■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  293 「新たな油田に向けて」

「新しい石油利権はどうするの?」

「私以外に、どこのどなたが新しい油田を見つけるっての? まあ、石原さんには少し話したけど、詳細はまだだから探すだけで一苦労よ。それに見つけたところで、採掘できるのは国内で鳳だけじゃない」

 もう一度肩を竦(すく)める。そうしたら呆れ顔でお芳ちゃんに見返された。

「そんな事言ってると、足元掬われるよ」

「良いわよ。遼河油田だけでも十分だし、国内の石油利権分散の為にも、他の誰かが見つけてくれる方が、鳳への風当たりが弱まって丁度良いくらいよ。
 考えてもみなさいよ。この上、埋蔵量100億バーレルの世界的な大油田を独占したら、日本国内では叩かれるだろうし、アメリカの王様達からはさらに睨まれるし、しかも苦労して開発しないといけないし、良い事なしよ」

「では、どのように?」

 私の愚痴の連打を聞き流していた貪狼司令が、愚痴が終わるのを待っての一言。視線も興味深げだ。

「調査と試掘はうち。こればっかりは、他にいないから。あとは政府が音頭取りして、国策会社の設立。政府と各財閥の共同出資の合弁事業。うちはアメリカの資本参入を強く言って、アメリカの王様達のご機嫌取り。それと、国策過ぎるから大丈夫とは思うけど、関東軍は番犬以外は論外ね。どうせ、油の取り分で陸海軍が大喧嘩するでしょうけど」

「そしてどの道、鳳しか採掘できないので主導権は鳳のもの」

「一応はね」

「ん? お嬢は、まだ何か懸念? それとも問題? 見えないんだけど?」

「関東軍や軍が力を持ちすぎたり、日本が泥沼の戦争になったら、軍と政府の言いなりにしか何も出来なくなるわよ」

「……そう言う可能性があるわけだ。でもその『夢』は、相当の悪夢だね」

「まあね。けど、起きるとしてもまだ先の話よ。それより今は、うちが満州情勢の新たな局面にどう関わるかね」

「今おっしゃった方向ではないのですか?」

「それが意外に難しいのよ」

「関東軍ですか?」

 貪狼司令の言葉に首を横に振る。

「それもあるけど、うちが持っている技術と特許の問題。日本で国策会社を立てるとなると、アメリカの王様達を説得して日本政府に利権を買わせるしかないんだけど、かなり難しいでしょ」

「ですな。遼河での採掘量も年々増えておりますし、姻戚、閨閥すら求めるという事は、鳳をある程度は身内に入れても構わないと考えている」

「うん。アメリカの王様達は、鳳が大きな油田を見つけたとしたら、最低でも自分達の資本も入れさせないと絶対に怒る。そもそも、ソ連以外の世界の石油会社がそんな感じだし」

「日本が国策会社を立てたとしても、何らかの形で関わらせないと後が大変だね。それ以前に、自分達の資本も入れた上で日本国内では鳳に独占をさせようと画策しそうかな」

 私の言葉を継いだ形のお芳ちゃんに頷く。

「でしょ。鳳としては、新規油田に関して商売仲間優先を大前提にしないといけないから、日本政府と両方の顔を立てないといけないでしょ。だから国策会社設立は、誰かに言い出してもらわないと」

「誰に? 日本政府?」

「うちが王様達を説得する以外だと、政府しかないでしょうね。それでもアメリカの王様達に睨まれるから、反米政権でも成立しないと百歩も二百歩も躊躇するでしょうね」

「それこそ、関東軍にでも言わせてみてはどうですかな?」

 そう言って、楽しそうに貪狼司令が薄く笑う。けど冗談では済まない。

「それも一手かもしれないけど、仮にそうすると関東軍が大きく口を挟むようになるでしょ。日本政府、満州臨時政府、そして輸送を担当する満鉄、諸々の財閥、可能ならアメリカ資本、この全部が関わっておかないと、利権の問題が大変になるのよ」

「……大油田と言いましたが、そこまで大規模なのですか? 埋蔵量100億バーレルと言われても、実感が掴み辛いので、何か分かりやすい例えはありますか?」

「司令でも無理? まあ、すぐには実感できないか。その新油田を死ぬ気で全力開発したら、10年以内の採掘量は最大で年産5000万トン。3億バーレル以上。そして油の値段は、1バーレル1ドルくらい」

 私の言葉に、貪狼司令の細い目に理解の光が灯る。まあ、この人の場合、あとで自分で調べても、簡単に答えに到達は出来ただろう。私は、口で言ってても、いまひとつ実感が湧かないと言うのに。

