■太陽帝国「楽屋裏」 その10 新大陸経営
1606年に「メキシュンクル」として、北米大陸南部に巨大なアイヌの副領が成立します。オフィシャルでもこの人工国家について色々書いていますが、もう少し掘り下げてみましょう。 また、アステカ(メキシコ)以外の北米統治の初期段階についても触れていきたいと思います。
さて、メキシコの大地が激震するのは、1519年スペインのエルナン=コルテスによるアステカ帝国の侵略に始まります。 そして数々の偶然と不幸、文明レベルの差によって、たった数年でアステカ帝国は崩壊します。白人が持ち込んだ旧大陸の疫病と強制労働、虐殺、圧政によって住民も激減し、メキシコの大地は一度死に瀕します。 そして半世紀ほどたったある日、アイヌが交易相手がいないかと遠路はるばる北東アジアからアステカの大地にやって来ます。 アイヌの出現に、新たな侵略者に既得権を奪われると考えた現地スペイン軍が、深く考えずに常に準備万端な戦争準備しているアイヌにケンカを売って大敗。北米大陸から叩き出されてしまいます。 以上が1575年までの概容です。 そしてここからアイヌによるメキシコ統治が開始されます。オフィシャルでは、「新しいアイヌの国をアステカ王国の廃墟の上に建設する程のもの」と表現されています。 果たして、本当にメキシコの大地に新国家が人工的に、しかも比較的短時間で誕生するのでしょうか。
我々の世界において、メキシコはスペインの長い統治を受けました。スペインの侵略から半世紀が経過した頃、一時的に銀を掘り尽くしたと思われたので黒人奴隷の流入も最低限で、その後もそれほど多く黒人奴隷が流れ込む事はなく、スペイン人と現地住民の混血が主な住人となります。それにスペインにとっての銀の最大の産地は、南米のポトシ銀山です。 メキシコではスペインによる苛酷な統治の間に、広範な意味での欧州化、キリスト教化が進められます。いっぽうでトウモロコシやトマト、トウガラシの故郷なので、そんな感じの郷土料理も多く、メキシコ独自と言える風土や文化も数多く見受けられます。アステカなど古代中南米文化を土台とした新たな文化と国家とも言えるでしょう。まさに侵略とシヴィラゼーションがもたらした国家と地域の筈です。 しかしこの世界では、スペインがすべてを塗り替える作業中にアイヌ人がやって来て、さらに上から塗り直しを行います。 アイヌがやって来たのは1574年。3年後にはスペイン人を完全に追い出して、自分たちが後がまに座ります。しかし、新天地を手に入れたアイヌ人はビックリ仰天しました。自分たちも世界中で口では言えないような事を色々してきているが、メキシコの大地でのスペイン人の所行は自分たち以上だったからです。異文化・異宗教の人間など家畜以下に考える白人に恐れおののくと同時に、新たに手に入れた領土に頭を抱えるでしょう。 あ〜あ、こんなボロボロの土地にして、と。 手に入れたからには、自分たちが利益を得るために経営しなければいけない。しかし収奪するにしても、スペイン人に搾り取られすぎて何も残っていない。しかたないので、セッセと一から復興していくしかありません。 本音なら手放してしまいたいぐらいですが、北米の他の地域の原住民も従軍させてきているので、政治的に既に引っ込みがつきません。そして、どうせやるなら徹底的にという事で、新国家の建設が始まります。それにメキシコは欧州勢力を大西洋に押し止めるには、なかなかの地政学的位置に存在します。防波堤にもってこいと言わないまでも、当時の視点から見れば十分でしょう。
さて、アイヌがメキシコの大地でやるべき事は何でしょうか。順番に見ていきましょう。 国家建設に重要な要素は、国民を育てることです。職業と収入を持った国民がいなければ税金が集まらず、税金がなければ政府の運営すらできません。一定の価値観を共有する人々を育て上げねば、国家とは言えません。 しかも、それまで現地住民が作り上げた文明と、スペイン人の横暴なドミニオンによって、アイヌの手による近代化の前には問題山積みです。 このため、アイヌは国民を育てる準備段階として、新たな国や民族の根幹を作り直すところから始めなくてはいけません。ここまで戻らねばならないという時点で、人の手による天地創造レベルの大事業です。アイヌはメキシコのプロメテウスとなって、すべてを失った人々に文明と国家を与えねばなりません。最終的に自分たちが利益を得るためとはいえ、何とも気の遠くなる事業の始まりです。他の地域への進出が停滞するのは当たり前でしょう。
