■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  246 「鳳の屋敷(1)」 

 1932年の3月後半に入ってから、鳳一族の大移動が始まっていた。

「基本的には、全員集合ってやつだ」

 お父様な祖父にして鳳伯爵家の当主であり、さらに今は鳳一族全体のトップでもある鳳麒一郎は、気軽にそう言った。

 主な理由は、鳳グループが巨大化して鳳伯爵家が空前の財産持ちになったので、可能な限り一族の者の警備を効率化する為。
 けど、立派な屋敷を複数作るのは世間体もあるので、もともと敷地の広い本邸に集まる事になった。
 一方で公表された理由は、財閥としてはともかく華族として華美になりすぎるのは示しがつかないので、一族が同じ場所に住む事で経費節約を行う為とされた。勿論、批判を回避するための方便だ。けど、かなり好意的に受け止められたらしい。

 一方で虎三郎は、横浜山手の外国人居留地のすぐ南に立派な屋敷を構えているので除外。ただし虎三郎の屋敷も、壁を作り直したり警備を強化するのが条件だった。
 ちなみに横浜の外国人居留地近くの海の方には、私が転生して来た鳳の別邸があったけど、今は鳳グループの貿易会館という名目で実質的な迎賓館が建っている。何しろ北米からの客船や荷物は、横浜に入ってくる。
 それに横浜は、鳳の帝都一帯での一番の拠点だ。

 また、同じく川崎の生田の方には、今や広大な学園用の敷地を持つようになった紅家が、その一角に以前から屋敷を構えているので、こちらも不干渉。
 ただし、今や国民的有名人となった紅龍先生とその一家も住んでいるから、虎三郎と同じく警備は強化された。けど紅龍先生をどうこうしようという馬鹿は流石にいないので、暴漢などよりブン屋対策と言える。

 そして鳳の本邸に集まるのは、お父様な祖父の麒一郎が先代の蒼一郎の一周忌を超えたので和風建築の離れに移り、重厚な作りの本館には鳳グループの事実上のトップの鳳善吉が入る。
 これを決めた時、佳子(けいこ)大叔母さんの嬉しそうな顔と言ったらなかった。それに対して善吉大叔父さんは、恐れ多いとばかりに顔を青ざめてすらいた。

 なお本館も、一部を改装を予定している。使用人棟の新館が出来たら行う予定で、1階と半地下の一部を使いお風呂を大きくする。この為一部建て増しもされる予定で、ちょっとした規模の大浴場が作られる。もっとも、完成は今年の秋予定だ。

 ただし、私のリクエストは通らなかった。住む人が大幅に増えるから公衆浴場のようなものを作ろうと頼んだのに、流石にやり過ぎとたしなめられた。
 それでも、男女別で一度にそれぞれ10名程度が使えるお風呂を設えてもらえるのだから、十分な勝利と言って良いだろう。お風呂は、明日への活力だ。

 一方で、玄二叔父さん、私のお兄様な龍也叔父様の家族が、鳳の屋敷に引っ越してくる。ただし本館じゃあない。
 それぞれ旧館と別館に入る。旧館は明治時代のもので、関東大震災で大きく崩れ数年放置状態ながら26年頃に復旧。別館は、最近建てたばかりの鉄筋コンクリート造りで、見た目は少し簡素なモダニズム建築。
 風情のある旧館には玄二叔父さん一家が、モダニズム建築な別館にはお兄様の一家が入る。
 そして全ての建物、施設は、この屋敷内限定の電話回線で接続された。

 なお、これを機会に、とある小さな財閥に嫁ぐも離縁していた綾子(あやこ)叔母さんが、『病気療養』から回復したことにして本邸へ戻そうという話もあったけど、お父様な祖父は厳しくダメ出し。
 私が転生してすぐくらいに離婚していたけど、相手先で一体何をやらかしたんだろうと、邪推の一つもしたくなる。

(とにかくこれで、ゲームの状況に少し近付いたのか。けど、鳳のお屋敷って、実はとんでもないところにあったのね)

 引っ越しや増改築の資料を見ていて、苦笑の一つや二つも浮かべてしまう。
 東西約300メートル、南北約130メートル、約1万坪ほどの北を頂点とした台形に近い土地を有する鳳の本邸は、元は長府毛利家の上屋敷だった。離れの一部と、かなりの面積を占める見事な日本庭園がその名残だ。他にも探せば、ちらほらと名残を見つける事ができる。

 また、遅ればせながら気づいた事で、私だけが内心で苦笑していれば良い事として、私の前世ではここに「六本木ヒルズ」と呼ばれる、あの成金ビルが建てられていた。本邸の場所など、まさにあのビルが建っている場所になる筈だ。
 私が散歩やジョギングしている外周の坂道も、けやき坂やさくら坂とか呼ばれている場所だ。可愛いメイドを、46人ばかり集めないとダメなんだろうか。

 ちなみに、鳳の本邸が建っている長府毛利家の上屋敷跡は、幕末の長州征伐の仕置きで幕府に没収。その後明治になるも、半ば放置。そして明治初期に、既にそれなりの成金となっていた大鳥(鳳)玄一郎が、明治新政府より払い下げの形で取得したものだ。

