■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  175 「別れの準備」

 1931年が明けた。けど、鳳本邸の空気は少し重かった。
 曾お爺様の蒼一郎に、いよいよお迎えが来ると誰もが感じていたからだ。

 発端は12月初旬に軽い風邪をひいた事。けど、既に体力が大きく衰えて床から離れられなくなっていた体は、その風邪に抵抗するだけの力を殆ど無くしていた。幸い肺炎には至らなかったけど、その風邪で体力を大きく損なってしまった。

 そしてもう今年の冬を超えるのは難しく、あとは静かに最後を迎えるのを待つだけだと言う話しが掛かりつけの医者が口にしてからは、鳳の本邸は最後の挨拶に訪れる来客、しかもお年を召した方がよく来るようになった。
 世間からは嫌われている鳳一族だけど、財閥としては巨大化したし、何より鳳蒼一郎が政財界で相応の地位を築き上げ、さらには個人としては畏怖され、慕われていた証だった。

「改めて、父さんの偉大さを思い知らされるな」

 正月三が日を超えた鳳本邸の居間で、お父様な祖父の麒一郎が溜息をつく。その言葉に、私は何も言えなかった。

 私にとっては曽祖父であるより、政治経済、そして人生の師匠と言う感覚が強かった。それでも一族の中では、一番長い時間を過ごした人だ。基本的にお父様な祖父は軍務があるから昼間は家にいないので、どうしても一族の誰かと居る時は曾お爺様と過ごす事が多かった。
 それに、お父様の祖父の奥方、つまり私の名目上の母に当たる祖母は、一族内の公式行事で型どおりの挨拶をする以外で、言葉を交わした事がないから、私にとってはモブキャラ同然だった。
 だから曾お爺様が元気なうちは、昼食を共にすると言えば曾お爺様だったし、二人きりの時は蒼一郎様と名前で呼び合うほどの仲だ。
 それにアラフォーな私の前世的には、年齢的に曾お爺様がおじいちゃんで、お父様な祖父はお父さんなイメージが常にあった。
 そんなこんなで、転生してからの私は曾お爺ちゃん子だ。

「お父様がその偉大さを引き継いでくれるんでしょう」

「無茶言うな。軍での政治力や影響力すらロクに無い無駄飯食らいな俺に、父さんの真似が出来るわけないだろ」

 あまり期待していなかったけど、意外に長いご返答。どうやら、雑談で気を紛らわせたいらしい。
 私も同じ気持ちだったので乗る事にした。

「華族としても?」

「そうだなあ。父さんが旅立ったら、軍を退役して貴族院議員に転向だな。どうせ軍にこれ以上残っても、お情けで中将昇進出来るかどうかだが、多分難しいだろう」

「そうなの?」

「そうだよ。少将にすらなれない奴だって少なくない。中将以上になれるやつは、同期では精々十人ってとこじゃないかな? 少将でも結構凄いんだぞ」

「そうなんだ」

「というのは半分嘘だ。俺たちの6期は日露戦争で随分靖国に行ってしまっているから、昇進はそこまで難しくないよ。あまりする気もないけどな」

 そう言って軽く笑う。
 陸軍士官学校6期は、以前調べた限りでは日清戦争が終わった1895年卒業。その9年後に日露戦争だから、大尉辺りで日露戦争に従軍している。
 そして大尉と言えば前線の中堅指揮官なので沢山戦死した。
 騎兵で後方撹乱していたお父様な祖父は、日露戦争での活躍と華族という事で、素行不良で昼行灯ながら少将閣下に昇進できた、という事になっている。

 ネームド(歴史上の人物)としては、満州事変の頃、つまりもうすぐ陸軍大臣になる南次郎と二・二六事件で当時の総理岡田啓介の身代わりとなった松尾伝蔵がいる。
 このうちお父様な祖父は、南次郎と仲が良い。南次郎はたまに鳳本邸に遊びにきているから、私も顔見知りだ。
 あと1年後輩に皇族方がお二人いる程度で、1年先輩も含めて私が前世で知っているネームドは見当たらない。

 けどもう1年後輩になると、あまりイメージの良くない総理となった林銑十郎、二・二六事件で犠牲になった渡辺錠太郎がいる。
 さらに1年後輩になると、今後の陸軍の問題児となるネームドが犇いている。総理にもなった阿部信行、昭和の陸軍の混乱に深く関わった荒木貞夫と真崎甚三郎、そして南京での一件で有名な松井石根。
 けど、お父様な祖父と親しい人はいない。鳳の本邸に来た事もない。

 そしてお父様な祖父より後輩が歴史上に名前を残しているという事は、お父様が軍に残っていても歴史上での出番が回ってくる可能性は低いという事だ。
 バリバリのエリートで出世していれば、南次郎のように陸将や、場合によっては首相の可能性もあったかもしれない。だけど、少将閣下程度では貴族院議員として政治家に転向する方が、その先の活躍の目もあるかもしれない。

