■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  145 「ダルマさん(1)」

 東京の赤坂表町三丁目。そこに目的地がある。
 「ダルマさん」こと、高橋是清蔵相。ウルトラ・ネームドの私邸が私の本日の目的地だ。

 鳳の本邸もしくは首相官邸の実質隣、山王にある鳳ホテルの近くだから賓客として丁重にお呼びしたのだけれど、来るようにと言われては行かないわけにはいかない。
 1854年生まれなので、今年で76歳。曾お爺様より1歳若いだけだけど、未だ現役の大蔵大臣を務めている。
 当人はそろそろ現役を引退したがっているらしいが、あまりにも優れた財政家としての手腕、積極財政の手腕、何より神業とも言える為替操作術もあって、他に得難い人物だった。少なくとも、田中義一内閣が続く間は現役続行と言われている。

 高橋是清の人生は、アメリカに留学したと思ったら奴隷に売られたり、ペルーで鉱山事業をして失敗して帰国直後はホームレスになったりと、波乱万丈過ぎる。
 しかし日露戦争からは、日本屈指の財政家としてその名を知られてきた。私の前世でも大蔵大臣歴は長いが、この世界とでも呼ぶべき世界では足掛け8年以上もしている。

 そんな偉人と言える人の邸宅へとやって来たのだけど、思っていたよりは小さな邸宅だった。
 立派な建物だけど、二階建ての木造の和風建築。もっと大きく豪華なお屋敷を想像していたので、鳳一族の本邸の方が少し世間からずれているのを軽く実感させられる。同時に、鳳一族が華族にして財閥だという事も痛感させられる。

(高橋是清がこの程度なら、そりゃあ鳳は世間様から嫌われるわけだ)

 少し和風旅館っぽい玄関に立って思ったのはそんな事だった。

 そうして来客を告げて使用人に案内されると、床の間のある応接室に通される。
 そして部屋には、和服姿の高橋是清の姿が。

(和服だとますますダルマさんだなぁ)

 そう思いつつも、部屋に入る前に正座で座り、三つ指とまではいかないが手をついて丁寧に挨拶を告げる。
 一緒に来た時田も同様だ。

「まあまあ、そんな堅苦しくせずに。早く中に入って座りなさい」

 そう言って座布団を進める。和室は曾お爺様の離れ以外に入らないので、軽くデジャビューを感じてしまう。
 年齢も曾お爺様とほぼ同じだからだが、見た目の印象は曾お爺様とはかなり違う。丸顔、つるっぱげ、口一面の白いひげ。まさにダルマさんだ。温厚そうな顔立ちと雰囲気で、こうして私邸&和服姿だと、ただのご隠居様にしか見えない。

「しかし、本当に子供が来るとは思わなかったよ。あなたが鳳玲子さんで良いんだよね」

「はい、本日は曽祖父並びに父となっている祖父の名代として訪問させて頂きました。実務については執事の時田が伺いますので、本日は・・・」

「あぁ、良い良い、そんな堅苦しくせずに。なんだか、見ていて居た堪れなくなりそうだ。せめてもっと砕けておくれ」

「は、はあ。じゃあ、今日はよろしくお願いします」

「うん。それくらいが妥協点かな。じゃあ、話をしようか」

 そう言って軽く笑みを浮かべたが、考えてみれば高橋様が笑みを浮かべるのは今日初めてだ。

(なんか、普通の子供扱いしようとしてくれるだけで、ちょっと新鮮。って思う時点で、私の方がダメダメって事なのよねぇ)

「それで、大切なお話との事だけど、最近の鳳は色々ありすぎるから、話を絞ってもらえると老人には有難いんだけどね」

 湯飲みに少し口をつけ、高橋是清がそう告げる。
 目付きが真剣なものに変わっているので、ここからはお仕事タイムと言う事だ。
 私も居住まいを正す。

「では、鳳伯爵家の長子として、日本政府に幾らかの献金を致したく存じます」

「政府に? そんな話は聞いた事ないけど、まあそれは横に置いておこうか。どれくらい?」

「金塊で1000万ドル」

「っ! ゴホゴホッ!」

 勝負どころなので短いキーワードを強めに発音する。
 そうする事でインパクトを増す目論見だったけど、効き過ぎだった。曾お爺様だと片眉上げる程度の筈だったが、鳳の常識は通じなかった。

「大丈夫ですか高橋様!」

「あぁ、大丈夫大丈夫。突然、とんでもない事言うからびっくりしただけ」

 片方を口に、もう片方を前に出して手のひらを広げて私達の動きを止める。

(半分にするべきだったかな?)

