■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 213 「満州事変前夜(4)」
「さあ、揃ったわね。作戦会議を始めましょう」
足掛け1日半、急ぎ大連を発って2日後の朝、鳳の本邸に私の執事、幹部、側近達を集められるだけ集めた。 さらにお父様な祖父の麒一郎と龍也お兄様も同席している。
「なあ玲子、お前さあ、黄先生の手のひらの上だって自覚あるか?」
話し合う前日夜、戻ってすぐにかいつまんで話した時にお父様な祖父に言われたけど、その自覚はある。 だから言い返してやった。 「だとしても、動くのは私よ。だから手のひらから弾けるくらいの事をして、驚かせてやるわ」と。 それに対してお父様な祖父は「ケツを拭く身にもなってくれよ」とだけ返した。
そうして翌朝に奥にある別の応接室に集まったのは、一族からは私、お父様な祖父、お兄様の3人。執事と側近からは、時田、セバスチャン、トリア、それにお芳ちゃんも隅に臨席させた。 トリアには、念の為あえて出席させる意味を問いかけておいた。勿論、しばらくは箝口令を敷いている。それでも出席させるのは、アメリカ向けの証人になってもらうという意図がある。彼女は、単なるパイプ役以上だろうと見ているからだ。
それと、鳳の裏のインテリジェンスを統括している総研の貪狼司令も呼びつけた。 あとは鳳本邸の家令だけの役職になった、元曾お爺様の執事だった芳賀も同席だけはしている。お父様な祖父には、今は側近も執事もいないけど、日露戦争、シベリア出兵で亡くなられたからだと以前聞いた。 そして亡くなったと言えば、去年までなら必ず出席していた曾お爺様がいなくなったのは寂しいけど、言っても仕方ない。
一方で、他の者は部屋にはいない。部屋の扉の外はシズとリズが番をしている。また、大連から付いて来た八神のおっちゃんとその部下の人達は、念の為とか言って屋敷の警備に加わっていた。他の使用人も、いつもより警戒強めで仕事についている。輝男くんとみっちゃんも、警護の見習いとして屋敷の敷地内だけど巡回していた。
そんな感じの配置で中央のテーブルに囲んで座る人達を見つつ、第一声を放ったわけだ。 と言っても、私は上座には座らない。鳳の本邸である限り、上座は必ず当主であるお父様な祖父のもの。だから私の席は、お父様な祖父の隣。対面がお兄様。そして残りが、序列順に座る。 書生のお芳ちゃんだけ、別の小さなテーブルの席だ。
「まだ話を聞いていない人もいるから、まずは概要を説明するわね。ただ足りないところは、陸軍内の事情に詳しい龍也叔父様から補足してもらうから」
そう言って目線を向けると、お兄様が小さく頷いて全員に視線を回していく。 そして聞いていない人と言った通り、昨夜のうちに屋敷で寝泊まりしている人と強引に呼びつけたお兄様には事情を話してある。また、一族内での合意にも到達している。 まだ知らないのは側近組だ。
そして小一時間ほどで説明を終えると、初耳な側近組がそれぞれの態度で驚いていた。
(そりゃあ、本当に歴史を動かそうって言うんだから、驚きもするわよね。私も『満州事変』に直に関わる事になるなんて、予想外もいいところよ)
「以上になるけど、意見の前に質問あれば言ってね」
「じゃあ質問」
一番に小さく挙手したのはお芳ちゃん。全員の視線が集中するけど、見た感じは学校で当てられて立った時と変わらない。 そして出席者は、それを誰も咎めない。出席している以上、発言権は平等だと全員が理解しているからだ。そう言う点でも、お芳ちゃんが最初というのは全員にとって有難い話だろう。
「もう何をするのか、昨日の夜の段階で鳳の方々で決めているんですよね」
「ええ、大筋はね。けど、漏れがあったり追加した方が良い事があると考えたし、情報は共有したいけど文書にってわけにもいかない事だから、最低限の人数にこうして集まってもらったってわけね」
「うん。じゃなくて、はい。じゃあ次に、他に知っているのは愛新覺羅顯●(けんし)殿下と近臣の人だけですか?」
「その筈よ。基本的には、殿下と私の悪巧みの類の話だから」
「では、行なったとして、鳳一族とグループの利益と不利益についての、天秤はどうなっていますか?」
「鳳は多少の不利益は甘受するわ。日本全体が世界中から叩かれるより百倍マシだからね」
「それは立派かもしれませんけど、お人好しすぎでは? 少なくとも、事が起きた先を知らない者としては、何が起きる可能性があるのか、どのような利益不利益があるのか、それを先に知っているお嬢様とは違うので、安易に言えないのですが?」
「まあ、そうなるか。じゃあ、次に私が見た『夢』を話すわね。いいわね、お父様」
「構わんぞ。というか、続いて話すと思っていた」
「息継ぎくらいさせてよ。それと話はするけど、私が見たひと繋がりの長い夢では、前提条件から既に変化しているから、その辺は各自で汲み取ってね。全部話している時間もないから」
