■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  182 「要人テロ対策」

「それじゃあ話を戻すけど、陸軍が御冠の理由は分かった。けど、怒ったところで、どうにもならないでしょ」

 会話の再開をしたけど、正直この場で話し合っても仕方ない事だった。
 それでも会話は続く。

「そうなんだが、去年海軍がやらかしたせいで、表立って文句も言いにくい。何しろ下手に予算に文句言ったら、自分達が陛下の権利を犯しかねないわけだからな。
 だが、何も言えないから、怒りの向けどころが緊縮予算を組んだ内閣に向かってる。政友会内閣の予算なら、自分達も文句は言わないとな」

「ですが濱口内閣への国民の支持は、依然高いものがあります」

「それでクーデター計画が、計画の初期段階で自然消滅の形で消えたわけね」

「左様ですな。もし行ったら、自分達が国中から袋叩きにされると理解する程度のオツムはあったと見えます」

 貪狼司令の相変わらずの言い草に苦笑してしまうけど、歴史が変わっている影響を実感する。
 私の前世の歴史のように、張作霖爆殺とその後の緩い処分という流れがないから、軍規を乱すと厳罰の可能性が軍人達の頭を常によぎる。一方で今年はともかく、ここ5年ほどは軍事費は少なくとも私の前世の歴史より多い筈だから、怒りの沸点が低い可能性がある。

 その上、統帥権干犯問題は、海軍大粛清を起こした上に政治的には有耶無耶。陛下が激怒された事もあって、政治問題に出来なくなった。
 さらに海軍が自爆とはいえエライ目にあったので、陸軍の将軍達、高級将校達も萎縮しているのだそうだ。
 それを話すお父様な祖父は、屋敷中に聞こえるほど大笑いしていた。

 しかも集められた情報による報告では、陛下のお怒りは相当強く影響していた。
 日本国内の右向きの人達は、陛下をないがしろにする気は全くないので、しばらくは襟を正して大人しくしようという自粛ムードが蔓延しているらしい。
 なんとも勝手な話だ。貪狼司令じゃなくても、皮肉の一つも言いたくなる。
 けど私は皮肉ではなく、小さくため息をつく程度に自重する。

「まあ、陸軍の事は、とりあえず横に置いておきましょう。声を上げるだけで動かないなら、予算編成の邪魔にはならないし。それより、政府というか首相や蔵相に理不尽な恨みを向ける人に注意して」

「理不尽な恨み、ですか?」

 答えたのは貪狼司令だけど、お父様な祖父も時田も、目がスーッと細くなる。本当にこの人達は荒事に強い。

「それは『夢見』としてか?」

「そうよ。と言っても、私の見た夢だと全然状況が違っていて、現状は夢より随分マシね」

「夢だと?」

 お父様な祖父のお言葉に、少し前世の歴史を思い出す。

「前も話したけど、内閣成立が29年7月と1年早いわね。しかも、金解禁を30年に入ってすぐにしているの」

「それは大胆ですな。それに加えて緊縮財政ですか」

「それにロンドン会議も民政党内閣でしたな」

「加えて統帥権干犯問題か。その辺りの話は以前聞いたな」

 貪狼司令、時田、お父様な祖父の三人が、私の言葉を次々に継いでいく。そして、そりゃあ襲われるだろうという表情になる。

「けど、20年代を通じて、私の見た夢とはボタンをかけちがうくらい違っている上に、もう別の服を着ている状態よ」

「ですが、統帥権干犯問題が、真逆なのに民政党に不利となっておりますな」

 そう言って、時田が軽く嘆息する。私が以前思ったように、運のない人だと感じているんだろう。

「それにね、私の夢の中の濱口内閣は、金解禁で諸外国に弱みは見せられないって平価切下げをしていないのよ。その上での緊縮財政。だから、景気がボロボロになるの。もちろん、鳳がじゃぶじゃぶお金を使うってのは全く存在しないから」

「それだけ夢と違えば、大丈夫なんじゃないか? 取り敢えず不景気は諸外国よりマシだ」

「ですがご当主様、緊縮財政による軍事費削減と統帥権干犯問題は、陸軍はともかく右翼の過激な者が動く動機には十分なりえます」

「私も時田様の意見に賛成です」

「では、濱口さん周りの『取材』を強めるか」

「念の為、鳳の周りも人数を増やします」

「それは任せる」

 これで話は一区切り。その場の全員が、今日のところの話は終わったと思ったあたりで、時田が再び同じ議題を持ち出した。珍しい事だ。

「話を少し戻したいのですが、濱口内閣の民衆人気は確かです。右翼が自らの評判を落とす行動を取りますでしょうか?」

「あいつらは、自分達の妄想の中の陛下に評価されれば良いだけでは?」

 貪狼司令が皮肉交じりの声で寸評する。その通り過ぎて頭が痛くなる。なんとかに付ける薬はない、とはよく言ったものだ。
 だから私も肯定するし、お父様な祖父も何を今更な表情だ。
 だけど時田は続けた。

