■「悪役令嬢の十五年戦争」

■ 216 「満州事変前夜(7)」

「お約束の品です。お確かめ下さい」

「では、拝見させて頂く」

 遼河油田から少し離れた周囲の目を遮る林を背にして、二つの集団が、多数の鞄に詰められた何やら怪しげなものをやり取りする。
 そして数分後。

「円とドルでそれぞれ250万円分、確かに確認致した。この度は、この通り深く感謝申し上げる、鳳玲子殿」

 20円札と20ドル紙幣の詰まった中身をざっくり確認した側の代表が、深々と頭をさげる。
 身なりは男性のものだけど、細身で小柄だし独特の曲線から男装した女性だと分かる。それもその筈、頭を深々と下げたのは川島芳子こと愛新覺羅顯●(けんし)殿下その人だ。そして私が10日前に会い、その時に500万円を工面してくれと言ってきた人でもある。
 そして頭を下げた貴人に対して、口にする言葉は決まっている。

「頭をお上げ下さい、殿下。協力のお話をしていただき、感謝をするのは我々の方です」

 そしてこちらも頭を下げる。川島さんより深めに、そして長めに。でないと、川島さんの周りの人達の収まりがつかない。
 それを見越して頭を下げたのかもしれないけど、まあ相手のペースで構わないので頭を下げるくらいで済むのなら全然問題はない。
 向こうも分かっているんだろう、頭の方から顔を上げた方向からの声がする。

「頭を下げないで欲しい、玲子。それと少しばかり説明をして欲しいんだがな。この豪勢な行列は、戦列にでも加わってくれるのか? それとも、我々をここで一網打尽にする積りかな?」

 最初以外面白がった口調で、言葉のやり取りを楽しみたいという雰囲気を強く感じる。だからこちらも頭をあげると、少し笑みを見せる。

「ちょっとした前祝いです。お受け取りのほどを」

「ホウっ、前祝いか。ならば喜んで受けとろう。それにしても豪気だな。どれほどある?」

「1500キロ積みのトラックが、合わせて200台。背の荷物は合わせて300トン。それに乗用車を10台。トラックの主な積荷は武器弾薬とガソリン、それに米になります。また武器弾薬の一部は、別便で数日以内に到着します。もっとも、運転手は付きませんが、全てお納め下さい」

「知らせを受けたので、運転手はこちらで用意した。それにしても、武器弾薬ばかりか兵糧まで用意してくれるとは助かる」

「あ、いえ、出来れば陛下から民への」

 川島さんが車列を見渡しつつ満足そうに言うから、こっちが少し慌ててしまう。すると私の言葉に納得げに破顔した。

「ああ、そういう事か。どうも私には、そういう視点が欠けている。いかんな。それに深く感謝する」

「とんでもありません。それと、荷物だけの米とガソリンが他にもありますので、指定の場所に取りに来て下さい。ガソリンは、期間中なら幾ら使って頂いても構いません。あそこの油田には小さな製油施設もあるので」

「それは有難い。ところで、私には皆目分からないのだが、この物品の値段はどの程度なのだ? 10万や20万の話ではあるまい」

 トラックの列を見つつそう言うので、こちらも慈善家と言うだけでない面を見せる事にする。
 そしてここからが追加の本題だ。

「お気になさらず、と申し上げたいところですが、確かに安くはございません。あの新型の6輪トラックの単価は、市場だと約1万円します」

「トラックだけで200万円か。しかも大量の武器だ。現金より多いのではないか?」

「武器のかなりは中古品ですので、そこまでは致しません。ですが、提供した分だけ期待させて頂きたくは考えています」

 実際は、トラックは鳳が作ったものなので利益抜きだと、7割程度まで値段は下がる。武器の方も、ダブついている時と場所を捉えて定期的に買い集めていたものだから、見た目ほど金はかかっていない。米も去年大量に買い込んだもののごく一部だし、ガソリンもうちで精製したものだ。
 そう思って見直すと、自社製品の試供品を渡している気分にもなりそうになる。
 けど、殿下は即答だった。

「勿論だ。馬以上の足を得た今、鉄道沿線以外なら関東軍より迅速に動く事も可能だろう」

「はい。それと少しばかりお願いがあります」

「何でも言ってくれ。出来る事なら何でもしよう」

「鳳グループ系列の皇国新聞の記者団と写真班、それに動画の撮影班を殿下に同行させ、また可能な限りで構わないので自由な取材許可を頂きたく存じます」

「むしろ外に向けて発信できるのは、こちらが願いたいと思っていた事だ。他には?」

「満州でも、コミンテルンが活動していると聞き及びます。それらを暴発させる事は可能でしょうか。ご無理でしたら鳳の方で……」

 途中で、川島さんが手を軽く上げて私の言葉を止める。表情も少し厳しめだ。

「いや、待たれよ。直接の人は出してくれるな。だが、満州でのコミンテルンや共産主義者など、カスみたいなものだぞ。それに関東軍が相手をしているから、こちらが叩くまでもない」

