■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  109 「受賞逃す」  

 再びニューヨークに戻ってきた。
 テキサスは意外に大変で、本当にロックフェラーというかスタンダード・オイルに連なるアメリカ石油大手の皆さんが大挙して突如吹き出した油田に殺到した。
 同時にセバスチャンもテキサスにやって来て、一緒に来た鳳商事ニューヨーク支店の社員の人達と共に、相手さんとの交渉を行った。

 私は投げ売りで良いと思っていたが、私の思っていた構想程度では慈善家と変わらないと、全員から怒られてしまった。
 私の意向を受けて持ちかけた案件でも、私から見て吹っかけた条件だったのだが、アメリカの石油業界の皆様にとっては慈善家と変わらない条件だった。

 「フェニックス・プリンセスは本当に欲がない」と、表向きの褒め言葉で絶賛された。まあ、ガキの知恵ならこの程度というのが、裏の言葉になるんだろう。
 しかし、皆さんが来るまでにせっせと周りの牧場など、買えるだけ買い占めたのは正解だった。
 その後も権利を売った石油会社は土地の買収を進めたが、私だけが知っている最有力の土地を『偶然』押さえた功績は、その後非常に高く評価された。

 そして売却交渉だが、埋蔵量と産油量が分かるまで最終的な権利売却価格は保留。当初は、手続きとしての手付金を暫定的にもらうだけ。日本への輸入の際の優先契約、鳳商事、鳳石油の利権の一部保有、それを条件とした権利全体の売却という形でまとまった。
 当面だけでも、私が思っていた三倍のお値段で売れた。当然だけど、土地を買ったりした経費抜きでだ。
 だが、そこからがさらなる交渉だ。

 どうにもアメリカの石油会社は、鳳が少し前に満州で石油を掘り当てた事を快くは思っていなかった。
 けど、アメリカで大油田を見つけて、それを安価で権利売却した相手となれば、大幅に譲歩せざるを得ない。
 東テキサスの大油田を安く売った余禄として、鳳の極東での石油開発、技術使用の無罪放免。さらに精油など化学石油関連での優先的な技術の有償供与、特許の割引なども認めさせた。

 これだけしてしまうと、もう日本で鳳グループに石油事業で勝てる日本の会社、財閥はないだろう。
 そして大きな話になりすぎたので、こちらも慌てて鳳で石油を統括している出光佐三さんに緊急渡米をお願いしないといけなくなってしまった。
 全部私の思いつきで始まった事なので、もう関係各位には平謝りしかない。

 そして肝心の牧場だけど、すでに買った土地のうち油田の掘らない場所でこじんまりと運営される事になり、最終的には競走馬の育成なども行うようになっていく。
 また、牧場を買ったついでに、日本に馬を輸入している。
 私は全然知らないから詳しい人に任せたけど、なんでも10年くらい前に伝説的な勝利を収めた名馬の血統の馬を、何頭か買い付けたらしい。

 これは単に私が馬を気に入ったからで、特に事業をしようという意図はない。ただ何もしないと角が立つし、商売にしないのは財閥一族としても問題なので、馬牧場と競走馬の育成、日本での競馬振興などに投じていく事になる。
 ただやりすぎると、私の前世の記憶から見て歴史を書き換えすぎてしまうので、私が可能な限り規模を小さく抑える側に回るという、半ば本末転倒な事態となった。

 
「つ、疲れた・・・」

「お疲れ様です。お風呂になさいますか?」

「うん。お湯、少し熱めで」

「畏まりました。少々お待ちください」

 ニューヨーク郊外の滞在先の別荘だが、この建物にはお風呂が据えてある。そして少し改造して日本風のお風呂が入れるのが、最高に有難い。
 多分、和食以外で一番の贅沢だ。
 キャビアもフォアグラも、絹のドレスも敵わない。
 私が魂から日本人だと実感する。異世界に行っても風呂を求める同士達が大勢いるが、あれは間違いなく真理だ。前世でも海外旅行で一番恋しいのは、和食と並んで少し熱めのお湯の入った湯船だったように思う。

 なお、これほど私が疲れている理由は、実はテキサス油田以外にもう一つあった。
 私にとっては大した事のない事件なのだが、世界的には大事件が起きていた。当然だが、アメリカ株の大暴落じゃない。

「なんだ、彼奴ら!」

 私が疲れる原因が、風呂上がりにだらしなくくつろぐ私の横で吠えている。

「怒っても仕方ないでしょ。カルシウム足りてないんじゃない? フルーツ牛乳飲む?」

「おお、飲む! これが飲まずにやってられるか!!」

(ウンウン、禁酒法万歳。誰もお酒飲めないのは、確かに理想の一つではあるわよね)

 私がお風呂でふやけた頭で見ているのは、豪快に何杯ものフルーツ牛乳をゴクゴクと飲む紅龍先生だ。
 そしてなんでこんなに怒っているかと言えば、私は忙しくてすっかり忘れていたが、スウェーデンでノーベル賞の発表が始まっていたせいだ。

