■太陽帝国「楽屋裏」 その15 日本とアイヌが作った国々
「その14」に続いて、日本の開拓についてです。 ここでは、最終的に日本帝国に加わらなかったが、日本とアイヌの影響が強く加わった地域ついて、史実を照らし合わせつつ少しだけ掘り下げていきます。 この世界のタイムスケジュールでは、18世紀から19世紀にかけて。日本の第一期黄金期の辺りになります。
この世界の日本とアイヌが獲得して大きく開発した国家・地域は、一時的なものを含めて広範囲に及びます。 シベリア全土、中央アジア北部、北米大陸の三分の二、オセアニア全域、東南アジア諸島部、太平洋北半球部。すべてで大きな変化が発生しており、史実と同じところは一つもありません。中華大陸にもチョッカイを出しています。影響が少ないのは欧州世界のみと言っても良いでしょう。 では、ここでは国名を挙げながら、日本列島の近在から順に追っていきましょう。なお、日本帝国に含まれていく地域は除外します。
諸部族連合 アズトラン連合王国 新出雲(非国家) テキサシュンクル(非国家) インドネシア連合王国 オーストラリア連合王国 雲南王国 キルギシア王国(仮称)
以上が、日本とアイヌの影響で20世紀までに成立したが、日本・アイヌの直接的支配から離脱した国家・地域群です。 感傷的に表現すれば、日本人、アイヌ人が世界を征服し損ねた名残と表現できるでしょうか。逆をいえば、結果的に世界征服を止めて現地経営に力を入れたからこそ発展した地域という事になるかもしれません。 順に見ていきましょう。
まずは、北米大陸に成立した諸勢力を整理しましょう。 北米の日系勢力は、諸部族連合、アズトラン連合王国、新出雲、テキサシュンクルの四つです。四つのうち国家として成立するのが前者二つで、後者二つはアングロ系白人主導で成立するアメリカ合衆国(後にアメリカ連合)に吸収されていきます。 また前者二つは、主にアイヌの影響を強く受けて成立した先住民中心の国であり、アイヌ人は政治的影響力はともかく現地の第二の多数派というレベルです。後者二つのうち新出雲は日本人の巨大テリトリーであり、テキサシュンクルは日本やアイヌではなく、現地国家のアズトランから派生した地域になります。 さて、諸部族連合ですが、19世紀前半の最盛時はカナダとアメリカ合衆国の三分の二を領有した大国となりました。文字、科学技術、近世以降の文化などアイヌ(+日本)の影響は極めて強くなりますが、住民の主流派は北米各地(殲滅された東部除く)に居住していた先住民族です。 彼らは、16世紀初頭にやって来たアイヌの北米開発と文明伝搬に影響されて力を蓄え、ハドソン湾中央部から始まってミシシッピ川以西の北米大陸中央部を領有するに至ります。先住民族の数の上での多数派は主に東部に居住していましたが、中・西部が先に近代的な意味で発展していれば先住民の人口分布も逆転しているでしょう。
なお、北米大陸の先住民族は、コロンブスがやって来るまでは最低でも200万人以上が居住していたと言われています。 生活様式・住居・政治組織・経済機構・言葉は部族によって多様でしたが、宗教や自然への対応という点では一定の共通性をもっていました。移動手段が限られた上で広大な地域に住んでいる事を思えば、これはかなり凄い事だと思います。 しかし先住民達は、旧大陸人によってもらされた疫病によって人口が激減します。加えて侵略によりテリトリーを奪われ、略奪され、虐殺され、奴隷にされ、さらに人口は減少します。 アメリカ合衆国の法律では、「白人の平等」は高らかにうたわれましたが、法律上の先住民は「自然物」として動物並の扱いしかされていません。しかも白人の迫害は、白人自らの力が北米大陸で強まるごとに強化されます。自由と平等が聞いて呆れます。 1830年には、合衆国の法律で先住民のミシシッピ川以西への強制移住が実行に移され、白人中心のアメリカ発展の基礎が強固になります。1838年のイロコロ族の「涙の旅路」という逸話に象徴される悲劇を踏み台にして、ですが。 