■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  193 「大正の妖怪」 

(私とこの人との巡り合わせって、なんだか不思議)

 新学年も始まった4月初旬のある日、鳳ホテルの一番豪華で厳重なスイートで、政友会の重鎮というか裏ボスとなっている元総理の原敬と面会していた。
 原敬は、先代の『夢見の巫女』の夢見によって鳳一族が、鳳財閥に属する皇国新聞の「記者」を使って暗殺を阻止したおかげで生きながらえている。
 暗殺未遂事件が1921年なので、目の前の原敬は約10年後の姿だ。だから、私が前世のネットの海や本で見た写真と比べると、確かに老けて見える。

(後世に『大正の妖怪』とか言われてそう)

 少し笑みが浮かびそうになったので、カップに口をつけつつ思う。
 私の対面の原敬もお茶を飲む。普通ならお酒の場なんだろうけど、時間は昼間だし、相手はまだ小学校通いの幼女だから、お茶と茶菓子だ。
 けど、意外に茶菓子を美味しそうに食べていた。私発案で今の時代に爆誕してしまった抹茶ケーキだからって事はないだろう。

「このお茶の風味は良いね。甘さもちょうど良い」

「お口にあって、よう御座いました。父の好物なんです」

「麒一郎君の? 確かに、苦味と甘味の加減が年寄りには向いている。これをどこで? 家でも食べたいので、お教え願えないかな」

(ウワッ、普通に気に入った。やるな、抹茶スイーツ)

「喜んで。ここのホテルで作り始めたばかりなんです」

「なら、ここに通うとしよう。食堂なら食べられるんだね?」

「ご自宅に電気冷蔵庫が御座いましたら、その日のうちにお召し上がり頂く必要はありますけれど、お持ち帰りもできます。それと上のレストランよりも、下にある喫茶の看板スイーツになっています」

「下の? 英国風の女中がいるところかな?」

「はい。メイド達が給仕しているお店です」

「何やら珍妙な接待をすると秘書から聞いたが、年寄りが行っても大丈夫かな?」

「はい、全く。お越しの折には家のメイドも入れますので、ゆっくりお寛ぎいただけると存じます」

「それは有難い」

 そう言って破顔する。なんだか、めっちゃ嬉しそうだ。

(晩年の原敬がメイド喫茶通いになったら、後の歴史はどう書くんだろう)

 まだ最初の雑談なのに、思わず変な事を想像してしまう。
 それと家のメイドとは、護衛を入れるという意味だ。何しろ鳳一族、鳳グループは主に大陸での荒事に慣れすぎている。他の財閥では家人や書生で誤魔化すような、実質的な警備会社的組織も人材も十分ある。
 しかも私が金とちょっとした前世の知識を突っ込んで、どんどん強化している。いずれ来る事態に備えてだけど、VIP対応に使うには平時でも便利で良い。

 鳳のホテルを会う場所に選んだのも、セキュリティの高さと秘匿性の高さからだ。私と原敬は別々に来て、別々の場所で部屋を取り、そして人の動きを見定めた上でこの部屋にいる。
 そこまで秘密裏に会う必要もないけど、ここに来るVIP同士はそうするのを普通にしている。
 そうする事で、日本的料亭の代わりを果たそうという意図がある。

 話が一段落し、「さてと」というありきたりな言葉で話の本題が始まった。
 日本人は本題の前に雑談をする民族というけれど、潤滑油とか空気とかよく分からないものを重視するからなのだろうか。

「鳳玲子さん、まずは原敬個人として厚く御礼申し上げる。また、郷里を代表した一個人としても同様に感謝を」

「頭をお上げ下さい。私は、いえ鳳は、日本全体の為に動いているだけです。こう言っては角が立つかと思いますが、原様の為でも東北の為でも御座いません。単に東北の苦境と開発の遅れは日本全体にとって良くない、という打算から思い至っただけです」

 言葉の途中からは表情も消して、言葉もなるべく平たく聞こえるように心がける。それは私の本心だからだ。別に、東北どうこうじゃない。東北が一番酷い状態だからだ。その証拠に、これから繭の暴落で酷いことになる信州や北関東でも色々としている。
 けど、原敬の態度は変わらない。

(この人、故郷(ふるさと)好き過ぎでしょう)