「年3億ドル、9億円ですか。関連産業を含めると、軽く20億円に達しますな」

「半分としても途方もない量と額だね。今の遼河の10倍以上だ」

「うん。マラカイボ湖やバクーに匹敵するのよ。まあ、コスト面では一番悪いんだけどね」

「それは益々、鳳に牛耳らせようとするでしょうな。満州への経済進出も、ゴリ押ししてきそうだ」

「だからいっそ、油田の存在自体をダンマリでも良いかもとか思いそうになるわ」

 言いながら、目の前の机に突っ伏す。まだ出て欲しいところは発育途上だから、肺が圧迫される事はない。

「それなら、適当にハズレの場所を掘らせてしまえば? お嬢の巫女としての話も霧散して、気楽になれるんじゃ無い?」

「気楽になれないから、こうして悩んでいるんでしょうに」

「理由をお伺いしても?」

「分かっているでしょう」

 少し半目で細目のおっさんを見返す。口元には薄い笑み。この人には、既にかなり話してあるから、私が逃げない事、逃げられない事は熟知している。
 そして問いかけてくる当人は、私から話を聞く代償として破滅一歩手前までは付き合うとの言質を取ってある。

「舐められないか、無害になるか。日本には、2つの道しかないの。相手が強すぎて、圧倒はもちろん対等も厳しいからね。しかも、列強の末席に座ったから、もう無害は無理。
 だから舐められないくらい、日本の国力を急いで鍛えるしかないのよ。石油をモリモリ消費できる国にするしかね。けど石油を大量に輸入してたら、外貨が幾らあっても足りないでしょ。自前の油田から調達するしかないのよ。前にも言ったわよね」

「そうでしたな。それで、具体的な目標は?」

「日本全体での年間石油消費量は4000万トン。うち遼河と北樺太で1000万トン。だから新油田は、3000万トンが目標。期間は10年後」

「お嬢様は、途方も無い景色を見ておいでですな」

「そう? 石油消費量4000万トンって、アメリカの半分にも届かないし、10年後には英国、ドイツ、ソ連もそれくらい使って全面戦争するようになるわよ。だから、重工業がひ弱なままの日本だと、いざという時は簡単に潰せると考えて、舐めた事言ってくる可能性が高いのよ」

「ですが、海軍軍縮会議でのアメリカは、日本への警戒を隠そうともしません。なまじ力を付けると、逆効果という可能性もあるのでは?」

「その考えは否定しない。けど経済発展には、軍艦と違って制限がないでしょ。それに余程の事がない限り、相手を殴りつけたら自分がどれだけ傷つくかも考えるから、舐められるよりマシよ」

「その方針で、お嬢は動いてきているもんね」

「うん。人と同じ。まずは基礎体力。武器を揃えるとか、小手先芸の未来の新兵器とかは、二の次三の次よ。工作精度の高いネジを簡単に量産出来ないような国が、高度国防国家とか総力戦体制とか論じる時点で、普通ならお笑い種よ。今の日本の工業力は、一部を除いたら先の世界大戦頃の欧米並みか、それ以下なのに」

「視野の狭い連中に聞かせてやりたいですな」

「そんな事したら、私袋叩きされるわね」

 言い過ぎを自覚したので、苦笑&肩を竦めるで誤魔化す。けど、お兄様からの話を聞く限りでは、陸軍の頭良い人でも数字上の生産力さえ増やせば良いと考えてそうな人が多そうなので、どうしても厳しく見てしまう。

 それに、私だけが抱えているジレンマに近い感情も、そうした気持ちを高めさせてしまう事がある。
 せっかく未来から転生してきたんだから、21世紀とまではいかなくても、少し未来の兵器を実現出来れば、日本は大きな軍事力を手にする事が出来る。

 そんな話も、前世のネット上で見た記憶もある。
 コンピュータ、レーダー、ジェット戦闘機、高性能の潜水艦、それに核兵器。あれば、それに越した事はない事くらい百も承知だ。けど、私の前世の記憶にそれらの詳細は存在しない。ぼんやりとした概念や拙い絵で伝えるのが精一杯。

 それでも以前は、新薬のように概念を伝えれば、早期実現に近づくんじゃないかと言う気持ちもあった。
 技術を実現してくれそうな技術者探しも、多少だけどしてもらった。
 けど、実際に経済や産業に関わるようになって、軽く途方に暮れた。本当に無理ゲーだった。そもそも、現状での欧米先進国の兵器の量産すら簡単に出来ない事が多いと知った。

 そして、本当に頭の良い人達が、そんな事に気付かない筈ないとすぐに思い至った。そして、無い中である物、出来る事から策を探すしかないと言う事にも。
 だから私の軍人への経済面での厳しい言葉は、理不尽な愚痴でしかない。

 そして、聞こえないところであっても愚痴を言うからには、現状を少しでも良くするべく一歩一歩歩みを進めるのが、札束で相手のほっぺをはたき、財閥で好き勝手している私の役目だと思っている。そしてそれが、諸々の破滅を避ける手立てになる筈だと思うしかない。
 だから今も、誤魔化した後でため息をつくだけだ。

「まあ、誰かに当たっても仕方ないわね。取り敢えず私達は、北満鉄道買収後の方策を検討しましょう」

 その後、この時話していた通り、鳳に対する満州進出の話は聞こえなくなった。
 そしてそれは、日産と日産に関わる人達がクローズアップされる次なる始まりでもあった事を知るのは、もう少し先の話だ。

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