■太陽帝国「楽屋裏」 閑話休題3:
 モンゴルのアイヌ支配

■閑話休題:「豊臣幕府」
 家康が早逝した世界の果てに

 ここでは「太陽帝国」世界とは関係なく、史実と同じレールの上で豊臣幕府ができる仮定と、楽観的に見ていった豊臣幕府の行く末を見ていきたいと思います。
 前提条件は、本能寺の変で徳川家康が織田信長と同時に抹殺された世界での戦国時代の顛末を追った後です。
 ターニングポイントは、1582年の「本能寺の変」。
 徳川家康が織田信長と共に本能寺に居て巻き込まれた、もしくは堺から陸路領地へと落ち延びる途中で命を落としたとします。物語的要素を強くすれば、「誰か」の差し金でニンジャフォースが家康を謀殺したとしても良いでしょう。
 とにかく豊臣幕府にとっての邪魔者は、徳川家康です。徳川家康さえいなければ、豊臣政権は成立しそうですからね(笑)

 かくして、山崎の合戦にて明智光秀を討った羽柴秀吉、後の豊臣秀吉が賤ヶ岳の合戦以後圧倒的優位を作り上げ、一気に天下統一へと流れていきます。

●家康無き天下統一
 本能寺の変のときの徳川家の嫡男秀忠は、まだまだ幼児にすぎない。家康が本能寺の変で死ねば家臣団も大いに混乱し、徳川家は火事場泥棒する事もできないだろう。まずは自分の足下を固め直すだけで精一杯のはずだ。徳川家は良くも悪くも家康を中心に成立していたからだ。
 対する秀吉の天下統一事業は、スタート時点で史実よりはるかに順調になる。なにしろ家康なき徳川家は、秀吉にとって政治的に取るに足らぬ存在に落ちてしまう。長い間の冷戦状態や小牧長久手の戦いをするまでもなく、徳川家は他家同様臣従する可能性が高くなるだろう。賤ヶ岳の戦いで勝った秀吉の前に、圧倒的カリスマたる家康亡き徳川家がかなうとは思えない。
 もっとも、秀吉の天下統一の速度そのものには大きな変化はないかもしれない。せいぜい1、2年早まる程度だろう。
 ここでは、2年早い1588年に秀吉の天下統一とする。

●統一後の秀吉
 豊臣秀吉にとっての徳川家は、臣従し刃向かう素振りを見せない限りそのまま東海地方に封じ込める。家康が居なければ当面は脅威ではないから慌てて潰す必要はない。もちろん理由をつけて、どこか辺境に転封てもいいだろうし、領地を減らしても良いだろう。そして天下統一後、史実で徳川領となる旧北条家領土は秀吉子飼いの部下の領土とし、武断、文治双方に等分割り当てで互いに競わせるのが適当だろうか。
 かくして、苦労なく秀吉の天下統一完成だ。
 さて、史実より2年早い天下統一後の秀吉は何をするだろうか。順当に考えれば、政権基盤の確立と戦災復興、国内産業振興をしたいところだ。
 だが、彼の配下には血の気の余った者ばかりが集っている。それに秀吉自身が史実同様に増長し、分不相応な夢を見る可能性は高い。
 そう、天下統一後の秀吉が、大明国征服目指して朝鮮出兵に傾く可能性は家康の事は関係ないのだ。
 また、史実の統一後の秀吉の悪政の数々も、家康がいようがいまいが、晩年に至るまで家康との関係は薄い。内紛の可能性も、事実上の独裁者にして圧倒的カリスマたる秀吉存命のうちはあり得ない。史実より二年天下統一を早めたので、内政基盤の整備は進むだろうが、違いはそれぐらいだ。
 ただ、五大老、五奉行のうち大老の一人は徳川家以外となる可能性が高まる。徳川家が秀吉政権下で相応の大名として存続していても、当主(秀忠)が若すぎて大老にはなれないからだ。
 影響力、領土の広さから島津か佐竹、伊達あたりになるだろうか。忠誠や譜代要素を加味して、賤ヶ岳七本槍の誰か(加藤や福島など)を大幅に加増して当ててもいいかもしれない。物語要素を強くするなら、黒田官兵衛を現役に留まらせて大老とするのも手かもしれない(これはこれで問題化しそうだが)。
 なお、朝鮮出兵は秀吉の内面に変化がない限り変化無し。もちろん、明への直接遠征もガレオン船の建造・運用ノウハウが手に入らない限り史実と変化なし。その後の朝鮮出兵の経過も変化なし。一族の生死も変化なしとする。
 かくして朝鮮出兵は、浪費の果てに秀吉が没してうやむやのうちに終わる点も変化なしだ。
 この点、史実との大きな違いが作り出される可能性は低い。違いは秀吉没後にやってくる。

