■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  119 「幽霊船(4)」

(なんだか、タイムスリップもののSF作品のセリフみたい。他意はないでしょうけど、私に対する当て付けとかアンチテーゼね。それともこれは、私のそうした気持ちが見せている夢なのかも)

 期待していた予想とは少し違う言葉に混乱させられる。そして改めて疑問も湧いてくる。

(これは本当は私の夢? それとも幻? それともオカルトの何か?)

「ああ、済まない。一方的に話してしまって。それで、あなたなどうするんだ? ここに留まる気があるのなら、一食分程度の飲食をすればいい。それで契約成立だ。幸いというべきか、あなたはまだ何も口にしていないから、飲食しなければ普通にここを離れられる筈だ。
 でも、たまのことだが、こうして出会って話すまでに何かを口にして、戻れなくなった人もいるんだけど、あの人達はどうしたんだろうか。それが少し気になるんだけど、あなたは知らないだろうね」

 怖い事を平然と口にされた。
 レストランで誘惑に負けなくてよかった。危うく取り返しがつかなくなるところだった。それに死者の国で何かを食べたら現世に帰れなくなるとか、神話の時代からの定番だ。

「ここに誰かが招かれたなどという話は存じ上げませんわ。私が知っているのは、今が1929年で、この船が沈んだのが1912年、私の生まれるずっと前という事くらいですわね」

「へえ、あなたはそんなに若いのか。あ、これはレディに失礼を。いや、ここを訪ねて来る人は、自分が最も望む年代で来るらしくてね。ここはいわゆる死者の国とかの類なんだろうが、だからこそ虚ろな永遠とでも呼ぶべき場所なんだよ。まあ、船と一緒に沈んだ我々は、そうはいかないけどね」

 そう言って軽く肩を竦める。すごく自然で、普通に生きているようにしか見えない。
 けど、ここは死者の場所で、私は目覚めてしまわないといけない。

「そうですか。では、どうやったら戻れますか。もう一度眠れば戻るなどなら、楽で良いんですが?」

「どうだろうか。その辺は私も知らない。こうして外の人と話すのも数年ぶりで、前の人がどうだったかは思い出せないんだ。多分、この一夜に囚われ続けているからなんだろうな」

(数年ぶり? それが「たまに?」。じゃあ、数名しかここには来てないって事になるけど、帰る人と帰れなくなった人が分かるほど来ている話と矛盾しない?)

 要領を得ているようで、アンドリュースさんの話は整合性が見えてこない。

「あの、数年ぶりということは、過去に数人しかここに来ていないのでしょうか?」

「いいや。私が呼ばれたのが数年ぶりなだけだ。あ、そうそう、ここに来た客人が明確に呼んだ人だけが、一時的にこの一夜の呪縛から少し逃れて、こうして話すことができるみたいだね。だから、客人が来てその人と話したって人は、その人の一族や親しい人が多いようだ。私も沈んですぐの頃は、結構話す機会があったが年々減っていてね。今は、近くの海上を船が通過した時に、時折迷い込んで来るだけらしい」

(つまり、死者と対話する場所って事か。万年お盆な会場みたいなもの? けど、それだとタイタニック号の死者は全員地縛霊状態って事よね)

「この一夜から解放されたいとか、この一夜の世界だけでも沈没を避けたいとかは思わないのかしら?」

「最初の頃は、別れを告げられなかった人に会えるのを重宝した気はするけど、出来るならそろそろ天に召されたいとは思う。ただ、こうして過ごしていると、何が現世で、何が天国か地獄なのか分からなくなってくるね」

「変えるのは不可能って事かしら?」

「そうらしい。沈没してしばらくした頃に、何度も挑戦した人がいたよ。私も他の人から呼ばれたことがある。でもダメだった。船長でも、どの航海士でもダメだった。全員で挑んでもダメだった。ここは未来が定まった、閉じた場所なんだよ」

「天に召される方法は分からないの?」

「神父様や牧師様に供養もしてもらったけど、ダメだったね。でもね、徐々に魂というか中身のある人は減っていっているから、そのうち誰もいなくなるかもしれないし、この場所自体が無くなる可能性も十分にあると思う」

 淡々と語るが、諦観すら通り越えた語調と雰囲気だ。
 そして嘘をついているとは思えなかった。
 それでも、こうして話す機会があったのだから、という気持ちが沸き起こる。

「私が出来る事はないのね」

「そうだね。この近くを通ったら、花の一輪でも海に投げてくれれば。最初の頃は忘れないで欲しいと言った人もいたらしいが、どうやら普通に死ぬより人々に覚えられ、さらに話が広がっていると聞いた。何とも皮肉だけど、それだけ大事件だったと思い知らされたよ」

