■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  314 「昭和8年度鳳凰会(1)」 

「今年も、盛り上がっているわねぇ」

「好景気ですからな」

 私の感嘆に、時田が答える。
 鳳ホテルの大宴会場に人が徐々に入ってくるのを眺めながら、のんびりと隣席する男達に語りかける。
 今回は、オッサンどもが食前のタバコタイムの間に宴会場に入って、人間ウォッチングをしている。

「アメリカも注目しているほどです」

 さらに貪狼司令も続くので、そのまま目の前の情景を前に雑談に興じる。

「アメリカからのお買い物は、当面の8割がた終わったんだけどねー」

「日本政府の政策を、社会主義者達がニューディール政策のテストケースと見ているのでしょうな」

「日本とアメリカの基本的な経済構造が違うのに、参考になるわけないでしょうに」

「それでも、資本主義国での大規模公共投資です。アメリカだけでなく、ドイツからの関心も高いようです」

「ドイツねぇ。手形の大半をこっそり軍備に突っ込むのに、参考になるのかしら?」

「どうなのでしょうな」

 時田がそう返すと、3人で小さく笑う。少なくとも、今の日本、今の鳳は笑っていられる。
 そして笑っている場は、懇親会の『鳳凰会』が催される大宴会場の上座。まさに、勝者が笑うべき場所。一方で、このところ定位置となっている鳳当主名代の席。
 お父様な祖父の麒一郎が出席する事はないので、もはや私の席だ。

 そして左右は、筆頭執事の時田丈夫と鳳総研の貪狼純一の二人。
 日本ではまだまだだけど、鳳グループ内で綜合研究所、シンクタンクの重要性がようやく認識されるようになってきたからだ。ただ貪狼司令は、衆目の目に晒されるのは苦手らしい。
 また、副執事のセバスチャン・ステュアートは欧州出張中なので、今回は欠席だ。

 上座の別のテーブルは、中央が善吉大叔父さん達グループの中枢。私の反対側が金子さん以下、鈴木系列。
 本来なら鳳商事の時田は中央テーブルなのだけれど、私の筆頭執事という鳳伯爵家の序列優先という名目で、私と同じテーブルになる。

 一方、地位が向上したというのなら、紅家のテーブルも蒼家に準じるところまで引き上げられた。一番の理由は、製薬、病院、さらに学園の事業拡大だ。
 けど、32年に紅龍先生が二度目のノーベル賞を受賞した事や、陛下に近いというのも影響している。

 それに鳳としても、一族内にノーベル賞受賞者にして陛下に近い人物、さらに一族内の別の華族をこうした催しに出す事には政治的な意味もあった。
 しかも紅龍先生は、昨日の午後には日比谷公会堂で講演会も行っている。わざわざ昨日開催したのも、半ば鳳の社長会の宣伝の為だ。

 そして宣伝しているように、今年は土曜から3日間、鳳ホテルを中心として様々な場所で、鳳グループの多くの会議や商談が行われる。
 世の中好景気で気分的に騒ぎやすいのと、他の財閥も似たような派手な社長会をしているから、その対抗上だ。
 要するに、鳳グループの勢いを見せる為のイベントになっていた。

 そして勢いのある鳳グループだけど、急速な規模拡大に伴ってグループ内での勢力争いや序列争いが苛烈になっている。
 鳳グループが、他の財閥と違ってグループという横並びのマトリックス構造の組織だからだ。
 日本の他の財閥では、こうはいかない。一部の財閥が鳳を見て改革に乗り出しているけど、かなり苦戦している。
 一見順調な鳳グループも、それなりに苦労はしている。ただ、基本的なトップ集団というか、所謂『御三家』は固定状態だ。

 将軍家と言えるのが、鳳金融持株会社、通称鳳ホールディングス。
 御三家筆頭が、前線司令部の鳳商事。そしてこの春に組織改編で社名も新たにした鳳重工業は、鳳グループの重工業部門の総元締めでもある。そして3つ目が、日本で独占状態に入りつつある鳳石油だ。3つとも、単に歴史だけでなく、規模が大きいというのが理由だ。しかも一族の支配度合いも強い。

 そして将軍家と御三家の下には、当然、譜代や親藩、そして外様が並んでいく。
 紅家関連の製薬、病院、学園は、親藩扱い。本来の意味だと紅家自体が御三家の一つになるけど、この辺はいい加減だ。
 続いて鳳の古参企業が譜代になる。ただし、鳳貨物、鳳不動産、鳳建設の3つは異常に規模拡大が続いているので、御三家の座を狙っていた。

 ただし、他の財閥がそうであるように、鳳不動産は財閥の根幹企業として直下に置かれる場合が多く、鳳グループも鳳ホールディングスの下に置く措置が行われている。以前はそれ程大きな規模じゃなかったけど、もはや日本有数の不動産会社となってしまったので自立させても良いが、中央直轄にするのが自然だ。

 また、旧鈴木商店から鳳の直下に入れられた企業も、一応は譜代扱いだ。
 この中だと、ほぼ立ち上げ前に飲み込んだ窒素工場と播磨造船が大きくなっている。特に播磨造船は、巨大ドックを複数構え、世界的にも革新的と言われる巨大な貨物船やタンカーを次々に建造する、日本だけでなく世界的にも注目される企業に急成長しつつあった。
 影響された日本の造船各社も、同じ方向に向かいつつある程だ。

