられておりますな」

「来年の春に張学良がソ連に負けたら、どうせすぐに動くわよ。だから情報収集は怠らないでね」

「はい、ご隠居様、ご当主様も同様のご意見でした」

「なら問題なしね。あ、お茶もう一杯ちょうだい」

「少々お待ちを」

 大陸情勢は、少なくとも年内は問題なさそうだ。
 それが分かれば、今は十分だ。

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関東軍と極東ソ連軍
関東軍は常に極東ソ連軍より弱かった。無敵の関東軍なんてものは、一度も存在した事がない。
満州事変までの関東軍は、日露戦争後の条約で1個師団プラスアルファ程度の兵力しか置けない。せいぜい2万ほど。
これに対してソ連軍は、1920年代で極東軍とバイカル湖から満州北西部の国境辺りまでで、それぞれ最低でも10万は置いている。最大で20万ずつ。
現地の日本軍は、朝鮮軍を足しても全然足りてない状態。
つまり関東軍との兵力差は、実質10倍ほどもあった。

張作霖軍閥
一応20万の兵力がある事になっている。
ただし兵士の家族なども含めるので、男性兵士の数は多く見ても半分程度。

「易幟」
張作霖爆殺事件の後、北洋政府が五色旗から国民政府の青天白日満地紅旗に旗を換え、国民政府に降伏した事件のことを指す。
そして五色旗をモチーフに満州国旗が作られる。
この世界では完全未発。

首都
中華民国の首都は、1928年6月に北京から南京に遷都されている。
そして北京は都でなくなったので、1928年から1949年まで北平と改名した。
この世界では北京のまま。

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