(そっか。船が沈んだのが、自分のせいだとか思えてしまうんだろうなあ。そりゃあ成仏なり、昇天なり出来ないよなぁ)

「そうですね。私も事件の後で知りました。だからあなたには何も言いませんし、ここで何もしません。けど」

「けど?」

「オリンピック号が引退して解体する事になったら、何か買い取って保存しようかと思います」

「そりゃあ豪勢だね。見たところ東洋の方のようだけど、余程のお家の人なのかな?」

(初めて私自身にまともに興味を向けてくれた。まあ、だからどうだって話だけど)

「はい。その気になれば、船ごと買って長期保存も出来ますよ。何ならしましょうか?」

「アハハハ、そりゃあ面白そうだ。でも不要だよ。退役した後のオリンピック号の記念品の横にでも、タイタニック号という悲運の船があった、みたいなプレートの一つでも置いておくれ」

「分かりました、必ず。それを私のこの船に来た記念にしたいと思います」

「そうだね。我々は何も差し上げる事は出来ないので、悪いがそうしてくれると有難い。それに、久しぶりに辛気臭い話以外の事が話せて良かったよ。ありがとう、東洋からの旅人のお嬢さん。あなたの旅と人生に幸多からん事を」

「ありがとうございます。アンドリュースさんに、一日でも早く永遠の安らぎが訪れる事をお祈りしています。では、さようなら」

「うん、さようなら」

 座りながらアンドリュースさんと静かに会話を続けていると、徐々に意識が遠のく感じがして、最後の言葉を聞いた時点で完全にぼやけてしまった。

「・・・ます。お嬢様、朝でございます」

 次に意識が目覚めてくると、いつものシズの涼やかでクールな声。
 この部屋の合鍵を渡してあるので、鳳の屋敷でのように私をいつも通り起こす。
 そう、いつも通り、日常に戻って来た。
 だから「ガバッ」と一気に上半身を起こす。

「んーっ! よく寝たー!」

「おはよう御座います、お嬢様。・・・アラ?」

「どうかした?」

 クローゼットから私の服を取り出そうとしていたシズが、怪訝な声を上げる。

「いえ、大人ものの衣服が一式ございます。どういう事でしょうか?」

「前の人の忘れ物?」

「いえ、この部屋に入る時には何も御座いませんでした。入っているのは、お嬢様の衣服だけの筈です」

「シズが部屋を出てから、誰も入って来てないわよ」

「はい。扉が開けられた痕跡も御座いませんでした。どういう事でしょうか」

「どんな服? 見せて」

「はい。これです」

 そう言ってハンガーごと見せてくれたのは、死者の夢の中のタイタニック号で16歳の姿の私が来ていた高級シルクの贅沢なワンピースだ。しかもシズの別の方の手と二の腕には下着が、手には身につけた豪華な装飾品までもあるけど、どれも見覚えがある。下着などは、自分で自分に見入っていたほどだから忘れようもない。
 当たり前だけど、ちょっと絶句してしまう。

(あの夢の世界で身につけたものだから、具現化でもしたのかな? それならもっと別のものでも出来たのかも?)

 見覚えがありすぎて、つい現実逃避してしまう。

「お嬢様、見覚え御座いますか?」

「ええ、夢で見た事のある服よ」

「夢、ですか。ではこの服がお似合いになる頃にお嬢様がお召しになる服だと? ですが、どうして今ここに? 夢から持ってこれたりできるのですか?」

「そんな事が出来たら、今頃私、世界一のお金持ちになっているわね」

「そうもそうですね。それでは、この服はどうなさいますか? 処分されますか? それとも忘れ物として届けますか?」

 いつも通りのクールなシズの声に、私は首を横に振る。

(乗船記念にくれたんでしょう)

 深く考えずにそう思う事にした。

「持って帰りましょう。そして16歳になったら、ちゃんと着れるのか試してみるわ。ちょっと面白そうだし」

「……畏まりました。では、その時まで保管しておきます。それよりお着替えを。紅龍様が、すでに談話室でお待ちです」

「あ、はいはい。じゃあ、ちゃっちゃと着替えましょうか」

「はい、お嬢様」

 色々と妙な事はあったが、良い気分転換にはなった。
 それに、関係ない事だとはいえ、歴史を変えるなと初めて言ってくれる人に出会えた。
 きっと私は、この事件を忘れる事はないだろう。
 そう思いつつ、私の波乱万丈であろう日常に戻る事にした。

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夢の向こうで着た衣装は、あまり気にしないで下さい。
この世界には、転生以外にも不思議なことがあるという程度のものです。
オチとしての深い意味もありません。多分。

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