■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  304 「新政権迷走」 

『米国新大統領銃撃サレル!』

 翌朝の新聞の見出しは、大抵それだった。
 鳳系列の皇国新聞が一番詳細に報道していたので、駅売店や書店などでは、かなり売れたらしい。そして鳳の新聞が売れているという事は、他の情報は精度や確度が低かったという事だ。

 情報自体だけど、日本の新聞記事が固まる頃、つまり第一報から半日経過しているので、多少の情報は増えていた。
 けど、ルーズベルトが重傷を負って病院に搬送されたという以上は、めぼしい情報はなかった。一緒に撃たれたシカゴ市長がかなりの重傷らしいという事と、犯人が早々に証言を開始したらしい情報は回ってきたけど、正直どうでも良かった。
 私としては、ルーズベルトが死ぬか、どの程度の怪我なのか、その辺りが分かれば十分だった。

「けど、このニュース、一つだけ良い点があるわね」

「と言うと?」

 朝食時の軽快なトークの中で、私はそう言った。
 本当にそう思ったからだ。

「拳銃テロの脅威が世界中に示された。要人警護が分厚く出来るんじゃない?」

「確かにそうだな。うちも拳銃で武装させたいよ」

「それは流石に無理でしょ。警官の武装強化が精々じゃない? うちとしては、現場に立つ警備員の防具を強化してあげたいわね」

「余程の事がない限りは、ほぼ丸腰だからな」

「そのくせ日本は、拳銃なら買おうと思えば買えるものね」

「そっちは、俺達も助かっているから何とも言えんがな。でもまあ、新聞に煽らせるか」

「そうね。軍隊以外のお馬鹿さんが出ないとも限らないものね」

「物騒な世の中だな」

「一番物騒な人が何言っているのよ」

「違いない」

 お互い軽く笑ってその会話は終わったけど、結局のところルーズベルト暗殺未遂事件自体は、私達にとってその程度のもので終わりそうだった。
 結局、第32代アメリカ合衆国大統領は、フランクリン・デラノ・ルーズベルトのままだったからだ。
 私にとっての大魔王のルーズベルトは死ななかったし、重傷すぎて就任前に辞任という前代未聞の事態も回避できた。
 それどころか、銃撃を受けても3月4日に予定していた就任式を無事迎えることすら出来た。

 けれども、2月15日の銃撃事件以後、1週間ほどはアメリカ国内は混乱した。株価も一時的だけど3ドルも下がった。私の努力が台無しだ。しかも、ルーズベルトは何も悪くないのが、なおのこと癪だ。
 そしてもはや呆れるしかないのが、犯人にはルーズベルト個人への恨みがなかった。銃撃した理由は、単に新大統領だったから。恨んでいたのはむしろフーヴァーで、その恨みも妄想の類でしかない。
 これは流石にルーズベルトに同情しか無かった。

 なお、銃撃されたルーズベルトだけど、その後の調査で第1射目の狙った一撃で、胸を撃たれていた。ただし、幸いなことに急所は外れていた。それでも、肺の一部に銃弾を受けという発表だった。
 もっとも、撃った拳銃が32口径以上だと危なかったらしい。45口径のM1911なら激ヤバだったと言う事なんだろう。私には、いまひとつその辺りは分からない。今度リズに聞いてみようかと思うけど、オタクみたいに早口で解説されたら幻滅しそうだから、結局聞かない気がする。

 それはともかく、ルーズベルトは一命をとりとめた。怪我も、当初はすぐに回復するという事だった。撃たれた傷は小さくなかったけど、十分回復できる傷と報道された。
 そして一時的に回復したように見えたし、当人の極めて強い希望もあって、3月4日の就任式は行われた。

 けど、流石に無理をしすぎだった。
 無理が祟って風邪をひき、そのまま肺炎直行になってしまう。就任式の当日と翌日は執務をし、重要法案の幾つかを議会に提出したり命令を発したけど、6日には倒れてしまった。
 そしてそのまま、また入院。さらに数日後には肺炎が悪化して生死を彷徨う事になった。銃撃された時より、こっちの方がよっぽどやばかったと後になって知る事ができた。
 アメリカ政府が、正式に大統領になった事もあって完全に箝口令を敷いていたので、情報入手が遅れたのだ。