 そして鈴木商店の統制下にある企業は、基本外様だ。この中では、鳳の影響力も強く製鉄会社になりつつある神戸製鋼が微妙な立ち位置なくらい。
 また、東洋工業(松田)、小松製作所、川西飛行機は系列会社に当たるけど、ほぼほぼ鳳グループでの外様だ。豊田は、精々影響下や協力関係に落ち着いていた。

 川西の場合は、阪神地方の地方財閥である川西そのものが、半ば系列に組み入れられている。そうしておかないと、川西飛行機がいつ海軍に飲み込まれないとも限らない。
 他にも、幾つかの企業が、似たような状態になっている。中には、私が聞いた事のある社名もあった。

 さらにここ数年の拡大で新たに誕生した企業は、大名扱いではなく、将軍家の直轄領という意味合いで『天領』や『代官』とか呼ばれている。
 代表格が、すでに操業開始している姫路の広畑を最初の拠点とした鳳製鉄だ。他にも鳳スーパーなどがある。

 そして最後に、組織の外にいる企業の立ち位置が変化しつつあった。
 その企業とは国際汽船だ。元々は川崎財閥などが立ち上げた会社で、鈴木から鳳が手に入れ、さらにほぼタンカーしか持っていない鳳商船を合流させた会社だ。当初の出資率は約33%。株主全体としては、4割以上の川崎が一番だった。

 けど、鳳が次々に大型タンカーや大型の鉱石運搬船などを作らせるから、この5年ほどで全体の船舶量を50%ほど膨れ上がらせていた。しかも、これからもさらに大きく増える予定だ。

 単純な量で見ると、鳳が合流する前の国際汽船の船舶量が約55万総トン。これに鳳が13万総トン。合わせて68万総トンで1927年春に再スタート。
 これの約50%割り増しの約103万総トンが、1933年3月までの保有量になる。大型船ばかりなので数は少ないけど、35万総トン増えたわけだ。他の会社、というか世界中見ても、殆ど船舶量を増やしているところがないので、普通に見るとかなり異常な状態だった。

 もっとも、この先の方が今までにない大型船がどんどん就役するから、数ではなく総トン数は大きな上昇カーブの予定だ。連動して、鳳グループが使う港や岸壁は、従来から考えると異常な程の数字なのだそうだ。
 私的にはまだ小さな数字に思えたけど、この時代の諸々の技術を思えば異常らしい。5万トンの客船があるんだから、積載量10万トンのタンカーや貨物船があっても良いと思うけど、無茶な注文に応えるべく現場は大変らしい。

 それでも去年、1932年夏には最初の大型の鉱石運搬船が完成して、既に次を建造しつつある。そして増えた35万総トンのうち、約8万トンがこの2隻に当たる。
 普通は最大でも1万総トン程度だから、4万総トンは破格の大きさになるらしい。

 一方の一番の大株主の川崎も、鳳が沢山発注したお陰もあって経営状態が比較的良くなっていた。そこで国際汽船と旧鳳商船との分離を図るかどうかで、去年くらいから議論が重ねられている。
 ただ鳳としては、国際汽船は他の財閥と協調する数少ない太いパイプなので、分離や再独立の話は断っている。

 何より国際汽船には、川崎以外にも浅野財閥が三番手の大株主にして船主で関わっている。浅野財閥といえば、払込資本金額でいえば五大財閥に匹敵する大財閥だ。
 機関銀行を安田財閥に託した形なので産業財閥とも言われるけど、あらゆる産業に手を伸ばしているので、鳳としては可能なら一定程度の協力関係も結んでおきたい財閥だ。

 特に、日本のセメント王であり、築港、沿岸開発の最大手なので、鳳の大きな取引相手になっている。
 現時点での一番大きな事業としては、どでかい一貫製鉄所を作るべく、千葉の君津の埋立事業を鳳との共同で行ってもらっている。
 それに浅野財閥は、浅野総一郎が一代で築き上げた財閥で、成り上がるまでの鳳から見れば三菱同様に先を進む存在だ。そして成り上がってからも、それなりに付き合いやすい財閥でもあった。

 そこで鳳の側から、うちの荷物を運ぶ船を川崎、浅野保有で作ってもらい、ある程度バランスを取る方向で話が進んでいる。
 また、1932年から始まった政府による『船舶改善助成施設』の鳳の割り当てを、川崎や浅野に権利を渡すことでもバランスを取った。

 『船舶改善助成施設』は、古い船を政府の補助で新しい船に置き換えるのだけれど、鳳は政府の指導がなくても古いタンカーを数年先に新しい船を作る時に入れ替える予定だし、新しい船が圧倒的に多い日本で唯一の船主だから、はっきり言ってあまり必要がない。
 そんなこんなで、国際汽船はまだ鳳の関わりがある会社だ。この社長会にも、代表がやって来ている。

 そして今年の社長会は、政府の大規模な積極財政と、主に鳳が動き回って、買い物しまくった事で発生しつつある未曾有の好景気の興奮に震えていた。
 
 

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国際汽船の船舶量が約55万総トン:
1920年台半ばまでは、北樺太保有などで史実より10%増で想定。これは日本全体でも同様を想定。
これに鳳保有分が別に加算される。

浅野財閥 (あさのざいばつ):
浅野総一郎が設立した財閥。
財閥の機関銀行を持たないのが特徴。
産業財閥と言われることがある。

船舶改善助成施設 (せんぱくかいぜんじょせいしせつ):
日本政府が1932年(昭和7年)から1936年(昭和11年)まで3次にわたって実施した、スクラップアンドビルド方式の造船振興政策。
昭和恐慌後の景気回復に効果を発揮。

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