●秀吉没後
 さて、家康がいない場合、一番歴史の変化が大きいのが秀吉没後から史実での家康没までの間になるだろう。関ヶ原、江戸幕府開府、大坂の陣の全てが、徳川家康なくして成立しない。
 たとえ徳川家と優れた家臣団が存続していたとしても、家康というカリスマがなければ秀吉の晩年までに徳川家自体が無害なレベルに縮小されている可能性が高い。徳川四天王など有能な家臣も多かったが、すべて家康あったればこそだ。最悪求心力をなくした徳川家は、早期に内部崩壊や内紛をしている可能性すらある。有能な人の集団は、拠り所、大きな重しがなければ機能しないのが常だ。
 もちろん徳川家には、幼き嫡男を盛り立てていくという道筋も考えられる。しかし、秀吉が元気なうちに徳川家が内部から骨抜きにされる可能性の方が高い。また、成長後の秀忠個人が秀吉に対抗できるほど有能だとは、史実の資料を見る限り考えられない。だいいち秀吉存命の間、秀忠は幼すぎて相手にもならない。
 いっぽう、秀吉、家康亡き後の豊臣政権だが、家康がいなければ極端なほど急速な武断派と文治派の対立には至らないだろう。互いに相手は気に入らないが、小さなテロをするぐらいの睨み合いで終始する筈だ。何しろ積極的に豊臣政権を引っかき回す人間がいなくなるのだ。五大老も互いに牽制しあいこそすれ、天下を我が手にとまでは考えないだろう。既に安定を得た人間とは、得てして保守的になるものだ。
 そして、時が経てば経つほど政権中枢を担う文治派の優位が大きくなる。秀頼が成人してしまえば文治派の優位は決定的だ。
 おそらくは、日本初の近代的官僚団を形成する文治派により、室町幕府に似た公家政治的要素を持った長期豊臣政権が成立する可能性が高くなってくる。
 お約束として大規模な争乱のひとつも起こしたいところだが、圧倒的財力を持つ豊臣家に対抗できるだけの大名は、実力と名声、野心のすべてを持った徳川家、いや徳川家康以外にはあり得ない。
 伊達政宗などを押す方もいるだろうが、彼には国力、財力、立地条件など欠けているものが多すぎるし、現実レベルとして欠点を補完する事も難しい。同様に島津も天下を狙うには立地条件も悪いし、やはり力不足だ。黒田官兵衛も天下取りの候補に挙げられるが、乱世を自身で引き起こすには至らない可能性の方が高い。それに彼自身の気質が、雲を作り出す側ではあっても、雲に乗る側ではない筈だ。
 国力、財力だけなら毛利一門は豊臣の対抗馬足り得る可能性を保つが、一族全体が保守的すぎて豊臣政権の重要な一翼を担う方にむしろ終始するだろう。同様に上杉もそれなりの力はあるが、上杉景勝、直江兼継の時代が続いている間は豊臣の重鎮としての地位を維持しようとするはずだ。秀家が存命の限り宇喜多家については言うまでもない。前田家、ついでに小早川家も、徳川家康がいない以上、豊臣政権下の重鎮の地位は動かないだろう。
 唯一争乱の種は、豊臣政権内部の文治派と武断派の対立のみとなる。しかし、上記した通り十数年も官僚団による政権が続くと文治派の優位が確定して、武断派にとっては天下分け目の戦乱どころではない。
 おそらくは、豊臣家の威を借りた文治派に武断派が、年月をかけて骨抜きにされていくだろう。領土の広すぎる大名など、中央政権に害のある外様大名についても同様だ。
 場合によっては、武断派や外様大名が起死回生の争乱を起こすかもしれないが、反文治派だけで結集する呉越同舟では、体力のある豊臣政権に対して力不足だ。戦乱となっても呆気なく鎮圧されるのがオチだ。万が一勝利して統一政権を事実上瓦解させても、倒した側に中心核となる人物がないので、再び戦国の世に戻る可能性もある。豊臣政権そのものが十数年も続いてしまうと、戦国型の大名では収められない巨大なシステムと化していくからだ。
 何にせよ豊臣政権下では、武断派や旧来の考えを棄てられない大名が中心に立つ未来はないと考えるのが妥当だろう。