また、ハリウッドの西部劇映画で有名なインディアンと騎兵隊の戦いがアメリカ中西部で最も熾烈だったのは、東部先住民の強制移住が決められてから以後の事です。最も激しい抗争が繰り返されたのは、北米移民が活発化する1860〜80年代になるそうです。思い返してみれば、大陸横断鉄道をインディアンが襲うわけですから、時期的にも分かりやすいですね。 つまり、メキシコから大量の領土を分捕り、南北戦争が片づき、大陸横断鉄道が西海岸に伸びる頃になります。この時代のアメリカは、世界屈指の侵略国家なのです。 この戦いは、白人の身勝手な欲望と「マニュフェスト・ディステニー」という妄想が生み出した歴史上何度も行われてきた異民族侵略であり、先住民にとって祖国防衛戦争なのです。特にイロコロ族など東部部族の末路を見た先住民の人々にとっては、何として勝たねばならない戦いだったでしょう。 しかし1890年に、合衆国はフロンティアの消滅を宣言します。北米の制圧戦争に対する勝利宣言というワケです。
さて、白人と違い長期的に先住民を取り込むことを目指したアイヌ達ですが、当時の先住民の視点から見れば白人よりマシという程度なのかもしれません。奴隷にしないだけで、イスパーニャとやり口は似ているかもしれません。しかし16世紀以後のアイヌの存在によって、東部以外の情勢は全く違っていきます。 イスパーニャ以外の欧州列強(最初は、イングランド、ネーデルランド、フランス、スウェーデン)が東部海岸に小さなコロニーを作り始めた頃には、アイヌは北米西岸北部(シアトル近辺)に確固たる地盤を築き上げています。メイフラワー号が命からがら東部海岸にたどり着く頃には、メキシコ全土には近世的国家すら成立しています。 そしてこの世界の17世紀なら日系と白人の文明、科学技術、そして軍事技術は同レベルにしてあります。北米での多数派は、白人達が気付かないだけで日本列島から押し掛けた日系と日系に取り込まれた西部の先住民です。進出時期が早く人の数が多いのですから、白人より陣取り競争で先んじるのが日系なのは間違いないでしょう。メキシコにも巨大な足場を作ってあるので、テキサスやミシシッピ流域にも躊躇無く進出させました。 このままではアイヌが北米大陸すべてを飲み込みそうだったので、17世紀後半にフランスと条約を交わさせたという経緯があるぐらいです(私の脳内妄想が行きすぎなのかもしれませんが)。 前産業革命時代で鉄道発明前という足かせはありますが、百年単位の時間が数に任せた北米東進は可能とします。しかし鉄道が登場した時点で、アメリカ合衆国という名を持つ白人勢力の反撃と侵略が開始されます。 1824年で有色人種側が勝ったのに、1845年で白人が大勝利した理由の多くが産業革命と鉄道の有無です。 アメリカ合衆国は独立国家として自ら積極的に産業振興しますが、メキシコ地域(アズトラン)以外の有色人種勢力は、日本列島中心の経済から離れていません。 新出雲(カリフォルニア)も、突き詰めてしまえば日本列島にとっての移民地、食料供給地に過ぎません。諸部族連合の多くの土地も農業主導の後進的な地域です。日本人とアイヌ人が自国本土中心に産業構造を作り上げたツケが、北米大陸での大敗だったのです。この辺りは、欧州列強と少し似ているでしょう。 オフィシャルでは、新出雲が日本本国の搾取に反発したという記述を入れましたが、別の視点から見れば北米西部に東部に対抗できるだけの産業(工業)がなかった事が敗北を呼び込んだ温床だったのです。加えて、日本人、アイヌ人の策源地となる日本列島は、北米大陸から遠すぎます。 そして北米大陸の例外地域が、メキシコに古くから陣取るアズトラン連合王国です。
