■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  342 「鉄と金」 

「日鐵設立か」

「ようやくと言った感じですね」

 週明けの夕食後、セバスチャンが屋敷にわざわざ報告に来てくれた。せっかく日本に帰ってきたのに最近顔を見てないから、そこまで重要な情報じゃないのにわざわざ足を運んだらしい。
 私の仕事部屋には、他に部屋の隅のシズしかいない。

「買収される覚悟してたんだけどねー」

「大蔵官僚が、鳳の事業計画に顔を青くしたのは、半ば語り草です」

「まだ2億ドルにも達しないのに、肝の小さい事で」

「全くで。その一方で、商工省は鳳製鉄に生産量の増加を求めてくる始末ですからね」

 そこでアメリカンらしく肩を竦める。
 日本の縦割り行政に呆れているわけだ。私も強めの苦笑いで返す。

「次の内閣に期待ね。まあ、犬養さん的には念願の首相にもなって2年も続けたから満足してるみたいね。だから政友会は、景気の良いうちに総選挙で次も政権を確保って路線みたいだし、今は政友会内の腐敗も知れているから勝つんじゃない」

「問題は、誰を頭に据えるかですね」

「取り敢えず、景気拡大路線をそれなりに続けてくれるなら、誰でも構わないわ。うちも鉄を沢山作るものね」

 1月29日、日本製鐵株式会社(日鐵)が設立された。これにより、鳳を除く日本の製鉄の約9割が一つの国策会社の元に集約された。

 これはほぼ官営で、設立時の株式の8割以上を大蔵省が持っていた。もっとも中核は、日本の近代製鉄の始まりであり日本全体の生産の約半分を担う官営八幡製鐡所。だから当然と言えば当然の結果。

 合流しなかったのは、鳳以外だと日本鋼管を抱える浅野財閥系、川崎財閥、それに鳳傘下の神戸製鋼。他にまだ2社ほど日本製鐵に合流していないけど、準備が整い次第合流する予定らしい。
 1933年の粗鋼生産量の実績だと、鳳以外が370万トン。今年の増加予測は、全て合わせて50万トン程度。
 ただし来年と再来年には、八幡製鐡所の大きな高炉が1つずつ増えるから、生産量も大きく伸びる予定になっているという予測だ。
 そして増やさないと、旺盛な国内需要に追いつかない状態だ。何しろ増産しても、1割程度の鋼材を輸入しているほどだ。

 対する鳳の去年の実績は、広畑製鉄所の130万トン程度。しかし今年に入ると広畑製鉄所がフル操業を開始するから、生産量は200万トンに増える。
 それに春には神戸製鋼の2ラインが動きだし、今年だけで50万トンはいける。合わせて250万トン。他と同規模の製鉄所を作る千葉の君津も、埋め立てから基礎工事に移りつつある。

 4年以内の1937年には、鳳だけで600万トンの生産が可能となる。そして総研の予測では、日本の他の生産量を超える予定だ。
 向こうが日本製鐵なら、こちらは神戸製鋼と正式合併して『帝国製鐵』か『皇国製鐵』にでも名前を変更しようかという話が出るくらいだ。
 浅野、川崎両財閥との連携も進んでいる。余分に作った質の高い銑鉄は、平炉を使う他の小さな製鉄所にもかなり回している。

 ただし日本製鐵は、鳳の動きを見てさらに攻めの姿勢を見せる可能性もあるし、鳳もさらに2年後には最低でもさらに200万トン上積みする。
 浅野や川崎も、日本経済のさらなる拡大もしくは戦時の経済への突入で、さらに増産、工場の増設の可能性だってある。

 そして日本の鉄鋼需要は、鳳総研の予測すら越える勢いで増えている。民間需要が多すぎて、陸海軍が自分達が使う鉄を心配するほどの勢いだった。
 だから、さらに前倒しでの拡張も計画されている。
 せっかく日本製鐵を作ったのに2大会社の競合状態だけど、何にせよ鉄の需要が民需で伸び続けるというのは、経済発展の上で実に好ましい。

 そして一見対立もしくは対抗し合っているように見えるけど、鳳側としては二人三脚を目指している。政府も、鳳の大きすぎる社会資本を買いきれないのが一番の原因だから、多少の嫌味と文句を言う者はいるけど、共同歩調をとっている。
 だから日本国内の需要が伸び続ける限り、製鉄業は特に問題はない。

 あえて問題を挙げるなら、鳳はオーストラリアから良質の鉄鉱石を全面的に輸入している事になるだろう。石炭は、各所で増産されているし、大陸に新しい炭鉱を一つ見つけたから、特に大きな問題にはなっていない。

