■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  315 「昭和8年度鳳凰会(2)」 

「それでは、昭和8年度鳳凰会を開催します!」

 毎年聞いているお決まりの言葉で、鳳の社長会が始まる。
 そして私は、鳳伯爵家の名代として一言だけ挨拶したら、あとはご飯を食べるだけ。

 鳳グループかその関係者のトップしか出席していないから、私が陰でこっそり会う人もいない。グループ内の事なので、事前に抜け駆けやサプライズも厳禁というお達しも出ている。
 それに、私の化けの皮の下を知っている人は、鳳グループ内でも極僅かなので、珍獣かぬいぐるみを演じておけばいい。鳳宗家、蒼家の長子が出席したという事が、鳳グループと鳳伯爵家にとって重要なだけだからだ。

 ただし出席する社長達、社長について来た重役や側近達にとって、鳳グループが一堂に会するという事は非常に価値がある。そして年々その価値が高まっている。
 まだ移動が大変なこの時代に、日本中からトップが集まるからだ。そして急速拡大中の鳳グループは、日本各地での展開が年々増加していた。

 財閥本家のある帝都、鳳重工の古くからの地盤である神奈川を中心とする関東。鈴木の地盤の神戸を中心とする京阪神。そして両者にとっての本来の地盤と言える瀬戸内一帯。これが30年くらいまでの鳳のテリトリーだ。

 けどこの数年で、瀬戸内はもはや全域に展開しつつある。神戸から下関まで、各所に巨大な工場が沿岸部に生まれつつある。これらは街丸ごと作るほどの場所も少なくない。『列島改造』の面目躍如だ。
 さらに関東、信州には、繭の暴落、生糸産業の打撃の救済を目的として、精密機器などの工場が信州と北関東に進出しつつある。私が前世で知るように、空気と水が綺麗な諏訪がゆくゆくは一大拠点となるだろう。

 また豊作飢饉を契機として、東北にも広く展開しつつある。ただ東北は、明治以来の政府の中ば嫌がらせもあって、社会資本の建設が他に比べて遅れていた。原敬が鉄道を引き道を作るわけであると、納得しそうになる。
 ただ東北は使える平地が少なく人口も少ないので、その道を使うものも少ないのが事実だし、意外に平地が少ないから、産業も育てるのに適した場所が思ったより限られている。

 取り敢えず、原敬の助力もあって公共投資をぶっ込み、そこら中に土建屋を作らせ、舗装道路などの建設から動かしている。そして人口の多い平野部の新潟、仙台あたりを中心に地方に置いて問題ない工場を置くべく、工業団地の造成へと進んでいる。
 新潟の方は、理研、理化学研究所が手を伸ばしつつあるから、連携できる場合は連携するようになりつつある。
 また福島の県境あたりには、土木機械を大量投入する前提でのダムと水力発電所工事が動き始めていた。水と電気は、工業化促進に必要なものだ。

 それでも、さらなる大飢饉には対処しようがないので、開発がすごい勢いで進み始めている帝都の方に、出稼ぎ、集団就職の強力な斡旋が政府の方針もあって進められるようになっている。
 こうした動きを、地主層による農業の機械化が後押ししている。また、三陸沿岸を中心とした震災復興を急速に進める事で、一種の公共投資拡大としている。

