第四節 貴族

 アイヌの身分制度は『王-貴-士-衆』です。この中で八王家の次に大きな勢力(義務)を持つのが『貴族』です。14世紀後半に制度ができた時の貴族は、『貴族』としてひとくくりにされ、制度として特に細かく細分化されていませんでした。ただ、その『家』の名のみがその貴族の『格』を判断する基準とされていました。それで分かる程アイヌの貴族がいなかったから当時はそれで問題ありませんでした。しかし、海外進出が大規模に推進されると他国との交流が必然的に増え、その中には多数の文明国があり、自国側の貴族に階位がない事が問題とされた事と、何より外への領土拡張でそこに封じられる貴族の数が多数に上り今まで単に『貴族』としてひとくくりの「職業」とするには問題が出てきたのでその細分化が必要となったのが細分化の大きな原因と言われています。また、貴族により職業的な棲み分けが進んでいたのもこの細分化を助長する事となりました。
 こうした動きの中1488年、国王の命令で宮内府元帥主導の元貴族の階級分けが実施される事となり、優れた官僚達によって調査、分類、細分化される事となりました。
 しかし当初は、その領域と単位的な職業分化でいいのだから、小侯、中侯、大侯で良いのでないかとする意見が大勢を占めましたが、それでは海外に対して格式としての示しがつかないのと、今後のためにもより細分化しておいた方がよいとして日本、中国、印度、トルコ、欧州各国などの制度の研究が行われ独自の階位が制定される事となりました。
 また、アイヌの貴族は、基本的には領地の維持管理をする地方政治家存在として厳しく規定されいてので、中央の政治や軍事に参加する権利を殆ど持たされておらず、元帥や軍人、官僚などにならない限り政治や軍事、行政に介入する事は殆どできませんでした。地方行政に関わる事を貴族が意見を陳情するか、稀に天爵が貴族の代表として意見を述べる事がある程度です。
 その階位は以下のようです。現在でも貴族内と一部識者や軍人の間では呼ばれている事が多いです。
 ちなみに階位の名称基準は、元々アイヌ貴族が家名や家紋として動物を使う事が多いのが反映されているため、全て架空の動物から取られていると言われています。その動物が何であるかという説は色々ありますが、最も有力な説は中国の四聖+麒麟ではないかと言われています。
 何故架空の動物が選ばれたかと言うのは、単に官僚達が他の貴族の家紋と被らないようにするため付けただけだとする説が有力ですが、この背景にはアイヌ人全てが自然の動物を崇拝しており、架空の動物に対しても非常に大きな敬意を抱いていた事から、衆民に対して貴族の権威をつけるのに最も分かりやすいだろうという判断があった事は間違いないでしょう。
 また、階位に関わらず貴族に封ぜられるものは、他国と同様世襲で地位と領地を相続する世襲貴族と、一代限りの個人的に階位を授与された名誉貴族の二種類がいます。そして、当然一代限りの貴族が他数を占めることとなります。ちなみに、17世紀アイヌが最も大きな版図を誇っていた頃の封土を持つ貴族の数は約2000家、階位を持つ貴族の数は1万人、一族全てを含めると6万人以上に達していたと言われます。
下記がその階位を階位順にまとめたものです。

 ( )内は欧州と比較した場合の目安  =はモンゴルの軍制(簡略版)
 天爵(公爵)=ハーン
 竜爵(侯爵)=万戸長
 翔爵(伯爵)=千戸長
 飛爵(子爵)=百戸長
 騎爵(男爵)=十戸長

以上ですが、これは貴族の階級というよりも右に記したようにモンゴルの騎兵単位の階級が階級分けの大きな判断基準となったと言われており、そしてそれを貴族の階位に置き換えただけと言われています。これは、戦時の事を考えた為と言われています。こういう点からもアイヌが軍事組織として成立した事を物語っていると言えるでしょう。
 ですが、軍組織の階級をそのまま貴族としての階位としていると言いましたが、貴族であるというだけで軍の指揮官とするには軍が肥大化し組織化されると多々問題が出てきたので、この階位が制定された頃には純粋にその封土や身分を現すものともなっています。これは、享徳の役以後徐々にそうなりました。
 また、アイヌの貴族制度は、貴族達の発生の元となっているのが、戦闘組織にして商業集団であるのレプンアイヌだと言うかなり特殊な姿を持っています。だから一説には企業の役職や国そのものを企業集団のように考える傾向が根幹にあったのではないか言われています。
 ではここで、変わったアイヌの貴族のそれぞれの階位の違いについて触れておきましょう。また、軍組織の事については後の項で触れたいと思います。