そう、この世界の『満州事変』は史実と同じタイムスケジュールで迫っていたけど、前提条件が既に大きく違っている。 何しろ張作霖が中華民国の国家主席だ。しかも張作霖の力が相対的に強く、蒋介石も共産党も小さな力しかない。各地の軍閥もまだバラバラで、国民党は左右に分かれたままだ。 そして国家主席の張作霖が、お金欲しさに親日姿勢を示している。さらに張作霖爆殺がないのと引き換えとばかりに、中ソ紛争で張学良とその側近達が戦死している。 だから、『満州事変』の遠因になった張学良の敵対、満鉄平行線、満州での日貨排斥、日本製品ボイコットもない。
逆に張学良が戦死して現地軍閥組織が半壊したので、満州南部の治安が低下した。その影響もあり、日本主導による溥儀を神輿とした満州の別の組織が立ち上がった。
もはや、私が前世で知る『満州事変』とは、真逆と言ってもいいくらいの違いだ。 同じと言えるのは共産党、もしくはコミンテルンの一部行動くらい。これは満州南部の治安低下の一因で、揚子江地域で共産党の勢力が伸びていないのに対して、ソ連からのテコ入れがしやすい為か、多分似た感じで起きている。
またもう一つ同じなのが、日本陸軍の一夕会に属する将校達の行動。そもそも彼らが動かなければ、『満州事変』が起きるわけないのだから、当然と言えば当然だ。しかもソ連の強大化に対する恐れが原因で、大陸情勢は二の次とすら言えるから変化しようがない。
けれども、大陸情勢が私の前世の歴史とは大きく違っているので、硬軟二つの計画が存在しているという違いがある。 何しろ前世の歴史と違って大陸の民衆から反発を受けていないから、日本人の満州に対する感情が少し薄い。その辺りの意図を汲み違えると、事を起こした自分達が叩かれるし、厳罰に処されると分かっている。
そして私が追加で語って聞かせたのが、私の前世の歴史上での『満州事変』だ。 話し終えると、再び全員が考え込んだ。この話は、何年か前に曾お爺様、お父様な祖父、時田にはしてある話の一つだ。 何しろ、主に昭和後期の左巻きの人達が『十五年戦争』と言った発端だったり、日本が決定的に悪い方向に進む大きなフラグだから、事前に話さないわけにはいかなかった。 でなければ、私の無茶とも言える行動を認めてもらえる筈もなかったからだ。 そして事前に知っているから、知っているお父様な祖父と時田は澄ました表情をして、他の人の反応を見ている。 ただし、私はお父様な祖父に言いたい事があった。
「それでお父様、私からお聞きしたい事があるんだけど」
「なんで満州の動きをお前に教えなかったのかなら、聞くまでもないぞ」
見透かされていたらしいけど、目線で続きを促す。
「お前、知っていたら動いていただろ。で、動いたら土肥原らに潰されてた。だから、動くならギリギリじゃないと駄目だったんだよ。それも賭けに等しかった。あのお転婆姫が自分からこっちに向いてくれないと、接点の薄い鳳は動きようがなかったからな」
「それでも何か出来たんじゃあ」
「だからさあ、動いたら気づかれてたって。何しろ、ここに無自覚なスパイもいる」
そう言って、お兄様の方へと視線を向ける。 確かにお兄様は、実質的に満州での事を動かしている『一夕会』に属しているに等しい。 けど即座に、お兄様のスパイは有りえないと思ったけど、口にする前にお父様な祖父が言葉を続けた。
「俺も龍也が誰かにご注進するとは、毛ほども思っていない。けどなあ、あの魔窟で聞いた話を隠し通せると思うか。ちょっとした仕草や表情から、鳳が余計な事をしていると気取られるのがオチだ。そうなれば、嗅ぎ回ってくる連中が必ず出てくる」
そこまで言うと、お兄様がお父様な祖父に頭を下げたあと、皮肉げな表情で見つめる。 そしてしばらく二人の応酬が続く。
「流石、ぐうの音も出ない推測です。俺や玲子の方が、黄先生ではなくご当主の手のひらの上だったと言う事ですね」
「俺だけじゃないぞ。時田と貪狼も共犯だ。セバスチャンにも、対外情報の方で骨を折ってもらっている」
「知らぬは、ご当主以外の一族ばかりですか」
「今まではそうする必要があったからな。だが、今日で解禁だ。それぞれが足りなかった情報も共有された。そしてだ、これからは時間との競争だぞ」
「ですが、問題がもう一つあります」
お兄様の懸念はまだあるらしかった。
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満州事変 (まんしゅうじへん): 1931年(昭和6年、民国20年)9月18日勃発。 「柳条湖事件」を発端として日本が満州全土を占領し、日本の傀儡国家とされる満州国が作られる。
書き出すとキリがないので、教科書でも見てください。 この世界は、話し合っている以上に既に色々と違ってしまっています。