■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  347 「1934年春先」 

 新年度、4月に入るまでの議会が来年度予算の審議が大詰めの時期、日本では二つの事件があった。

 一つは3月12日の海軍で起きた「友鶴事件」。もう一つが、同21日の函館市大火だ。
 「友鶴事件」は、水雷艇『友鶴』が演習中に転覆して乗組員100名の死者を出したという惨事。
 一方の函館市大火は、詳細判明まで多少の時間を要したけど、2000名以上が命を落とした事が分かった。

 函館は、この時代北海道で一番の大都市だから、鳳としても政府と行政に見舞金を多めに包んでおいた。
 また、都市防災を検証する良い機会なので、政府とも連携して十分な調査も行うことにした。鳳は、既に多くの新規土地開発事業や実質的な都市建設を行っているので、この手の話に乗りやすいと同時に、再開発の受注を受けるという面も一応ある。

 海軍の事件の方は、偶発的ではなく人為的、というより最近の日本の軍艦は設計に無理がありすぎたという話で、海軍全体を揺るがす大事件へと発展しつつある。
 けど海軍の秘密主義のせいで、話が外に漏れてこない。
 それでも余程の事件だったらしく、本年度予算で決まる『A計画』も、内容が変更になると早くから言われていた。『蒼龍』ちゃん『飛龍』ちゃんは、少し後に要求過大と判明して15・5センチ砲を搭載しない設計に変更される事となった。

 一方では、軍縮条約に定められた21000トンの残り枠で、十分な能力を持つ空母を2隻建造するのは難しいという声がこの事件の時点で出ていた。しかも海軍全体で航空隊向け予算が増えていたから、より大型の空母を求める声も強まっていた。

 だからいっそ、残り枠をまずは1隻に集約して、軍縮条約明けとなる37年1月1日から2隻目を急速建造したはどうか、という議論になり始めているらしい。
 ただしこれは、次の軍縮会議の予備交渉待ちだ。

 海軍が、今後も軍縮条約をそれなりに守るつもりになっているので、話が変な方向に向かっている気がする。それに好景気で予算が増えたのに、有事に空母に改装する船ばかり作っても仕方ないという面もあるらしい。
 連動して、軍縮条約への不満が水面下でジワジワと高まっていると言う。

 また一方では、『@計画』で既に4隻も有事に短期間で空母に改装できる船を作ったから、正規の空母は急がなくてもという話もあるようだ。
 素人の私には、この話の流れが良いのか悪いのかいまひとつ良く分からない事案だ。けど、事件全体としては、無理な設計のままいざという時に問題が出るよりずっと良い筈だ。

 それ以外だと、私的に未発の事件は満州国がらみだろう。満州は依然として満州臨時政府のままで、国際的に見れば表向きは中華民国の自治政府の一つ、連邦構成国のような立ち位置のままだ。
 だから執政の溥儀が、皇帝に即位する筈もなかった。

 ただ、川島さんからの手紙だと、溥儀のフラストレーションは日々高まりを見せているから、なだめる毎日なのだそうだ。そしてその手紙では、いい加減『子守』に飽きた感が半端ない。
 そこで周りは、いずれ大陸全土を再び掌中にし、大清国が復興されるまで中途半端に皇帝に即位するべきではないと言う方向で、不満を鎮めているのだそうだ。
 
 そして満州の動きに対して、日本の態度は現時点でも変化していない。張作霖の中華民国政府を支援しつつ、満州を自治政府として分離した状態で、全ての実利だけ得ると言う形だ。
 満州事変から2年も過ぎたので、常に大陸市場について文句を言うルーズベルト政権はともかく、欧州列強は強引な分離独立とか言いださない限り、日本の好きにすれば良いと言う向きが強まっている。

 そして日本は、満州と張作霖の支配領域に用があり、イギリス利権の多い揚子江流域に用はない。一方の欧州列強も、大陸での自分たちの既存利権が確保出来るなら、それで文句ないわけだ。要は、19世紀の末から変わらない構図だ。
 しかも宇垣外相発案の、張作霖政府への借款と軍事支援をセットにした列強横並びの支援で、さらに欧州列強が文句を言う向きは低下している。

 最近では、張作霖政権がより安定するように、一緒にファンドを作ろうとか、中華民国政府が行い始めている通貨制度の改革、銀本位制からの脱却に共同で支援しようと言う話をイギリスなどからしてきている。

 世界恐慌の影響で、大陸中原の経済が深刻な金融恐慌状態にある為だ。
 ただしイギリスとしては、ドイツでのナチス政権成立によりヨーロッパが急にきな臭くなってきたから、極東情勢を少しでも安定化させたい思惑がある。

