■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  172 「受賞」 

「玲子〜っ! ついにやったぞーっ!!」

 私が米価暴落、豊作飢饉対策で忙しくしていた10月初旬のある日、とびきり大きな声と共に扉を蹴破るようにして、紅龍先生が私の仕事部屋へと突撃してきた。
 ただその前に門扉で、玄関で、ホールで大声のやり取りがあり、そして鳳本邸の丈夫な廊下を轟音を響かせながら走ってくるのが嫌でも分かったので驚きはなかった。
 そして紅龍先生が、この時期これほど騒ぐ理由も簡単に推測できたので、資料やペンを置いてやってくるのを待っていた。
 同じ部屋にいるシズとお芳ちゃん、リズにも先に簡単に理由を告げ、出迎える準備も十分だ。
 だから私は、紅龍先生が入ってくると同時に言ってあげた。

「おめでとう、紅龍先生」

 まるでマンガみたいに滂沱の涙を流しながら顔を紅潮させていた紅龍先生が、私の言葉を一瞬後に理解して、私に抱きつく直前にピタリと止まる。
 その左右では、と言うか両腕にはシズとリズがぶら下がった状態で、なんだか遊んでいるようにすら見える。

(どんだけパワーあるんだ、このおっさん)

 私が内心冷や汗をかきつつの笑顔を張り付かせた顔を、紅龍先生が数秒凝視する。

「……なんだ、もう玲子にも一報が来ていたのか?」

「いいえ。けど、紅龍先生がこれだけ騒ぐんだから、理由は一つしか思い浮かばないもの」

「ま、まあな。おホン。では、改めて。わたくし鳳紅龍は、ノーベル生理学・医学賞を受賞した旨を鳳玲子に報告するものである」

「はい。ご丁寧にどうも。それと改めてノーベル賞受賞おめでとう御座います。日本初、東洋初の快挙よ。きっと、明日にも日本中で提灯行列ね」

 私に合わせて、さっきまで紅龍先生の両手にぶら下がった状態だったシズとリズも、「おめでとうございます」と頭を下げる。
 少し離れた場所に座るお芳ちゃんも、珍しくというか初めて見るくらいに真剣で真面目に頭を下げていた。紅龍先生の態度以上に、ノーベル賞の偉大さが分かろうと言うものだ。

「う、うむ。だが、玲子のおかげだ。この鳳紅龍、心から感謝申し上げる。本当にありがとう」

「どういたしまして。けど私は、ほんの少し手助けしただけよ」

「そのほんの少しがどれだけ偉大な少しか、本当に理解しているのか?」

 頭を下げたまま顔だけこっちを向ける面白ポーズな紅龍先生だけど、表情は真剣だ。
 けど、私は本当の事を言っている。少なくともそのつもりだ。

「紅龍先生の天才がないと意味が無かったわよ。それに偉大さも理解しているつもり。曾お爺様、お父様、お兄様、それに沢山の人の命を助けているのよ、紅龍先生の開発した新薬は」

「うむ。確かに、役に立って本当に良かった」

 そう言いつつ何度もウンウンと目を閉じて頷いている。
 そんな顔を見つつ、聞かないといけない事を幾つか思い至る。

「それで紅龍先生。どの薬が受賞したの?」

「ん? ああ、ストレプトマイシン。結核の治療薬だ」

「アレっ? サルファ薬の方が先に作ったのに、そっちが先だったかあ」

「まあ、どちらでも良い。私は認められた事が何よりも嬉しいぞ」

「けど、もう片方も何年かしたら受賞出来る筈よ。でないと、おかしいもの。そもそもペニシリンで評価されない事がおかしいんだから、その埋め合わせも含めたら経口補水液だって受賞してもいい筈よ。あれだって、お兄様をはじめ物凄い数の人を救っているんだし」

「ま、まあな。しかし今回はストレプトマイシンだ」

「うん。あ、そうだ、曾お爺様への報告まだなんじゃない?」

 そう。屋敷に来た時の音からして、真っ先にこの部屋に突撃して来ている。

「うむ。これから参るぞ。何と言っても、いの一番に玲子に報告せねばと思ったのでな」

「私が一番最初って、紅家の他の人には? 北里先生には? あと諸々には?」

「全部これからだ。だが、ノーベル財団からの正式発表も同時に行われている。おっと、そんな事を言っているとお前に叱られるので、その順番にご報告巡りをしてくるとしよう。さらばだ。言葉以外の礼はまたいずれさせていただこう!」