アズトラン連合王国の正式な独立は1821年ですが(当然ですが、史実のメキシコ独立をオマージュしました)、アイヌ本国から離れた自治独立地帯として1606年に成立しています。 銀の鉱山と海軍は長い間アイヌ本国に取り上げられた状態ですが、実質的な半独立と言ってよいでしょう。そして独立地域が行う事は、自らを中心とした産業振興です。 幸いメキシコ高原は、農業にそれなりに適しています。しかも、17世紀〜19世紀にかけては地球全体で今より気温が少し低くなる時期があるので、低緯度に位置するメキシコの農地としての有効性は高まる可能性があります。 それはともかく、一つの政治勢力が数百年かけて農業を中心に据えた治水・治山などインフラ整備に力を入れていれば、それだけで立派な農地がメキシコ高原の大地に広がっている事でしょう。 だからこそ、19世紀には北米大陸随一の国家としました。それなりの技術と文明を持つ数千万人の人口を抱える統一国家は、工業化以前の東部白人勢力に手が出せる存在ではありません。アメリカが手を出せるようになる頃には、他国からの伝搬もあってアズトラン自身の工業化も進むのでアメリカ合衆国が簡単に侵略することはできず、最終的にはアズトランの永世中立というファクターを持ってきて、お互いを軍事的に無視させる事としました。 そしてアメリカにとって強大なメキシコが暴れる事は「柔らかい下腹部」に外患を抱える事と同義に近く、国防上でこの上なく不利な要素となるので、アズトランの中立化を容認させています。 しかし、アメリカがアズトランから実質的に奪った地域があります。それがテキサシュンクル、現在のテキサス州からミシシッピ川にかけの広い地域です。 北米中央部の平原は、アズトランが正統に発展していれば自然と進出、開発の進む地域です。同時に、豊かな土地に移民が殺到するのは当然です。特に移民の国アメリカというファクターを強めるため、勝手にやって来たよそ者が宗主国から我が儘のまま独立するという象徴で置いてみました。 ですからこの世界での「アラモの砦」は、日系勢力にとってはアメリカ帝国主義の象徴でしかありません。 また、南北分断の頃に白人の思い通りにならない広大な地域を南部のテリトリーに置くことにより、アメリカ史を根本からくつがえすという布石にもなります。 極単に言ってしまえば、諸部族連合というアメリカ不倶戴天の敵と、アズトランという反米中立勢力が北米大陸に存在する事により、北米大陸そのものに揺らぎを持たせ、北米を欧州やアジアと大きく違わない地域にしてしまうのが目的です。 そう、北アメリカ大陸は一国主体の特別な地域ではないのです。 なお、国名となったアズトランは、アステカの民という現地の言葉、アズテックをもじったものです。アズテックそのままにしなかったのは、工業系企業の名前としてよく使われているからに過ぎません。 また、メキシコの語源が、アステカの主神メヒコから取られたので、普通に独立するなら民族名から取る方が自然かと思い変更しました。この世界では、日本の事を「大和」などと表現するように、神話を由来とするメキシコという名は俗称のようなものとしています。もしくは、諸外国での呼び方や俗称のようなものです。日本をジャパンという様なものですね。
いっぽう「太陽帝国」全体の布石として欠かせないのが、カリフォルニアに広がった日系テリトリー「新出雲」の存在です。 アメリカが西海岸の飲み込むのは史実をオマージュした1845年ですが、この頃までに日本人移民の数は当地での大幅な人口増加もあって1,000万人以上になります。このまま近代産業が発展すれば、百年後に日米が激突する頃には3〜4倍以上に膨れあがります。先住諸部族の残余を含めれば、さらに1,000万人以上が有色人種となるでしょう。 史実第二次世界大戦のアメリカの総人口が1億4000万人ぐらいなので、同じと仮定すると総人口の四分の一近く日本人になってしまいます。先住諸部族とテキサスのアズトラン系を含めれば三分の一以上が黒人以外の有色人種になってしまいます。 もっとも、第二次世界大戦頃のカリフォルニアの人口は約700万人で、この世界とは約4倍の差になります。額面通り数字を加えれば、総人口も1億6000万人になり、日本人の人口比率も低下します。 しかし、南北戦争でもたつき戦乱の続くので、欧州からの北米移民自体の機運が下がるので、史実との人口差はないものとしました。 