(なるほど、ここが殿下のギリギリのラインか。けどまあ、私としては誰がしても構わないんだけどね)

「ないのなら、最悪自作自演でも構いません。外向けに、満州での陛下の台頭を共産党が阻止しようとしている、という姿を見せるのが目的になりますので」

「プロパガンダというやつか。少しあざとくないか?」

「はい。ですが、あざとくて良いんです。何しろ、関東軍が陛下を担ぐ口実を作ってやるのが目的の一つなので」

「なるほどな。関東軍を、我々寄りに方針を変更させる仕掛けの一つと言うわけか。それで、玲子が描いた筋書きではどうなる?」

 腕を組んで考え込む仕草だけど、思っていた以上に乗り気な雰囲気を感じる。少なくとも聞いてはくれる姿勢だから、この時点での説得が省けたのは助かった。
 けど、騙したり誘導したりしてはいけないと思いつつ、言葉を探す。

「殿下達が進められている事を、少しばかり軌道修正するだけです」

「軌道修正か」

「はい。組織拡大の準備を終えたら、すぐにも資金と物資をばらまいて民衆の心を掴み、それを派手に宣伝。この段階で、陛下に立って頂くようお声をかけて頂きます。そして臨時政府の発足と、満州の民族自決を宣言。ただし、独立という言葉は伏せます」

「独立宣言はしないのか? 何故だ?」

「明確に言い立てると、周りが騒ぎすぎます。日本の大半も、地方政府は望めど独立までは望んでいません。望んでいるのは、大陸中央から切り離して好き勝手したいだけの急進派だけです。ですから、曖昧な状態で国作りを進められるだけ進めて、実を取ります。そして周りが状況に気づいたら、もう手遅れという状態が理想ですね」

「私は構わないが、陛下がどうおっしゃるかだな。それで?」

「殿下のお考えだと、独立宣言の段階で関東軍に満州自決の為の支援要請を出すという事になるでしょうが、この手立ての場合はもう一つ手を加えます」

「そこで謀略か」

「はい。陛下の復位が気に入らないコミュニストが、陛下を支持する者達を襲撃。これに反撃するも及ばず、一旦後退。ここで関東軍に、治安維持活動を要請します。この際、コミュニストが揚子江流域でのように暴徒となって破壊活動など派手な動きをしてくれたら、言う事はありません。当然ですが、上海での暴動と連携した動きと外には見せます」

「だが、それでは無辜の民に犠牲が出る」

「ですから、民を守りながら下がるのは大前提です。むしろその姿を、民衆の前と報道の前で見せて下さい。それで正義は成り立ちます。直接の損害補償の資金については、私どもがお出ししても構いません」

「……そこまで言うのなら、乗ってもよかろう」

「ありがとうございます。それともう一つ」

「まだあるのか?」

 ちょっと呆れ顔だけど、ここからが私的には本題だ。
 だから言葉に力を込める。

「現地関東軍に治安維持要請をするのは、基本的に緊急措置です。実際は、迅速に他勢力を叩くのが目的ですが、その48時間以内にして欲しい事があります。そしてこれが、独立を口にしない事と並んで一番重要となります」

「もったいぶるな」

「政府として、日本政府に出兵を強く要請して下さい。民族自決の為の支援要請です」

「それで日本が、国際的におおっぴらに動く大義名分が立つと言うわけか。だがそれだと、日本政府は早々に満州の独立を認める事に等しくなるぞ。流石に張作霖が黙ってはいまい」

「ですので、地方自治の政府は作り民族自決は謳いますが、独立宣言まではしません。先ほども言ったように、自治という建前で実質を手に入れます。
 一方で、日本政府と中華民国政府の間には、万里の長城以北での日本軍の活動に中華民国政府が口出しない暗黙の了解があります。うまくいけば、張作霖が黙認するか、何か有利な言葉を発信する可能性もあります。交渉や根回しなどはこれからになりますが、可能なら日本政府も動かします」

「自治政府と言い訳しつつ、実際は満州を切り離してしまうわけか。しかしそれでは、日本に優位過ぎないか?」

(ごもっとも。そもそもこの企みって、日本が日本の為に起こすわけだもんね)

