■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  228 「満州事変(6)」

 9月19日、細工は流々仕上げを御覧じろで、果報は寝て待てだった。
 朝起きたら、歴史が動いていた。

 若槻内閣は事変拡大へと舵を切った。

 どうやら若槻内閣は徹夜で協議していたらしく、各方面の長老からの説得、陸軍を中心とした一部大臣の動き、野党の圧力、財界の動きなどから、若槻総理が折れた。
 幣原外相も、あくまで列強との協調を大前提として、現地自治政府からの要請に受けるという点で合意を見た。ただし、日本政府の側からは働きかけはしない。満州臨時政府が要請した場合に限る、というのが条件だ。
 張作霖の中華民国政府は、今の所主席の張作霖自身が事実上のだんまりなので、交渉のしようがないというのも、幣原外相が持論を押し通せなかった理由だった。

 一方の現地関東軍は、満州臨時政府の治安維持要請に応じて、まずは満鉄沿線の奉天、長春、そして少し外れた営口の各都市を19日の朝までに実質的に占領した。営口は遼河油田から一番近い町なので、鳳としてはちょっと助かる。
 奉天市は、満州党が関東軍とともに完全に占領下として、満州党の要請を受ける形で奉天特務機関長の土肥原賢二大佐が臨時市長となった。
 本来なら満州党が市政を行うべきだけど、奉天主要部は満鉄付属地で、奉天は以前から実質的に日本の都市と言えたから仕方のない事だった。
 以上が、朝起きた時の情勢だ。

「朝食を食べながら知る話じゃないわね」

「全くだな。だが、日露戦争やシベリア出兵を思い出すよ」

「軍人は呑気ね」

「元軍人だ。現役の龍也は、おとといの夕方からロクに家に戻っていないんだとよ。幸子が陸軍省に着替えを届けたとさ」

「お兄様も大変ね。それで陸軍は?」

「そんな事より、お前は学校行ってろ。小学生だろ」

「はーい」

 全く、碌でもない朝の親子の会話だ。

 それからも、満鉄沿線は関東軍、それ以外は満州党という形でまずは南満州の占領が進んでいったけど、満州党の活動地域で戦闘が発生した。
 満州にいる共産党に軍閥とは言え武装集団に戦闘を挑むだけの軍事力はないので、相手は現地の軍閥だった。
 馬賊の多くがすでに満州党側に付いているので、張作霖軍閥の土地に固執した集団という事になる。

 戦闘自体は小規模だったけど、これが複数箇所で発生。可能なら戦闘前の説得や交渉が行われたけど、この時点で満州党に付いていない人達で、しかも張作霖のいる北京に移動するなり逃げるなりしていない集団なので、軍閥という集団の制御から外れた人たちに等しかった。

 そして戦闘が何度か発生すると、満州臨時政府の国務院総理(首相)の鄭孝胥(ていこうしょ)は次の声明を発表するに至る。
 満州臨時政府から日本政府への、自治獲得の為の軍事支援の要請だ。
 短期間で既成事実を積み上げて統治体制を作り、それにより満州全体の治安回復を目指すのが目的とされた。

 これに並行して、満州臨時政府から張作霖の中華民国政府に対して、高度な自治権の要求が行われた。統治範囲については、溥儀が求める満州全域と熱河省、それに内蒙古の一部とした。
 ただし、独立宣言はない。けれども、高度な自治を行うための、内政・軍事の権利の保有を求めた。
 これで満州臨時政府は、他の軍閥とは違う動きを見せた事になる。
 そんな情勢の変化を、昼過ぎに学校から帰って知った。晴れ時々戦争って気分にさせられる。

 満州自治政府の側からの一早い自治要求は、関東軍主導で独立とか傀儡を少しでも阻止し、主導権を少しでも確保する為だ。
 そして今回、川島さん達と私達が用意した、隠し球の一つになる。

 けれども、この時点で相応の組織規模がないと、絵に描いた餅になっていただろう。そしてそれを、夏までの関東軍も知っていた。今頃は、鳳が事前に色々と満州党に用立てた事には気づいているだろうけど、今の所は後の祭りだ。
 満州臨時政府が現地で一歩リードして、私達が日本国内で政治家を押さえた以上、関東軍というか日本陸軍が徹底的な横紙破りをするには、帝都での大規模な軍事クーデターしか手がなくなった。

 けど、私の前世の歴史と違って、張作霖爆殺がないから軍人の独断専行の先例がない。統帥権問題で海軍がやらかして事実上の粛清騒ぎになったので、少なくとも軍上層部で勝手な事をしようと言う雰囲気はゼロだ。
 確か陸軍内の桜会が、この時期にクーデターを計画した筈だけど、クーデターのくの字も見られない。
 あの石原莞爾ですら、先に満州党を作って言い訳を用意している。
 そして私達は、そんな状況を最大限利用した。