 ただしこれは、主に当たる毛利家に恩を売るのが目的だった。その記録も残されている。だから初代当主の鳳玄一郎としては、安く長府毛利家に売るつもりだった。しかし長府毛利家は、華族となってもこれほどの屋敷を維持する財力はなく、献上すると言っても断られていた。
 次に行った毛利の宗家でも断られた。

 そこで半ば仕方なく、方々から許しをもらってから、鳳一族の屋敷として住み着くようになる。荒れはじめていた庭も、見事に再生させた。ただ、この庭園が敷地のかなりを占めるため、園遊会が開ける芝生の庭が狭くなるなどしている。まあ、別の一角に英国風の庭も作っているせいもあるだろうけど。

 そして明治の中頃に、最初の洋風の邸宅を建設。これが旧館だ。ただし旧館は、関東大震災で破損。しばらくそのまま放置されていたけど、26年頃に世間体もあるので修復。さらに今回、新たに住むのに合わせ、時代に対応して改修が実施された。
 なお、ゲームだと放置されたままで、お化け屋敷イベントで使われたりする。

 一方、今の館として使っている建物は、いつも鳳の本邸と言っている建物に当たる。これは、いかなる災害にも屈しない建造物をという触れ込みで、世界大戦で大儲けした後、大正時代中期に建設された。見た目は西欧風だけど、中身は鉄筋コンクリートで柱は太く壁も分厚い。

 そして広い庭の各所は、鳳の屋敷として色々いじっている。園遊会で使う芝生の庭があり、英国風ガーデンも作り、東屋やガラス張りの温室、中華風のテラスも作った。かなりの大きさの池なんかもあって、冬になると越冬する鳥が飛来したりする。
 他に一族の者が使う建物としては、離れの茶室や誰かが使ったという『研究室』もある。この辺りは、ゲームでも登場するイベント発生ポイントだ。

 また他にも、使用人の住む棟、上級の使用人、つまり今は時田の住む建物、今は地下の鉄筋コンクリート製の車庫になっている厩、さらには実質的な警備棟までもがある。そしてこの増改築でさらに地下を弄くり回して、地下は秘密基地めいた状態に発展している。
 そして全体の工事はまだ続いていて、使用人棟はさらに新しい建物の増築が決まっている。これが出来たら、私の側近候補達も全員住まわせる事ができる。加えて、そろそろお年頃なのでいつまでも屋敷の一部屋に3人一緒にするわけにもいかず、輝男くん達もそちらに移る予定だ。
 他にも、江戸時代の古い施設や遺構が、屋敷を探検するとチラホラと見つけることができる。
 もはや、小さなお城か、小さな村のようだ。

 というか、真面目に探検してみると無駄にでかいのが良く分かる。外周約800メートルとか、本当に学校かお城並みの広さだ。流石、六本木ヒルズが建っていただけの事はある。
 それに建物と木々の配置をよく見ると、正面以外は周囲から本館が遮られるように出来ている。また、正面門から塀や柵の多くも作り直した。しかも、どこも分厚く無駄なくらい頑丈に作った。

 また建っている土地とその周囲は石垣と坂が多く、しかも敷地全体が東西にかけて坂道になっているなど、地形も平坦ではない。敷地内を水平に整地する為にできた石垣も少なく無い。
 意外に多くを占める柵も、頑丈な低い塀の上に太い鉄で組まれている。しかも柵の高さは優に3メートルほど。内側が樹木や生垣になるから、中を見る事も叶わない。
 また、外周に近い使用人棟の上には屋根裏として別室があり、そこは監視塔にすらなる。もはや、ちょっとした砦だ。

 東京でこれより大きく広いお屋敷は、日本政府所有や皇族方のものを別にすれば、東大と不忍池の間にある敷地面積1万5000坪と言われる三菱のお屋敷と、鳳の本邸と鳳ホテルの直線上の中間くらいに位置している三井の今井町邸くらいだろう。
 

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鳳の屋敷:
外観のモデルは、駒場の旧前田侯爵邸と不忍池の隣の旧岩崎邸が近いだろう。(どちらも隣に東大がある。)
史実に近い歴史の流れになれば、立退くか売却して何らかの公共施設になるだろう。

六本木ヒルズ:
江戸時代は長府毛利家の江戸屋敷があった。
この土地は、時代ごとに様々な企業や持ち主の手に分散。いつしか周辺も雑然とした住宅街になる。
バブル経済の頃の再開発事業により、地区丸ごと大きく姿を変える。

横浜山手:
横浜の旧外国人居留地の一角。文字通り小高い地形の地域。
今でも、多少は当時の建造物が残されている。

川崎の生田の方:
現在は、大きな緑地公園とゴルフ場がある。
鳳の学園、大学など諸々は、ここのゴルフ場の辺りにあると想定。
この時代に東京市外の大学は、交通の便など諸々で厳しい筈。
大正、昭和初期は鉄道が通っている以外で、開発はごく一部のみ。
現在は、すぐ近くには聖マリアンヌ医科大学、専修大、明治大の生田キャンパスがあるが、全て戦後に移動してきたり設立されている。

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