 ただ海軍の方は、日本の超大型貨物船がオーストラリアにまで赴くようになったのは問題らしかった。
 私としては、海軍も一応は自国商船の保護については考えを巡らせているのだと、苦笑まじりにホッとしたものだ。

 そして既にオホーツクの油田とタンカー護衛用に、小型で軍縮対象外の護衛艦艇がかなりの数あるので、その南方航路型を幾らか作るか、似た感じの遠距離航海に向いた中型で低速の平時護衛用の軍艦を作る話が持ち上がっているらしい。

「製鉄の話はだいたい了解。それで、他の要件は?」

 ひと段落したので、お嬢様モードで机に肘をついてその手に顎を乗せて聞いてあげる。ただ数年前と違い大人並みの身長となったので、自分的にはもう可愛げはないだろうとしか思わない。
 けど、セバスチャンの目は眼福と言いたげだ。もっともそれも一瞬で、すぐに仕事の目に戻る。

「アメリカが、平価切下げを決定しました」

「遂に我慢しきれなくなったか。となると、フランスとイタリアの金本位制停止が先延ばしになる?」

「そうかも知れません。もっとも、イタリアの場合、あの経済状態では今更でしょう」

「前の大戦が終わってから、ずーっと不景気だもんね。そこだけは同情するわ。それで、いくら下げた?」

「40%。新たに、金1オンス=35ドルに固定されます。これでお嬢様が、大量に金に換えていた効果が出ますな」

(来ました、戦後の金本位制時代の金のお値段。この世界の先はどうなるか知らないけど)

「何か?」

「ううん。グラムでどれくらいかって、ちょっと思っただけ」

「1グラム1ドル23セント程となります」

「そんなもんか。って、よく考えたら、あんまり意味ない事聞いたわね。今までが1ドル=3円くらいだから、これからは2円50銭くらい?」

「双方のインフレを加えると、2円60銭と言った辺りになります」

「インフレかあ。所得向上と並んで伸びてたら問題ないんだけど、そうもいかないもんね」

「おっしゃる通りですが、日本の好景気は良性のものです。農村部、一次産業の数字は今ひとつですが、都市部、二次産業、三次産業の給与の伸びはインフレ率を大きく上回る好調さです」

「その農村が、今年大問題だけどね。まあ、この冬の最中に言っても仕方ないけど。それで、アメリカはどう出る?」

「勿論、平価切下げによる輸出促進でしょう」

「うちの買い物がほぼ終わったから、大きく落ち込むだろうしねー。しかも日本は、石油もくず鉄もいらなくなったし」

「お嬢様がこれを予測しておられたので、ドルを担保とした資金調達も当面は不要です」

「そんな事も言ってたわね。それで、用事はおしまい? まだあるんじゃない?」

 近日中にするのが分かっている話だったから、半ば前座として続けて聞いてみるとニヤリと笑み。
 と言っても、悪い笑みじゃない。朗報の類いらしい。

「ヴィクトリア・ランカスターの再婚が決まりました」

「おっ! 電報で?」

「はい。左様です。後追いで手紙も届くとの事。それともう一つ」

「何? そう言えばトリアの嫁ぎ先って知らないんだけど、それ?」

「そちらは手紙に記しているようです。電報は再婚が決まった旨と、手紙を託すので人を寄越したいとの事です」

「あれま。お手紙がよほど重要? それとも持ってくる人に何かある?」

「不明です。人数、性別すら伝えておりません」

「電報の続報があるのかもね」

「かも知れません……」

「で、セバスチャンは、何か読みがあるわけね」

 これが本題という事なんだろう。私も純粋に興味が湧いたけど、大体の予想はつく。

「ハイ。恐らく、トリアの代わりの人物、最低でもトリアとの連絡役が来るのではないでしょうか」

「まあ、その辺りよね。入れ替わりで来た人達、全員普通だったし」

「ですな」

「うん。それで目星でも付いているの?」

「いえ、まだです。向こうでも、それとなく動向は追わせているのですが、意外にガードが硬く」

「トリアは、古い家柄の名家なんでしょう。だからじゃないの?」

「そうですね、保守的ですので情報が出にくいという点はあります」

「それだけじゃない、か。お相手は、余程の名家かお金持ちってとこか」

「恐らくは」

「まあ、良いわ。王様達との連絡役はいてくれた方が良いし、今は『再婚おめでとう』って祝電で返しておきましょう」

「畏まりました」

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金1オンス=35ドル:
1971年の「ニクソンショック」まで、このお値段となる。

備考:
※1オンス=28・3495グラム

※為替レート(史実):
1933年 1ドル=3・95円
1934年 1ドル=3・39円

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