 ただ後者の方は、アメリカ政府が世界中からの銀の買い上げ政策を行っている政策も影響しているので、日本側は慎重な姿勢を見せている。
 そこでイギリスは、中華民国は満州の自主独立を認める、満州(日本)は大陸の通貨安定のために中華民国が持つ負債の幾らかを負担する、という案を提示。しかも張作霖は、建前より実利を取る方向。
 そして日本は、張作霖の中華民国も支持しないといけないけど、満州独立には大きな利点と魅力があるので、揺れ動いている。そしてどっちも日本の利権だから、片方を切り捨てられない。
 満州独立は、大陸の民衆から反発必至だから、迂闊に動けなかった。

 日本国内では、いい加減に張作霖を切れという意見もゼロじゃないけど、今まで肩入れして列強との協調路線にまで持ち込んだのに、簡単に切れるわけがない。
 だいいち、張作霖の政府は中華民国の国際承認された正当な政府だ。揚子江流域で勝手に動いている蒋介石らを抑える為にも、日本にとって必要だった。

 そこで日本としては、中華民国の通貨制度の安定化に協力するが、満州と内蒙古を中華民国の通貨流通範囲に含めないという案を逆提案している。
 要するに、実利を得るべく経済的に大陸中央と満州、内蒙古を切り離すという事。そして新たに登場した『元』がポンドやドルとリンクするのならば、満州を『円』のブロックに囲い込みたいのだ。
 欲を言えば、満州は独立させたいし、日本としては張作霖の主な支配領域がポンドとリンクするのは避けたいけど、大陸中央から満州を経済的に切り離せるなら、ギリギリ妥協できるラインというところになる。

 ただし日本としては、自治政府を作った蒋介石が通貨の点では張作霖に従うかどうかが懸念材料だった。
 もっとも蒋介石は、満州臨時政府が日本の全面支援を受けているのと違い、南京臨時政府は地元財閥(宋財閥など)とドイツの支援程度しか資金源がない。
 だから、蒋介石は渋々でも張作霖に従うのではないかというのが下馬評だった。
 背に腹はかえられぬ、というわけだ。

 ドイツも、蒋介石が中華民国の中央政府じゃない点を懸念していた。加えて、支払いがタングステンなどの資源よりは、ポンド、ドルと連動する現金で代金支払いしてもらえるなら、そっちが良いと言っているのも満州との大きな違いだった。

「お嬢様、明日はお誕生日だと言うのに、今日はもうお控えなられては如何でしょうか」

「んー? あぁ、もうこんな時間か」

 シズに指摘されて、壁の柱時計を見るともう夕方の5時前。この時計は、時の知らせを敢えて切ってあるから、時折こうしてシズ達当番のメイドが知らせてくれる。

「みんな、今日はこれでお終い。ご飯の前にお風呂にしましょう」

「そうねーっ!」

 言いながら、隣のデスクのマイさんが大きく伸びをする。まだ背が伸びただけの私と違い、色んなところがエロ羨ましいポージングだ。
 思わずアラフォーおばさん目線で見てしまう。

 さらにその向こうの机でも、頷き返しただけのお芳ちゃんが伸びをしているけど、こちらはまだ見た目は子供。幼女とは言わないけど、私と1歳違いにしては背も低め。この時代の標準より小柄なくらいだろう。
 栄養が脳に全部回っているんじゃないかと勘ぐりたくなるけど、私もマイさんもオツムには相応の自負もあるから、そんなツッコミを入れたりはしない。

「そう言えば、最近ウィンザーさん見ないわね」

 席を立ちながら、マイさんが頤に人差し指を当てる。勤め始めて1年になり、もう口調の使い分けも万全になったので、公式の場以外ではいつものマイさんだ。
 その上、相変わらすプレイベートモードになるとクソ可愛らしいので、ついつい見とれてしまうけど、私も新入りのイケメンパツキンを見ていない事を思い出した。

「セバスチャンにこき使われているん筈? どのみち男だから、私の部屋には報告とか必要以外では来ないし、セバスチャンが行かせないようにしてるかも」

「ありえる」

 お芳ちゃんが、軽く笑いながらの相槌。けど、マイさんは一応考えてあげているらしい。アメリカと言えば、マイさんのお兄さんの件もあるからだろう。

「屋敷に部屋も与えてないのよね」

「自前の使用人付きのホテル住まい。有能らしいけど、ボンボンも良いところね。けど私としては、王様達の連絡役だけちゃんとしてくれたら、適当に遊んでくれてても良いくらいだけど」

「セバスチャンさんが、それを許すとも思えないわね」

「同感。あ、シズさん、お光ってどこに居るか分かりますか?」

「本日午後、長期訓練から戻りました。呼びますか?」

「あぁ、いや、いいです。今頃寝てますよね。だってさ、お嬢」

「はーい。今日はシズも一緒に入る?」

「ご要望でしたら、お背中をお流しさせて致します」

「相変わらずね。じゃあ行きましょうか」

 世の中は日々動いているけど、日本は暢んびりしていられるくらいには平和だった。

前にもどる

目次

先に進む