「濱口内閣は十大政綱を掲げ、多くを実施しております」

 十大政綱とは濱口内閣の基本政策、マニフェストってやつだ。けれども、私の前世の歴史で発表されたのとは、最低でも1つ違う筈。
 違うのは金本位制解禁が、解禁じゃなくて停止になっている事。ただし、変動相場制を嫌う財界からの強めの反対で、今のところ行われていない。
 それまでの、世界恐慌後の政友会内閣でも行わなかったのも同じ理由。その代わり、日銀の金庫にある金地金は確実に減っている。

 そして濱口内閣としては、政策には掲げたけど大打撃を受けている貿易を維持する為に、耐えられるギリギリまでは耐える方向で動いている。
 ただし政府内の一部で、金本位制維持に意固地になっている動きが見られるとも観測されている。政友会が維持できたんだから、自分達も出来る筈だと。

 それはともかく、時田の言いたい事も分かる。
 濱口内閣の掲げた基本政策、21世紀で言うところのマニフェストは確かに立派で素晴らしい。
 政治の透明化とか綱紀粛正、社会政策など、この時代に掲げる政策としては時代の一歩先を行っているところすらある。
 民政党自体は、汚職と賄賂まみれの政友会と比べ物にならないとは言わないけれど、濱口様たちトップの人は清廉な人が多い。
 それをインフレ抑止を目的とした緊縮財政に伴う軍縮促進だけで、右翼が簡単に動くのかという疑問だ。

 いや、時田にしては珍しく希望的観測なのかもしれない。それとも元が庶民出身の時田としては、一種の願いなのかもしれない。
 貪狼司令も富農の出身というから、この辺りの機微は分かりづらいだろうからこそ、時田から言葉が出たのだろう。
 そうした辺りを考えつつ、お父様な祖父に目線を向けると、私と意見の一致を見たらしかった。

(こういう楽観論は危険よね)

「時田、お父様は常に最悪を想定せよ、って言ってなかった? 何もなければそれでよし、よ」

「はい、その通りで御座いましたな。お見苦しいところをお見せしました」

「気持ちは分かるわ。濱口様は素敵な方ですものね。それに私との口約束も出来る限り果たして下さっているから、鳳として全力で濱口様、井上様をお守りして。あと加藤様も危険と思うけれど、三菱様はどう考えているかな?」

「うちみたいに、兵隊を常時持っているわけじゃない。うちが変なだけだ」

「じゃあ加藤様も追加で。頭数が足りないなら、予算増やすから増員してちょうだい。……いや、増員しましょう。大陸の分も含めて、出来るだけ沢山」

「沢山ですか? いよいよ大陸情勢が動くのですかな?」

 話が一つ終わったら、次の話題だ。
 そう、よく考えなくても今年の秋に『満州事変』だ。情勢は私の前世の歴史とは随分違うけれど、あの石原莞爾が動いている。陸軍の中堅将校達も動いている。鳳も、満州に金をばら撒いている。動きがない筈ない。

「まだもう少し先の筈だから、今は準備の強化だけでいいわ。民政党の方々が先よ。いいわよね、お父様」

「ん? ああ、好きにしろ。俺は家の中の事と、春までの陸軍の事以外は、ケツを拭く役しか引き受けないぞ」

「私のお尻を見た事ないくせに」

「……お前、そういうのはさらっと流せよ。もうすぐ11だろ」

 自分で振ったくせに、年寄りみたいな事を言う。

(って、もうすぐ還暦か)

 なんだか締まりのない会議の終わりだったけど、要人テロの阻止は出来る事は限られているのを思い知らされる話だった。

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クーデター計画:
史実の「三月事件」に当たる。
三月事件は、1931(昭和6)年3月20日(金曜日)を決行日として、日本陸軍の中堅幹部によって計画された、クーデター未遂事件。
「桜会」の急進派という陸軍の危険人物の巣窟と、民間右翼の大川周明らが計画。
この世界では様相がかなり違っているので、計画も内々のうちに消えている。

大川周明:
思想家。東京裁判で、唯一、民間人としてA級戦犯の容疑で起訴された。
だが、梅毒による精神障害と診断され、訴追免除となった。

十大政綱:
@政治の公明、A民心作興、B綱紀粛正、C中国との親善、D軍縮促進、
E緊縮財政、F国債減少、G金本位制解禁、H社会政策、I教育更新

※作興=盛んにする事。
※この世界では、金本位制が解禁ではなく停止になる。それに時節を見てなどの表現も加わるだろう。

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