「こうして見ると、鳳グループって全国展開に近いのね」

「そうですな。鈴木系列を含めると、完全に全国展開と言えるでしょうな。うちは満州に、鈴木は台湾や南洋にも手を出しておりますので」

「それに北樺太もね。……半島は?」

「鳳商事の小規模な支店があるだけです。他の財閥のなわばりですので」

 両隣の時田と貪狼司令と、遠目には笑顔のままで会話をする。まあ、私達だけじゃなくて、他のテーブルも話す事と言えば事業や経済、景気の話ばかりだ。

「そう言えばそうね。まあ、無理に進出する必要もないか。満州には、さらに足を突っ込まないといけないし」

「左様ですな。今月半ばにも最初の調査隊が出ると、出光より報告が来ております」

「ターチンか。私が行くまでの下準備?」

「既におおよその位置は聞いているので、出来れば自力で見つけたいとの事でした」

「出光さんらしいわね。政府や財界の方は?」

「予定通り、現在は事前の根回しまで。試掘で見つけてから、本格的に働きかけます。皆様半信半疑ですので、実際に見つけた夏以降になるかと」

「その件で、一つ」

 貪狼司令が、いつものボソボソ声をさらに一段落して来た。深刻なお話かもしれないので、耳に神経を集中させる。

「うちが満州のどこかで新たな油田開発をするという噂が、ごく僅かですが御座います」

「誰かさんがお漏らししたのね」

「はい。内偵中ですので、近日中には何かご報告できるかと」

「了解。けど、泳がせておいて。糸の先がアメリカの王様達だったら事だし」

「それですが、日本石油が三菱石油などと組んで、動いているようです」

「内地と北樺太油田の親玉がねえ。うちの獲物を横取りして、トップに返り咲こうって? 世界を知らないと、考える事が大胆になるのね。まあ、あの油田の価値が分かる筈もないか」

「井の中の蛙とはよく言ったもので」

「それは言い過ぎ。けどまあ、油田以前に水島のコンビナートが動き出したら、鳳に歯も立たなくなるもんね。とにかく、アメリカの王様達に告げ口しとくわ」

「宜しくお願い致します」

 これでこの会話はおしまい。そして私が告げ口した時点で、アメリカの王様達は日本に石油の採掘機械を融通するのを止めるだろう。告げ口しなくても、渡してない可能性も高い。
 そして、優れたロータリー削岩機がないと深くは掘れないけど、これを作れるのはアメリカやイギリス、ドイツ、それに日本では鳳くらいだ。そして大半が世界ダントツの産油国のアメリカだから、日本の他の会社は手に入れる事がすごく難しくなる。
 更に言えば、今の世界で一番深いところを掘っているのが鳳石油になり、この採掘のノウハウは貴重な財産であると同時に、優れた商品でもある。

 そして機械が手に入らなければ、試掘すらロクにできない。既に多少は掘削機械を手に入れているかもしれないけど、数がないと事業拡大が無理になる。そして、青田買いで沢山買える機械でもない。そんな馬鹿な事が出来るのは、現時点の日本では私くらいだ。
 もっとも私には、他に買うべきものが、まだまだ沢山あった。それを、こうして食事しながら、当事者を見つつ話す。これがなかなか乙なものだ。

「時田、広畑の次のラインの工事って進んでいるのよね」

「はい。夏までには2ライン増加し、秋には完全操業開始、年産200万トン体制に入ります」

「神戸製鋼も、さらに半年ずれで2ラインを先行稼働。2年後には君津も稼働開始。諸々合わせて4年後には12ライン、600万トンか。足りるかな?」

「今は勢いがございますからな。貪狼?」

 私が可愛い仕草付きで聞くと、時田が一瞬笑みを浮かべてすぐに、私越しに反対側へと声をかける。
 横並びだと、こういう会話は少し面倒だ。

「ハッ。総研の分析では、政府が現状の景気拡大を続ける限り、また満州進出と張作霖政府への武器輸出が続く限り、日本の他の製鉄所が現状の二倍の生産量にしても、追いつかない可能性がかなり高いと試算しております」

「かなりの楽観論ではあるけど、それを見越してのうちの生産計画だけど、上方修正の方向で進めましょう」

「……宜しいのですかな?」

「5、6年先に後悔したくないし、戦争がなくても10年後には元が取れるわ」

「畏まりました。ですが、法律を盾に溶鉱炉新設の認可が政府から下りない可能性が高いかと」

「……作りすぎで、鉄がダブつかないようにってやつね。需要があれば、嫌でも許可するわよ。操業開始は、遅くとも6、7年先を目標に動いて」

「畏まりました。それで今度は自力で、それとも輸入?」

「株のあぶく銭がまた増えたし、取り敢えず4ラインはアメリカから買いましょう。カーネギーには恩もあるし。それ以上鉄が必要なら、いい加減自力開発を本格化させましょう」