 ただ、現状でも足りていない。けど、足りない時間と金では現状が精一杯だ。それに、日本の行動に先んじる事には成功した。
 これで関東軍、いや日本は、現地勢力による満州自立という勝ち馬に賭けた形になる。
 海外からそう見えるようにしてきたわけだけど、後は日本と張作霖次第というのが私達というか、満州党の限界だ。

 その後も、私は実質的には傍観者だった。お父様な祖父は政治家行脚を続けているけど、曾お爺様の初盆に揃った西園寺公望公爵と元老級の人達の補強をしているに過ぎない。
 金で事が動く段階じゃないから、財閥でしかない鳳は見ているしかない。
 そして傍観を続けていた21日、若槻内閣が満州臨時政府の求めの受諾を決定。満州臨時政府による、実質的な満州切り取りに対しての軍事支援を本格的に開始する事になる。

 そしてその日、林中将の朝鮮軍が越境して満州入りし、日本政府は本件を『事変』つまり紛争と定義した。
 満州での実質的な独立運動に日本が本格介入した事で、国際紛争に発展した瞬間だ。

「その割に、中華民国も諸外国も全然動きがないわね。国連は?」

「国連は何も。そもそも中華民国から国連には、何の提訴も働きかけも御座いません」

「張作霖って生きてるの?」

 私の呆れ気味の声に、時田も小さく苦笑して答える。
 月曜夜の鳳の本邸の居間には、事態が一段階過ぎたという事で裏の事情に関わる人達の大半が詰めていた。

「さて、どうでしょうな。中華民国の国際連盟代表の施肇基(し ちょうき)が、本国に国連に提訴するべきだと求めました。その返答待ちといったところでしょうか」

「不拡大方針というか、実質的には不抵抗方針よね」

「張作霖としては、共産党に利する行為は出来ませんからな」

「そうよね。現地にも自衛行動以外するなって。けど、流石にどうなの?」

「しかし、満州党に刃向かった軍閥の残りカスは、即座に共産党シンパ呼ばわりしている。おかげで、雪崩を打って寝返るか、おもねり始めているぞ」

「えげつないわよね。故郷を守る為に戦ったらアカ認定なんて」

 お父様な祖父の言葉には、流石に苦笑しかない。けど、これはこのメンバーから出た策の一つだ。今、列強間では未曾有の不況により共産主義への恐怖が増幅しているので、錦の御旗と化している。
 しかも上海では共産主義者の暴動やテロが起きているから、張作霖にしろ蒋介石にしろ、左派の汪精衛ですら、共産党に利する言葉を安易に発せなくなっている。
 何しろ大陸では、共産党殲滅で列強からお金が出ている。そしてこれを止められると、張作霖も蒋介石も自らの権力が維持できない。少なくとも、勢力を大きく減退せざるを得なくなる。
 満州党はその点を徹底的に利用しているわけだけど、悪辣なのは確かだ。

「そこで最新情報だ」

 お父様な祖父が、かなりのドヤ顔を決める。

「政界の老人方や政友会の方を回ってきたんだが、日本の各国大使館の第一印象が出てきた」

「どうだったの? どこか反応あった?」

「まあ、どの大使館も情報を送って本国の返事待ち。もっとも、どの国でも意見はだいたい同じだ」

「共産党を潰すだけなら、好きなだけしてくれ?」

「それもある」

「上海に手を出すな?」

「できれば、他の租界にもな。ただまあ、現時点では念のため言っているだけだな」

「激しくどうでもいい」

 言葉を遮るように21世紀のネットスラングで言ったのに、「それな!」とばかりの、これ以上ないくらい同意する表情がお父様な祖父の顔に浮かぶ。

「結局は、日本軍が万里の長城を超えない限り、もしくは中華民国が国連か列強に文句言ってこない限りは、まさにどうでもいい、だ」

「そっか。まあ予想通りね」

「しばらくは、情報収集に専念するだけでいいだろ。みんなも、ここ数日はご苦労だった。余程の突発事態が起きない限り、情報収集以外は通常に戻ってくれ。俺も酒が飲みたいよ」

 その言葉に全員が軽く笑い、私達の『満州事変』開幕の観覧は終わった。
 私にとっては、中学か高校の頃の社会科の先生が『十五年戦争』とか言っていた事の起こりの体験だったのに、何だか拍子抜けとも言える戦乱の時代の開幕ベルだった。

__________________

鄭孝胥 (てい こうしょ):
溥儀の忠臣。
清末の官僚。満州国の初代国務院総理(首相)。
関東軍の意に沿わないのでハブられた。

前にもどる

目次

先に進む