■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  146 「ダルマさん(2)」 

 聞かれたならば、答えねばなるまい。
 そう意気込んで小さく息を吸う。

「英仏独のどれかに匹敵するくらいの重工業力を、出来れば10年で構築したいですね。もちろん、うちだけで出来る事じゃあないですけれど」

「作りそうな勢いだけどね。複数の高炉を持つ大規模な一貫製鉄所が計画だけで2つ。大規模製油所を中核とした化学コンビナート? コンビナートってあまり聞かない言葉だよね。それに大規模船渠を持つ大型造船所、大きな自動車工場が最低二つ、トラクター工場、発動機工場、板金工場、旋盤工場、大規模な部品工場群、精密機械工場、コンクリート工場、硫安工場、呆れるくらいの量の各種工作機械、作業機械。その他諸々。国が一つ作れるよ、これ?」

「私の目算だと、これでも全然足りないんですけど」

「足りない・・・何と戦うつもり?」

「もちろん、世界の市場です。世界に冠たる工業国となってこそ、欧米、特にアメリカから舐められない国になれます。でないと、いつまでも風下に立たないといけないでしょ。そんなの私、我慢出来ません」

「我慢の問題じゃないけど、その為に20億ドル使うのかい?」

「使うのは7割くらいですね。あとは抱え込んで担保にして、回転資金にします」

「7割でも国家予算1年分を大幅に上回るね。その上、テキサスの油田だって? あれも儲かったの?」

「向こう10年の利益込みで、一億円は超える予定です。ただ、天の恵みたいなものなので、日本に入ってくる分のお金は全部ばら撒いて使います」

「そりゃあ石川五右衛門もびっくりだ。それで、話戻すけど土建に回す公共投資だけど、法律変えた方が良いんじゃないかい?」

「法律ですか? 確かに、地主とかが土建業始めやすいように会社作りやすくしたり、一定期間の税免除とか法整備をしたら、労働力と資本の移動は随分楽になると思いますが、出来るんでしょうか?」

「道路、工場用地、宅地、これを大量に整備するには、鳳じゃなくて小松だっけ? あそこで作る機械と公共投資だけじゃ足りないでしょ。法律と税制を整備しとかないと、人が余っていても会社が立てられないからね。まあ、儂じゃなくて別の大臣担当だから、その辺は言っとくよ」

(流石は高橋是清。言うまでもなく、全部分かってるんだ)

「ん? どうかした?」

「いえ、その辺りは専門家にお任せします。私は大賛成です。どんどん日本の経済と産業を大きくしましょう!」

「ハハハッ、子供だけに威勢が良いねえ。まあ鳳には、昭和に入ってから鈴木の件を始めとして、日本全体が大きな恩を受け続けているから、出来るだけはさせてもらうよ。
 儂としては、特に鳳が海外からドルやら金塊やらを稼いで来てくれるから、国全体の所得も税収も上がるし、国債も出しやすかったし、足を向けて眠れないくらいに思っているんだ。
 まあ、その辺は君の曾お爺さんには伝えているけど、金儲けや派手な動きは全部、玲子君がしてきたって言うじゃないか。巫女かどうかはともかく、神童とはいえ大したもんだよ。本当に有難う。日本臣民全員を代表して、改めてお礼を言わせてもらうよ」

「頭をお上げ下さい。高橋様こそ、日露戦争の頃からずっと、日本の為に働かれているじゃないですか。私も高橋様が蔵相にいてくれるから、安心してかなり好き勝手させて頂きました。こちらこそ、感謝申し上げます」

 長広舌な上に、歴史上の偉人に何重にもお礼を言われてしまったので、思わずこちらも早口で返してしまう。
 そうして頭を下げあってから頭を上げると、高橋是清と目線があって、お互いに苦笑を浮かべる。
 そう、この人とは年齢を始め何もかも違うけど、日本経済を引っ張っていくと言う点で、同士とはいかなくても、最低でも戦友だと実感できた。
 そしてこんな年になっても第一線に立たされている人を、出来るだけ早く隠居させられるよう頑張らないと、と考えさせられもする。

「ん? 儂の顔に何かついてる?」

「いえ、鳳は高橋様の財政政策には助けられたなあと、改めて思いまして」

 見つめあった後も凝視してしまっていたら、ちょっと可愛く首を傾けられてしまった。
 そのせいもあって、返答に少し変な事を返してしまう。

「うん。儂には、それしか出来ないからね。濱口君や井上君なら、インフレを抑える為に頑張れるんだろうけど、あの手法は大蔵官僚上がりの頭の良い人じゃないと無理だから」

「私は、緊縮財政は大抵ろくな事がないと思ってますが」

「そうかな? 緊縮財政にも良い事はあるよ。活かすのはちょっと難しいところはあるけどね」

 思わずそんな問答をしばらく続けるが、27年度予算からは政友会、田中義一内閣、高橋是清蔵相による、野党や反対派の言うところの「放漫財政」、肯定する人達の言う「積極財政」が続いている。
 要するに、財政の裏付けが取れる範囲で国債を発行する赤字財政だ。世の中にお金を回す事で全体の経済を上向かせ、所得の向上と予算の拡大により、その赤字を将来的になんとかしてしまおうと言う物で、国の経済が拡大を続ける限りは概ね有効だ。
 経済が成長しきった国では効果は出にくいが、途上国、新興国では、有効になりやすい。

