■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 181 「海軍と川西飛行機」
「どう言う事?」
「はい」と言って話し始めた内容は、私としては無視出来なかった。 1930年12月、海軍の航空本部長に就任した山本五十六少将が、ロンドン海軍軍縮条約での制限外の航空兵力の拡充を画策。 ここまでは問題ない。当然の選択だ。むしろ、どんどんして欲しい。流石は五十六。シビれてしまいそうだ。
けど、海軍と大きな取引のある三菱は、大企業だから海軍の制御を受け付けないので、海軍が制御できる会社を探した。中島飛行機も論外。他は今ひとつ。 そこで白羽の矢を立てたのが、趣味全開で飛行艇を作っていた川西飛行機というわけだ。
もっとも、鳳が手を出す前後くらいから、海軍が川西に飛行艇を開発させようとしている。29年6月には、海軍は英国製の飛行艇を購入させていた。その飛行艇は、30年2月に開発元のイギリスの技師と一緒にやってきた。夏の旅行で、私達が見学したやつだ。
対する鳳は、川西にもっと沢山、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカと世界中から飛行艇や飛行機を買い、鳳の持つ技術共々川西に注いでいる。それに比べたら、可愛いものだ。だからその程度なら、海軍に文句を言うつもりは無かった。 海軍との半ば共同開発以前に、川西単独で幾つもの飛行艇も作っている。『九〇式』と言う名称の飛行艇も、川西の方が高性能だった。
そして私としては、他に開発した機体の方が使えたから、そっちを幾つか生産してもらって、軽貨物や郵便、人員輸送に使わせていた。 最初は、国策会社の日本航空輸送に運用を任せようとしたけど、飛行艇は扱っていないから、使うなら自力でするしか無かったからだ。
そうして『鳳飛行艇』を設立。日本で飛行艇を唯一運用する海軍とも多少の連携を図り、飛行艇による航空便を半ば宣伝として細々とするようになっていた。ただし、経営は赤字で真っ赤っかだ。 けど、作るのも運用するのも、技術蓄積や開発する事自体が目的だから気にしていなかった。あぶく銭のある私にとっては、先行投資でしかない。 ただ、この時代の日本に、移動や輸送などの現場での飛行機需要が少なすぎるのは、かなり痛感させられた。どのメーカーも、軍に仕事をもらうわけだ、と。
それはともかく、川西が海軍製より高性能を叩き出した『九〇式』の結果は、海軍にとって予想外だったらしい。それで、さらに目をつけられたと言う事だった。 そして山本五十六は、自らの子飼いの海軍の技術将校を経営陣と開発陣の両方に送り込んで、事実上会社を乗っ取る動きを見せているという。
そして鳳として問題なのは、海軍は鳳が川西飛行機に色々手を出しているのにあまり気づいていないらしく、こちらに一言もなしで話を進めていた点だった。 どうやら、鳳が出資している程度にしか思っていないらしい。 しかも、鳳には事後報告で十分くらいにしか考えていないらしい。海軍にとって、鳳は石油を掘る会社だけど、その程度にしか思ってないからだ。
(乗っ取るなら、ちゃんと下調べくらいしてよ。こっちがいい迷惑じゃない)
話を聞き終えて、ため息ひとつ置いて口を開く。
「もし実行したら、海軍への油の割引を今後一切しないって、海軍の上の方の人に言っておいて」
「よろしいので?」
「そうねえ、川西さんを交えたお話には応じますって追加で伝えてくれる。いいでしょうお父様?」
「ああ。鳳もあそこの大株主な上に、無償で金と技術と輸入機を渡したんだろ? 鳳に一言もなしとは、横紙破りも甚だしい。なんなら、俺が海軍と喧嘩してやる。その56とかいう青二才ともな」
珍しく、お父様な祖父がお怒りだ。しかも、干支が一周違いなだけの山本五十六を青二才呼ばわりという頼もしさ。
(けど、階級ってあっちも少将閣下よね。お父様、軍人辞めてて正解ね)