「うん。今思っている額でもびっくりしたと思うよ。1000万ドルがどれくらいの価値か分かって言ってるよね。しかも金塊だよ」

「はい。金塊がアレでしたら、ドルでも構いませんよ。どっちも今は掃いて捨てるほどありますから」

「ハァ。そんな言葉、一度でいいから言ってみたいよ。それで儂に国債を発行しろと?」

「はい、金の三倍、最低でも二倍お願いします」

「何を作るの、鳳は?」

「えっ?」

「えっ? じゃないでしょ。色々しているのは知っているけど、儂はあんまり感心しないなぁ」

(あー、マッチポンプって思われたのか。まあ、当然か)

 高橋是清は、私が出す金で政府からの大きな発注を寄越せと言ったと思っている。まあ、普通ならそうだろう。

「まあ、世間の目もあるので、一割か二割はうちに下さい。善人すぎたら、却って睨まれますから」

「他の八割は?」

「不況対策、公共投資、豊作対策を。あと、金塊は政府の金庫に溜め込んで下さい。苦労してアメリカから持って帰ってきた分ですから」

「うん、それはご苦労様。それにしても不況ねえ」

 思わずお礼を言われたが、それは日本国内に金が少ないからだ。ただ軽く流して、さらに口を開く。

「公共投資、豊作対策てのは? ちょっと見えないんだけど。もしかしてアレ? それが「鳳の巫女」の何か?」

 高橋是清も、私の噂はちゃんと知っているのが、この言葉で確認できた。つまり、日本政府内にも浸透していると見て良いのだろう。
 その前提で話す事にした。

「はい。今年は近年稀な大豊作になります」

「うん。基本的には良い事・・・そうか、米価が下がるのか」

「はい。しかも半島でも大豊作で、そのコメが内地に雪崩れ込んで値崩れが激しくなります」

「アァ、本当に起きるなら、考えたくもない状況だね。けど、その手の対策の法案はもう通してあるから、救済の為に公共投資の拡大か。道でも作らせるのかい?」

「その辺はお任せしますが、夏以後に補正予算とかで派手にばら撒いて下さい。天候が私の見た夢の通りとは限りませんから。あ、でも、今年は大豊作ですけど、来年は東北と北海道で大凶作、32年も凶作、33年はまた豊作飢饉、そしてトドメの34年の東北大凶作が待っています。その前提で、政府によるコメの買い上げや備蓄の指導もして下さいって、これは農林大臣がする事でしたね」

 私が矢継ぎ早に言葉を重ねたので、高橋是清がドン引きしている。多分、珍しいショットだ。

「えっと、本当に?」

「起きなければ本当に良いと思いますけど、今のところ否定する要素はありません。起きます、確実に。あ、でも、これからしばらくは献金するので、足しにして下さい」

「うん、もう、色々と子供とか大人とかを通り越えた言葉だね。念のため言うけど、ホラじゃないよね」

「献金は確実にします。もし飢饉がなければ他で使って下さい。その為に稼いできました」

 私がそう言い切ると、高橋是清は頭をペチンと平手で軽く叩く。
 私は、何かやっちゃったらしい。何をやらかしたんだろうと、少し遠い目をしそうになるが、まあ分かっている。
 だからさらに追い討ちをかける事にした。

「それとこれは夢でも予言でもなく、生糸の繭(まゆ)の国際価格が3月頭に暴落します。もう影響は出始めてますけれど」

「ああ、うん。それはこっちも予測してる。関係省庁は真っ青だよ。・・・それにしても1000万ドルか」

「本当は、もう一桁多くしたいんですけど」

「うん。それ以上言わないように。いい加減、儂、驚き過ぎて倒れるから」

「はい。申し訳ありません。けど、精々6000万円しか増額できませんよね。今年だけでも倍にしましょうか?」

「言ってるそばから、心臓に悪い事言わないでね。それに財源の裏付けがあっても、一度に多過ぎたらインフレに響くから」

「はい。だから抑えました」

「本当に分かっている? 昭和の頭にも鳳は2億円も日本に持って帰ってきて、相当無茶したよね。しかも今回は、既に4億円の現金と1億円の金塊が流れ込んいるじゃないか。しかも米国には30億円以上あるんだろ。あれ、いつ日本に持ってくるの? 額と時期は絶対に事前に話してね」

「その心配なら大丈夫です。アメリカでは派手に買い物するだけですので、持って帰る時の税金だけ値引きして下さい。それと、余った分のお金はアメリカに留め置いて、そのうち投資に戻します。こっちでの回転資金が余程不足しない限りは、日本には持ってこないので、ご安心ください」

「ご安心出来ないから言ったんだけど、本当? 大きな買い物の話はもう幾つか聞いてるけど、日本をどうしたいの?」

 既に計画や内意は伝えているので、高橋是清に驚きはない。田中義一政権が長めに続いているおかげだ。
 しかしその高橋是清は、私がここに来た当初と違って、全然子供扱いしなくなっている。ちょっと寂しいが、悪いのは途方もない話ばかりする私だ。
 だからそのまま途方もない話を続ける事にした。

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高橋是清私邸
「江戸東京たてもの園」でバーチャル体験できます。

https://www.tatemonoen.jp/

ここのホームページは、近代日本建築好きなら一見の価値があります。

なお、高橋是清の主語が「儂」だったかは不明。

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