■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  199 「そうだ、魔都に行こう(2)」

「というわけで、夏休み上海に行きたいの」

 早速、帰宅していたお父様な祖父の元へ。
 そしてあっさり決着。

「……いいんじゃないか。俺も、玲子はそろそろ上海を見ておくべきだと思っていたところだ。だが、その前に話しておく事があるし、向こうに行くのは護衛の手はずが整ってからだ。それと連れて行くのは、お前以外は全員大人。その辺りが条件だな」

 春に軍を退いて貴族院議員にエントリーしたので、軍服から和服にチェンジしたお父様な祖父がポンポンと言葉を続ける。

(軍服の方が若く見えたなあ)

 それを聞きながらも一方では無駄な事も思い、そして言葉が終われば即座に返事。私としては満点の回答だ。

「はい。それで良いなら全然問題ないわ。バンドって一度行って見たかったのよね」

「バンドか。今はどうなってるんだろうな。俺も何度か行ったが、上海は面白いぞ。世界中のモダンな文化ってやつがごちゃ混ぜで、混沌としているからな。あっ、そうだ、ドッグレースは一度見てこい。あれは良いぞ」

「賭け事する気ありませーん」

 最後に「ベーっ」と舌を出してやる。
 それにヒゲの口元がニヤリと笑う。そういえばヒゲも増えた。それに今まで軍人だったから髪がすごく短かったけど、普通に長くなった。そうすると少し白いものが混じっているのが分かるのだけど、それが老けて見える原因だと気づく。

「何だ、賭博って知ってるのか。つまらん。まあそれより、行くなら事前に向こうの兄弟達に連絡するから、細かい日程はそのあと決める。それと行く時に手紙を持たせる。あとは父さん、蒼一郎が没した事も改めて鳳の長子が直に伝えれば、向こうの連中も喜ぶだろう」

「ああ、そう言うのも、いるんだ」

「いるぞ。名誉や面子は大切だからな。だが、身内には義理堅い連中だ。葬式にも来てただろ。お前から見ての高祖父が世話になったし、父さんも俺も世話になった。鳳財閥もな。まあ、それだけのものはこちらも渡しているが、金だけで済ませるもんでもないからな。あと、連中が出すもんは全部受け取れよ」

「うん。それで、鳳の支社の方は?」

「ん? 支社の話をしているぞ」

「親しい結社の話ばっかりだと思ってた」

「同じだからな。まあ、上っ面にいる日本人の社員は、適当にあしらっておけ。あそこの本命は、大陸の兄弟達だ」

「……その、危ない事をしているの?」

「表向きは普通の会社だ。裏は真っ黒けだがな。アヘンに賭博、人身売買、武器密売、傭兵斡旋、諜報活動、……あと何してたっけ? まあ、たいていの事はしている。だが、それは連中がしている事だ。うちは、商売としての付き合いと、情報などを買うだけ。それが決まり。だから余計な事は言うな。それと絶対に首を突っ込むな。縄張りに入ってきたら、ガキでも連中容赦ないぞ」

「う、うん。何もしない」

(映画とかで、チャイニーズ・マフィアが怖い事は知ってるからね。娯楽であれだけだったら、実際は考えたくもない)

「ハハハっ、流石の玲子も暴力沙汰は苦手か」

「痛いのは誰だって嫌でしょ」

「好きな奴とは、お近づきになりたくはないな。それで、何で行く? そろそろ満州で事が起きるからか?」

 言葉の後半が、いつもの昼行灯から目元が少し真面目になる。怖くはない、単なる真面目モードだ。
 だから私も、少し居住まいを正した。

「私が見た夢とは情勢が違ってきているから、それを肌で感じておきたいの」

「肌で、ねえ。まあ、分からんでもないが、理由としては薄いな」

「エーッ。けど行くからね」

「行くのは構わないって言っているだろ。ただ、漠然と見るのは止めておけ。あの街に呑まれるぞ」

「そんなに危ないの?」

「危ないというより、あそこは雰囲気が独特なんだよ」

 腕を組み首を傾け、少しだけ八の字眉毛になる。
 それだけで何となく分かるような気はする。けど私は、前世でも上海は行ってないし、世界一周の時の帰り道に船から街を少し眺めたくらいだから、何か聞けるならという思いが先にくる。

