■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  217 「満州事変前夜(8)」

 川島さんに金とブツを渡し、後の事はセバスチャンに任せ、私は大連へと向かった。
 理由は二つ。一つ目は、アリバイ作り。私は遼河油田などに行っていないし、10日ぶりに大連に来ただけという体裁を取ること。
 二つ目は、その嘘を事実にするべく、前回約束を反故にした石原莞爾と土肥原賢二との再会を果たすこと。

 ただし私が使った船は、まだあまり目立たせたくないので、大連港から鳳の大連支店にチャーターさせた迎えのボートに乗り移り、船の方は私達を降ろすとそそくさと大連を離れて行った。
 そして乗ってきた船自体は能力を偽っているし、普通の速度なら大連に到着する程度の時間で私たちは到着している事になる。

 そして大連港の外れに上陸すると、大連中心部の大広場に面した大和ホテルにチェックイン。
 その時点で、関東軍の方に使いを向かわせた。
 ただ関東軍の司令部は旅順で、大連には支部のような施設があるだけなので、二人は大連にはいない筈だ。川島さん達からの情報でも、前回の会談場所にも大連市内にも確認されていないとの事だった。

 だから到着したら、ホテルでのんびりと過ごす。何しろ、この一週間ほどは連絡に手配で忙しかった。船での移動中が一番暇という状況なくらいだけど、船は貨物船だからゴロゴロは出来ても十分にはくつろげない。
 しかも大連に来る前は上海に滞在していた。だから約二週間ぶりに、陸の上でくつろぐ事ができた。
 そして私的には、適当に二人を相手にした後で、わざとらしく川島さんと再会を喜んだら満州ともオサラバだ。

 そしてその二人には、日本に戻ってから二度お手紙を出してある。最初は、突然帰って御免なさいの手紙。二つ目は、最初の手紙に目処がついたらまた満州に行くと行っていたが、行ける日取りが決まったのでそのお知らせの手紙。
 土肥原賢二からは、丁寧な返事が一度来ていたので、少なくとも表向きは問題ないだろう。

 土肥原賢二からの返事は意外に早く、約3時間後に兵隊さんが運んできた。お仕事があるから、夜少し遅いくらいの時間に大和ホテルまで来るとの事だった。
 一方では、石原莞爾は奉天にいるから来ない事も書いていた。

(石原莞爾は奉天か。来月の準備だろうなあ)

