■「悪役令嬢の十五年戦争」

■ 212 「満州事変前夜(3)」

「質問に対して大変失礼ですが、逆に聞いてよろしいでしょうか?」

「私に何ができるか、かな?」

 悩みつつの言葉に対して即座に返された。けど、私の質問自体は間違ったとは思ってはいない。
 私にはお金が出せる。川島さんには、限定的な地位と名誉がある。けれども川島さんの力は、関東軍、日本陸軍が利用価値を認めた場合の限定品だ。しかも、私は満州で何が起きているのか、正確な事を知らない。

 だから、上っ面や言い訳であったとしても聞いておかないと、迂闊な事は言えない。それなのに、先に質問返しの返しに等しい言葉を投げられた。
 言葉に頷くのは簡単だけど、ここまで単刀直入な言葉に頷くには相手の身分が邪魔をする。国を背負っている、もしくは背負った気になっている軍人や高級官僚なら川島さんに別の考えも持つだろうけど、こっちは民間人だ。貴族や財閥など風下もいいところだ。
 だから返答に詰まっていると苦笑された。
 川島さん、苦笑も似合うイケメン女子だ。

「子供がそんなに悩んだ表情を浮かべるものじゃない。思わず、慰めたくなってしまうじゃないか。子供らしく、遠慮なく正面から言ってくれ。と言っても、こちらが答えるのが筋だな」

 そう言って川島さんが、経緯を説明しつつ自分の手札を見せてくれた。

 ・約2年前の29年9月に張学良がソ連軍との戦いで戦死して以後、中華民国主席の張作霖は政治全般で積極的な行動をしなくなる。

 ・少なくとも、満州はあまり見ていない。その目は大陸中原ばかりに向けられている。

 ・満州南部の奉天軍閥を率いる張作霖だが、当人は北京に居るため張学良が事実上のトップ。張作霖は、満州を長男に任せきり。

 ・張学良は、幹部共々、中ソ紛争で大半が全滅。張作霖の周りの者は北京とその周辺に移動して戻らず。

 ・張学良に従って戦った満州方面の多くの張作霖軍閥の生き残りは、かなりが北京方面に逃亡。

 ・揚子江流域で蒋介石が勢力拡大し、他の軍閥の統制も緩み、さらに共産党が暴れ出したので、北京政府は南部に政治的、軍事的努力を傾注。

 ・満州南部が事実上軍閥の空白地帯となる。

 ・日本の縄張りである満州南部の治安が低下。

 ・日本軍が資金と一部人材を提供する形で、軍閥ではなく政党を作らせ、陸軍から軍事顧問を派遣して近代的な兵士としての訓練を実施。

 ここまでは、私も以前から知っている事だ。
 その先についても、多少は情報が回ってきていたけど、不確かなものもあった。

 ・川島さんは、資金と武器を持ってモンゴル人の夫の元に戻り、その動きに参加。関東軍側も利用価値を認めて、中核メンバーの一人となる。

 ・南満州の張作霖軍閥の生き残りの幾らかは、溥儀の名で取り込み済み。

 ・川島さんは、基本的には溥儀との連絡役。

 ・清朝最後の皇帝・愛新覺羅溥儀は、天津の日本租界で暮らしている。関東軍がいつでも連れてこられる手筈を整えている。

 ・溥儀は、「東陵事件」で先祖の墓が張作霖の配下に暴かれたので、張作霖とその政府を憎んでいる。

 ・溥儀は、満州の、可能なら大清国の皇帝に返り咲く事には肯定的だけど、民の求めに応じる形じゃないと出て行く気はない。

 ・せめて表向きの体裁だけでも整えないと、日本の、関東軍の傀儡だと分かりきっているから。

 ・既に川島さん達の軍隊と政党の体裁は、一応の形になっている。政治活動も実施している。

 ・間も無く大規模な活動予定。

 ・呼応して関東軍が動く予定。

「大変良く分かりました。ですが、特に問題はないように見えますが?」

「それは関東軍、いや日本人視点だな」

「と、仰いますと?」

「『満州党』は、形になったとはいえ勢力が小さい。軍事力の方は訓練も不足しているが、何より装備が不足している。更に言えば、動く際の軍事費もロクにない。全て関東軍に頼りきりだからな」

「つまり、一時的に政党の勢力を大きくして、殿下達の軍が活発に活動できるだけの資金が欲しいと言う事ですね」

「話が早くて助かる」

 まあそんな事だろうとは思ったけど、この人に破顔されてしまうと無下にもできない気になる。
 とは言え、私が今すぐ動かせる金はない。それにドブに捨てる気もない。
 だから人差し指を立てる。