 そう言って「ワハハハハッ!」とまさに心からの歓喜の笑い声をあげつつ去って行った。それに、あれほど爽やかで満たされた表情と雰囲気の紅龍先生を見たのは初めてだ。

(ノーベル賞受賞したにしても、喜びすぎでしょ)

 閉ざされた扉に苦笑しか浮かばなかった。
 私以外の3人は、苦笑い以前に半ば呆然としていた。確かに、あれがノーベル賞受賞した天才とか言われても、俄かには受け入れ難いだろう。
 しかし、ノーベル生理学・医学賞は事実だった。

 ノーベル賞発表は毎年10月初旬から行われる。
 発表の順番は、生理学・医学賞、物理学賞、化学賞、文学賞、平和賞と続く。つまり最初が生理学・医学賞で、今年の一番乗りが紅龍先生だ。
 しかも他に研究していた人の中で、同列に受賞させられるほどの人はいなかった。つまり紅龍先生の単独受賞だ。
 そして紅龍先生が呑気に報告して回っている間に、日本の政府機関、商社、報道各社に第一報が駆け巡った。
 鳳グループにも一報が入り、鳳グループ傘下の皇国新聞は数年前から何パターンかで準備していたので、直ちに号外を発行。東京駅などで日本で最初に号外をばらまいて、地味に新聞自体の知名度も向上させると言うオマケもあった。

 そしてブン屋達が紅龍先生の居所を掴んで押しかけたのが、北里研究所となった。
 紅龍先生にとっての恩師と言える北里柴三郎博士への報告をしたら、その場で万歳三唱。そのまま研究所を挙げての大宴会へともつれ込んでいた。
 そしてブン屋達の前で紅龍先生が報告し、北里先生が紅龍先生を絶賛。ついでに帝大糞食らえとも言ったそうだが、そこは殆どの新聞では伏せられていた。

 ともかく、翌朝には日本中の新聞という新聞が、一面で紅龍先生のノーベル賞受賞を一斉報道。
 NHKラジオでは、受賞の一報の時点で臨時速報を報道。その後も、ニュースの度にノーベル賞受賞を報道した。さらにNHKラジオでは、後日紅龍先生の生音声による放送まで行っている。
 そして日本国民の念願でもあった東洋初のノーベル賞に、日本中が大歓喜に包まれた。
 鳳の本邸を取り囲んだ提灯行列のせいで、私は丸一日動けなかったほどだ。

 そしてそこからが、紅龍先生は大変だった。
 12月の授賞式の為にスウェーデンへ行くのは当然なのだけれど、とにかく日本中が大騒ぎになってしまったからだ。
 しかも日本政府は、米価暴落や世界恐慌に伴う不景気の心理面での不安を和らげる為に、紅龍先生の偉業を必要以上に讃えた。濱口首相としては本意ではない気がするけど、多少は仕方ないとは思う。
 ともかく、大騒ぎになったのは事実だった。

 紅龍先生は『東洋初のノーベル賞受賞』という決まり文句に加えて、『日本の奇跡』、『最も人を救った男』、『数々の人類の敵を倒した男』と報道された。
 そして俄かに脚光を浴びた事で、世界中が紅龍先生の業績に目を向け、そして大いに驚いた。革新的な発見が、一つだけじゃなかったからだ。

 だから少し遅れて海外でも似たような有様となり、誰もが紅龍先生を追いかけた。海外でも、『神に愛された奇跡の天才医学者』と持ち上げられたほどだ。ただ海外でのこの言葉には、東洋人のくせに単に幸運だっただけだろう的なニュアンスが感じ取れるのが、この時代らしい。