しかし、アメリカの圧倒的多数派の一つが日本人とその混血であることに違いないでしょう。しかもアメリカへの併合当初から比較的裕福な民族になり、西部・中西部で圧倒的多数派になります。南北戦争でアメリカ連合の勝利に重要な役割を果たしたら、東部の白人があまり偉そうに言えなくなってしまいます。 実力を持ったままの異民族を抱えた国、アメリカ。本当の意味での多民族国家アメリカ。 これこそが、20世紀のアメリカに対して仕掛けたかった重要な変更点の一つです。一色に染まらないアメリカがどういう末路を歩むのか、いまだ結論を出していないので、書いた当の本人ですら興味が尽きません。 また、もう一つアメリカに与えた変化は、アメリカが常に長大な国境線の防衛を考えなくてはならないという点です。 諸部族連合は、アメリカから大量の領土を奪われため、アメリカを不倶戴天の敵と考えています。中立化したアズトランにしても親米ではない武装中立で国力相応の軍隊も持ちます。カナダの英国も、アラスカ(レプンモショリ)のアイヌも反米です。 また、アメリカが職業軍人による軍隊として体裁を整えるのは、南北戦争後の方が顕著ですが、この世界では第一次北米動乱(1824年)が近代軍建設の契機となります。 つまり、この世界のアメリカ陸軍は早くから発展し、海軍よりも陸軍に重きを置く傾向が強くなります。当然、軍事予算も陸軍に多くが割かれ、軍事費そのものが常に国家予算の多くを浪費する事になります。しかも、主に日本のおかげでアジア・太平洋に進出する事は適わず、海軍は長い間日陰者になります。 第一次世界大戦頃から、史実に似たアメリカ軍のように見せていますが、実際は大きく違ったものになります。 なお史実では、南北戦争以後東部の経済が、南部、西部という市場を得て大きく発展しています。しかしここでは、ミシシッピ川以西はすでに有色人種により開発が進んでおり、東部一極集中での発展という図式はできあがりません。だいいち、南北戦争での南部残存の影響で20世紀に入る直前までアメリカが市場として統一される事はありません。しかも、最終的には南部が政治的実権を握ってしまい、東部の発展と台頭をさらに阻止します。 つまり、東部、南部、西海岸という力点が生まれたアメリカが成立しており、これも大きな違いになります。これを簡単に色分けすると、政治の実権を握った呉越同舟状態の南部、歪んだ白人主義を保った経済重心の東部、日本人・諸部族を中心として独自性の高い西海岸です。 そして、進んだ有色人種を内外に抱えた事で、アメリカ人のメンタリティーそのものもも大きく違ってしまいます。 何しろ諸部族連合とアズトランの存在が、アメリカを作り上げた異民族(主に白人)を「敵」として認識し、彼らの数百年にもわたる行いを開拓ではなく「侵略」としているからです。 結果として、史実とは違うアイデンティティー、メンタリティーを持ったアメリカ人が形成されるのではと思われます。 その象徴が、アメリカ合衆国が消滅しアメリカ連合が北米中原を統合した事となります。そう、アメリカの理想は合衆国消滅と共に滅んだのです。 おそらく、この世界のアメリカは欧州一般の列強に近いメンタリティーのまま、民主主義国の特徴である市民の突き上げにより、歪んだ侵略性を見せる国家になっていくでしょう。例を挙げるなら、ナポレオン以後のフランスが近いと思われます。
次は、北米大陸以外を見てみましょう。 東南アジア諸島部のインドネシアは、秀吉による慶長の役で日本のテリトリーに取り込まれます。独立は維持しますが、少なくとも経済影響圏に含まれ続けます。 そして16世紀にジャワ島勃興したバンダン王国とマタラム王国を中心として、インドネシア全土の統一事業が推し進められます。スマトラ島やスラウェジ島にも独自の王朝がありますが、順次統合もしくは連合化されていくでしょう。 日本列島の人々が、ジャワ島の二つの王朝を支持した理由は、二つの王国がヒンズー教を国教としているからです。 つまり、日本人やアイヌ人がコントロールする上で、イスラム教(一神教)の存在は邪魔だったからに他なりません。 