 しかも肺炎では、ほぼ間違いなく紅龍先生の新薬のお世話になっただろうから、紅龍先生に感謝してほしいものだ。というか、新薬が無かったら死んでいて、色々なフラグが未成立だったところだ。
 二段構えでルーズベルトを殺そうとするとか、この世界悪意強すぎだろ。

 ルーズベルトがまともに執務に就くようになったのは、結局4月になってから。
 そして6日に倒れてから、なんとか病院で一部の執務可能になる3月の末頃まで、副大統領のジョン・ガーナーが大統領代行を務めたけど、当たり障りのない事しかしなかった。
 大統領代行であって大統領でない以上、政権を運営すると言う以上の事が出来なかった為だ。新政権としては、ルーズベルトの復帰を待つしかなかった。

 それに、やろうとしている事が下手をすればルーズベルトと子飼いのニューディーラー達しか知らないのだから、政策を実行しようがない。
 しかも政権発足前だからか、民主党にも社会主義的政策に反対する者も少なくないらしく、行える新たな政策も「ゆっくり実行」した形跡がある。
 だからアメリカの政治は、最初の2日以外は1ヶ月停止したに等しい。
 とにかく本格的に動き出したのが4月に入ってからで、それも大きな困難を伴っていた。

 多少は私のせいだ。ハーストさんが反共産主義の運動や啓蒙を数年に渡り、長期にかつ広く行った影響は小さく無かった。
 そもそもアメリカは自由の国、資本主義の国の総本山を自認する国だから、共産主義、社会主義と相性が良いわけがない。国民の多くも、不況対策、経済対策はともかく、共産主義は支持しない。
 それでもルーズベルトが選挙に勝ったのは、不景気とフーヴァー政権の対策が後手後手で楽観視し過ぎで、とにかく酷かったからだ。
 そうした感情を少しばかり助長したわけだけど、色々と連動して悪い流れになっていた。

 その頃、1933年2月から、アメリカでは銀行の取り付け騒ぎが起きていた。3月頃には順次拡大して、ほぼ全米に広まった。
 これに対して各州は、勝手に休業日を設定して取り付け騒ぎの阻止を狙ったけど、バラバラでは効果も限られている。

 そしてこの件は、フーヴァー政権時代から財務省が中心になって対策プランを作っていて、ルーズベルトも倒れる前に政策の実行を行った。けど、法案が通過した時点では既に風邪で倒れていて、その効果が出る時は病床だった。当然何もできない。
 けど、この件に関しては、上手くいったと言われている。ルーズベルトはゴーサイン出しただけだけど、それが大統領の仕事だ。

 ただそこから3週間以上、政治の動きが停滞してしまう。無理を押して良いスタートダッシュを切ったのに、効果を無駄にした形だ。
 倒れるまでに提出された法案も議論こそされたけど、肝心の答える人、通そうとする強い意志を持ったルーズベルト大統領が不在なのだから、審議が進むわけがない。
 それ以外でも、ガーナー副大統領が好き勝手するわけにもいかないし、迅速な政策を実施するわけにもいかないから、新政権の政策は遅々として進まず、全てが停滞した。

 だからだろうけど、ルーズベルトが復活してからは1ヶ月の遅れを取り戻すように『ニューディール政策』に邁進した。けど、色々と無理があった。何より、急に進めるには説明不足だった。
 そしてよく分からない事に対して、議会も国民も否定的だった。この数年で積み上がった、反共産主義の雰囲気が邪魔をしたのだ。
 それでも徐々に政策は実施されていったけど、遠くから見ている限りは今ひとつな感じがあった。

「景気対策はともかく、アメリカで共産主義が不人気なのは良い事ね」

 その程度しかコメントのしようがなかった。
 ルーズベルトの就任式からしばらくは、私はそれどこじゃ無かったからだ。

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