「どうかしたか?」

「ううん。お盆には帰りたいから、明日には用事が済むと良いなあって思っていただけ」

「蒼一郎様の初盆か。それは必ず戻らないとな。……俺も行かせてもらって良いか」

 八神のおっちゃんが、かなりの真面目モードだ。だから私も真面目気味に返す。

「そりゃあ勿論。けど、面識あったんだ」

「数回お会いした事があるだけだ。それと、同行だけして後は勝手に墓前に挨拶させてもらうだけで良い」

「使用人や社員の人もするから、そこに紛れていれば良いんじゃないの?」

「その手もあるか。その方が角が立たなくて良いな。そうさせてもらおう。何か手続きは必要か?」

「シズ、教えてあげておいて」

「畏まりました」

「後で頼む」

 そんなやり取りを、リズが少し不思議そうに見て口にした。

「オボンとは、仏教の宗教行事ですか?」

「そうよ。キリスト教で言うと、なんだろう? 日本中でする一族や家族単位でする一年に一度の追悼ミサみたいなものかな?」

「なるほど。私はカトリックですが、すべての死者を追悼する万霊節と言う日が11月2日にあります」

「へーっ、確かにお盆と似ているわね。お盆の場合、極楽……じゃなくて天国からも地獄からも先祖の霊が帰ってきて、遺族や子孫に会いに来るのよ」

「天国からも地獄からもですか。信じられません」

「キリスト教だと、確か『死は、この世での苦しみから解放されて、天国へ行く喜ばしい事』だもんね。しかも地獄から戻るとか、信じられないのは当たり前よね」

「はい。宗教観が違うのですね」

「そうね。それと同じ地獄でも、日本の地獄は現世で罪を犯した人が裁かれる場所だからよ。だから死んだら、天国に行けるか地獄に落ちるかの裁判があるの」

「死んでからジャッジされるのですか。それは生前に善業を積みたくなりますね」

「おっ、分かっているわね」

「恐れ入ります。ですが、地獄は罪人ばかりで悪魔はいないのですか?」

「いるわよ。『鬼』って言葉になって、獄卒って呼ばれるわね。要するに看守と拷問係。天国にも現世にも悪さはしないのよ」

「まるで監獄ですね。それに真面目な悪魔もいたものです。ですが拷問すると言う点は、悪魔と同じかもしれません」

 などと、その後もリズと軽めの宗教談義が続いた。
 どうもリズは、信心深い人だった。と言うより、情報が氾濫する前の時代だと、こんなものなのかもしれない。
 そしてその後ものんびり雑談をしつつ過ごし、みんなで夕食を楽しんで一服した頃に、大連から土肥原賢二がやって来た。
 そして何故か石原莞爾もいた。

(到着を知らせてからでも、汽車に乗れば間に合わなくもないか)

 そう思い直し、まずは頭を下げる。

「土肥原様、石原様、先日は大変な粗相を致しました。夏休みですっかり気が緩んでいたようです」

「いや、学業を疎かにするよりずっと良い。むしろ我々大人達が、まだ小学生の伯爵令嬢を振り回していることこそ、恥ずべき事だ。気にしないで下さい。それに再度の訪問、誠に感謝致します」

 うん、土肥原賢二。完璧だ。それにひきかえ石原莞爾は、「ご無沙汰しております」と丁寧語で挨拶してきただけマシと考えないといけない感じだ。
 だからこちらは、「わざわざ奉天より遠路駆けつけて下さり」から始まって、懇切丁寧に慇懃に完璧に言葉を並べてやった。
 嫌いな人じゃないけど、どこか大人気ない人だから、私的にはこの程度のジャブは当然と言う気持ちからだ。

 そしてしばらく社交辞令な会話が続くけど、「今度はいつまで滞在するのか」と言う質問が出たから、曽祖父の初盆という私の逃げ口上にして私が絶対外せない予定を口にしたら、少なくとも表面上は二人に恐縮された。
 この点に関しては、石原莞爾も心からって感じを受けるのは信心深い人だからだろう。

「それで、殿下にはお会いなりましたか?」

「いえ、まだです。ご予定があるとかで、明日お会い出来るとご返答を頂いております」

「そうですか。殿下も『満州党』の活動でお忙しいご様子ですから、致し方ないでしょう」

「それで殿下には何をお渡しする約束をしたんだ?」

「石原!」

「いえ、構いません。シズ」

「はい」

 ズケズケと言う石原莞爾を型どおり土肥原賢二が諌め、私が土肥原の言葉で石原の態度を不問として、さらにシズを呼ぶ。よく映画やドラマで見る流れだ。
 そしてシズが用意したのは、鍵付きの丈夫なブリーフケース。アタッシュケースっぽい金属製の鞄だ。めっちゃ重そうで、実際重い。
 そしてリズが私に鍵を渡す。その鍵で鞄を開けると、中にはなんと『山吹色のお菓子』がギッシリ詰め込まれていた。

「金で2万円分。これを幾つか殿下にお渡しします」

「それだけか?」

 石原莞爾が少し意外そうにしている。それもその筈、石原莞爾にはこの4年間に毎年10万円送っているから、予想外に少額だと見たんだろう。
 だけど、少し皮肉げな笑みを浮かべてやる。

「はい。石原様から殿下に渡った金額より多くては角が立ちますので」

 「フムっ」と、遂に不機嫌から鼻で笑われた。けど、これで石原莞爾から川島さんに渡っている資金が、かなり少額だと証明してくれた。そして私の内心は、「石原莞爾にはもう金はやらん」と言う答えになった。
 そして少し不機嫌な石原莞爾の横で、土肥原賢二が苦笑する。