また二つの国が、熱帯雨林気候で奇蹟とも言える豊かな土壌を誇るジャワ島に存在する事も重要です。 土地が豊かで常夏、雨量はそれこそ無限大。お米が二期作でジャンジャン栽培でき、人口も多いという事です。 現在でも巨大な人口を誇るインドネシア共和国の最も人口過密な地域としてジャワ島は存在しており、ジャワ島の豊かな土なくしてインドネシアの大人口出現はなかったでしょう。 スマトラ島のアチェ王国など、ジャワ島以外の国家が当時のインドネシアには存在しましたが、中心としなかったのは上記二つの理由からです。しかし、日本列島の約五倍の面積を誇るインドネシアには、広さ相応の多数の価値観が存在します。しかも赤道直下の熱帯なので、北方民族のアイヌ人は嫌ってあまり移住しないでしょう。日本人も、もっと他の気候風土の良いところに先に行くので、農業移民の数は限られるでしょう。 上記のようなファクターを積み上げた結果、親日系ながら現地政府中心の連合王国というものを作り上げ、ゆるやかな政治形態としました。 おそらくこの世界のインドネシアはイスラム教国ではありません。主要部には、バリ島風のヒンズー文化が広がっている筈です。一部の文化・文明は、日本もしくはアイヌ風に染まっているでしょうが、バリ島のウブド王宮やブサキ寺院を発展・巨大化したようなヒンズー系建築物が多数見られる事でしょう。インドネシアの王侯貴族の出で立ちも、バリ島の風俗とインドのマハラジャのような姿に近くなるでしょう。 いっぽう、インドネシアなど比較にならないほど奇天烈な事態になっているのが、インドネシアの南にあるオーストラリア大陸です。
史実でのオーストラリア大陸は、17世紀にオランダ人タスマンによって地理上の発見がなされ(タスマニア島の語源になった人物)、長らく欧州では誰も住まないままニュー・オランダと呼ばれていました。それを1770年にキャプテン・クックが再発見してイギリス領を宣言します。イギリスからの最初の移民も1788年なうえに、流刑地として経営がスタートしています。 ですが、この世界ではすべてを百年も前倒しして、日本人がせっせと移民を開始してしまいます。クック船長がいかに強弁を尽くそうとも、オーストラリアの大地をイギリス領だと言い張ることはできないでしょう。しかも日本の植民は、現地に領主(大名)すら配した完全領土化を目的としています。 しかしオーストラリアは、1824年の日英戦争によって呆気なく日本(江戸幕府)からイングランド連合王国に割譲されてしまいます。しかも400万人以上の現地日本人と共に。 イギリスがクックの「発見」から約半世紀経った1824年に領有権を委譲された時、ブリズベーンの日本風宮殿を総督府としても、インドとは比較にならない慎重な統治が必要です。 なにしろ住民の過半が発展した文明と武力を持つ日本人で、先住民はほとんど壊滅しています。先住民のわずかな生き残りも日本人に同化されつつあります。インドネシアなど近在からの移民もあるが、宗教面以外での価値観は日本人に近くなります。しかも統治開始当初は、日本人と先住民たちは全くといってよいほど内輪もめはしていません。それこそが、良くも悪くも日本が行ってきた農耕民族的統治方法だからです。 しかも現地に居残った日本人領主達も内政自治に関しては結束するだろうし、近代国家として開発が進んでいて彼らを遅れた蛮族と言い切ることもできません。それに日本人の組み上げた統治システムを利用する方がはるかに安上がりな上に、現状のままの方が長期的に見て利益が上がってきます。しかも、旧宗主国となった日本も影響力を失ったわけではありません。 以上のような状態なので、戦争でタダ同然でもらったからと言って、ジョンブルたちが素直に喜べる場所ではありません。ダイミョーをマハラジャと同義に捉えて、インドのように支配することは出来ないのです。 それに、民度の高い大人口と発達した産業・経済は、うまく利用すれば大英帝国繁栄のため非常に有効です。消費市場としても生産拠点としても大いに期待できます。