■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  305 「昭和三陸地震」 

 私は地震の来る日は知っていたけど、何時に来るか知らなかった。
 それに仮に詳細を知っていたとしても、「この日、この時間に地震が起きて大津波が来ます」と言ったところで、胡散臭い予言の類にしかならない。何しろ日本は地震大国。適当に言い続けていたら、そのうち当たりを引くレベルで地震が起きる。

 だから出来る事は防災対策、物資の備蓄、災害救助体制の整備、それに緊急連絡網の整備くらいだろう。
 勿論、避難の啓蒙活動もした。三陸は明治時代にも大津波を経験しているから、経験した人がまだ生きているから、この点では啓蒙活動はしやすかった。また、多少だけど援助を出して高い場所に住むように指導したりもしている。

 そうした中で、釜石には大きな防波堤を建設した。こちらも明治時代の教訓を活かすため、そして釜石の製鉄所を守る為で、政府も鳳が寄付とセットの働きかけをすると、賄賂抜きで動いてくれた。この辺りは、原敬の多大な尽力もあった。
 そうして私が方々で口すっぱく言ったおかげで、誰もが呆れた10メートルの大堤防が建設された。明治の津波体験のある人でも、5、6メートル堤防で十分とか言っていたのだから、記憶は薄らぎやすいって事なんだろう。

 そして釜石もそうだけど、岩手の沿岸は絶望的に津波に弱い。通常ならリアス式海岸の奥まった場所は天然の良港となるし、実際漁村が多い。と言うか、山が沈み込んだような地形だから、平地がない。山からすぐに海って感じだ。だから高い場所に逃げるのは、比較的容易いように思える。
 ただ、津波到達は最短で確か30分程度。2011年でも、短時間で到達した津波で犠牲になった人が大勢いた。
 この世界でも明治時代の大津波では、2万人以上が犠牲になったと記録されている。

「……さま、お嬢様。起きてください!」

 誰かの声。最初は夢と思ったけど、体が揺れている。いや、揺らされている。誰かが触れている感触がある。

(リズか。……リズも日本語上手くなったなあ)
 
 ぼんやりと夢心地でいると、耳元で英語の大声。

「早く起きやがれ! このクソガキ!」

「イエス、マァム! エッ?! 何、何?」

 反射的にベッドで上半身を起こしたらしい。私がキョロキョロすると、ベッドのすぐそばで赤髪・碧眼の美少女がお辞儀をする。他に人はいない。今夜の番がリズって事だ。
 そして徐々に覚めて来る頭に、リズの言葉が流れ込んで来る。

「お嬢様、地震です。かなり揺れました」

 地震という言葉が頭に染み込む。
 3月3日は、大きな地震が起きたら深夜でも起こせと命じてあったので、リズはそれを忠実に果たしたわけだ。

「どれくらい? 気づかなかった」

「私には分かりません。私はかなり揺れたと思いましたが、他の方は大した事ないという反応です。ですが」

「うん。地震は、東京じゃなくて多分三陸沖。みんなを起こせるだけ起こして来て」

「既に他のメイドや警備が行なっています」

「時間は?」

「午前2時36分。地震から3……4分経過しました」

 言いながら、リズが自身の腕時計で確認する。三陸沖で大地震が起きたとしたら、向こうが1分くらい先に揺れている。陸での揺れは大した事ないけど、これが三陸沖だったら大ごと確定だ。
 何しろ、東京でもリズがかなり揺れたと表現する揺れだ。地震のないアメリカ東部出身のリズは、震度3程度でもかなり揺れたと感じる。最低でも、東京でそれくらい揺れたという証明だ。
 東京で震度3なら21世紀の地震よりマシだろうけど、私は津波で大きな被害が出た事を知っている。

「東北への連絡は? 避難誘導は? 鳳ビルに向かうわよ」

「はい。ではお召替えを」

「そんな時間はっ! フゥ。……私が騒いでも仕方ないか。事前に決めた通りなら、もう東北への緊急連絡はしているだろうし。リズお願いね」

「はい。畏まりました」

 私が着替えて居間に入る頃には、鳳の本邸は完全に目覚めていた。私が居間に入ったのも、麒一郎の張りのある声を聞いたからだ。

「お父様おはよう、って時間でもないか。続報は?」

「分からん。だが、東北でかなり揺れたのは確定だ。電話と電報で、仙台などから色々情報は取れた。事前に準備しておいたお陰だ」

「けど問題は津波よ。避難は?」

「鳳ビルなんかから、呼びかけられる限りの手段で呼びかけさせている」

「政府は?」

「方々に連絡はさせている。ただ、まだ半信半疑だ」

「東北から、地震の電話や電報きているでしょうに」

「だが津波の報告はまだない。……一番近くはそろそろか」

「うん。逃げているかは、もう祈るしかないわね」

「そうだな」

 お父様な祖父も、それ以上の言葉はない。
 昼間ならまだしも、人が一番寝静まっている時間の地震だ。そして震度4から5程度の筈だから、地震だけなら楽観する者もいるかもしれない。
 沿岸部での津波の啓蒙活動は、政府や自治体にも口すっぱく言ってしてもらっていたけど、深夜の地震から30分で第一波到達とか、もう絶望しかない。

