■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 294 「アメリカ大統領選挙」
紅龍先生の2回目のノーベル賞受賞で日本中が沸いた少し後、11月6日にドイツでこの年二度目の国会選挙があった。
けれども、私の懸念を他所に、ドイツではナチ党の支持拡大は停滞気味。逆に共産党が躍進。これはこれでナチ党以上に大問題だ。 しかもナチ党が第1党なのは変化無しのままなので、政権を持っている少数与党のドイツ社会民主党の政権運営が困難となり、ドイツの政治は迷走するようになる。
ただ私は、この頃の前世のドイツの状況を詳細には知らないから、前世と同じなのかもしれないと思うしかなかった。 そして私の知る限り、ドイツの政局で注目すべきは来年の筈だと言う考えもあった。
一方で8日、アメリカ大統領選では民主党のフランクリン・ルーズベルトが勝利した。 立て続けの選挙結果に、一喜一憂どころか二憂状態だ。
「憂鬱そうだね」
「まあね。当然の結果だったけど、こうして現実を前にするとね」
「相変わらず、お嬢はルーズベルトさん大嫌いだね」
「大魔王だからね」
「あっそ」
今日も鳳の総研に来ている。 お芳ちゃんと話しているように、1932年のアメリカ大統領選挙の結果を知るためだ。 そして、運命は変えられないとばかりにフランクリン・デラノ・ルーズベルトが第32代アメリカ合衆国大統領に選ばれた。
大統領選挙自体は、ルーズベルトの圧勝だった。何しろ、フーヴァーの大統領としての政策はダメダメだった。世界恐慌の景気回復をさせるどころか、むしろ悪化させた。 不況を楽観しすぎた事、自由放任主義を重視しすぎた事が原因なんだろうけど、それにしても実際目にして酷かった。 前世だと歴史の1ページとして見ていられたけど、側から見ていても酷かった。当事者のアメリカ人が、フーヴァーと共和党に愛想を尽かすのも分かろうと言うものだ。 ルーズベルトがアカっぽい事は、半ばどうでも良いほどだった。
特に私が文句を強く言いたいのは、私がアメリカで散財してアメリカの景気をほんの少しでも下支えしたのに、不況対策の失敗であらかたパーにしていた。 この7月の株投資への復帰でも大活躍状態なのに、それも選挙には活かされずじまいだ。
しかもフーヴァーも共和党も、不況が終わったと考えていたらしい。底であって、脱していないとは考えてない時点で、私的には度し難い。 自由放任し過ぎだろ、と突っ込み入れても気が済まない。ある意味、この選挙戦に関してはルーズベルトよりフーヴァーに怒りが向いたほどだ。
そして選挙戦は、私が前世の歴史でよく聞いた「ニューディール(新規まき直しの意味)」の言葉をルーズベルトが使った。 ただ選挙中は、あんまり意味のある言葉を並べていなかった。綱領の「三つのR」、「救済、回復および改革」も、なんだかぼんやりとしていた。
それはルーズベルトとその側近達が、具体的な事を言ったらアメリカのこれまでの政治にそぐわないと考えたからかもしれない。 だから選挙戦では、フーヴァー政権の財政政策を攻撃して、政府運営の緊縮化と財政自体の緊縮財政をすると言う程度しか主張していない。 選挙だから仕方ないにしても狡い。 だからルーズベルトは、もっと嫌いになった。
「お待たせしました」
復習を兼ねてそんな雑談をお芳ちゃんとしていると、ここの主人の貪狼司令が入ってきた。他にも数名連れだっている。 セバスチャン、トリアの、アメリカ人二人だ。上の階の鳳商事での仕事が終わったかひと段落ついたのか、時田も連れ添っている。さらにホールディングスに居たであろう善吉大叔父さんも一緒だ。 取り敢えず、鳳ビルにいる人達が集まったって感じになった。
「あの、重要な話をする気はないんだけど?」
「存じております。アメリカ大統領選挙の所感をお二人からお聞きすると、伺っております」
「うん。本当にその程度」
時田の言葉に素直に頷くけど、結果が出た以上、いつものように悪だくみじゃない。せいぜい、愚痴ったり管を巻いたりする程度だろう。 「でもね玲子ちゃん、何が商売に影響するか分からない。今は少しでも情報が欲しいんだよ」
善吉大叔父さんは、私が思っている以上に深刻だ。 アメリカが、選挙公約通りに緊縮財政に傾くと思っているのだろう。ただ、私も気になる事はある。
