■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  198 「そうだ、魔都に行こう(1)」 

 
 1931年の上半期、鳳一族は冠婚葬祭フルコンプリートで慌ただしかった。
 冠は、虎三郎のお子さん、私の叔母の一人の舞(まい)さんが成人し、婚は紅龍先生とベルタさん、葬は言わずもがなの曾お爺様、祭は通年通りながら色々の催し。

 しかもオメデタ報告までが幾つもあった。
 まずは、6月時点で既に5ヶ月の安定期に入った紅龍先生とベルタさん。二組目は玄二叔父さんと潔子(きよこ)さんで、これで4人目だ。玄太郎くんと虎士郎くんから親の惚気話を聞いてみると、玄二叔父さんの性格と生活の双方が穏やかになったのが強く影響したらしい。
 三組目は、私のお兄様な龍也叔父様と幸子(ゆきこ)さん。
 紅龍先生の結婚式のすぐ後にオメデタが発覚したんだけど、お兄様がドイツから帰国してからと言うもの、二人がラブラブ過ぎて家に居づらいと、龍一くんがげんなりしていたのを思い出した。
 さらに紅家の分家筋でも、二件もオメデタがあると聞いた。
 今年の終盤から来年にかけて、鳳一族は出産ラッシュだ。

 そんなおめでたい話を聞いた私は、少し複雑な気持ちになった。
 私の体の主が3周してきたループでは、龍也お兄様はこの時点で病没している可能性があった。紅龍先生はノーベル賞を取ることはないから、ベルタさんとの出会いは無かった筈だ。玄二叔父さんは今にも倒れそうな財閥を率いて、のんびりしていられなかっただろう。

 ゲーム上でも知らない子供達は、私が鳳一族と歴史の両方に色々と影響を与えてきた結果と見るべきだ。
 そしてこれが良い結果なのだと思いたいし、何より一層日本を、鳳一族を守らないといけないと決意を新たにしてしまう。

(まあ、その前に、私の破滅回避よね。今のところ順調すぎるから、ゲーム主人公が私の前に現れるまでに結果すら出てそうだけど。姫乃ちゃん、今何しているんだろうなあ)

 2月頭に曾お爺様が旅立たれた事もあったので、紅龍先生の結婚とオメデタラッシュはとても嬉しく、ちょっと楽観してしまいそうになる。
 けど、「もしかしたならば、何もかもが上手くいくんじゃないか」と言う楽観を安易に抱かせてくれないのが、この昭和初期の時代だ。

 そして、油断したら即死フラグだらけの国内情勢だけど、民政党内閣への経済政策への非難が高まりつつある。予算をごっそり削られた陸海軍は当然だけど、民間でも緊縮しすぎじゃないかと言う声が出ている。何しろ世界規模での大不況下だ。
 財閥も容赦なくレイオフ、解雇を実施していて、大財閥でも酷いところは3分の1近くの社員を減らしている。
 そうしてあぶれた人達を、事業拡大を継続中の鳳グループは拾い集めている。もはや濡れ手に粟の状態だ。
 けど、都市部はまだマシだ。

 北の方を中心とした農村では、早くも今年の不作が懸念されている。去年から一転して、平均気温が低いからだ。
 そして今年は、未曾有の凶作が待っている。
 凶作相手では、法制度を整備して政府が買い上げたくても、米そのものがない。ただし、去年の備蓄米が沢山あるので、これをばら撒けば食べるだけなら一年は凌げる。鳳でも、慈善事業レベルでの対策準備に余念がない。
 一部は政府に献納して、配給に回してもらう予定で動いている。

 ただし、私が前世で教科書で習ったレベルですら、東北地方や長野県の農村では、青田売りが横行して欠食児童や女子の身売りが深刻な問題となった。
 私の前世より色々と状況はマシにはしてある筈だけど、全てを防ぎきる事は物理的に不可能だ。けど、防げるだけ防がないと、それだけ『軍靴(ぐんくつ)の足音』が近づいてしまう。