 10月初旬、つまり本日、1929年のノーベル生理学・医学賞が発表されたのだが、アレクサンダー・フレミング博士が受賞された。
 まあそこまではいい。
 ただ受賞理由が「長年の種々の伝染病に対するペニシリンの治療効果に関する業績」とされていた。
 発見、開発ではないので、鳳紅龍は選ばれなかったという事になる。
 見つけたのも、単離に成功したのも、製薬化までしたのも紅龍先生だ。特許だって全部持っている。鳳製薬と紅龍先生は、特許料や薬の売り上げでウハウハだ。
 しかし、それがダメだったのかもしれないと、紅龍先生も少し落ち込んだ。それでもフレミング博士を讃えた。そこまでは、立派な研究者であり大人だった。

 そして私が疲れた理由だが、その発表直前まで私達の滞在する邸宅に、アメリカのメディアが殺到していたからだ。
 当然、その対応に鳳の使用人達は大わらわで、護衛も神経も尖らせ、私も道化としての振袖姿で愛想を振りまき、当の紅龍先生も一生懸命応対していた。大人な性格が長続きしない紅龍先生にしてはよく頑張っていた。それも受賞すると思っていたからだ。

 だが、いざ発表されて紅龍先生が選ばれなかったと分かると、記者の連中は文字通り潮が引くように消えていった。帰ったとか、引き上げたとかより、消えていったと表現したくなる勢いだった。
 それまでは「今回の受賞はどれに対してだと思いますか?」とか「胃腸炎、梅毒、肺炎、結核ときて、今は何の研究をしているのですか?」とか好き放題に聞いてきていた連中だ。

 アメリカでの講演会も、今まで開発してきた新薬に続いて、私が不込んだ「食物アレルギー」の話も論文発表を渡米前にして、講演会の大きなネタの一つとした。
 経済的に豊かで食べ物も豊富なアメリカなら、日本にはまだ早い食物アレルギーの話しも現実味があると思ったのだ。
 そしてそれは大当たりだった。

 さらに一方では、講演会の合間にビジネス目的でアメリカの製薬会社と頻繁に話しも行った。もちろん、連れてきた鳳製薬の人間、鳳商事の人間も交えた上でのガチのビジネスとしてだ。
 そうした色々があって、受賞を逃しても少なくとも私の前ですら悔しさを我慢していたのが、一本の電報で吹き飛んだ。
 いや、ブチ切れた。
 何事かと思って電報を見させてもらうと、半ば予想通りだった。

 差出人は北里柴三郎博士。内容は「トウダイウラギル」。ただそれだけだが、二人にとってはこれで十分な内容だった。
 要するに、以前から懸念していたことが現実化しただけだ。
 ノーベル賞の委員会は、紅龍先生をフレミング博士との共同受賞にするか悩んで、日本の医学会で一番幅を利かせている東大医学部に意見を求め、『あいつは偶然見つけただけ。長年研究してきたフレミング博士こそふさわしい』とでも吹き込んだのだろう。
 あとで詳細を確認したら、ほぼ予測通りだった。

 そしてこの荒れようである。
 疲れているのに、これ以上は御免なので伝家の宝刀を抜くことにした。

「一つ逃しただけでしょ。あと二つは取れるわよ。まだ、まともに研究してた人もいないんだし。まあ、経口補水液は微妙でしょうけど」

「そんな事は言われんでも分かっている。私は東大医学部の行いが許せんだけだ!」

「先生も東大嫌いなんでしょ。お互い様よ。嫉妬深い男は嫌われるわよ」

「それは奴らの事だろうが!」

「あーもう、めんどくさいオッサンね」

 予想通りのやり取りの後、袈裟斬りのごとく一刀両断してやった。
 一撃目の、通常ならこれだけで致命傷な「嫉妬深い」は確実に返されると読んでいたので、それを受けての一撃。「めんどくさい」に加えて「オッサン」だ。
 21世紀のオッサンなら再起不能のダメージを受けるダブルコンボだ。しかも9歳の幼女からの攻撃ともなれば、もはや致命傷と言っても過言ではない。
 鈍感な紅龍先生も、流石に絶句している。
 そしてすぐにも顔が崩れて、何かゼスチャー付きでしどろもどろになっている。

「なあ玲子よ、流石にそれは酷くないか? 慰めろとは言わんが、かける言葉というものがあるだろ」

「ないわよ。横でオッサンが吠えているとか、お肌に悪いわ。あ、そうそう良い事教えてあげる」

 その情けない顔を見て、次のネタ披露をしてあげてもいいかと思い至る。

「な、なんだ?」

「顔のお肌を綺麗にするには、ビタミンC豊富な果物や野菜を薄く輪切りにしてパックにすればいいのよ」

「それは医療と関係なかろう?」

「講演会の話のネタになるでしょ。ご婦人方に受けるわよ、きっと」

「ふんっ、そういうもんかね」

 うん。大人しくなった。
 なんだかケムに巻いた気もするが、ウォール街の皆様からそろそろお話ししたい的なラブコールを頂いている身としては、せめて身内は静かであってほしい。
 幸い講演会もクリアしたし、マスコミも消えたし、ちょうどいい頃合いだ。

 そう、いよいよ私の旅の真の本番が始まろうとしていた。

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伝説的な勝利を収めた名馬:
「マンノウォー(Man O' War)」。
現在に至るまで「アメリカ競馬史上最高の馬」の座を不動のものとしている馬であり、「時代を代表する英雄」。
とはいえ、その子孫が全部速いとは限らない。

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