さて、オルメカ、マヤと続くアステカの人々が持っていた文明レベルはどれぐらでしょうか。有名なのは、独特な形状の巨大ピラミッド群とアステカの太陽神信仰でしょうか。高度な石造建築術や複雑な暦法、高度な天文学、複雑な絵文字の存在も挙げられるでしょう。 産業も、トウモロコシ栽培を中心にした農業が主産業でした。現在のメキシコシティーにあった水の都ティノティティラントは、人口20万人を数える世界有数の都市だったそうです。 しかしアステカには鉄器を作る技術(製鉄)がありません。複雑な絵文字は確認されていますが、一般的な文字も持ちません。なぜか車輪を用いる事も知りません。新大陸には馬や牛がいないので、大型の家畜利用に関しても遅れています。馬などの高度な移動手段がないので、アステカの人々は北米主要部の平原のこともラテンアメリカのインカの事もほとんど知りません。勃興した文化、文明のどれもが内陸文明なので、海を進む船も持っていません。旧大陸人にとっての当たり前の文明とは大きく違うものだったのは間違いないでしょう。 そして当時存在したアステカ帝国の文明と国家を叩きつぶした上にスペイン人が君臨して、自分たちの文化や宗教、言語を押し付けた上で強権支配します。 そんな新大陸で、新たな統治にを始めるにあたってアイヌがすべき事は、まずはスペイン風に染まりつつあったメキシコの文化・文明を先住民文化を尊重するというスタイルを取りつつも自分たちの色に染め直す作業です。 染め直すにあたって重要なのは、土俗文化を自らに都合良い所だけ復活させる事。言語と文字をスペイン語からアイヌ語(日本語)に入れ替えてしまう事。そしてキリスト教を政治的に排除する事。この三つでしょう。 この時点で問題があるとすれば、スペインの統治から半世紀経っている点です。 搾取と横暴な統治があったとはいえ、すでにキリスト教もスペイン語も浸透しつつあります。現地住民とスペイン人の混血も出てきています。アイヌが悪魔のような支配者を追い払い、さあ君たちの王道楽土を我々と共に作ろうと脳天気に言っても、簡単にはいかないでしょう。だからこそアイヌは、手厚い施政を施し現地文化の復興にも力を入れるのです。 アステカの民にしてみれば、アイヌがやって来てスペイン人を武力で追い出したとはいえ、当初は支配者が白から黄色に変わったぐらいにしか思わないでしょう。 だからこそ一世紀の間の交流で、ある程度文明レベルが上昇しアイヌと価値観を共有するようになった北米西岸のネイティブを移民させる事も重要です。移民の表面的理由は物理的に激減した現地人口拡大のテコ入れのためですが、真の理由はアイヌが頂点に立ち、中間層に北米西岸各地からの移民を置いて、メキシコの大地を円滑に統治するためです。 オフィシャルでは、アイヌに好意的な文章で書いていますが、新たな支配の真実はそんなもんです。
そしてアイヌは、20年かけて現地の生活と文化をアイヌ風に染め上げたうえで立て直します。 かつてのアステカ文明の風土は、形式的なレベルに下げられた土着宗教、表面的な意匠や衣服の模様、文化遺産程度にしか残らず、他はすべて東アジアから持ち込まれた文化が上から覆いかぶさったものになるでしょう。使い勝手の良いものなら、スペインの持ち込んだものも残るかもしれません。アイヌと一緒にやって来た、北米大陸中央部のネイティブが持ち込む文化も広く伝播するでしょう。 アステカは石造建築の発達した文明だったので、様々な近代的建造物も立派な石造りになっているかもしれません。 建物随所には、あのエキゾチックな神々が意匠化されて彫り込まれ、彫像が建ち並んだ王宮や重要施設が新たに建設されているかもしれません。しかも、入り込んだ様々な文化のおかげで、神話や宗教も雑多に混じり合います。 また一方で、アイヌが持ち込んだアイヌ的、日本的、アジア的な文化や文物、宗教もそのまま持ち込まれ、現地風な仏塔や神社なんてものがお目見えしている事でしょう。 