 そして政府の対策はどうしても事が判明してからになりがちなので、鳳グループとしては、政府が大きく動く前のセーフティー、さらに漏れてしまう人へのセーフティーが出来るようにしてもらっている。
 他の財閥にも動いて欲しいけど、慈善事業まがいでは動いてくれるところは少なく。しかも起きていない災害に対して、わざわざ備えよと言う者はさらに少ない。
 それ以前に、「政府がする事」くらいにしか思ってないのも動きが鈍い理由だ。むしろ、私が鳳グループにさせている事の方が異質だ。「鳳は、相変わらずの篤志家ぶりですね」と、皮肉抜きに言われたりもする。
 自己責任じゃないけど、それがこの時代の「普通」だからだ。

 一方で外へと目を向けると、1931年春あたりから大陸情勢が良くない。
 上海の方では、私の前世でも見たことあるような「日貨排斥運動」、要するに日本製品のボイコットが起きていた。当然とばかりに、蒋介石の差し金だ。
 また、揚子江の中流域の内陸部、主に武漢の南の方の田舎の辺りでは、共産党が『ヒャッハー!』モードで今日も元気に平和な農村を襲って、地主を殺して『解放』して回っている。
 けれども、私の前世の世界のように『ソビエト』、要するに政府組織を作ってはいない。組織規模も小さいみたいだ。

 そしてその共産党を、蒋介石と一応は中華民国を率いている張作霖の軍閥の一部が、『掃共』として共産党を激しく叩いて回ってもいる。そうすれば、上海の列強がお駄賃をくれるからだ。
 共産党はともかく、上海で蒋介石が好き勝手し始めたのは、北京に引き篭もり状態の張作霖が意気消沈したせいだ。ソ連に手を出してなければ、もう少し状況は違っていただろう。

 その影響は、張作霖の地盤である筈の満州にも及んでいる。そして多くの事が連鎖的に起きていった。
 満州を実質的に任されていた長男の張学良が、ソ連との紛争で戦死した事。張学良の戦死と共に、彼の幹部の多くも戦死した事。張作霖が引き篭もりモードな事。満州南部の軍閥が、半ば散り散りになった事。そしてその影響で、満州南部の治安が低下した事。
 この結果を受けて、日本というか関東軍が溥儀という神輿を担ぎだし、傀儡とするべく動き出す。

 そして張作霖の軍隊がソ連軍に北満州で叩きのめされた1929年の後半あたりから、川島芳子さんを日本側の窓口とした満州南部での民族自決組織が活発に活動中だ。
 日本も彼女達に軍事顧問団と資金援助を行い、清朝最後の皇帝溥儀を担ぎ出す準備をしている。
 鳳というか私も、石原莞爾に『山吹色のお菓子』をお届けしているので無関係じゃない。石原莞爾からは、溥儀を担ぎ出すため、亜細亜主義実現のため、もっとお菓子をくれと手紙も届いていたりもする。

 ただ、なぜ準備かというと、溥儀は自分から神輿になる気はないと言っていて、ちゃんと民衆が自分を迎える準備が整わないと、民衆が自分を求めないと出ないと言っている。
 要するに道化になりたくないからで、神輿にしようとしている川島芳子さん達と関東軍の方が悪い。
 それでも私から見れば、軍事行動より先に溥儀を担ぎ出そうとしているだけ、私の前世の歴史よりマシだ。

 まあそんなこんなで、満州南部で軍隊を編成して訓練を行い、政党を作り、その政党を用いて民衆を煽って、いや、導いている。
 神輿とはいえ独裁者を頂点として、秘密結社(党)と軍隊が揃いつつあるわけだ。これに秘密警察を揃えれば、全体主義(ファッショ)な政権のでき上がりだ。
 そして上海や南京で蒋介石が作りつつある組織と、殆ど同じだった。ついでに言えば、頭領(ドゥーチェ)が統治するイタリアがこの原型になる。
 ドイツでも、ちょび髭のおじさんを神輿とした連中が、似たような組織で勢力をモリモリ拡大中だ。赤い帝国のフサフサ髭も、似たようなものだ。

 それはともかく、一応は中華民国政府の張作霖とその軍閥の勢力減退で満州の治安が悪化したので、日本にとっての満州の番犬として清朝最後の皇帝溥儀の利用を本格化。その日本と満州の橋渡し役となったのが、川島芳子だ。
 この時点で私の前世とはかなり違っている筈だ。