「更にお聞きしたい事、それに条件があります」

「答えるし、全て呑もう」

「せめて聞いてからにしてください」

 即答に対して苦笑しかない。時間がないし、手段もないんだろう。そして関東軍の方は、川島さんが関東軍抜きでもう何もできないと思っているに違いない。

(よく考えたら、これって私も関東軍に舐められているのよね)

 そこまで考え至って、少し腹がたってきた。そして、足を掬うまで行かなくても、多少は見返してやりたくもなる。

「悪い笑みが浮かんでいるぞ、玲子。そちらこそ話を聞く前に、判断が早すぎだ」

 顔に出ていたらしく、川島さんに苦笑されてしまった。けど、苦笑もイケメンなので、私的にはノープロブレムだ。
 だから自然と出ていた笑みを納めて、川島さんの目を見る。

「いつまでに幾ら必要ですか? そしてそれで何ができますか? 正直に言って下されば、こちらの条件は設けません」

 私が言い切ると、川島さんがイイ笑顔になる。けどそれも一瞬で、すぐに真面目な表情になった。

「いいな、そういう態度は好きだ。だからというわけではないが、贅沢は言わない。円かドル、どちらでもいいから、半月以内に円換算で500万。それで有力者の何人かを引き入れ、十分な人を集められる。軍の方は、騎兵は弾以外は自給自足で動けるので、何とかなるだろう」

(三千倍として平成円で150億円か。今までは、それ以下しか貰ってないんだろうなあ)

 そうは思えど、私が聞きたいのはその先だ。

「それで、何が出来ますか?」

「関東軍に対して政治的優位が作れる。そしてそうなれば、連中は計画を変更する可能性が高まる」

「変更ですか? 私が知る限りだと、日本利権の何かが爆破されたのを現地軍閥の責任と発表して、治安維持活動の名目で行動開始。初動で動きやすいように、現地軍閥の行動力を奪うべく何らかの手段で奉天の司令部を破壊。というのが、事の発端の筈ですが、どこが変わるのでしょうか?」

 本当は何も知らないけど、前世の歴史知識でカマをかけてみる。すると、川島さんの表情が大きな驚きに包まれる。

「そうなのか? 土肥原も石原も、具体的な事は何も教えてはくれなかった。我々には、溥儀の脱出の協力以外は、関東軍の行動を全力で支持し、周囲に宣伝するなど協力するようにというものだ」

「では変更されるのは、どのような点になりますか?」

「ウム、そもそも我々は組織が貧弱だから、その組織が一時的でも強化される事で、『現地政府』である我々が関東軍に『治安維持活動』を要請する形に変更される。名目上だけでも、主役にしてもらえるという事だ。そうなればこの先、僅かでも政治的な優位、我々の自立の芽が生まれてくる」

(実質傀儡でも、最初から現地政府の要請って形にするのは、私の前世に比べたらマシか。ここはベットのしどころかなあ?)

「……シズ、鳳の本邸に連絡とってくれる。殿下、お金以外に入用なものはありますか? 戦車や軍用機以外なら、ご要望にお応え出来るかもしれません」

 私の言葉に川島さんが破顔したあと、強めに頷く。

「いや、金だけで構わない。軍の装備があればそれに越した事はないが、関東軍に目をつけられると面倒だ」

「分かりました。でしたら、民生品のトラックと燃料くらいはオマケ出来るように、連絡を取ります。あーっ、そうなると一度帰った方が話を通しやすいか。シズ、連絡中止。殿下、すぐに日本に帰れるよう取り計らって頂く事は出来ますか?」

「構わないが、戻ってきてくれるんだろう?」

「勿論です。半月以内に必ず」

「土肥原達には、どう言い訳する?」

 少し面白そうな声と表情でのご質問。
 そして返事など決まっている。何しろ私は小学生だ。

「急用が出来たとお伝えください。けど、それじゃあつまらないですね。小学校の夏休み中の登校日を忘れていたので慌てて帰ったと、お伝えください」

「いいぞ、それはいい! あの二人の豆鉄砲喰らったような顔が、今から目に浮かぶようだ」

 またもかんらからからとお笑いになった後で、そうおっしゃった。
 なら、返す言葉も決まっている。

「戻って参りましたら、そのお話、是非お聞かせ下さい」

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