「で、その凄い少将閣下は、政治家とのツテはないの?」

「まあ、陸軍からの転向組なら多少はな。今陸相している宇垣さんとは、それなりに付き合いあるぞ」

「陸軍の近代化をした?」

「そうだ。俺もちょっと手伝った。おかげで、宇垣さん共々嫌われているって寸法だ」

「へーっ、それは知らなかったなあ。けどそれじゃあ、お兄様が親しくしている中堅将校さん達と仲が悪いんじゃあ?」

「よく分かってるじゃないか。それもあるから、俺はそろそろ軍を退く方が良いんだよ。龍也も春にはドイツから戻るしな」

「けどお父様は、石原莞爾とも親しかったわよね。あの人も、同じグループにいて、今満州で色々しているところなんじゃあ?」

 そう。情報を集めているから、断片的な場合も多いけど色々と噂や話は鳳総研の元に集まっている。お父様な祖父の情報も合わせると、31年には『一夕会』という名の中堅将校の集団は、永田鉄山らを中核として陸軍の要職をほぼ牛耳る。
 そして日本陸軍という組織は、中堅将校らが徒党を組んで課長クラスの要職を占めてしまうと、陸軍を動かせてしまえるという致命的な欠陥を有していた。
 これを知った時は呆れるしかなかったけ。前線が独断専行して中央で中堅が権限を用いて好き勝手すれば、陸軍全体が一つの組織として機能するわけない。

 そしてこんな組織で、陸軍の縮小と近代化を行った宇垣一成は、とんでもないバケモノなのだと痛感する。そして日本という社会、陸軍という閉じた世界で嫌われるのは当然だ。
 お父様な祖父が昼行灯をしているのも、嫌われたからだろう。
 そして陸軍内で傍流で権力のないお父様な祖父が出来る事と言えば、陸軍内の情報を集める事くらいなのだろう。
 けどそれで、鳳も私も大いに助けられた。

「石原とは、軍人同士というより変人同士の関係だな。軍務以外で話すとウマが合う」

「プッ。ちょっと分かる気がする」

「笑うこともないだろうが。まあ、逆の立場なら俺も笑ったけどな」

 そこで一旦会話が途切れる。
 広い居間にはシズなどの使用人が隅で控える以外、私とお父様な祖父しかいない。
 だから部屋は少しばかり沈黙に支配される。
 三が日が終わり一族や親しい人の来客もひと段落な、冬の落ち着いた午後って感じだ。
 そして普通ならこういう静かなひと時も良いんだけど、曾お爺様の容体を思うと沈黙が妙に長く感じてしまう。
 だからお茶を一口飲むと、わざとらしく会話を再開する。

「宇垣様ってお父様よりかなり上の方よね。曾お爺様とはお知り合いじゃないの?」

「宇垣さんは俺担当だな。それに、年齢的には俺と父さんの間くらいの人だ。まあ、父さんと同世代の人達は、もうかなりがあっちに旅立っているから、葬式までは来客はそうは多くないだろ」

 お父様な祖父の言う通りだった。曾お爺様の蒼一郎は1852年生まれ。今年で数えの80歳になる。この時代としては、十分に長生きだ。
 まあ、80歳近くても元気に政治家している犬養毅のような元気なおじいちゃんもいるけど、そう言うのは例外だ。
 それにしても、言い方というものがあるだろう。

「子供相手にそんな言い方しないでよ。別れる覚悟は少しずつしているけど、私は死に別れに慣れている兵隊さんとは違うのよ」

「兵隊も辛いもんは辛いよ。だがな、沈んでいても仕方ないんだよ。生きてるもんは前を向いていかないといけない。特に子供はな。まあ、父さんがしていた事は俺がする。出来る限りになるだろうが、俺と玲子の約束だ。だから気にせず、好きなようにしろ」

 そんな大人な言葉に、それ以上に親としての言葉、一族の当主としての言葉に、お父様な祖父の心情の一端と私への慈しみを感じる。
 それに、人間関係とかを雑談ですらしていたのもあってか、色々と見透かされている。
 私としては苦笑するしかない。

「今まで以上に好き勝手するわよ」

「おう、そうしろ。お前が大人になるまでは、尻拭いやしてやる」

 それが私とお父様な祖父との、曾お爺様が旅立った後の契約だった。

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宇垣一成 (うがき かずしげ)
陸軍軍人。政治家。「宇垣軍縮」で有名。
1920年代に日本陸軍の軍縮と近代化を行った。
能力も政治力も外交力まであった。能力だけなら首相に相応しい。
軍の近代化を行うための軍縮で陸軍内で嫌われ、また有能過ぎる(自分達がコントロール出来ない)ので軍を牛耳ろうとした中堅将校達から煙たがられた。

首相候補に何度もなるけど、嫌われすぎていてなれずじまい。
良くも悪くも大物すぎて、彼が去って以後の陸軍は、小物ばかりが目立つようになる。

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