■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 169 「1930インターバル・サマー(6)」
夏の旅行は続いていた。
夏の関西旅行は、金子さんとのちょっとした意思確認をした以外、遊び倒した。 金子さんと会った翌日は大阪に繰り出し、私が前回行きそびれた日本初のターミナルデパートの阪急百貨店を攻めた。 大きな建物の中にホームがあり、その建物ごと百貨店というのは後の世から見れば日本の都市のよくある景色だけど、大阪の阪急百貨店がその始まりだ。天井の作りや装飾も凝っていて、大きな聖堂のようですらある。 私は前世の記憶での関西遠征の際、電車のホームじゃなくて大きな通路になった状態を見た事があったけど、それでもこの時代にこれだけのものを作ったという事に驚かされる。 当然、初見である鳳の子供達も大いに感心していた。側近候補の子供達など、口をポカンと開けるだけだった。 一見の価値アリってやつだ。
そしてその後は道頓堀に移動。食い倒れな道頓堀で食事を済ませると電車で奈良へ。 その日の午後遅くと、さらに翌日かけて奈良の神社仏閣を攻めまくる。気分はもう日曜夕方の国民的アニメのオープニングだ。それに、前世の私でもここまで奈良を色々と回った事はなかったから、思った以上に満足できた。
それ以上に良かったのは、前世で一度は泊まりたいと思っていた奈良ホテルに滞在できた事だ。 ただしここは、迎賓館に匹敵する施設で客を限定していたので、泊まれたのは鳳伯爵家の人間だけ。使用人の一部は世話役として例外扱いにできたのも、甲子園ホテルと同じ。子供達と使用人は別の民宿への宿泊となった。
そして奈良から京都へ。 交通量の少ない鉄道を大人数で移動するのも憚られたので、奈良各地を巡るのにも使ったバスで移動。道は良くないけど、この時代の小さなバスもそれなりに情緒はある。 そして京都市内へと入るまでに、宇治、稲荷を攻めた時点でタイムアップ。稲荷は、私が安易に神社内の山巡りを提案したおかげで、途中で断念したにも関わらず子供達は全員ヘトヘトに疲れきってしまった。 ついでに伏見稲荷では、もう一生分の鳥居とお狐様を見て、誰もが気分的にお腹いっぱいだ。
それと、大西洋上での体験もあるから、奈良辺りからは何か不思議な出来事の一つでもあるんじゃないかと半ば期待しつつ思っていけど、目が覚めたら普通に次の日の朝だった。 白昼夢もないし、不思議な出来事はゼロ。仏様もお狐様も出てくる気配はゼロ。 どうにもこの世界は、霊的なオカルトはあっても神様仏様の類はいらっしゃらないか、お顔をお出しにはならないらしい。 乙女ゲームの世界の具現化のくせに、サービス精神は少ないようだ。 そんなわけで、京都市内を一巡しても特に変化はなし。 最後に京都市郊外で一泊して、京阪神を後にする。
「で、何で俺たち熱海にいるんだ?」
「えっ? だって夏休み中でしょ。それと熱海の後は湘南海岸で海水浴よ」
「夏を満喫する気満々だな。他に予定は?」
「あとしたい事は、軽井沢で避暑かなぁ」
「じゃあこれからしばらくは、鳳の別荘巡りだね」
「そうなるわね。普通のホテルは護衛の人が大変だから、その方がいいでしょ」
「遥子ちゃん、そういう考え方が子供じゃないんだよ」
「はーい。子供らしく、後はダラダラ過ごしまーす」
鳳の子供達への一言コメントをしているのは、質問の通り熱海温泉にある鳳の別荘。 熱海では、鳳ホテル系列として去年秋からホテル事業も始めているけど、鳳の家の者は別荘を利用する。 また今回は、旅に同行した私の側近候補の子供達と、シズとリズ、それにワンさん以下の使用人と護衛の人も招いている。 この別荘は、企業の保養施設も兼ねているから、30人程度なら十分に宿泊出来る規模がある。 それに、鳳の別荘なら遥子ちゃんが望んだ、男女別室の大部屋というシチュエーションもありだ。