●初期の豊臣政権
 豊臣家が長期的な中央政府を作るに当たり、豊臣宗家は形式上や公家の一つとされ、最高官職の一つである関白太政大臣を代々受け継ぐ形が続けられるだろう。始祖たる豊臣秀吉が源氏どころか武士の流れにないので、公家が自らの持つ伝統を曲げるとは思えない。母系も是とする考えを認めさせるしかないだろうが、父系重視の日本社会では変革させるだけの要素が不足だ。
 よって、関白豊臣家を中心に官僚化した武士が天下を治める形が作られる可能性が高い。武家の統領たる征夷大将軍は、源氏の後継者が出ない以上、空位のままとなるだろう。
 当然だが、武家中心に動いていた当時(戦国時代)としては、豊臣家の政治的求心力は弱い。関白は朝廷内での政治的最高権力かもしれないが、武士の最高権力者ではないのだから諸侯の不満も大きくなるだろう。しかも豊臣政権は、政権内部での権力闘争の結果、中央官僚専制国家の向きを強くしていく。
 よって豊臣政権としては、武士の力を削ぎつつ豊臣家、豊臣政権の力を上昇させる事に腐心する可能性が高くなる。
 最も単純な手は、重商主義に大きく傾倒して台頭しつつあった商人と町人の支持を得る政治を行うのだ。しょせん武士など、農村領主に過ぎない。
 商業と大都市中心に経済を持っていけば、農村豪族の発展型である武士の没落が進み、あとは財力を用いて官僚団と政府直属の軍隊を整備して中央集権化すれば豊臣政権の長期存続も難しくない。
 形としては、欧州の絶対王制にかなり近づくだろう。
 もっとも、ここまで豊臣政権が持っていくには半世紀近い時間が必要になると思われ、そこまで政府が強く存続できるかが一つのネックかもしれない。

●17世紀半ば以後の豊臣政権下の日本
 豊臣政権が町人と商人の支持を得るため商業を拡大しようとすれば、必然的に海外交易を活発せざるをえない。
 キリスト教に対する恐怖心と欧米列強に対する脅威はあるが、きちんと政府主導で交易拡大すれば、自ずと情報もたくさん入るようになり最低限の対策も取られるだろう。彼らが通常の商売として頻繁に行っていた奴隷貿易も、力を持った段階でやり返してやれば良いだけだ。
 しかも、海外進出したければ列強との競争のためにも軍備増強も行わなければならず、国内の不穏分子を抑えるために中央政府の軍隊は強大でなくてはならない。そして軍隊の維持のためにも経済活動の拡大は必然だ。
 また、いったん経済活動を活発化してしまえば、おいそれと縮小する事はできない。だいいち海外交易を縮小させては政権基盤である商人の支持を得られなくなってしまう。
 江戸時代初期にあたるこの頃は、日本の手工業や商業はまだまだ発展時期にある。内需だけでは商業活動の極端な拡大はできないのだから、政権維持のためにも海外交易を止めることは不可能だ。
 そして商人が力をもった末に発生するのは、国家規模での略奪的侵略だ。これは洋の東西を問わない。
 おあつらえ向きに、大陸では明と清の争いが激しくなって、1645年には明は滅亡して大混乱に陥る。
 しかも、史実でも1620年代にはキール(竜骨)を備えた大型外洋帆船が国産出来るまでに造船技術も上昇しつつある(まだガレオン船ではない)。鎖国政策がなければ、船舶建造技術も自然と向上している筈であり、援助を名目に政府が大艦隊を編成して中国大陸への侵略に傾くのは自然な流れとすら言える。
 そして長江流域は中華経済の中心地であり、絹、陶磁器、織物など膨大な物産の生産地、集積地だ。略奪のしがいもあるというものだ。特に遠征して略奪するのが本来の目的となる日本にとっては、後のことを考えなくていいのだから略奪の度合いもひどくなるだろう。
 かくして17世紀半ばの中華経済は破壊と略奪で徹底的に低迷し、逆に日本は略奪により大いに豊かになり、また技術も得て産業が発展する可能性が高くなる。
 そして中国の混乱を利用した日本は、商業中心の国家として繁栄に至る。

