■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 187 「会合の後(1)」
「あのお嬢様は何を言ったんだ?」
「聞いた通りだ。未来のお告げだよ」
「……あれが『鳳の巫女』か。背筋が凍ったな」
「俺は嫌な汗をかいた」
鳳玲子が叔父の龍也に連れられて退出したあと、鳳ホテルの小さな会議室は、一種異様な雰囲気のままだった。 何しろ、財閥当主の名代という事で座っていただけの少女が、盛大に言葉の爆弾を投げつけて去って行ったからだ。 そして大半のものが、少し神経を高ぶらせていた。 だから誰いうともなく言った。
「喫煙室に行こう」
そして鳳ホテル内の喫煙室の一つ。そこは今日は彼らの貸切として鳳が押さえてあるので、他に入ってくる者はいない。 また、会議に参加しない一部の者がここで待っていたので、合流という意味でも喫煙室に来たと言える。
「どうだった?」
話し合いに参加していなかった者が、部屋に入って来た親しい者に問いかける。全員が同じ一夕会だが能力や役職から誘われて属している者もいるし、陸軍自体が日本全体の縮図のようなところもあるから、必然的に仲のいい者といまひとつな者が出てしまう。 そして親しい者同士だったので、質問された者が苦笑しつつ答えた。
「凄かった」
「何が?」
「ここのお嬢様がだよ」
そう言って天井を指差すが、誰を揶揄しているのかは明白だ。
「ハァ? 鳳元少将の娘さんというかお孫さんが、か? 鳳元少将の悪戯で、会合に同席させていただけだろ? 俺はそう聞いていたが?」
「そうだな。誰もがそう思っていた。いや、多分永田さん辺りは何か知ってたんだろうな。岡村さんなんか、あの場での発言なしだぞ」
「岡村さんが無言って事は、何かまずいのか?」
「お嬢様がな。もしかしたら、叔父の鳳龍也もだ。何しろ首席中の首席だ」
「永田さんとしては、可愛がっている子飼いの箔付けの話し合いみたいなもんだったんだろう。だが、当人より姪御の方が凄かったのか。それで、何がどう凄いんだ?」
そこで聞かれた者が考え込む。 すると、タバコを吹かしながらそれを聞いていた別の者が会話に入って来た。
「最初は大した事は言ってなかった。ただ、後の話で分かったんだが、大した事を言わないようにしていたんだ、とな」
「……つまり、まだ小学校の子供が、あの論文を理解した上で、さらに上回る事を話したと?」
「そう言う事になるな。だいたい鳳財閥、いや鳳グループは、何を考えているのかと言われる程の事業拡大を実行中だ。そしてその中心の後ろには、あのお嬢様がいると言う噂だからな」
「眉唾というか、話題作りや他の財閥をケムに巻くためだろ」
「大半の者はそう考えていただろうな」
「だが、違っていたと」
「あれが鳳の本丸だ。少なくとも鳳の源泉だ。それなのに、計画経済を否定していない節がある」
「なんだそれ?」
「東条さんが敢えて切り込んだら、ソ連と同じくらいの事をしないと、俺達が行おうとしている事は失敗するとさ。そして既に鳳グループは、自分達だけソ連と同じような事をしている」
「露助と同じ事?」
「独裁者が計画的に、徹底的な重工業の拡大を図っている。鳳グループが行い始めた事と、お嬢様のさっきの話を合わせるとそういう事だと思う」
「ふむ」ため息をついて、聞いた者も黙った。 周りでタバコを吹かしつつ話を横聞していた何人かも、同じように黙るか考え込む。 そんな喫煙室の一角では永田鉄山と岡村 寧次(やすじ)が、東条英機が壁になる形で小声でやりとりをしている。
「お前の感想は?」
「正直に言うと、分からん。感覚的にいうと、得体が知れん。まるで物の怪にでも出くわした心境だ」
半ば呆れたような口調の岡村に、聞いた永田が苦笑する。永田としても、ここまでとは予想外だったようだ。
「俺としては、『鳳の巫女』と言われる聡いお嬢ちゃんに、会合に多少の刺激をというくらいに期待していたんだが、少し考えが甘かった」
「だが話の最後のやつ、本当は話す気無かっただろ、アレ」
岡村が目線を少し別のところに向けるが、それはここにはいない誰かに向けたものだった。
「辻が、けしかけたからだな。それに乗る辺りは、精神的には子供なんだろう」
「しかし、えらいもんをぶちまけてくれたもんだ」
二人して短く嘆息し、そして小さく苦笑する。 そして会話を再開する。側の東条も、周りを注意しつつその話に耳をそばだてる。
「だが、一昨年の秋に、石原が長春で話したと言う内容に少し似ていたな」
「ああ。石原の話をどこかで入手して、思考を発展させたんだろうな。だが小学生がそれをして、まだ世界中の誰も夢想だにしない戦争を描いて見せてしまった。しかも、既に軍の実務を握り、将来も軍の中枢を担うって連中にぶちまけてしまった」
「だが、ただの予測だ。はっきり言って、妄想の類だぞ」
「思ってもない事を言うな。それに鳳大尉が言わせた可能性も十分ある。少なくとも、あいつも同じ回答に至っている筈だ」
「……それじゃあ、あの論文にさっきの話は敢えて載せなかったって事か。鳳なら十分有り得るな」
「そうだろうな。それに鳳元少将が今回の仕掛け人だ。つまり三人の共通認識、鳳の総意だ」
そう岡村が断言すると、永田が小さく苦笑してからため息をつく。
「正直、たまらんな。陸軍の中枢より先の思考に到達していて、その前提で動いているんだからな」
「まったくだ。鳳グループの動きは少し異常だな。ただ、今回の話は、お嬢ちゃんの先走りだろう」
「そう言い切れるのか?」
議論として永田は問いかけているが、永田と岡村に意見の相違があるのは永田の口調と表情からも明らかだ。 そして岡村は、また視線をどこでもない別の場所へと向ける。
「ああ。鳳大尉は、何度かお嬢ちゃんに厳しい目を向けていた。あいつもまだまだ青い。叔父の方だったら、ボロは出さなかっただろう」
「なるほどな。まあ今回は、興味深い話を聞いたと思っておこう」
「そうだな。事が済んだら、話の発端であろう奴に研究でもさせよう。中央で書類仕事ばかりさせるより、その方が向いているだろ」
「そうしよう。取り敢えず、あの論文を石原に送っておくよ」