「前も一度聞いたけど、セバスチャン、トリア、それぞれの意見を改めて聞かせてくれる?」
その言葉を受けて、トリアに確認もせずにセバスチャンが悠然と起立。軽く周囲を見渡してから、いつものバリトン気味の声を響かせる。
「端的に言えば、共和党優位の時代が終わったと見るべきかもしれません」
「その意見には賛成ね。共和党があまりにもダメ過ぎたものね。けど、民主党の時代が来ると思うの?」
「そこまでは断言出来ません。ですが最低でも、今まで圧倒的優位だった共和党の時代はこれで終わった、と見るべきではないでしょうか」
「そう? アメリカ世論はフーヴァーの政策を非難したのであって、共和党を否定したんじゃないと思うんだけど?」
「確かに。アメリカ国民は景気対策を非難するのであって、共和党自体を否定はしていません。しかも世論は、お嬢様のお働きもあって、共産主義、社会主義に対して否定的傾向が強まっています」
「そうよね。ルーズベルト新大統領も、政策には苦労するでしょうね」
「ちょっと待ってくれないか」
善吉大叔父さんだ。私は小さく頷いて、言葉を続ける。
「善吉大叔父様、ルーズベルトは緊縮財政なんてしません。連邦政府の運営コスト削減は選挙公約通りするでしょうけど、彼がするのは大きな政府、社会主義的な景気対策です。ねえ、貪狼司令」
「はい。かなりの確度で、アメリカ政府は現在日本政府が実施しているような政策を実施すると見られています」
「『時局匡救事業』を? あのアメリカが? それが『ニューディール』だと?」
善吉大叔父さんが怪訝な表情。アメリカがそんな事するのかって言う常識的な反応だ。 さらに言えば、アメリカで日本みたいな事をしても、大して効果ないだろって思ってそうだ。その通りだけど。
「私の『夢』にも出てきました。金融緩和、大規模公共事業、それに法律による労働者の保護、これがアメリカ新政権が実施するであろう政策になる筈です」
「今まで教えてくれなかったのは、民主党が勝つとは考えなかったからかな?」
「そう願っていました。願掛けに近いですね。それに、アメリカの景気浮揚には私も出来る限りは尽くしたので、不確定だとも判断していました。共和党には勝って欲しかったですから。けど、ここまで酷い結果は予想外でした」
そう結んで、小さくため息。私の散財が無駄に終わって、本当にため息しか出てこない。
「その件で、アメリカからメッセージが御座います」
まだ話を振っていなかったトリアだ。私はトリアの目を見て頷く。アメリカから電報が届いていたのは聞いていた。
「アメリカの為に尽くしてくれたのに、それを活かせず面目次第もない。この件では、我々への貸しだと考えて欲しい。とのことです」
「アメリカの王様達は、共和党支持者が多いものね。あの方々の方がショックが大きいんじゃない? 私からは手紙を出すけど、ご心情お察ししますと、お伝えしておいて」
「畏まりました」
「うん。それで、トリアの所感は?」
「私も、ここまでの結果は予想外でした。私の故郷は東部の北の方なのですが、共和党支持が強い地域です」
「もう少しマシって思ってたのか」
「はい。ですが、市中の共産主義に対する嫌悪感の強さから、民主党が選挙戦で現政権と共和党攻撃を強めた影響が大きかったのかもしれません」
「まあ、そんなところよね。それで、あなた個人として、ルーズベルトはあり?」
そこで少し沈黙がある。トリアが共和党支持者だからだ。この点、セバスチャンは支持政党がないのは調べもついているし、以前の雑談でも聞いていた。リズなんて、政府なんか全部クソとしか言ってくれない清々しさだから、この場では部屋の隅に控えさせたままだ。
「政党よりも、お嬢様が示された左派寄りの政策を行う事に、強い違和感を感じます。そう考える者は少なくないかと」
「つまり、ルーズベルトの政権運営は順調にはいかない?」
「発表したら、かなりの反発があると考えます」
「その政策が有効で、失業率や景気が回復したとしても?」
「その点で評価する者も大勢いるでしょう。ですが、考えを曲げられない者も少なくないかと」
「そりゃあそうか。みんなは、何かある?」
そして私は、一通り聞いたので視線を巡らせた。
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綱領の「三つのR」: 史実と同じ。史実でも、フワッとした事しか言っていない。