「畏まりました。しかしそうなると、政府が進める鉄鋼合同に対しては、ますます問題かもしれませんな」

「『日鉄法』か。けど、うちは声かけられてないでしょ?」

「はい。うちの工場は実質アメリカ製。しかも最新型。日本の他とは資産価値が違います。その上、事業計画込みだと非常に大きな金額です。合同の為に政府が買い上げるにしても、そんな金がないというのが実情。買う為に金を刷ったら、インフレにまで響きかねません」

 貪狼司令が薄い皮肉げな笑みで愉悦気味に答えるから、軽く溜息を返しておく。

「けどそれだと、日本全体の足並みが乱れるでしょ。合わせて、鉱工業分野でも合同するって話だし」

「その件ですが、すでにうちの神戸製鋼は、製鋼所から製鉄会社への転身中ですが、鳳とほぼ同じ扱いで打診されていません。予備交渉の値下げ交渉でも、金子様が安すぎると蹴りました。連動してというわけではありませんが、川崎造船も打診前に不参加を表明しております」

「それに浅野の日本鋼管・浅野造船所・浅野小倉製鋼所の3社も、資産評価に不満があるとして参加を保留しておりますな」

「浅野さんとは、連携の模索はしておいて。勿論、川崎さんとも。あと、価格に関しては、あちらに合わせてあげて。大きな船も揃ってきたし、どうせうちの方が量産効果で安く作れるでしょう」

 そう言い切ると、時田は小さく頷き、貪狼司令がいつものごく薄い笑み。
 そしてこれで鉄の話も終わりなのだけれど、最後に気になる事が頭に浮かんだ。

「そう言えば、発足は来年頭よね。資本金はどれくらい?」

「半数以上が八幡製鐵所になりますので、かなりの額です。総研の予測では 資本金3億4、5千万円」

「……そんなもんなんだ」

「設備が設備ですので随分大きな数字ではありますが、これが本来の日本の『力』、という事ですな」

 憮然とした私を、時田がたしなめてくれた。
 相変わらず、私は常識に欠けていたらしい。けどこの点は、私的には仕方ない。21世紀の受験勉強で覚えた数字は、鉄の生産量で見ると億の単位だった。現在の数百万トン程度だと端数だ。端数。
 だから、軽くほっぺを膨らませておく。

「武器輸出に油田開発、船の増産、それに諸々の鉄骨、鉄筋建築の激増で、鉄はいくらでも要るのよ。うち以外が、及び腰すぎるのが原因じゃない」

 ただ私の認識は、統計数字の上では確かにおかしい。
 1932年の日本の粗鋼生産量は、不景気の影響で320万トン程度。これも鳳が事業拡大を強引に進めたり、献金した結果、1割くらいは増えていると総研は数字を弾き出していた。今年は、好景気と政府の大規模な公共投資もあり、500万トンを目指している。
 そのうち120万トンは、鳳の広畑製鉄所の分だ。しかもうちは、設備はアメリカ製の最新型、鉄鉱石はオーストラリア産、銑鉄も全部自前の一貫生産だから、鉄の質が日本の他より高い。

 クズ鉄や他から銑鉄を持って来る平炉を使っている工場は、この競争の中でその気が無くても駆逐してしまうだろう。
 増産しても石炭が足りないとか言い始めたから、満州の熱河にフーシュンと似た名前の炭鉱を見つけておいた。
 機械化による生産体制が整えば、筑豊炭田以外の国内と同規模の年産1000万トンくらいは露天掘りで掘れるようになるだろうとの報告。合わせて、石炭運搬用の大型バラ積み船も建造予定だ。

 日本が世界情勢の袋小路に追い詰められて、資産凍結や禁輸を喰らわない限り、製鉄での鳳の当面の勝利は確定したようなものだ。

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日鉄法:
1933年(昭和8年)4月に製鉄合同の基礎となる「日本製鐵株式會社法」(日鉄法)が施行。
日本国内の銑鉄生産の9割近くが一つになる。

フーシュンと似た名前の炭鉱:
フーシン炭田。熱河省にある。埋蔵量40億トン。一部露天掘り。現代の技術で採掘すればマックス年産2000万トン採掘可能。
ちなみに、日本が以前から南満州に利権を持っているフーシュン炭田は、埋蔵量140億トン。一部露天掘り。

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