 天爵(公爵)
 天爵を受けるに足るものは天騎長であるとも言われるように、戦争ともなれば大軍を率いる立場にあった者を輩出した貴族が根元氏族として何氏族か属しています。また、建国時にカマイシなどで製鉄を担った者、大規模な交易船隊を有した者など建国に最も貢献したものがも天爵としてこの根元士族に含まれます。さらに、竜爵などから「享徳の役」やその他の戦乱などで特に大きい功績のあった氏族も新しく天爵の地位を受け得ています。しかし、この制度が制定されて以後天爵を授けられた者はなく、ほぼ根元氏族の階級と言っていいでしょう。
 ちなみに、天爵に属する一族は八王家に準じる封土を国内または豊かな財を産する海外に得ており、大きな財産を持ちます。もちろん、莫大な税を払う義務を負いますが、このため国王や各王家も天爵の地位を持つ者の意見を無視する事は難しく、しばしば政治的にも大きな力を発揮することもあります。
 ですが、基本的に貴族は中央政治に介入する権限はなく、特に天爵の階位にある氏族は国を大きくそして富ます事を最重要の『家業』と捉えています。この為、率先して交易や移民を行う氏族が多く、その一族は現在でも太平洋中に存在します。現在でも大財閥の宗家として知られる天爵が多い事はよく知られているでしょう。そして、アイヌの勢力圏に領土を持つものは今でも天爵(公爵)の地位を持っています。北海道に多数の天爵(公爵)が今もいて統治しているのはご存じかと思います。
 ちなみに、ニタインクル公国を建国したのは、根元氏族の一氏族であるニタイカムイ大公家で、この氏族は建国時、享徳の役、文禄の役、慶長の役と全ての戦役で多大な功績を挙げ、時の王より天爵よりも上位の元爵(大公爵)という地位を送られています。この為現在でもニタインクル大公家が、アイヌ国王に対する礼を欠かさないのは有名でしょう。また、これ以外にもレプンモショリを統治しているシロカニ=トゥカル公家、今は先住諸部族連合の一氏族となっているフレ=キナスッ(紅竜)家、そしてメキシコ王家となったノチウ=ピリカ家があります。これらの氏族も現在でもアイヌ国王に対する礼を欠かした事はありません。国の根幹をなすという自覚を強く持つ天爵の氏族は、仕える国が変わろうとも(自立しようとも)祖国アイヌに対し形式的な臣下の形を取るのが伝統になっています。

 竜爵(侯爵)
 万騎長、竜爵の階位が現すように陸では1万の兵を率い、海では艦隊を率いるとされ、将軍として軍務についていた貴族が多く根元氏族として属しています。この影響か、この時代そしてこれ以後の時代でも軍人を多く輩出する家が多く、竜爵の爵位を持つ家のものはおしなべて雄々しい性格の者が多いと言われます。
 また、天爵に継ぐ地位を持ちながら大きな封土を持つ者は意外に少なく、建国時に与えられた国内領土しか持たない一族が殆どです。竜爵を持つ一族は尚武にこそ自分たちの職業意識を見い出しており、世俗的な権力にはあまり執着しない言われています。
 ですが、(防衛)戦争こそが国の成り立ちであるとアイヌ人全てが認識していることから、国民からは最も高く評価され、そして人気があります。また国においてもその封土に関わらず非常に重きをおかれています。
 また、まれに豊かな領地を封土として得た翔爵が竜爵となる事があります。ですが、どちらにせよ国へは莫大な税金と、優秀な人材を輩出する責務を負います。そしてそれの出来ない氏族は容赦なく下の階位に落とされるかまたは廃位される事となります。これは、他の階位の貴族でも同様ですが特に竜爵にある氏族は一族の教育に熱心で、現在でも多くの優れた軍人、政治家、官僚を輩出していますし、一族以外の教育にも非常に熱心で、貴族、士族、衆民を問わず人材面で大きな勢力を持つ氏族が沢山あります。東洋初の参謀本部を作り上げたのもこの竜爵達です。
 物的に国の頂点に立つのが天爵なら、竜爵は人材面(軍事面)で国の頂点に立つ氏族と言えるでしょう。