 けど、それだけじゃあダメなのを私は知っている。だから言葉強めなモードを続けざるを得ない。

「だからこそ、初動でなるべく大きな民衆の支持を得て下さい。出来る限り、大きな発言権が持てるように勢力を大きくすれば、日本も表立って強引な事が言い辛くなります。だからこそ、今回支援するんです」

「だが時間稼ぎだな」

「はい。けど、動き自体はもう止まらないんです。だからその稼いだ時間で、関東軍ではなく日本政府を深く引っ張り込んできます」

「待て待て、もっと大きな連中を呼んできてどうするのだ」

「呼ばなくても、いずれ出てきます。しかも情勢が悪くなってから。けど、早く出てきてくれれば、それだけ急進派と関東軍の横暴を多少は押さえてくれる可能性が高まります」

「逆の可能性は?」

「日本陸軍は、日本の国防と国力増強以外は実質何も考えていませんが、政府は外交、国際関係を気にします。逆はありません」

「陸軍も多少は気にするだろう。彼らも国に仕える身だし、軍事とは外交の延長なのであろう」

「その筈なんですが、勝手に動いて政府に後追いさせようという向きが一部に見られます」

「……石原か」

「あの人だけじゃありませんけどね」

 内情を多少は見知っている身としては苦笑しかない。
 そんな私の顔を見て、殿下が小さくため息をつく。

「玲子に言っても仕方ない事だな。それに、少しでも状況を良くしようと言う気持ちも方策も分かった。だが、一つ聞いていいか?」

「なんでしょうか」

「鳳の利益はなんだ? 本来は最初に聞くべきだったかもしれんが、満州、いや大陸での利権拡大か?」

「勿論、それもあります。うちは悪徳財閥ですから」

「悪徳財閥か。確かに悪巧みをしているわけだからな」

「はい。もっと大きな視点、世界戦略的に言えば、日本が世界と仲が悪くなると商売に大きな差し障りが出ます。特に鳳は、日本の他の財閥と比べると海外依存が大きいので、政府や軍が無茶したら凄く困るんです」

「……それだけか?」

「利害で言えばそれだけです。心情で言えば、正直なところ上海の兄弟達への義理になりますね。大陸は日本人のものでない事を、鳳は知っております」

「確かにそうだな。では、玲子個人としては?」

 最後に一番難しい質問をされてしまった。けど、私にとっての答えなど、最初から決まっている。
 私自身、鳳一族、鳳財閥、できれば日本、その全ての破滅への道を少しでも避ける為。けどそんな事は、他人に言っても仕方ない。何しろ、お父様な祖父にすら半分しか言っていない事だ。
 けど、その過程での、日本の諸々の動きに対して言いたいことが一つあった。

「子供が色々頑張っているのに、勝手な事ばっかりする連中が気に入らないからです」

 思わず言葉に力が入るのを自覚するけど、これは偽らざる気持ちだ。ちょっと子供な体に魂とかが引っ張られている気もするけど、スルリと言葉が出てくる類の気持ちだ。
 そして思わず握りこぶしすら作った私のカミングアウトに、川島さんは一瞬の間を置いて、またも「かんらからから」な豪傑笑いだ。

(まあ、笑われても仕方ないけど。ちょっと、笑い過ぎじゃない?)

 そんな私の少し不機嫌を前に、川島さんはすごく上機嫌に笑う。そしていい笑顔のまま言ってくれた。

「随分大人びていると思っていたが、どうして子供じゃないか。だが、嫌いじゃないぞ。子供なら、そのぐらいの動機で良い。私も小さな頃は色々と気に入らなかったから、馬鹿な事をしたものだ。玲子の場合は、少しばかり風呂敷が大き過ぎるがな!」

(いや、あんたは今もケッコー馬鹿な事していると思うんだけど)

 そうは思ったけど、苦笑いを返すだけにとどめた。

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6輪トラックの単価:
性能は、史実で日本陸軍が数年後に装備するトラックに準じさせた。(アメリカ製も、基本性能は同程度。)
6輪トラックの単価は1万円程度。乗用車が3000円程度。
この時代の普通のトラックの積載量はまだ小さく、登坂、悪路を考慮すると最大で1・5トン程度。より大型はアメリカなどにはあるが、価格面で厳しい。

20円札と20ドル紙幣:
1930年に初代の100円札が発行されているけど、流通量や流通のしやすさから20円札とした。
100ドル紙幣は、19世紀半ばから存在する。肖像画がベンジャミン・フランクリンになったのは1914年から。
だが100ドル紙幣は高額紙幣だけに偽造されやすいので、現金取引では20ドル紙幣を使う事が多い。

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