 内心の奥底でちょっと思う私の前で原敬が語る。

「そうなのかもしれない。だがね、行った事実に違いはない。それに引き換え、誰も彼もが東北を軽視する。兵隊の供給元くらいにしか思っちゃいない」

「町の兵隊は弱いですから、強い兵を求めるのは自然なのでは?」

「確かにそうなのかもしれないが、兵が強いと言うのには理由がある。我慢強くないと生きていけない場所だからだよ」

「おっしゃる通りです。父と叔父が、そのような話をしておりました」

「麒一郎君には、謝られすらしたよ。日露戦争では済まなかったとね。しかし私は、ここ数年の鳳には感謝しかないよ」

「そうなのですか? とても嬉しく思いますが、お伺いしても?」

 私の仕草を加えたちょっと可愛めの言葉に、意外に真面目くさって頷く。

「こう言っては何だが、鳳は長州だ。偶然命を助けられた大恩はあるが、そこは譲れない。だから私は距離を置いていた。いや、事実はある程度存じているが、そう言う事になっているから、嫌わざるを得ない。
 だが最近の鳳は、東北をほとんど無心で助けてくれた。しかも、これからも助けようとしている。新しい稲の話は、喜んで残りの人生を賭けさせてもらおう。そして、それをしているのが、目の前のお嬢さんだと言う。感謝しないわけにはいかないだろう」

「そうでしたか。ですけれど、今も言った通り打算の結果ですわ。ですから、原様がお礼を述べられるような事では御座いません」

 そう言ったら、原敬が破顔した。「堂々巡りだね。けど、気持ちだけでも受け取っておくれ。持って帰れるものではないからね」と返された。
 そう言われては受け取るしかない。

「はい。では、お気持ちだけ有り難く頂戴させて頂きます」

「うん。何でもと言うわけにはいかないが、何かあれば私に声をかけなさい。玲子さん、あなたはそれだけの事をしてくれたんだ。それを忘れないように」

「はい、有難う御座います」

 深々と頭を下げる。自然に頭が下がる思いだ。

「最初に言ったが、お礼を言うのはこちらだ。それと図々しいのを承知だが、これからも宜しく頼みます」

 今度は向こうが頭を30度くらい下げる。
 果たして、私は下げられた頭の分の事を東北に出来るのだろうか。そう思いつつ言葉を選ぶ。
 山吹色のお菓子の事も含んでいるんだろうけど、それを面と向かって言うわけにもいかない。

「向こう4年程は、お約束できると思います。それ以上は、今なんとも」

「4年か。それが噂の『鳳の巫女』のお告げか何かなのかな?」

(まあ、一回くらいは聞きたいわよね)

 少し興味深げな声を聞きつつ、素直に返す事にした。
 今更はぐらかすような事でもないし、この機会に言いたい事もあったからだ。

「そうとって頂いて構いません。その上で申し上げさせていただきますけれども、特に今年と昭和9年に東北は凶作で大変な事になります。鳳も色々と手立ては尽くしていますけれど、とても足りない筈です」

「そうか、分かった。ご忠告、感謝する。私も残りの力を振り絞って東北を守ろう。……さて、難しい話ばかりでは肩もこる。世界を一巡りしてきたと聞いたけど、土産話でもこの老人に聞かせてくれないかな?」

「原様も、ロンドンをはじめヨーロッパを旅されたばかりではありませんか」

「そういえばそうだったな。年を取ると物忘れが酷くなる」

 そう言ってひとしきり笑った後に続けた。

「では、アメリカの事を聞いても良いかな? アメリカ人と話たことはあるが、あの国はどうだったかな」

 そこからは、アメリカでの私の間抜けなエピソードを交えつつしばらく話した。そして話が大西洋横断まで及んだ時だった。
 部屋にノック音。別室待機の私のメイド達と原敬の随員には、こちらから呼ぶまで入らないよう言いつけてあるので、緊急事態だ。
 (何か悪い予感がする)と思える空気の重さまでが伝わってくる。

 部屋に急いで入って来たのは、隣の建物、鳳ビルの奥深くで革張りの椅子に踏ん反り返っているのがお似合いな貪狼司令。
 司令自らとは、ただ事では無い。この人の合理性から考えたら、普通の事だったら人を寄越すか電話で済ませる筈だ。
 そして部屋に入って一礼して、爬虫類っぽい顔に丸メガネを乗せた顔が告げた。

「東京駅にて濱口雄幸総理が銃撃されました」

__________________

原敬 (はらたかし):
平民宰相。1921年に暗殺。
この世界では、先代の『夢見の巫女』のお告げと鳳がつけた『ブン屋』のお陰で暗殺は阻止。長生きして、政友会の重鎮というか裏ボスになっている。
長生きしていれば元老になっただろうという説もあるが、西園寺公望が自身で最後だと考えていた点と、原敬自身が『平民』にこだわって元老にはならなかったと想定。

元老 (げんろう):
大日本帝国において、天皇の輔弼(ほひつ)を行い、内閣総理大臣の奏薦など国家の重要事項に関与した重臣。
昭和になってからは、実質的に西園寺公望の一人。この時点でも存命な他の元老はいるが、皆表舞台からは引退している。
この世界だと、1931年時点では原敬、加藤高明あたりが次の候補と言われている状態。

前にもどる

目次

先に進む