「ご配慮痛み入るとしか言えないな。それで、これは鳳元少将、いや鳳伯爵のご指示と考えて良いのかな?」

「はい。また鳳からは、来月になりますが土肥原様の方に、これ以上を現金でお渡しできるかと存じます」

「それは有難い。今は幾らあっても足りない時期だ。それで、その分も幾らかは殿下に回した方が良いかな?」

「お渡しする以上、全てお任せするとの言葉を預かっております」

 あえて目を伏せつつ言葉を返す。
 普通なら殿下への心象を良くするため、相応の金額を渡すだろう。茶番劇だけど、それで三者がWinWinの構図が出来る。
 けど私には今決めた事があるので、「ただ」と言葉を続ける。

「これで私どもが満州に対して自由に出来る資金が尽きますので、石原様にお届けしていたお菓子は、来年以降は控えさせて頂きたく存じます」

「来年までは欲しいところだが、無理強いもできないな。それにこの4年間、大変美味しく食べさせて頂いた。この件に関して、この石原深く感謝申し上げる」

「望外のお言葉、痛み入ります」

 石原莞爾、やれば出来る子だった。陸軍将校なんて組織人をしているのだから、やろうと思えばいくらでも出来るんだろう。けど、それをしないところが、石原莞爾らしい。そして多少羽目を外していても出世できる能力があるのも、この人だからだろう。
 そんな事を頭の片隅で思ったところで、土肥原賢二が「ところで」と再び口を開いた。

「ところで、今回の件で鳳は色々と動いていたように思うが、他に何をする予定なのだろうか? 我々と協力しあえるかもしれないと思うのだが」

「協力も何も、商人は従わせるものなのでは?」

 私の皮肉返しに、形だけだろう苦笑する。

「はっきりおっしゃる。まあ、そう考える軍人が多い事は否定しない。それに私も、場合によってはね。だが、鳳には恩がある。義理もある。それに協力関係を結べるだけの利害もある。何をするのか、何をしたいのかの一端なりとも知れば、そちらの利益になる事も出来る」

「そうかも知れません。ですが、その対価として鳳は何をすればよろしいのですか?」

「小さいものなら、今の言葉通り恩と義理を返すため、無償でさせていただく」

「商人としては、その言葉に安易に乗るわけには参りません。何しろ『タダより高いものはない』ですので」

「ハハっ、確かにそうだ。では、口約束だけ、と言うのはどうだろうか?」

 ここで少し考える素振りだけ見せる。顔も少し伏せて、相手に表情を見せないように心がける。
 そしてたっぷり10秒数えてから、顔を正対させる。

「地質調査の件で、ご協力を仰ぐ事になると思います。また、その後の件でも色々と便宜を図って頂く事もあるでしょう。ですが、今のところ鳳はやりたい事、やるべき事はありません。あとは、朗報を待って、祝杯を掲げる準備をするくらいでしょうか」

 最後に多少悪ぶった顔と口調に変えると、土肥原賢二が少しばかり苦笑した。幼女の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのかも知れない。
 だから、私の言葉に答えたのは石原莞爾だった。

「では、特等席で我らの公演、とくとご覧あれ。極上の見世物をお見せしよう」

「はい。朗報をお待ち申し上げております」

 そこでお互いニッコリ笑顔。
 もっとも、土肥原賢二はビミョーな表情だった。真面目な謀略の人から見ると、お互い随分とわざとらしかったようだ。

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来月の準備:
お盆:
史実での『満州事変』は1931年9月18日勃発。

金で2万円分:
この時代だと1万ドル、15kg。金本位制が揺らいでいるから、同じ金額の現金よりずっと価値がある。単純に平成円で約3000倍程度の価値。
(現代だと1万円札が1億円分で約10キロ)

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