かくして、瞬く間にアイヌテイストの北米的無国籍文化の完成です。 宗教は、影響力の極めて強いキリスト教を取り除くことはできないかもしれませんが、アイヌの統治の中に組み込んでしまえば、存続していても宗教問題は大きくならないでしょう。極端な話し、ケツァルコアトルなど現地の神々も、キリスト教の聖者に祭り上げてしまえばよいのです。20世紀後半にでも入らないとローマの許可は取れそうにありませんが、行うことは欧州大陸の土俗宗教と同じです。 後はアイヌ人の望む政治形態を現地に確立すれば、メキシコの広大な大地は北米大陸の偉大なる防波堤として白人を押し止める役割を担うことになるでしょう。 そしてアイヌによる新たな統治方法は、本国と同じにしてしまう事としました。 オフィシャルにある有力氏族による選王制度と、選ばれた王を中心にする王権国家です。
通常なら遠隔地の領土、有り体にいえば植民地の統治になりますから、アイヌ王が総督を任命して統治するでしょう。それが植民地を持つ国の、当たり前の統治方法です。植民地経営とは国が直接管理すべき事です。でなければ利益を商人にかすめ取られたり反乱されたり、挙げ句に独立されたりと、ろくな事になりかねません。 しかしアイヌにとってのメキシコは、白人的価値観での植民地には当たりません。 忘れてはならないのが、アイヌといえど東アジアの国だという事です。自らが強大化すれば、周りに属国を従えて中つ国化する傾向を持っているという事です。どれほど中華の影響を排除した国造りをしようとも、完全に逃れることはできないでしょう。だいいち、16〜17世紀のアイヌは世界規模の巨大国家です。 そして中華的統治において、重要交易路などの例外を除く遠隔地の多くは、直接統治すべき場所ではなく政治的・経済的影響力を保持できれば良い場所です。 古来中華地域では、東方を東夷(とうい)、西方を西戎(せいじゅ)、南方を南蛮(なんばん)、 そして北方を北狄(ほくてき)と呼んで、蛮族の支配する地域として蔑んできました。中華にとって、日本などは東夷の果ての蛮国になります。 これをアイヌに当てはめると、東夷が新大陸、西戎がアムールとはるか彼方の中央アジア、南蛮が日本(シムサ)、北狄がシベリア(北海道)になります。どれもアイヌ本土より巨大な土地なのでいっそ笑えてくる状況ですが、東洋の国なんてどこも同じです。日本にとっての新たな北狄もアイヌになります。 話が少し逸れましたが、アイヌにとってのメキシコは本国から離れた蛮地。東夷もいいところです。ヘタな駄洒落になりますが、円滑に統治するには遠いのです。 しかも16世紀半ばから17世紀半ばにかけては、ユーラシア大陸深くに押し出しています。16世紀末には、欧州に対する予防戦争でもするかのように、東南アジアにも侵攻しています。北米大陸を直接統治するのは、国家として様々な意味で重荷なのです。 世界帝国になっても、短期的に広がるのは領土ばかり。現地経営の手間と経費、維持その他もろもろを考えれば、自転車操業で事業拡大をする企業となんら変わりありません。労多く益少なしです。 そして、そんな膨脹しすぎたアイヌの政策の一つとして、北米大陸に日本人を呼び込んでしまいます。
日本人は、アイヌの案内で西暦1620年に北米の大地を踏みます。 日本の北米進出のタイムスケジュールを1620年にした理由は、言うまでもないかもしれませんが史実のメイフラワー号に対するオマージュもしくは当て付けです。 現実的な理由は、日本本土の政治が落ち着いたので、武士の失業対策も兼ねて植民地経営に本格的に乗り出さねばならないためです。そして、1620年に豊臣家による江戸幕府開府があるので、政治的理由としても選ばれています。開府に関連する事業として、失業武士を屯田兵として送り出したというところですね。 なお、日本人の新天地を北米西岸、現在のカリフォルニアにした理由はたった一つです。唯一の理由は、灌漑農業によりジャポニカ米の稲作が可能だからです。日本人に、これ以上の理由は必要ないでしょう。 いっぽうアイヌは、米も食べますが米以外の穀類(主に各種麦類)の方が主食となっています。だからカリフォルニアより、現在のシアトル、バンクーバー周辺やより内陸北方のアメリカ・カナダ国境の春小麦地帯の方が農業政策上で重要です。