●日本の大航海時代
 国内経済が豊かになると発生するのが、人口の拡大とそれに付随する遠隔地への進出(移民、植民)になる。またいっぽうで、市場を求めての純粋な膨脹も行われる。むしろ後者の方が必然性は高い。
 つまり、日本版大航海時代が17世紀半ば頃から本格的に幕開けするのだ。
 すでに欧州では15世紀後半から大航海時代は幕開けしているが、アジア・太平洋地域はまだまだ空白地帯といって問題はない。日本人遠出を妨げるのは距離だけだろう。
 そして日本人が移民できる場所、つまり米の栽培の出来る場所として、環太平洋の人口希薄地帯が二カ所ある。オーストラリア大陸の南東部と、アメリカ西海岸のカリフォルニア一帯だ。
 どちらも灌漑農業を行えば米の大規模栽培は十分可能であり、日本人の移民先として、また後の本土に対する食料供給地として発展する要素を持っている。
 もちろん現地には先住民がいるが、日本人も持つユーラシアの凶悪な疫病の数々が彼らを駆逐するので対抗勢力足り得ない。戦国時代の気風を持ったまま海外に出ていれば、日本人達は先住民に対する軍事力の行使にも躊躇しないだろう。日本人と西洋人の違いは、奴隷に対して積極的かどうかだ。
 そして現地の制圧後は、生き残った先住民の同化政策を進めつつ、自らのテリトリーをジワジワと広げる方向に流れるだろう。
 形としては、スペイン型統治と近代日本が行った農耕文化型の長期投資型による領土化といったところだろうか。

 いっぽう純粋な海外交易だが、日本人の手はいずれインドに達するだろう。インドも大人口地帯であり、豊かさに満ち溢れているからだ。ついで黒潮に乗って北米大陸に至れば、その後カリブ海に出るのも必然だ。ロシアが進出し始めていた北太平洋へも魚介類と毛皮、金を求めて進出するだろう。何しろ競争相手がいないのだから、足並みの遅いであろう日本人でも進出が可能になる。
 また、アメリカ大陸、フィリピンなどスペインが早くから進出しているが、ドイツ三十年戦争以後のスペインに往年の力はもはやない。日本と戦争が起きたとしても、日本製ガレオン船を建造できるようになるであろう17世紀後半以後の日本なら、アジア・太平洋での優位は作り上げられる筈だ。距離の問題と、本国の人口が違いすぎるので、日本が本気で戦争すれば相手を駆逐する可能性がかなり高いからだ。(もっとも、日本が欧州や大西洋にまで殴り込む事はまず無理だろう。)
 そしてスペイン駆逐後の豊臣政権は、新教国のネーデルランド連邦やイングランド王国と張り合いつつ、カリブやインド洋での交易に精を出す事だろう。

 そして海外進出による列強との衝突だが、16世紀の頃から日本近在に植民地や拠点を構えているのが何と言ってもスペインだ。宗教問題もあって日本にとっての不倶戴天の敵としても認識され、スペイン凋落後は激しく攻撃する可能性が十分ある。
 しかも日本人達は、戦国時代と朝鮮出兵、中華大陸での横暴により暴力に馴れたままなので戦争には躊躇しないはずだ。
 いっぽう、ネーデルランドやイングランドは、遠く極東で理に合わない戦争をしないだけの合理性を持ち合わせているだろう。強い武力を持った豊臣政権が少し強気にでれば、少なくとも政府間では戦争までして争うことなく妥協し合あえる可能性は十分にある。
 また北方では、17世紀後半よりロシアのシベリア進出が進んでくるが、日本にとっての利益が出ると分かるまでオホーツク方面、シベリアへの進出は行われないだろう。ゴールドラッシュが例外ぐらいと思われる。もっとも、白人に毛皮が高価で売れると分かれば、目ざとい日本商人が北方への狩猟へと出かけ、政府が後押ししてロシアと競い合いながら北米大陸にまで至るという可能性は十分ある。また、史実で俵物と言われた乾燥魚介類輸出のため、早くからオホーツク進出を強化する可能性も十分にある。
 そして、海流に乗って新大陸に至りカリフォルニアを「見つける」と、いずれスペインから分捕りにかかるだろう。ここほど米作に適した更地は稀だからだ。また、メキシコ銀に目がくらめば、北米大陸からスペインを駆逐してしまうかもしれない。
 そして、距離と人口、そして国力差さえ得てしまえば、海外膨脹した日本人達が自分たちの利益拡大には躊躇はしないだろう。