「何だか、一生分の旅行をした気分です」
カポーンという音が鳴りそうな温泉でそう感想を述べるのは、私の側近候補のみっちゃん。 私より1歳年上な上に背が高くなる設定のおかげか、11歳なのにすくすくと色んなところが成長しつつある。髪の毛も、小学校入学の時に私が我儘言ったせいで、ポニーテールを解くとお尻に達するほどだ。 お風呂では、その長髪をタオルでまとめてアップしてある。
「でも、まだ終わりじゃないんだろ?」
「そうよ。次は湘南海岸で海水浴。その次は軽井沢で避暑。他に何かしたい事ある?」
「暢んびり出来るならそれで十分。でもさ、暢んびりしてていいわけ?」
「夏の間はね。夏の終わりには大豊作が待っているから、忙しくなるわよ」
「大豊作ですか! 今年は農家も安心ですね!」
みっちゃんが嬉しそうに、思ったまま口にする。この時代、日本人の多くが農村出身なので、幼い頃の情景でも思い浮かべていそうだ。 他の側近の女の子達も似た感じだ。
(けど、そうじゃないのよね)
そんなみっちゃんには何も言えないでいると、お芳ちゃんも小さく苦笑を浮かべていた。 色々な情報に触れる事が出来るようになっているから、豊作とその先の米価暴落を予測していそうだ。
「で、お嬢は、豊作をどうすんの?」
「コメを買いまくる」
「他には?」
「政府が、今は養蚕農家と生糸業者の救済で駆け回っているから、政府が動くまで1銭でも米価を維持する。と言っても、今買い始めても変に価格を引き上げるだけだから、まだ動かないけどね」
「政府はアテにならないの? あんなに寄付したのに?」
「してなかったら、今頃養蚕農家の救済もロクに出来てないわよ。お米の方は、2年前に二つ法案通して多少は準備しているから、今年はそこまで酷くならない筈」
「ああ、「米穀統制法」と「米穀自治管理法」か。えっ? この為に準備してたのか?」
「今年を含めて、この先5年ほどの対策ね。本当はもっと実効性のある法律を通して欲しいけど、今の日本じゃあこれが限界でしょうね」
「『夢見の巫女』は伊達じゃないな。統計や情報だけじゃあ、こんな予測と準備は絶対に無理だ」
「でしょ。だから鳳は大きくなれたのよ」
「うん、納得。こんなの天才が束になって掛かっても敵うわけない。でもさ、私なんているの?」
お芳ちゃんは一通り感心しきった後、思いの外真剣な眼差しが私に注がれる。 いつもより瞳に赤みが強い。
「必要に決まっているでしょ。仮に何かを知っていたところで、この小さい手一つで何ができるって言うのよ。だいたい、一人の異才や天才で全部片付くなら、世界なんて退屈で仕方ないわよ、きっと」
「フッ、そうかもね」
そう軽く笑ったお芳ちゃんに、それまで沈黙していた遥子ちゃんが湯船から手を出して人差し指を左右に振る。
「お芳ちゃん、あんまり玲子ちゃんの言葉真に受けたらダメよ。結構、適当に言っている時があるから」
「知ってる。知ったかぶっている時もあるよね」
「アルアル。自分で言ってても理解してない時とかね」
「えっ? そんな風に見えてた?」
「そりゃあもう」
「うん。お嬢は、もう少し仮面をかぶる練習した方がいい」
「が、頑張る」
多少は感情を押し込め、制御できるようになってきたと思っていたけど、距離の近い子供達に見透かされているようじゃあ、魑魅魍魎の蠢く政治や経済の中枢で通用する筈もないだろう。 けどこういうものは、それこそ人としての経験値とか、余程凄まじい体験を重ねるとかしないと無理だろうし、どう頑張るのか皆目見当もつかなかった。 そして一人湯船で悩む私を、私の愛おしい人たちが生暖かく見守っていた。 そこは「生」抜きで見て欲しいけど、所詮私などそんなもんだ。 そして出来ない以上、開き直るより他ないというのが、現時点での結論だった。
その後、熱海、湘南、軽井沢と遊び倒した私たちは、蝉の声が変わる頃に帝都へと帰還した。 既に阿鼻叫喚と化しつつある米穀市場の待つ帝都に。