それにカリフォルニア南部はアイヌにとって暑すぎて、気候風土も気に入りません。平地が多いことを除いては、カリフォルニアに大きな魅力は感じないでしょう。せいぜいメキシコに連なる交通路ぐらいにしか思っていません。少し内陸に入ったネバダ砂漠辺りの高温乾燥地帯など、近寄りたくもないでしょう。だからアッサリと日本人にカリフォルニア一帯を明け渡しています。 それにカリフォルニアは、メキシコに至までに通った道ぐらいの役割しかなかったので、当初は全然開発されていません。スペイン人も当時は北の方には到達していなかったようです。 現在では、カリフォルニア各地にスペイン時代の地名の名残がありますが、恐らくこの世界では違った名称の地名や街名が多くなるでしょう。 ちなみに日本名のシスコ=高坂は単にあそこが坂の街だから、ロス=桃源はカリフォルニアの語源が架空の国だったから、サンディエゴがサッポロなのは、アイヌ語でサッポロが乾いた土地という意味にも取れるところからきています。
さて話を戻しますが、アイヌは自らのメキシコへの進出のためのカリフォルニア開発は、シスコとサンディエゴに港が開かれているぐらいです。他は、現地民族の住む未開拓の場所です。もともとアイヌは交易に興味あって、現地国家造りは余芸の筈ですからね。 もっとも、アイヌや日本人が旧大陸から持ち込んだ疫病(風邪と天然痘)により人口が激減しているので土地は余っているでしょうが、一からコロニー作ることを思えば、メキシコだけでもう充分とアイヌも思うでしょう。北米大陸は広すぎます。 広い証拠に、17〜18世紀の北米大陸は列強(英仏西)の分割が進んでいると思いきや、ほとんど領土的には白地図状態です。東岸も白人の持ち込んだ破滅的な疫病で先住民が激減したため、人口的にかなり空白度合いが高くなっているのに、内陸に探検以上で進出する力がなかったのです。 おかげで、開発から一世紀も経つと、ある程度復活したメキシコの人々が外へと出向くようになり、フランス人より先にミシシッピ川まで進出します。北米北西部のアイヌも五大湖目指して地道に進出を強化します。オフィシャルでは、「1682年にミシシッピ川以東をフランスとの協定で、アイヌ・メキシコ勢力圏とし、メキシュンクル大領はテキサス地域(テキサシュンクル)を新たに封土として組み入れます。」とされています。要するにミシシッピ川より西部すべてを、一度は有色人種勢力が国土とした事になります。 いかにも誇大な話しに思えますが、先にも書いたとおり当時の北米には白人が全然いません。17世紀初頭だと、イギリス、フランス、スペイン、ネーデルランド(オランダ)、それにスウェーデンまでが自国のコロニーを建設しましたが、どれも村レベルのものばかりです。スペイン、ポルトガルが一世紀早く来ている中南米は状況が違いますが、こちらは別扱いとするべきでしょう。 それに対してアイヌは、北米西岸北部を主に現地で人を増やすことを1世紀以上にわたりセッセと行っています。混血にも肝要で、現地住民を自らの中に取り込む事も行います。 こうなると政治勢力としての絶対数の人口が違いすぎます。アイヌを主とする勢力は数万どころか、数十万人の単位となります。有色人種側のテリトリーが大きくなるのはむしろ必然でしょう。 ただし、この時点で東岸の白人と激突しないのは、北米大陸があまりに広すぎるからに過ぎません。ミシシッピー川での妥協も、互いにこの辺りまでの進出で精一杯という確認ぐらいの気分が大きくなります。 もっとも、長期的視点に立つとシヴィラゼーションでは白人に分があります。何しろ欧州は貧しい土地ですからね。 それに引き替えどうも有色人種たちは、安定期に入るとなかなか勢力拡大には出なくなります。遺伝子レベルの記憶が農耕民族だからかもしれません。だから北米大陸でも、白人達に次第に追いつかれ、ついには追い越されてしまうんですね。しかも日本列島は気候的一等地とされているので、住民の移民が低調です。 アイヌは、採取、狩猟民族から騎馬民族の統治を受けて国家建設に入ったのでアジア的例外とも言えますが、人種別人口の半分ぐらいは日本人だし、日本との連携も強めるので似たような状況に陥るとしました。