●日本の価値観、文化
 日本の外への膨脹は、初期の交易、17世紀半ばの略奪的交易と中継貿易、18世紀からの海外移民の本格化、内需拡大後の重商主義という流れを踏むだろうか。
 スペインとネーデルランドの折衷型交易から、イギリス型の重商主義に傾いていくという流れだ。
 そして海外交易は国内にも変化をもたらす。
 豊臣政権は、今まで書いた通り都市部の商人・町人を支持基盤とした商業国家になっている。
 初期においては上方(京、大坂)や博多の大商人が主導し、その後航路の安定化に伴い中小の商人の勢力も拡大するだろう。都市人口も産業都市、港湾都市を中心に大きく発展し、製品を生み出す職人達も相応の地位を得、農村は主食の米よりも換金作物の栽培に傾倒するだろう。
 もはや農村武士の時代では完全になくなってしまう。武士や大名は単なる大地主の代理人に過ぎず、うまくいけばジェントリーやユンカーのような地主領主になるか史実とは少し違う経緯で官僚化し、失敗すれば完全に没落していくだろう。
 おそらくは、末期のフランス貴族やイタリア貴族のように華美のみを追い求め、質実剛健さは失われていくのではと思われる。安土桃山的派手さこそが豊臣秀吉のモットーであり、豊臣政権においても上位者が華美で派手であることはむしろ是とされるだろう。何しろ安土桃山文化バンザイな豊臣政権である(笑)
 質素倹約などという言葉は、鎌倉武士の教えを尊ぶ堅忍不抜の徳川武士団が中心に座ってこそ成立する考え方だし、商業国家の上流階層に質素倹約という言葉は似つかわしくない。これは武士(貴族)が史実同様に官僚化しても、仕事に対する真面目さとは無関係だ。だいいち、史実でも外聞や面子にこだわって武士は消費することを旨とされている。
 かくして、海外からの膨大な富を元手とした、消費文化が日本本土で発展し、農業より工業、商業がより重視される傾向が強くなるだろう。
 しかも、アジア的な「中つ国」の考えを持つのが、力を持ったアジア国家の典型なので、フランスに近い政府と経済が成立するのが自然ではないだろうか。
 同じ島国にして海洋国家であるイギリスこそ、近代に向けて順調に発展する日本のモデルだとする方もいるだろう。しかし、ひいき目に見ても日本人はアングロサクソンほど賢明でも計画的でも、ついでにずる賢くもない。だいいち根が農耕民族だ。
 たとえ早くから海外に出て外交の経験値を積み重ねていても、近年の高度経済成長やバブル経済に象徴されるようにその場の勢いに流される方向性が強い。とうぜん場当たり的な賢明さよりも、棚ぼた的な幸運に乗っての発展という方向性が強く、どこかでつまづけば全てが瓦解する可能性も十分もっていると思えてならない。写し鏡としては、やはりイギリスよりもフランスが近いように思える。場合によってはスペインをモデルとしても良いだろう。真面目に考えれば、一時の繁栄はできても、長期的な繁栄を自力で維持できるとは思えない。
 また、近隣に競争相手がいないので、文明の進歩、戦争技術の進歩が後れるのは自明の理である。日本列島は、平和と繁栄を享受できる代わりに科学技術の進歩は遅れ、史実の江戸時代同様に明日も今日と変わらない一日が百年以上の長きに渡って続く事だろう。