「けど、日本人だっていっぱい住んでるわよね」

「ああ。商売で、一時滞在含めたら2万人近くいるな。だが、俺が言いたいのは、そういうんじゃない。なんていうかなあ、……分からん。行って見てから、腹を括(くく)れ」

「そんないい加減な」

「『百聞は一見に如かず』ってやつだ。まあ玲子は、ニューヨークも、ロンドンも、パリも、ローマも、カイロすら見てきたんだから大丈夫だろ」

「映画の都ロサンゼルスも、自動車の都デトロイトも見てきたわよ」

「良いよなあ。俺、そんなに沢山行ってないぞ」

「じゃあ、もう少し大きくなったら連れてってあげる」

「おう。俺が耄碌(もうろく)する前に頼むわ。で、話はそれだけか?」

「うん。じゃあ、手配とかお願いね」

「任せとけ」

 ・
 ・
 ・

「それで時田、上海に行かせて大丈夫か?」

「正直、あまりお勧めは致しませんな」

 その日の深夜、鳳本邸の一室で男達が会話していた。
 当主の麒一郎と、玲子の筆頭執事であり鳳商事の社長でもある時田丈夫だ。以前ならもう一人いたが、たまに行う深夜の鳳トップ会合も二人だけになってしまった。
 二人もそれなりの年齢なので、そろそろ下の者を加えようとは思っていたが、今はまだ二人だけ。
 鳳の王と宰相の会談という事になる。そして議題は、彼らの姫、将来の女帝の我儘だ。

「そんなに悪いか?」

「共産党の工作員どもが、山を降りて上海に入り込んでいる様子。しかも、かなりの数ですし、どこからか金が出ています」

「その話はどこからだ? 兄弟達か?」

「はい。あちらの鳳支社からも。他にも、政府が張作霖の情報網経由で何かを掴んでいる様子。陸軍の密偵が複数、上海に派遣されています」

「きな臭いな」

「はい。さらに内地では、海軍の即応体制が強化されつつあります」

「陸戦隊の増援を上海に?」

「佐世保に駐留している陸戦隊にも装甲車が配備され、それを増強するべきだと考え、準備もしています。しかも陸海軍の共通認識として」

「陸海仲良くとは珍しい。と言っても、今の政府は民政党内閣だ。幣原外交なうちは、余程じゃないと動かんだろう」

「はい。ですから、軍は気が気でありません」

 それを聞いて、麒一郎はごく僅かに皮肉げな笑みを浮かべる。

「だから、せめて仲良くしているわけか。少しは、うちから政府に働きかけておくか」

「それが宜しいかと」

「分かった。ゴタゴタは少ないに限るしな。何しろ、大ごとが動きだす。そっちは?」

「既に準備はほぼ終わっております。今回の玲子お嬢様の上海行きは、良い切っ掛けになるかと」

「そうだな。あっちには話を回しておこう。それで玲子が動き出せば、先手を打つ。あいつの言葉だけじゃなく、動きそのものがお告げみたいなもんだ」

「はい。先代もそのようであったかと」

「色々思い出すな」

 麒一郎の言葉に、二人して小さく懐旧の笑みを浮かべる。しかし麒一郎の笑みは、少し苦くなる。

「それにしても、軍を辞めるんじゃあなかったな。間接的にしか情報が入らないのは歯がゆい。諸々の話は龍也からか?」

「一部は」

「そうか。……奴もそろそろこの集まりに呼ぶか。どうせ奴の任地は帝都だけだろうから、欠席もないだろ」

「では、善吉様も?」

「当然だ。とはいえ、もう少し先だな。玲子からは本邸にみんな住めばと能天気な相談があったが、どちらにせよ父さんの一周忌が終わって俺が離れに移ってからだ」

「はい。……玲子様は?」

「水面下の話は、最低でも15になってからだ。子供の頃から、ドブ臭い話に付き合わせるのは流石に哀れだ」

 その言葉に、時田は答えずに一礼する。それは自身の主人である玲子を思う親、いや祖父としての情を見せた当主に対する礼だった。
 

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上海:
阿片戦争後の1842年に『租界』として外国人居留地が開かれる。
近くの南京が1928年から首都になると絶頂期を迎えた。
20世紀前半は、日本人が最も多く住んだ。
『魔都』というのは、日本人の作家が名付け親。この時代でも通じる。

ただし、1938年の日中戦争以後は振るわなくなり、第二次世界大戦の終了と共に租界の歴史も実質的に終わり、中華人民共和国の成立により多くの人が香港に逃げ出した。
大陸が共産化しなければ、香港のさらなる繁栄は無かっただろう。

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