高度なインフラの存在は、アジア・太平洋に対する橋頭堡としても、存分に存在価値を発揮するでしょう。 しかし同時に、近代的に発展しているという事は、住民の教育程度も高くなり、知識相応の反骨心もある筈です。必要以上に強権を用い搾取すれば、かつてのアメリカのように独立されかねません。それに締め付けすぎては、色々な意味で経費がかかるばかりで、統治する上で本末転倒となってしまいます。 当の日本がアッサリ豪州全土を手放したのだって、独立とそれに伴う戦争、出費を嫌ったのではと考え方がむしろ当然と考えるでしょう。それどころか、豪州が揺れ動けば裏から武器を売買するなど、揺さぶりをかけるのが当然です。そう、日本は戦争敗北にかこつけて、魅力はあるが厄介者を押し付け、イギリスの足を引っ張ろうとした、とイギリス人達は考えるのです。よもや単なるトカゲの尻尾切りや人身御供として、大いに発展している地域を切り離したなんて考えない筈です。 また、せっかく発展している地域を不用意に搾取して疲弊させては、長期的に得られる果実は少なくなってしまいます。 つまり、大英帝国が長期的視野からより大きな利益を得るためには、豪州全体の懐柔政策こそが肝心、というわけです。 大英帝国の大いなる利益のためには、人種偏見も現地内に限りおおむね棚上げしましょう。イングリッシュの普及とキリスト教(イギリス国教会)への改宗、英国風支配階層の育成は熱心に行うべきですが、それ以外の現地文化、風俗は目をつぶるべきです。彼らの文化や生活はできるかぎり尊重してやりましょう。現地人が刃向かわない限り、文明人にあるまじき略奪や破壊は以ての外です。税金だって、本国より少し高いぐらいに抑さえてあげましょう。高くし過ぎたら独立されてしまいます。 逆に、英本土からアングロ系の人々を送り込んで、現地支配層に限り民族同化も熱心に進めましょう。英本土の貴族を新たな領主として送り込んだり、積極的に日系領主と婚姻を結んでイングランド化も忘れてはいけません。当然ですが、居残った日系領主を頂点とするすべてをイギリス国王の下に組み込んでしまうのです……ああ、チクショー! ジャップの陰謀に乗らねばならないとはっ!! そんな感じのノリで、イギリスには豪州のガバメントを行ってもらいました。そして、イギリスは豪州をスムーズに得た利益を最大限に活用して、史実並の世界帝国建設に邁進してもらいます。カナダの西半分やニュージーランドなど史実と違って得られなかった場所も多くなりますが、日本人によって大まかな開発の終了している豪州は、補ってあまりある力を大英帝国に与えてくれるでしょう。 そして英国政府から豪州の功績に対して、史実の自治をインスパイアした同時期に「オーストラリア連合王国」独立を与えてみました。 ……もっとも、豪州と英本国の関係は、第二次大戦に敗北した日本とアメリカの関係へのインスパイアに近くなります。 それは、現地豪州の人々が英語を取り込んだ妙な日本語を話し、欧州文化を自分たちの生活にとけ込ませ、早くから洋装の日本人達が闊歩しているからです。
なお、今まで挙げた地域の他に、慶長の役で日本が手にしたマレー半島が、1824年の日英戦争の結果、日本からイギリスに主権が移ります。1824年の時期を選んだのはもちろん史実に対するオマージュです。 そして200年以上も日本の経済圏にして勢力圏としてマレー半島は歩むわけですが、マレー半島は、華僑と日本人が入れ替わっているだけで大きな変化はないものと想定しています。 日本人によってペナンやシンガポール島が商業地区として開発されていますが、イギリスにとっての主要交易国が清国では、史実との大きな違いを見つけるのは難しそうです。 もちろん、大いに発展した日本との交易による変化はあるでしょうが、互いに交易国家にして加工貿易国家、しかも大量の資源輸入国家ですので、接点が自ずと限られてしまいます。イギリスが日本に治外法権や関税自主権を奪うぐらいの事をしない限り、戦争をしなければならない程の交流にはつながらないでしょう。