●革命? 御一新?
 王権と商業を中心に国が発展・拡大してしまうと、下層所得者の不満が高まる可能性が高くなる。特に都市中心の社会が形成されていると、民衆が我慢するという考えも小さくなり、豊かな者に対する不満が大きくなるのは必然だろう。政府が所得の再分配という近代的で高度な政策を念入りに実行しない限り発生しやすいフラグだ。
 もっとも日本の歴史上において、フランス革命のような下層民中心の政権交代という事例はただの一度もない。時代時代に勃興した上流階層(主に武士階級)の一部が不満を募らせ旧体制を打破するのが政治的流れになっている。
 民衆にとっては、戦乱が無くそれなりの善政を敷く政府であれば何だっていいというのが本音であり、政治に口出しする可能性は低い。
 また、都市住民の勢力が大きくなり、富の拡大により中間層の教育が普及していても、日本型社会において国家レベルでの市民革命が起きる可能性はかなり低いと判断してよいだろう。

 いっぽう豊臣政権は、関白太政大臣を中心とする公家政権的色彩を持っている。革命により明治維新のような天皇主権への回帰は、史実の徳川政権よりも簡単だ。それどころか、豊臣を政治の一部に残したまま次なる政権を作り出すことすら十分に可能だ。なにしろ豊臣家は公家の代表でもある関白家であり、形式上は天皇を中心とする政治の中心にも位置しているからだ。
 だからこそ、「王政復古の大号令」や「五箇条のご誓文」のような革新的な無血政変はむしろ難しくなる。
 いっぽうで、史実と同じように外国が来ることで天下太平の眠りから覚めるという流れは考えにくい。なにしろ今回の過程での日本は全然鎖国していない。欧州列強に手もなくやられるほどの軍事力でもなく、また欧州からは遠すぎる。
 それよりも、重商主義とそれなりの海外進出というファクターを加えた文明の進展速度を加味すれば、19世紀初頭に内部の欲求により政変がやってくる可能性の方がやなり高い。
 豊臣幕府における革命の形としては、体制の下で不遇な境遇におかれた外様諸侯のいくつかが力を持ったことで混乱が始まるというところだろうか。
 また、日本人が多数居住する海外領土を持っていれば、イギリスやフランス同様アメリカ独立に伴う一時的国力衰退や、海外戦争での敗北や戦費による国庫の傾きが混乱の引き金になる可能性は高い。加えて、移民地域がフランス革命に触発されて本国からの独立を図るという流れも大いに肯定できる可能性だろう。
 遠隔地が独立し、食料供給地と市場、徴税先を失う事で本国の経済が傾き政権が不安定になり、政変に向けての動きができるのだ。
 時期的には、ナポレオン戦争による世界での混乱が収まった後と考えるのが妥当だろうか。
 なぜなら、世界に門戸を開きそこかしこに日本人が進出しているのなら、ナポレオンがもたらした欧州の混乱に日本も遅れて巻き込まれ、権益保護と利益拡大のためにアジア・太平洋地域でのみ戦乱に首を突っ込むだろうからだ。
 そして戦争をすれば増税しなければならず、英国がそうだったように国内より先に植民地や外郭地から搾取するのが常道となる。
 かくして、せっかく勢力圏に組み込んだ北米西海岸や豪州には重税を理由に戦乱を経て独立され、市場と資源供給地を失った日本列島は、国庫の傾きもあって一気に不安定な時期へと突入していく。
 具体的な年号でいえば、ナポレオン戦争の総決算であるウィーン会議が1815年なので、それより十数年先が日本での政変時期になる可能性があるのではないだろうか。早ければフランス革命やアメリカ独立をスタート地点としても良いだろう。
 ここでは、19世紀前半の内に日本国内で革命が発生し、新政府が成立するものと仮定して話を進める。

●近代国家樹立
 これ以後は、19世紀前半(1830〜40年頃)あたりに新しい日本ができたと想定する。新政府は、天皇を中心とした中央集権国家だ。豊臣が政治的に生き残っている可能性はあるが、もはや主人公ではなく脇役に過ぎない。
 形としては、領土と国富が欧州列強並にある明治政府の樹立というところだろう。モデルケースとしては、やはりイギリスよりもフランスが近いのではと思われる。もしくはドイツ帝国が近いかもしれない。
 なお日本人とは、アングロサクソンやゲルマンのようなリアリストではなく、真面目な楽天家であろう。そして楽天家という点においてラテン民族に近く、ラテン系国家の中で一番真面目なフランスが近いように思われる。真面目さと戦争姿勢からドイツとの近似値を求める方も多いが、国家、民族として日本とドイツの差は大きいように思える。
 それに、日本本土自体は200年ほどの天下太平を享受するのだから、史実同様の優れた文化が形成されている可能性が高い。つまり、フランスのような文化国家としての側面も強まっているはずだ。ドイツのように戦乱を経て独自のリアリズムに至る可能性は極めて低い。

