■Case 03-07「攻勢限界点」

 単調な地形が広がるロシア深部の大地を進撃する我わらの眼前に、遠くなだからな山脈が見えるようになった頃、天空からは冷たい雨が降りしきるようになり、それは「スプーンの一杯の水が、バケツ一杯の泥に変わる」と言われるロシアの春と秋に訪れる恒例行事を我々の前で実演し、その泥が冷凍庫を圧倒する気温低下によって固まってくると同時に、天空からの雨はみぞれ混じりになって、やがて真っ白な雪へと変化し、地上の地獄全てを白いヴェールで覆ってしまう。
 それは「冬将軍」の到来だった。
 またそれは、ロシア人の反撃の狼煙でもあった。

 この時ドイツ軍を主力として300万人にまで膨れあがった欧州連合軍は、ウラル山脈を西方正面と南西方面から包囲するような形で展開しており、それなりに乾燥していて機動戦が行いやすく、他と比べて気温の低下のゆるやかな南西方面に装甲戦力が集中され、ウラル山脈東側への迂回突破をすべく、最後の作戦が継続されていた。
 ウラルからさらに東へと伸びるシベリア鉄道、高射砲を始めとする無数の防空兵器で守られたその大動脈まで我々が到達すれば、山脈要塞に篭もっているロシア人の戦線は崩壊してこの戦争に決着がつき、我々にとっての新たなオストラントの安全は確約されるだろうと見られただけに、理由は様々ながら上から下まで我々の戦意は高く、11月の末を迎えて冬将軍が到来したにも関わらず、武装親衛隊を先頭にしてかなり強引な突破戦闘が継続されていた。

 この時ウラル山脈東方への迂回突破を計っていたのは、「カスピ軍集団」に属する1個装甲軍とそれに後続する1個歩兵軍で、これらを構成する約20個師団・総数約60万人の兵士たちが、ウラルの全欧州軍の命運を握っていると言っても間違いなかった。
 だからその先鋒に立つ我々装甲部隊は、地獄のようなパック・フロントも、無数のカチューシャが生み出す煙硝の集中豪雨も、シュツルモビク・ツヴァイの暴風すらも無視するかのように前進し、時折現れるT-34/85の群すら押しのけて進撃を続け、ごく希に現れる恐るべきハンター達にすら敢然と立ち向かった。
 だが、我々に懸念、いやある種の恐怖が無かったワケではない。
 なぜなら、ロシア人達が抱え込んでいる筈の装甲戦力の主力、つまりハンターの群がいまだその姿を見せていないからだ。
 時折、こちら側の迂回突破、電撃戦を邪魔するように現れる部隊もあったし少数が他の戦車に混ざっている事もあったが、部隊としてまとまっているのはせいぜい師団規模で、しかも先鋒の精鋭部隊を避ける戦闘ばかりしていた。
 つまり我々の眼前に立ちはだかる装甲戦力は、歩兵(狙撃)師団や軍団に付属する戦車隊や独立戦車部隊程度の規模でしかなく、その装備も良くてT-34/85の改良型で、酷いものは十年近く前の戦車を見かける事もあった。
 もちろんロシア人達も莫迦ではなく、貧弱な戦車は車体を埋めたトーチカとなっているのが常だったし、火力の不足する旧式戦車は、シャーシだけ利用した対戦車自走砲や突撃砲となっている事の方が多いほどだった。
 そして眼前に現れる戦車の群は、まさに戦車の見本市会場となった。

 「T-34/85」や「T-34/76」、そして「T-34/85-R」は当然として、ロシア製の「Su-85」、「Su-100」や「BT-7」などの車体を利用した自走砲型が配備されている事もまだ問題なかったが、それ以外は様々な時期に様々な国が供与、売却した装甲車両ばかりだった。
 最も数が多かったのは、アメリカ製の「M-4」シリーズで、75mm、76mm砲装備の30トン程度の中途半端な能力しかなく背の高い中型戦車だったが、とにかく主砲の発射速度が速く、これがトーチカになったり戦車壕に潜んで待ち伏せしている時には苦労させられた。
 俄に信じられないが、分発20発という速射砲のような射撃を記録した敵車両もあったとされる。装填手や砲手までもが、アメリカ発祥の大量生産技術を学んだかのようだった。
 これに対して、英国製の古くさい歩兵戦車はただのドン亀で、「クルセイダー」や「クロムウェル」も砲力がやや低いので機動性だけが売りの偵察戦車に過ぎず、日本人の旧式戦車である「タイプ97R」や「タイプ1」などは、当方が「パンター」以上を有していれば問題にすらならなかった。だが、これらの戦車の多くはロシア国内の工場で長砲身の76.2mm砲や85mm砲を搭載した対戦車自走砲に改造されている事が多く、車高の低い突撃砲や自走砲となったこれが待ち伏せすると厄介な相手となる。
 そう、車高の低い自走式の対戦車砲の待ち伏せこそが、我々にとっての最も厄介な相手だったのだ。何しろ戦車同士の機動戦なら我々の方が総合的に優れていたからだ。
 また、我が軍の捕獲戦車を彼らが使っている事もあり、これも厄介な相手となった。ある戦場では中隊単位の「パンターG型」が姿を現した事もあったらしい。
 そして最も厄介だったのが、我々が「ハンター」や「コサック」とあだ名した新鋭の重戦車で、まるで未来からやって来たようなスタイルを持った捕獲車両の調査により、ロシア、日本、アメリカ全ての特徴を持っている事が分かり、しかもこの自重50トンを越えるモンスターは、我々の主力戦車となりつつある「パンター・ツヴァイ」や我が軍最強の「ティーゲル・ツヴァイ」を総合的に上回るポテンシャルを持つ車両で、しかも彼らの中ではこの重戦車は「主力戦車」という新たなカテゴリーに含まれる存在、つまり装甲部隊の主力となるべき中戦車に過ぎない事は、我々に驚き以上のものをもたらした。
 そしてこのモンスターは、1948年冬に最初に目撃されて以後、急速にその数を増しつつあると報告され、しかもロシア人達は、この新型戦車の効果的運用のために外国人傭兵を多数雇い込んで、我々「カスピ海軍集団」の担当する戦区の奥地で軍団単位の装甲打撃部隊を構成しつつ反撃の時を待っていると言われていた。
 しかも傭兵部隊の中には、この戦車を師団規模で抱える重編成の装甲部隊が存在するという情報すらあった。そのような編成の部隊が現れたら、武装親衛隊でも大ドイツ師団でも粉砕するだろう。まさにモンスター、いや北欧神話に登場するというベルセルク(バーサーカー)だ。
 もちろんそんなものに突撃されたら、我が欧州軍の標準編成の装甲師団ではひとたまりもないだろう。他国に払い下げた「IV号」戦車などは、このモンスターの前では張りぼての棺桶かブリキの玩具のようなものだ。
 実際、夏に行われたある突破戦闘では、前線突破に成功した筈のフランス陸軍の「機甲師団」がこれらの部隊と鉢合わせして、二度と戦場に戻れないほどの損害を受けていた。

 そして我々が、彼らの反撃を恐怖しつつも、戦争を終わらせるべく進撃を続けている中、東部戦線の全軍に対して一つの重大な指令が発せられた。
 それは、この度の戦争を決するようなものだった。

 

 

 1, 決定的勝利のため、全軍総攻撃を開始せよ。なお、敵が攻勢に出てもいかなる後退も禁止する。 

 2, 冬を耐え春を待て。冬営のため戦線を整理の後、陣地固守に入るべし。 

 3, 停戦成立。全軍ただちに停戦せよ。