■Case 01-06「アドラー・ターク再び?」

 1949年5月15日をもって、20世紀に入って三度目の英独の存亡を掛けた戦いが始まったわけだが、大きな国力を持つ二つの国家が真っ正面から激突した形になったため、戦いの決着は簡単につきそうにもなかった。
 これは特に空での戦いが一週間を経過しても解決の糸口が見つけられない混沌とした戦いになった事で、ドイツ首脳部の焦りをいっそう大きなものとしていた。
 ではここで一度、今回の戦いと前回の戦いの違いを少し見てから戦いの経過を見ていこう。

 1940年5月10日、ヒトラーはドイツ全軍に西ヨーロッパ攻撃の開始を命じた。そしてたった5日間でオランダを征服し、6日目にはベルギーを横切り、フランス軍が鉄壁と信じた前線を易々と突破した。まさに「電撃戦」の名に恥じない進撃速度と言えるだろう。
 そして5月27日、退路を断たれ英仏海峡に追い詰められた仏軍と英大陸遠征軍は、ドーバー海峡の港湾都市ダンケルクからからくも撤退し、「ダンケルクの奇蹟」というドラマを生み出した。だがイングランド南東部には、重装備を全て失った35万人の敗残兵で大混乱していた。このため、この時英本土上陸作戦を敢行していれば、作戦は成功したかもしれない、とされている。果たしてそうだろうか。

 ではなぜこの時ドイツ軍は英本土に侵攻しなかったのか。大きく三つの理由があるとされている。
 ひとつは、ドイツ陸軍の戦略用兵思想に海を越えての攻撃はなく、大規模な渡洋敵前上陸を行えるような戦術も装備(大型の上陸用舟艇など)もなかった。
 次にドイツ海軍は、開戦以来の英仏海軍との戦闘で傷だらけで、広域の海上を封鎖できる艦船は全くと言ってよい程残ってなかった。事実この時の稼働大型艦艇(駆逐艦以上の艦艇)は、致命的なまでに減少している。
 そして最後にドイツ空軍の戦力構成だが、ルフト・ヴァッフェは大陸国の空軍らしく陸軍への直接支援を主目的として編成されており、このため長距離大型爆撃機はほとんどなく、また、戦闘機の開発でも速度ばかりが重視され航続距離は重視されてなかった。
 以上がドイツ陸海空軍がそれぞれ抱えていた事情だった。そして、あれから約10年が経過した時のドイツ軍は、如何にもドイツらしい生真面目さでその克服を図ってきたとされ、事実開戦当初のルフト・ヴァッフェは、ロンドン空域に15分しか滞空出来ないと言う体たらくにはなく、そればかりか長駆スコットランドにまで侵入するほどの努力を行っていた。貧弱という言葉すら不足した大海艦隊も、英大艦隊を十分牽制できるだけの戦力整備に成功しており、短期間ばかりか長期間の制海権の確保も現実的な作戦とされていた。そしてドイツ陸軍の精強さについては、いちいち説明する必要性すらないだろう。短距離の渡洋装備についても言うまでもない。ゲルマン民族の良性な面の発露が、戦力数量の上では英本土を蹂躙するに十分なものであると教えていた。

 ただし、戦争には相手があり、相手もまた欠点を克服し努力していると言う点を考えると、この時の相対的な状況もドイツにとって十分とは言い難かった。
 事実ロイヤル・エア・フォースは、前回同様爆撃機に的を絞った執拗な攻撃と抵抗を続けて、ルフト・ヴァッフェに予想以上の損害を与えており、水面下でも前回同様互角の戦いを演じており、貧弱とされた陸軍ですら防衛用の重戦車を開発して英本土に大量に配備するなど、ドイツ参謀本部をして強敵と認識させるほどのものがあった。
 しかもジョンブル達の作り上げた防空網は、ドイツ人達の予測を越えたシステムとしての頑強さと精度を見せつけており、これを克服しない限り英本土とその近海での制空権を得ることは難しく、先の戦いで立証されたように制空権のない戦場で制海権は得られず、ましてや制空権のないままの上陸作戦など考えることすら罪と言えた。
 もちろん、強大なドイツ軍の全力を英本土正面に持ってくれば話しも違ったものになるが、ドイツの仮想敵は英国だけでないという現実を思えば、これ以上英本土に肩入れする事は、自らの死刑執行にサインするに等しいと考えられていた。

 また、ドイツと英国の違いに、同じ挙国一致内閣を以て戦争に挑みながら、ドイツは軍の統制が必ずしもうまくいっていなかった事を挙げる識者が多い。
 ヒトラーは常々、「余の下には保守的な陸軍、反動的な海軍、そして国家社会主義の空軍がいる」と述べ、事実1940年の時のドイツ国防軍は「アシカ作戦(ゼー・レーヴェ)の決行はイギリス空軍を撃破した後」とし、ゲーリングは根拠のない自信と体一杯に溢れる虚栄心からイギリス空軍の壊滅を約束し、それ以上に航空攻撃のみで大英帝国を屈服させてやると、とてつもない夢を見てしまい、これが英国人の不屈の戦意の前に粉砕され、先の英国との戦いをドローにしてしまう最大のファクターとなったとされている。