 さて、そんな日本人の新たな領土だが、豊臣幕府の間の膨脹で史実よりテリトリー自体は大きく広がっている。
 最も気宇壮大に見た場合、日本列島は当然としてオホーツク海一帯、スペイン領フィリピン、マリアナ諸島、北米西部一帯、メキシコ、オセアニア地域一帯、東南アジアのかなりの部分が日本領、もしくは勢力圏になる。しかし、北米西岸と豪州は現地移民に独立されて本国の政変へ流れるから、最も大きな海外領土は日本列島の手にはなくなっているだろう。日本列島の中央政府が、遠隔地をうまく統治できるほど賢明とはやはり考えられない。
 また、ウィーン会議以後は特にイギリスの勢力拡大が激しくなるので、東南アジアの権益の多くも失っている可能性が高い。日本本土を守るために中華大陸を元手のかからない生け贄として差し出すにしても、マレー半島などに勢力を持っていれば、かなりの確率で奪われているだろう。
 しかし、かなりの領土を失ったとしても、近代国家日本の領土が史実より広大という事に変化はない。これは、近隣に領土意識のない先住民が多いこと、文明国が極めて少ないこと、衰退後のスペインの領土を分捕ることなどのファクターから、日本が早くから植民地帝国建設に傾けば否定する要素は少ない筈だ。(逆に日本人がせっせと海外に出ていくのかという反論に対しても、同じように否定的意見を肯定せざるを得ないのだが)
 そして日本が200年の間にアジア・環太平洋中から集めた富を元手に新国家は近代化を開始するのだが、史実での明治維新の頃には十分近代国家としての産業が揃っている可能性が高くなる。
 革命前から国富が多く、領土・資源も豊富で、本土住民の教育程度も高いとなれば、近代化した政府主導の工業化を阻む要因はほとんどない。しかも先の政府は別に文明の進歩を否定する政府ではない。むしろ、商人のご機嫌を取るため、金儲けのためなら何でもしろという風潮の方が強い。まあ積極的に産業革命を進めるような計画性はないだろうが、入ってくる便利な物は利用するだろう。
 なお、19世紀半ばに成立する新政府の発展を妨げる要因に外圧がある。しかし19世紀の後半に入るまで、蒸気船が大量に溢れかえる時代が来るまで、欧州列強がアジアの近代国家に強く出ることは物理的に不可能だ。そして日本は列強が本格的に来る前に地盤を固めている事になる。
 そして、近代国家になるまでの豊臣政権が行ってきた行動が、世界史に大きな影響を与えることになる。