 この軍閥の一部には、張作霖の部下だった者達がかなり合流しているし、張作霖寄りだった馬賊なども多くが合流している。さらに、溥儀の名前につられてきた者も合流している。
 元々は張作霖と関係の薄い者達と、張作霖が満州南部で何もしてくれないと見限った者達が、新しい神輿を見つけて動いた結果だ。

 合流した中には、西の奥地の内蒙古東部の部族も含まれていて、その中には川島芳子のもと旦那の勢力も含まれている。
 もっとも、内蒙古などラマ教(チベット仏教)の信仰が強い地域なら、『活仏』を連れて来ればそれで靡(なび)くとすら言われたので、どこまで信頼していいのかは未知数だ。
 ただモンゴル、外蒙古では、ソ連の傀儡である共産主義政権が、伝統の破壊など好き勝手始めているので、一時的であれ味方には引き入れやすい状態だ。

 けど、人はパンのみでは生きられないから、芯がいる。見上げる旗、もしくは担ぐ神輿がいる。
 工作をしている関東軍を中心とした日本側も、埒が明かない事は最初から分かっていた。
 だから溥儀を担ぎ出そうとしている。一番お手軽だからだ。けど溥儀自身から、自らが民に請われる形じゃないと立たないと言われたので、今はその準備段階だ。
 そしてそんな状態が、1931年の上半期までの満州南部での動きになる。

「私、一度上海行ってみようかなあ」

「突然、何をおっしゃっているんですか」

 梅雨の季節のある日、いつものように仕事で資料を見て呟くと、少し離れた場所で控えるシズにピシャリと言われてしまった。
 部屋にはお芳ちゃんもいるし、夜と言っても仕事時間なので、みっちゃんと輝男くんもいる。よくお芳ちゃんの護衛をしているリズは、今日は非番でお休み。
 時田とセバスチャンは鳳ビルで残業中。トリアもセバスチャンの補佐で向こう。
 つまり、私を諌めるのはシズしかいない。
 そしてジーッと、こちらを見つめてくる。まずは理由を言えと言う事だ。

「去年は船の上から見ただけだったでしょ。だから純粋に、国際都市に遊びに行きたい。それに、一度上海の支社を見ておきたい。あと、これはお父様に相談するけど、ご先祖様と繋がりのある大陸の人達と顔合わせをそろそろしておきたい」

「理由は分かりました。遊びに行くと言う以外では、納得いくものだと私も思います。ですが、なぜ今頃なんですか?」

「もうすぐ関東軍がおイタを始めるから」

 横合いから痛烈なご指摘。もちろん、お芳ちゃんだ。
 何かの資料に目を向けつつ、ボソッと一言という彼女らしい語り方。
 けど、お芳ちゃんは正しい。私はお芳ちゃんに何も言ってないけど、私の前世の歴史では今年の9月に『満州事変』が、来年1月に『第一次上海事変』が起きる。
 その前に、平和なうちに一度上海を訪れてみたいと思ったのが、発言のそもそもの動機だ。
 だから言い返す。じゃない、説得する。
 
「大丈夫。私の夢の通りでも、満州で事が起きるのは九月。それに上海じゃないから。上海で何かが起きるとしても、来年の話よ」

「そうなんだ。教えてもらえる?」

 シズよりお芳ちゃんが興味津々だ。

「近いうちにね」

 曰くありげな表情で返事をしつつシズの方へと視線を向けると、こちらはちょっと半目気味。私が夢の話で嘘を言った事はないから、その点は信じてくれている筈。そして戯言じゃない限り、シズは私を止めたりはしない。
 それでも私の安全を第一に考えた諫言(かんげん)は多い。けど、今回は諫言じゃなかった。

「ご自分でご当主様を説得なさって下さい。私はお供するまでです」

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「もしかしたならば、何もかもが上手くいくんじゃないか」:
『皇国の守護者』(佐藤大輔著)のセリフ。漫画版(伊藤悠作画)の1シーンとして、ネット上の一部でネタ画像となっている。
昭和初期だと、こう考えたら即死エンドしか待っていない。

酷いところは3分の1近く:
史実の昭和恐慌では、三菱ですら本社社員が半分近く解雇されている。(一時的なもの含む。)

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