 そして先の大戦が講和会議の上で英独のドローとなったのは、1942年以降双方の戦いが海と空で完全に千日手となり、総力戦という不毛な戦いの中、戦費だけが空しく浪費される状況に双方嫌気がさし、結果的にヒトラーが望んだ、「第三帝国のヨーロッパ支配をイギリスに認めさせること」を既成事実として達成したからに他ならなかった。また英国は、自らの壊滅を防ぎきった事で、ある一定の勝利と判断したのが先の停戦の理由だとされている。
 また今回の戦いは、第二次世界大戦後のドイツの肥大化が、欧州大陸の覇権だけでなく北大西洋を含めた欧州全てを必要とした事がそもそもの発端と極論でき、前回は副次的な目的でしかなかった「大英帝国の壊滅」もしくは完全な屈服を実現せねばならないという事こそが、ドイツの現状の要約と言ってもよいだろう。如何にヒトラーやドイツ首脳部が英国の政治的(完全)屈服が目的だと言い、事実そのつもりであったとしても、真実はそこに行き着くはずだ。
 そして結論として、この時のドイツの対英開戦は短期間で英本土政府を屈服させない限り、極めて不利な点の多い事ばかりという事にもある。
 これは、英国だけが相手ならよかったのだが、アメリカ、日本、ロシアと敵には事欠かず、全ての勢力にとって英独が泥仕合を延々としてくれればしてくれるほど喜ばしい事だった。何しろ戦争でドイツは疲弊するからだ。しかも米日にとっては英国が敗北しない限り、英国が様々ななものを戦時価格で際限なく購入してくれるのだから、笑いが止まらないとはこの事かと思わせるだけで、正義と弱者を助けることが大好きな米日の市民の中には、せめて英国向けの輸送船団を自国の船で護衛してやってもという声すら出ている程だった。いや、そればかりか、英国を助けるため、悪辣な侵略国家であるドイツに対して、断固たる態度に出るべきだという、脳天気な声すら小さなものではなかった。

 戦いは1日延びればそれだけドイツが不利になる。
 これが開戦一週間を経過したとき、それが世界中の識者の統一見解になり、英国軍がねばり強く戦い続ける限り短期的にこれを解決する手段は、弾道弾の大量使用を以てしても難しく、唯一、1発で都市を壊滅できるとされる新型爆弾を使うしかないと言われ、万が一そのような手段に訴えれば、米日がどのような行動に出るか言うまでもなかった。
 最低でも、新型爆弾の使用はドイツが自らをサタンだと宣告するに等しく、米日に同種の兵器の自由使用権を与えるに他ならなず、そのような状況では何ら政治的得点を得ることができないと判断されていた。
 最悪の場合は言うまでもないだろうが、米日が英国に肩入れして参戦し、自慢の超重爆撃機でベルリンに同種の爆弾を落とすことに何ら躊躇しなくなるだろうと言われていた。
 つまり新型爆弾とは「黙示録」や「黄金の指輪」であり、その使用はドイツ自らが「アルマゲドン」もしくは「ラグナロック」の舞台の幕を開けるに等しい行為だと考えられていたのだ。

 では、どうすべきか?
 このまま長期戦を覚悟するのか? それとも何らかのテコ入れを行い強引に短期戦に持ち込むのか? 地上侵攻してでも、英国を屈服させるべきなのだろうか?
 いや、それ以前の問題として、短期決戦による勝利しかドイツに利益がない戦争ではなかったのか? このまま、短期的にズルズルと勝利の見えない戦いを継続すべきなのだろうか? それとも局地紛争と強引に言い切って適当なところで戦いを手打ちにするべきだろうか? 確かに英国が相手なら、長期戦での勝利は可能だろう。ここで戦いを終わらせても、ドイツが何を出来るかを教えることはできたのではないだろうか? だがその先はどうなのか? 米日が直接的に何もしなかったとしても、ドイツに明るい未来は存在するのだろうか? 

 開戦一週間から二週間目にかけてのドイツ首脳部は大きな混乱に見舞われ、何らかの決断をせざるをえない状況に追い込まれていた。

 果たして第三帝国は、英国との戦いの幕を如何にして引くべきなのだろうか。その決定は、ドイツ第三帝国元首たるアドルフ・ヒトラーに委ねられた。

 

 

1. このまま従来型の戦力だけで押し切り、英国政府の態度が煮え切らなければ上陸作戦も決行するのだ 

2. 通常装備によるロケット兵器の大量投入で、英本土防空網を破壊、事後一気に勝敗を決定するのだ 

3. 新型爆弾を投入し、世界の心胆を寒からしむるのだ