 また副次的に鳳一族、鳳グループの知名度が一気に上がり、紅龍先生の薬を生産する鳳製薬の株価は一気に跳ね上がった。さらに紅龍先生が属している鳳大学では、来年度の入学希望者が一気に増えた。鳳病院も似たようなものだ。
 どれも規模や事業を拡大しようとしていたので、鳳としては渡りに船となった。
 一方では、経口補水液以外は安い薬ではないので、豊かとは言えない民衆からの反発が見られたりもした。
 そのせいで薬の値段を落とさざるを得なかったのだが、紅龍先生が特許を持っているから、その分を1年間に限り全額薬代に寄付するという形で還元する事で、紅龍先生の知名度はさらに上がった。
 天才なだけでなく篤実家として評価を高めたのだ。

 そして日本政府は、紅龍先生がスウェーデンに旅立つまでに、かなり高めの位階、男爵位、貴族院議員、かなり強烈な勲章などなどを授けた。
 鳳一族としては、宗家の伯爵家以来の一族からの華族誕生となったけど、もうそんな事はどうでもいいくらいの勢いだ。
 位階と勲章は、何度か、何年かに段階を分けて色々と授けられたが、最終的には一族どころか日本中探しても滅多にいないほど強烈なものが授けられてしまう事になる。
 そしてそれだけじゃない。
 濱口首相は勿論、天皇陛下にも謁見。直接言葉を賜る事となった。

 民衆も放っておく筈がなく、旅立つ前に慶應大学、鳳大学、鳳ホテル、日比谷公会堂で講演会を実施。帝大からも呼ばれたが、これは徹底的に無視したのは大人気ないけど、気にする必要ゼロな盛り上がり。
 そして予想通りというかこの時代の慶次のお約束とばかりに、日本の各地ではノーベル賞がどういうものか今ひとつ分からないまま、日本中が提灯行列と相成った。
 提灯行列は、鳳の本邸、大学、病院、製薬、鳳ビルと各所でも行われ、鳳の名をさらに広める宣伝ともなった。

 そんなある日の事だった。

「れ、玲子! 大変だ!」

 また仕事中の私の部屋に、紅龍先生が押しかけて来た。けど今回は、歓喜ではなく困惑の声。救いを求める声だ。

「子供が仕事してるところに来るとか、非常識にも程があるんじゃない?」

「いや、悪いとは思っている。というか、子供が仕事の時点で色々言いたくもなるが、それはまた今度だ。大変なのだ!」

「何が? ノーベル賞取り消されたとか言わないでよ」

「そんなわけあるかっ! いや、怒鳴る気は無い。それより聞いてくれ、陛下の御進講役を仰せつかったのだ。どうすればいい?」

「それはおめでとう。名前にさらに箔がつくわね」

 私はそう言う事もあるかと、淡々と返す。
 御進講役とは、陛下にタイマンで何かしらの講義をする事。生物学者でもある昭和天皇なら、望まれても不思議はない。

「箔とかは、うまく御進講できたらの話だ。何か、こう、目の覚めるようなネタはないか?」

「えっ? そんなの薬の話すればいいじゃない。ノーベル賞とったんだから、奇を衒(てら)わずにその話をまず最初にするべきでしょう。なに動転してんのよ」

 私の当たり前の言葉に、テンパっていた紅龍先生の顔が真顔に戻る。そして「確かに」と手をポンと叩く。

(テンパりすぎでしょ)

 そう思いつつ苦笑すると、さすがにバツが悪いらしく頭を掻いたりしている。全然可愛くはないけど、まあ仕方ないとは思う。
 そう思いつつこっちが苦笑していると、再び紅龍先生の顔に焦りが戻ってくる。忙しい人だ。

「今度は何?」

「いや、御進講が一回ではなかったらどうしよう」

 真顔で焦っている。だから淡々と常識で諭してあげる。

「普通は一回きりでしょ。なに舞い上がってんのよ。自意識過剰気味じゃない?」

「そ、それもそうか。うむ、邪魔をしたな」

 そう言って納得し、その時は去って行った。
 いつから私はあの人のお悩み相談室になったんだろう。

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テンパる
口には出していないけど、麻雀用語が由来。
麻雀が一般に認知されたのは関東大震災以後で、1931年だと日本で最初のブームの最中。
ただし、テンパるが「いっぱいいっぱいになる」のような意味合いで通じるかは不明。

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