そして、地球の反対側といえる地域で文明国と全面戦争するような不毛なことを英国はしない筈です(多分……)。 また、日本の経済圏・影響圏に飲み込まれる東南アジアには、インドシナ地域とタイ王国がありますが、これらは史実と大きな違いはないものとします。海外交易が活発になって、それぞれの国や地域が親日政策を強める程度です。だいいちベトナムに日本が強く介入したら、せっかく鎖国している清帝国が海に感心を向けるかもしれません。それでは藪蛇です。 なお、諸部族連合、アズトラン連合王国、インドネシア連合王国、オーストラリア連合王国のそれぞれは、日本の友好国となる事で、大量の戦略資源を19世紀以後もたらしてくれる事になります。これは、この世界の日本帝国領内だけでは不足する資源も多く含まれており、世界帝国として膨らんでいく日本人による大帝国を支える大きな布石となっていきます。
さて、そんな環太平洋地域とは異なる国が雲南王国です。 王朝の起こりを辿ると14世紀の明国に行き着き、明国崩壊以後王朝の生き残りが紆余曲折の末に雲南地域に作り上げた国家になります。 本来なら現中華王朝となる清に徹底的に滅ぼされる筈だったのですが、日本の積極的な介入と各種政治的取引の結果、中華辺境部で清の属国として政治的に生き残ります。 17世紀後半の正式な建国以後、20世紀に入るも存続を続け、中華中央部とは切り離された国として歩みます。 この国の日本人は、「唐出兵」で派兵された傭兵の生き残り数万人です。彼らの多くが武官として取り込まれ、かつての恐怖による存在感、独特の出で立ちによって国を守っていきます。 しかし、結果としての日本人の関わりはそれだけです。雲南王国が、豊臣幕府と清の政治的取引で生き残ったとは言え、多くの日本人にとっては訪れるのも難しい遠い異国に過ぎません。 文化・風俗も、明国からの中華風です。 この国の人々は、地方は数千年前からの暮らしを守り、武官の一派が日本風で、中央の人々が明からの伝統を保つ中華風となります。当然ながら彼らには、満州族の弁髪もチャイナ服も、満漢全席もありません。キョンシーの服装もしません。官僚や貴族はあくまで古くからのチャイナの伝統と風俗を持っており、清とは一線を画しています。 国土は雲を冠するほどの高地で瑞々しい山間部。民は漢民族以外の少数民族。武官は日本のサムライ。王侯貴族や官僚はかつての中華文明を背負うという、ほとんどおとぎ話の中にしか存在できないような国家です。 しかし、膨脹した日本なくして成立しえなかった地域であり、日本が中華大陸を侵略した記念碑のような存在になります。
以上で、おおよそですが日本帝国に加わらなかったが、日本とアイヌの影響が強く加わった地域ついて見てきたでしょうか。ですが最後に、「閑話休題1」で触れた「キルギシア王国(仮称)」について触れておきたいと思います。 キルギシア、中央アジア北中部地域に関しては、現在(2007年春)仮称としている通りオフィシャルでまだ決定していない国、地域です。(単に今まで忘れていただけですが) キルギシアは、閑話休題の解説通り現在のカザフスタン地域に出現する可能性のある政治勢力です。18世紀以後、西から北部国境をロシア、東部国境を清と接しています。南部には、ペルシャ(イラン)や中央アジア系の遊牧国家がいくつかあります。国土が現在のカザフスタンと同じと仮定すると一部がカスピ海と接していますが、外海とは全くつながっていません。 カトリックを信奉する東欧系白人国家として成立した国ですが、同じ教えを信じる人々ははるか西方です。自分たちをこんな場所まで連れてきたアイヌも、一部が支配階層で残った他は東の果てに帰っていきました。 民族的には、陸の孤島と言ってもよいでしょう。 ロシアは「いちおう」白人国家ですが、当時の欧州的価値観からすれば東方の蛮族です。文化や習慣も洗練されていませんし宗派も違います。同じキリスト教同士だろうと思われる方も多いですが、工業化以前の世界では宗派が違えば立派に異教です。そして陸の孤島となった国が取る方策は、ハリネズミ化もしくは膨脹のどちらかです。