 その後、朝の4時くらいになると、ようやく政府が動き始めた。もう年の犬養首相も、首相官邸から積極的に指示を飛ばし始め、まずは情報収集に動く。
 鳳からの第一報は意外だったらしいけど、地震そのものの報告は政府機関、他の財閥も情報は当然掴んでいたから、そこまで訝しがられたりはしなかった。
 津波に関しても、明治三陸地震の話を持ち出したので、年配の者ほど納得してくれた。

 けど、津波の被害自体はどうしようもなかった。夜が明ける前に津波は大半の場所に到達して、主に岩手、宮城に甚大な被害をもたらした。
 特に、震源地に近い岩手、入り組んでいて津波が高くなりやすいリアス式海岸の岩手の沿岸部での被害は甚大だった。中には村が完全に全滅状態となった場所も出た。
 けど、堤防を作った釜石の主要部は、その大堤防が何とか津波を防いでくれた。これで、人々の認識がまた新たになるかもしれない。

 そして初動として、政府には一応許可を得た上で、援助の人と物資を私費、自前で送り込ませた。
 けど、あまり勝手に動くわけにもいかない。速度は大切だけど、政府組織や地元と足並みを揃えてこその救援だ。

「炊き出しの食料に保存食、水、毛布、天幕、暖房器具、着替え、当面の生活道具。こうして数え上げると、軍隊の装備を丸ごとあげたら良いんじゃない?」

「玲子は相変わらず無茶言うな」

「けど、野戦用の装備なんて、すぐには要らないでしょ。あとで新しいの補充すれば良いじゃない。どうせ同じだけのお金使うわけだし、在庫処分にもなるじゃない」

「確かに。陸軍なら日本中に駐屯していて、装備も準備されているから有効かもな」

「でも、運ぶのはどうするの?」

「軍隊だから、軍人さんに運んでもらえば? 船もトラックも沢山持っているでしょ」

 鳳の子供達も、少しでも出来る事をと、書類仕事などを手伝っている。まだ中学生が手伝う事じゃないけど、私達の学力なら特に問題はない。経験値は全然だけど、それは大半の大人も大した違いはない。
 そしてその大人達は、他の事に精を出してもらっている。災害直後の今は、一人でも人手が欲しい時だ。

「関東大震災でも、海軍の艦隊が出動したりしているしな」

「陸軍の天幕とかも貸し出したって資料を見た事あるぞ」

「そうなんだ。でも、今回は無理だね」

「そうなの、玲子ちゃん?」

「意見書は、前からお父様に出してもらっているんだけどね。大きな天災は国難だから、軍が力を示す時だって」

「戦うだけが軍隊じゃないって、なんだか斬新だな」

 玄太郎くんの言葉は、私に軽い違和感を与える。21世紀の日本からやってきた私としては、軍、と言っても自衛隊が救援活動するのはむしろ当たり前だった。けど、軍人が沢山いるこの時代は、関東大震災で少し頑張ったくらいだ。
 けど、異を唱えたのは、ちょっと意外な龍一くんだった。

「確かに、国を護るのが帝国陸軍の第一の勤めだ。でもな、その中に民を救う事が含まれるのは、俺はむしろ自然だと思えるぞ」

「なるほど、民を救うのも護る事だよね」

「お兄ちゃん、たまには良い事言うわね」

 「たまにはないだろ」の龍一くんの返しで、みんなが小さく笑う。けど、私としては嬉しい笑いになった。

「それじゃあ龍一くんが、そんな陸軍にしてね」

「ああ。だが、これは俺の独創じゃない」

「じゃあ誰なの?」

「瑤子、父上がおっしゃっていたのを聞いてなかったのか?」

「そんな事言ってたっけ?」

「なんだ、お兄様の発想だったんだ。感心して損しちゃった」

「玲子も、それはないだろ。父上の視野が広いのは勿論だが、俺も同じ考えだ」

「それもそうね。じゃあ、お兄様と二人で、戦う以外でも国に尽くす陸軍作り頑張ってね」

「うん。任せろ。父上となら何でも出来るだろう」

 大津波で東北は大変だけど、そんな中に小さな希望を見た気がした。

 その後、三陸の地震というより大津波で、鳳ができる事は民間レベルでの救援活動、募金の呼びかけ、政府への100万円の復旧事業費用の献金。
 そして東北での、土建業を中心とした当座の職場を提供する復興事業。さらには東北での経済振興の為の、新規工場や企業の進出になる。

 そしてここで、東北への大規模な開発を震災復興や再開発という事で、大手を振って行う事が出来るようになった。
 他地方から東北を贔屓にしているという反論も、震災復興で黙らせる事が出来る。しかも近年は豊作や凶作による米価低下、所得の減少で東北は苦しんでいる。
 1930年くらいから、土建業を始まりとした開発を推し進める事で労働力を吸収して、所得の向上にも努めていたけど、これを促進させる事ができる。
 そしてこれ以後の鳳グループは、地盤の瀬戸内海、一族のいる関東中心部、そして東北が主な進出範囲となっていく事になる。

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昭和三陸地震:
1933年3月3日(昭和8年)
M8・2〜5、最大震度4
死者1522人 行方不明者1542人

明治三陸地震:
1896年6月15日(明治29年)
M8・1、最大震度5
死者・行方不明者21,959人

100万円の復旧事業費用の献金:
史実での日本政府自体の震災対策の為の追加予算は、総額で630万円。

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