●植民地帝国主義時代
 豊臣政権時代(1590年代〜1830年代)、日本は欧州列強に遅れて大航海時代に突入してアジア・環太平洋へと進出した。
 結果として、東南アジア、北アジア、北米、豪州に日本人が進出し、米作の可能な北米、豪州では数百万人以上の人口をかかえた日系国家が樹立されている可能性がある。
 自らの政権維持と欲望を満たすため、無定見かつ無軌道に交易と膨脹を行った豊臣政権の結果がそれだ。そして日本の結果に一番のとばっちりを受けるのが、初期の段階ではスペインであり、その後はイギリスとアメリカになる。
 影響は一時的なものになるかもしれないが、イギリスは豪州と東アジア、カナダの西半分を手にすることができず、アメリカは北米大陸の西半分を得ることができない。
 アメリカの場合、史実でのアメリカ・メキシコ戦争のような手前勝手で理不尽な戦争を引き起こす可能性は十分あるが、19世紀半ばの西海岸の人口は最大で2000万人にも達する。米はそれほど偉大な作物なのだ。しかも西海岸の日系勢力は、西欧と似た経緯で順当に歴史を辿れば19世紀までには本土から自主独立するので、近代化もある程度行われ軍隊も持っていると考えるのが妥当だ。そんな相手に、まともな軍隊を持たない時代のアメリカ合衆国が殴りかかることは無謀としかいえないだろう。
 東西同時期に工業化(産業革命)に入ってしまえば、北米大陸の西半分に日系国家が成立するのが自然な流れだ。史実でのイギリス、フランス、スペインの境界線から考えれば、最大の場合ミシシッピ川が国境線となるだろうか。最少で、西海岸一帯だ。
 そして、南北戦争以後たとえ北軍が南軍に勝ったとしても、大きな開拓地を得られないアメリカの隆盛が史実より小規模になるのは必然だ。それどころか、西から日系国家が南北戦争に強く介入する可能性も高く、アメリカは北部、南部、中西部、カナダという形で分立し、北米は安定せず争い続ける事になるだろう。当然ながら各国は軍備に多大な予算をつぎ込み、戦乱の地という事で欧州からの移民も停滞する。
 つまり、日本人が北米に大挙至った歴史上において、北米大陸に世界的スーパーパワーが登場する可能性はかなり低くなっているのだ。
 いっぽう豪州を得られないイギリスだが、20世紀ならいざ知らず、19世紀前半ではただの流刑地同然の場所なので、国力に与える影響は少ない。
 しかし20世紀に入れば、お米の力で人口1000万人以上をかかえるであろう日系国家の重要性は高くなる。豪州はインド洋、南太平洋に広く面しており、大英帝国の欲するアーシアン・リングには必須の地域といえるからだ。また、イギリスの産業をささえた各種農作物や鉱産資源が安価で得られないので、その失点も大きいだろう。
 だが、イギリスがオセアニア地域を力で飲み込もうとしても、人口1000万人以上の近代国家が相手に戦争をしかけたら、国庫が干上がりかねない。時代と距離の問題から、20世紀に入るまでに南アフリカでのような戦争して奪うわけにもいかない。たとえ豪州を戦争で併呑したとしても、イギリス自体の国力が一時的であれ低下する事になるだろう。その上、豪州と寄りを戻そうと、日本人同士という理由で日本列島が首を突っ込んでくる可能性も十分ある。
 かくしてイギリスは豪州の強奪を当面は取り下げ、与し易い中華地域へさらに深く、強く進出していく事になる可能性の方が高くなるだろう。
 しかし、イギリス、アメリカが史実より少しばかり小さくなったからといって、日本列島に成立した新国家が世界のスーパーパワーになる可能性は、残念ながらあまり高くない。いや可能性はほぼゼロと言っても良いだろう。
 だいいち日本列島は、イギリス以上に本土の地下資源が少なく、最重要だった外地は不仲な状態が長く続くことが予測される。また、日本人自身が長期的視野に欠けるという点が無視できない。
 史実でも何度も見られたように、無定見に拡大した挙げ句に自滅するのがオチだ。たとえ領土や勢力圏が広大になり、日本人人口が拡大していようとも、図体相応に大きな国家に過ぎないと思われる。
 やはり、どれほど楽観的に発展できたとしても、フランスが得た国際的地位が限界ではないだろうか。

●結び
 豊臣政権成立から300年ほどの流れを極めて楽観的に追ってみたが、大英帝国を日本列島に作り上げることは難しいというのが結論になる。
 陣取り競争に先んじることで体力相応の大国に成長する可能性は十分にあるが、「日本人」というファクターを除外できないからこそ日本は世界帝国になれない筈だ。
 日本人は農耕民族的勤勉さは持っているだろうから、産業国家として隆盛する可能性は高いが、流通やお金の事に強くはない点からも世界帝国にはなれないだろう。
 歴史を眺める限り、たとえ日本人たちが戦国時代の気風(日本列島で最もリアリズムが進んだ時代の筈)を持ったままだったとしても、現実主義で計画的で場当たり的に賢明で外交や陰謀に長けている日本人という像は、どうしても思い浮かべられない。戦国時代の日本人が、そのまま大きな領域に住んでいるだけにしかならないのだ。
 だからこそイギリスではなく、イギリスと世界の覇権を競い合ったフランスを、日本の発展に対する類似イコールとして多用してみた。

 今回の結論については、それぞれの視点でフランスがなぜ世界を取れなかったのか、その点を見てもらえれば幸いだ。おそらくは、歴史の反面教師としての面が多く見えてくる事と思う。


文責:扶桑かつみ

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