(今でも似たようなもんだが) そしてキルギシアは、アイヌから多くの制度を導入し16世紀半ばまでの欧州の技術もある程度持っています。 産業は農業と手工業主体で、近隣の騎馬民族に比べて人口密度は全く別次元で経済力も高くなります。軍事力も、アイヌ直伝で三兵編成が導入され産業育成により火薬兵器も多数取り揃えられているので、騎馬民族など敵ではありません。 北のロシアだって、18世紀までなら総人口1,000万人程度。欧州の基準でもどうにか列強というレベルの国力しかありません。キルギシアの北部に広がる西シベリアまで、少数のコサック以外の大兵力を持ってくる事など経済的、物理的に不可能です。 東の大国清は、17世紀半ばから19世紀初頭にかけては世界最大規模の大国ですが、中華帝国の性格上大人口を抱える中華中央部の統治に多くの労力が割かれ、中央アジアまで大規模に進出する余力はありません。遠征などしたら戦費で国が傾きます。史実を見る限り、東トルキスタン(現ウイグル)の遠征が限界だったと見るべきでしょう。 中央アジア南部に住む騎馬民族の向こうには、ペルシャやインドがあり、コーカサス山脈の向こうにはオスマン朝もありますが、間にはさまる騎馬民族や巨大山脈などの地形を考えると、最低でも黒海沿岸に領土を持たない限り、細々とした交易関係しか持てそうにありません。 しかし、忘れてはならない要素があります。 キルギシアが、民族の孤島状態のカトリック系キリスト教国だという点です。近隣のパワーバランスが自国優位なら、する事は一つです。侵略と領土拡張しかありません。 暴論と思われる方もあるでしょうが、キリスト教国でなくても条件が揃えば侵略に傾くのは必然だと思います。今とは時代も考え方も違いますからね。
そしてすべてを楽観的かつご都合主義的にシュミレートしてしまえば、17世紀半ばには、西シベリア、中央アジア全土を平定し、ロシアと大戦争する大キルギシア王国が出現する事になります。場合によっては、ポーランドとロシアを分割して、ユーラシア北部の一大勢力として覇を唱えているかもしれません。 周辺に強い政治勢力が存在しないので、大きく拡大する可能性が十分あるのです。(停滞して衰退する可能性も同じぐらいの可能性があるが。) そして19世紀。列強が帝国主義に入った頃、中央アジアのすべてを飲み込んだ中原の帝国が出現し、旧宗主国といえるアイヌと緩やかに連携しつつ欧州列強と大戦争を繰り広げるのです。 もっとも度重なる侵略なんてしていたら国力を疲弊して、20世紀に入るまでにロシアに飲み込まれてそうですけどね。 閑話休題で色々書きましたが、結論はそんなもんではと思いました。 けど、資源や農作物が近代化に有望なものが多いので、この地域に強い意志を持った国は作ってみたいですね。(20世紀後半以後においても、天然ガス、ウランが豊富なのでとても重要) 国家の命運を背負う金髪碧眼の王子様が、中央アジアの乾いた草原に大軍を率いて立つというような、通常あり得ない情景も作れますし(笑)
閑話休題。架空の軍艦を作るのと同様に、異世界や架空の国作りも私にとっては楽しみです。だからこそ、この世界で日本とアイヌが作り上げた近代国家の数々は、史実ではあり得ない国々ばかり建国させてみました。 アステカ文明を大切にする神秘の国、インディアンな大陸国家、バリ島にしか残らない文明を中心に据える国、雲南にある中華であって中華でなくなった国、大陸一つを抱えた和洋折衷な新王国、そして乾いた草原に広がる白人の国。 すべては、エンターテイメントのファンタジー作品で見かけるような、私達の視点から見た場合の無国籍国家です。しかし、そのような国を架空史の上で作れないものかというのも、「太陽帝国」の中での私の楽しみの一つでもありました。 そう言った視点から見れば、私自身の目的はこれらの国々を作り上げた時点で達成されたと言っても過言ではありません。
(故に私達との世界の表面的近似値を強めた20世紀以後の世界は、皆様のご想像にお任せしても構わないぐらいの気持ちにすらなってしまいます。)