 翔爵(伯爵)
 翔爵は国の最も根幹となる貴族です。欧州の貴族や日本の小大名などと同様に自らの館とその周りの領地を持ち、翔爵に属する根元氏族の多くが建国時のその地域のコタンの長から出ています。古い言い方なら「豪族」というべきところでしょうか。
 また、海外への領土の拡張の際は、新たに封土を与えられた飛爵が開拓を終えた段階で階位を進め翔爵となる例が多くなっています。この影響で、16世紀以後シベリア・北亜細亜から北米にかけて、アイヌから封じられたもの、アイヌに帰化した現地豪族、氏族など沢山の翔爵が誕生しています。さらに南太平洋でも、オーストラリア、ニタインクルで多数の翔爵が生まれています。ですがオーストラリアでは英国への統治の移行の際にそのかなりが低い地位へと追われましたが、その義務感の高さからか現地に残り英国市民(貴族)となった者もいます。
 この翔爵こそ、肉体として国家を支えていると言えるでしょう。もちろん、その領地から得られる財を税として治める責務を負います。

 飛爵(子爵)
 飛爵の階位を受けた一族は、国内においては小さな領地を治める領主と言った地位にしかありません。また、海外では新たに封土を与えられた貴族は、人の多く住む封土を賜ることはありません(大きな地域を賜る事は多々あります)。ですが、海外拡張が開始され新領土に封じられた飛爵は、翔爵予備軍として位置づけられるようになり、主にあまり人の住まない新たな土地を封じられ、その地を人が多数定住するまで発展させることで翔爵の階位を受ける事ができる制度が作られました。この制度は新たに得た領土を収奪に依らず富ますための政策でしたが、アイヌが海外領土を収奪や搾取の対象でなく、開拓・経営すべき場所だと認識していた事の現れでしょう。これは、アメリカ合衆国の州の制度にも若干似ているかも知れません。また、この制度は形を変え豊臣王朝でも採用され、より大きな規模に行われる事となります。
 ですが、この地位にある貴族の大半は小さな領地か、人の住むことのない領地を治めるています。この為、単に領地経営だけでは税の納付や生計を維持することが難しく、このため根元士族の多くは古くから交易などの事業に手を染める者が多く、交易民族としてのアイヌを最もよく現した貴族として認知されており、現在でも多くの飛爵が企業家として財をなしているのはよく知られている事だと思います。

 騎爵(男爵)
 騎爵はいくつか村をその領地として拝領するに止まる貴族です。ですから彼らの財政は決して豊かとは言えません。このため彼らは国家にその階位と共に忠誠を誓う事で国家からも禄を得ている騎爵もいます。この影響もあり騎爵として一族をなしている一族には、騎爵という階位が表すようにそのかなりが軍属に属しています。そうでないものも多くが役人や国の役職に就く事となります。この点では日本の旗本などと少し似ていると言えるでしょう。まれに交易商人などになり財をなしているものもあります。この辺りは交易民族でもあるアイヌらしいと言えるでしょう。ですが、欧州の貴族と同様に騎爵以上の階位を持つ一族から別に一家を立てる事を許された貴族もそのかなりが一度騎爵となります。また、功績のあった士族が騎爵の位を得る事もあります。
 どの例にしろ騎爵は貴族の根幹として国家の礎となる事を義務づけられた貴族です。この為非常に強い職業意識を持ったものが多く、積極的に国家の運営に参加しています。特に軍人となる者が多く、一般にすら騎爵と言えば将校と認識されるぐらいです。


第三節 国王とその制度  第五節 士族と衆民