フトそんな事を思っていると、お父様な祖父が小さく咳払い。ここでの話はそれで終わりというサインだ。
「じゃあ、海軍の方はよろしく。話戻すけど、問題は陸軍の少壮将校ってやつよね。そんなにソ連が怖いの?」
「ん? そりゃあ、大陸での兵力比が5倍だぞ。しかも1933年からは、大量の兵器生産を織り込んでいると言われる第二次五カ年計画が始まる。5年後の兵力差を考えたら、背中に嫌な汗もかくだろうさ」
そう言ってノーマル昼行灯モードに戻ったお父様な祖父が肩を竦める。ただ、私が聞いている情報と少し違っていた。
「けど最近、極東のソ連軍は大人しいんでしょ」
「海軍に油があるからな。日本海をしょっちゅう戦艦がうろついていたら、極東に戦艦のない露助はそりゃあビビるだろうさ」
お父様な祖父が楽しげに言うが、その通りだった。 国産油田が増えて海軍割り当ても大幅に増えたから、海軍は洋上で艦艇を動かす事が増えていた。 さらに去年の初夏に大失態をやらかしたので、政府や国民に頑張っているアピールも兼ねて、外洋で大型艦をよく動かしている。 ソ連イジメは、海軍の日課状態だ。是非このまま、その目をソ連にだけ向けて欲しいものだ。
「それって、いつまでソ連を抑えられるの?」 「産油量はどんどん増えるし、ずっとだろ。あそこの赤い親玉は、ウラジオを攻撃されるのを殊の外恐れているらしいぞ」
「へーっ、そうなんだ。じゃあ、そんなに怖くないじゃない」
「そう思うのが、素人の浅はかなところだな」
「じゃあ、玄人の意見は?」
なんだか軍事談義になっているけど、ドヤ顔のお父様な祖父に半目で問い返す。
「宣伝、難癖、恫喝、国境紛争なんかで一歩一歩確実に寄って来る。それが露助だ。で、気づいたら、全部取られちまう。しかも連中、一度ブン取ったら石ころ一つ返そうとしない。 それなのに、ロシア革命でエライ事になったからな。奴らの内心は、周辺諸国全部に対して腑(はらわた)煮え繰り返っているぞ」
(そういえば南進政策とかあったなあ)
と思いつつも、話を聞く限り問題は南進政策じゃない。
「日本はちょっかい出したけど、領土は獲ってないじゃない。むしろそれだと、ロシア人の目の向けどころって、ポーランドとか独立したフィンランド、バルト海諸国でしょ」
「いや、露助は今でも日露戦争を恨んでる。それとな、日本人は知らん奴が多すぎるんだが、露助はポーランドを恐れている」
「へーっ、ポーランドをねぇ。そんなに強いの?」
「騎兵の強さは、昔からヨーロッパでは有名だ。あのナポレオンも重用したほどだぞ。しかもドイツとソ連に挟まれているから、すぐに戦時動員出来るように態勢を敷いている。動員兵力は、最大で100万近いって話だ。 あと、意外にみんな忘れてるんだが、ポーランドが独立する時にドイツから分捕った土地がある。これが何を意味するか分かるか?」
「さあ。ドイツ人の恨みを買っている?」
「それも正解だが、ポーランドに前のドイツ帝国の連中が住んでるって事だ。つまり、ポーランド軍の一部は旧ドイツ兵だ。あとは、10年ほど前の戦争でポーランドにぼろ負けした」
「なるほどねー、それでポーランドにはトラウマ的に手を出したくないと。じゃあ日本はいい迷惑ね」
「それはそうだが、おかげで露助は欧州正面の軍備を手抜きできない」
「じゃあ、ポーランドとは仲良くしないとね。けど、騎兵だと、機械化された軍隊の時代が来たら、抑止力にならないわね」
「それはそうだが、まだ先の話を言っても仕方ないぞ」
「そうだけど……」
「麒一郎様、玲子お嬢様、そろそろお話を戻した方がよろしいかと」
時田のツッコミが入った。確かに軍事談義に脱線しすぎていた。 だから軽く咳払いしておく。
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川西飛行機: この時期のエピソードはほぼ史実です。 とはいえ、だからこそ川西は海軍御用聞きメーカーとして大きくなったのも事実。