 私の前世の日本の歴史上では、32年度予算から高橋財政による大幅な赤字国債の発行に踏み切るが、この世界では27年から額こそ絞られているが続いている。額を絞っているのは、インフレを抑えるためだ。
 それに昭和金融恐慌を未発に終わらせたし、鳳が派手に金を使っている影響もあり、今のところ日本は昭和に入って不景気は経験していない。
 不景気に入るのはこれからになるので、だからこそ景気対策をしっかりしておかないと、今後酷い事になる。
 アメリカが共和党の「自由放任主義」と言われる、経済の自由な活動に重きを置いた消極的な経済政策しかしない事で、どん底のどん底に落ちていくような事態は、何としても避けないといけない。

 そうした状況の到来の初動で高橋是清が蔵相の座に座っているのは、私としては何よりの安心感がある。
 これからの状態でいきなり緊縮財政なんかしたら、どうなるのかを私は前世の歴史で知っているからだ。
 ただ日本の財政にも一つ問題がある。

「あの高橋様、せめて私が出す国債分だけでも、軍備に回さないように出来ませんか?」

「そうだねえ、出来れば良いけど。そんな事したら、君のお父さん刺されちゃうよ」

「ですよねー。けど、少しは抑えてくれませんか? 私が国民の為に出すんですよ。なんで視野の狭い軍人の為に、身銭を切らないといけないんですか」

「言いたい事はよく分かるけど、正面からだと厳しいよ。5000万円も見たら、何を買えるかその時点で皮算用始めるような人達だからね」

「他人の財布だと思って勝手ですよね。分かりました。あざとい手を使わせて頂きます!」

「ど、どうするの? 無茶しちゃダメだよ」

 本当に心配そうに私の顔を伺う。
 しかし私の前世では、高橋是清もインフレ抑制のために予算を絞ろうとした途端に、度し難い連中に殺害されてしまうのだ。
 だが、今の私には「良い手」がある。だからニコリと「いい笑顔」で返す。

「無茶はしません。強いて言うなら、鳳一族と鳳グループの宣伝をします。予算が決まる前に、私が国に献金した事を水面下で漏らしてしまうんです。軍が文句言ったら、国民の大半は私の味方をしてくれると思いますが?」

「ああ、その手か。君が国民の為にと献金するわけだから、そこまで漏らしたら軍は文句を言いたくても言えないね。けど、いいの? 君のお父さん、叔父さんが大変だよ」

「あの二人なら、突然集団で襲われでもしない限りは大丈夫です」

「まあ、そう言う事なら、儂も最大限頑張ってみよう。軍備以外に金を回したい気持ちは山々だからね」

「無茶を言いますが、よろしくお願いします」

「いいよいいよ、日本の為だ。もっとも、軍人もそう思っているのが、なんともやりきれないんだけどね」

「陸軍にはトラックとガソリン、海軍には重油を格安で売って機嫌とっておきます」

「うん。でも程々にね。次も貰えないと、簡単に逆上するから」

「まるで子供ですね」

「海軍はともかく、陸軍将校は幼年学校から一本道だから」

 そう言って言葉の最後を濁す。
 そう幼年学校には良い面も一部にあるが、悪い面も多い。とにかく視野が狭くなりがちだ。正直、私は廃止するべきだと思っているが、まあ無理だろう。自然とお互い苦笑を浮かべてしまう。
 そしてそれを切り替えてきたのは、年の功な高橋是清の方だった。

「それより、せっかく来てくれたんだ。欧米を回ってきたと言う土産話をしてくれないかい」

「はい、喜んで。やっぱりニューヨークの話が一番でしょうか?」

「そうだねえ。最後に聞くよりは心臓に良いかな。多分、眠れなくなるだろうし」

「私は一週間ほど、放心状態になりました」

「そんなに? でも、一瞬で100億ドルも消えて無くなったら、そうなるか。で、どうだった?」

 と、そこからは高橋是清にアメリカ(ニューヨーク)のあの場に居合わせた事を伝え、アメリカの不景気がどれだけ凄まじく、今までの不景気とは全く規模が違う事を懸命に伝えた。
 出来る限り、この時点での数字を添えて。
 そして最後にこう結んだ。

「ですから、可能な限り早く金本位制離脱の準備をお願いします」

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