第五節 士族と衆民

 アイヌの士族は日本では武士、ヨーロッパでは騎士にあたる階級になりますが、その成り立ちと時代の変遷とともにかなり特殊な階級となっていきます。また衆民は他国に先駆け成立した近代的な『市民』階級でした。ここでは、この二つについて少し見てみましょう。
 アイヌの士族は、国民皆兵を国是とする方針から民を直接率いる士官的な役割を負う職業軍人的な階層として誕生しました。そのため彼らは貴族などの少数派とは違いかなりの数が存在します。16世紀後半でその数は本土人口の約5%程にあたる15万人(系譜を含めると30万人程度)に達していました。また騎士や武士などと違い領地は持たず、国より直接禄を受けて軍人、官僚、学者、国の交易商人などとなる義務を負う存在でもあります。さらに、有事の際は無条件に徴兵の応じる義務も負います。平時における兵士の大半はこの士族からなります。また、享徳の役以降になるとその傾向は顕著になり、志願で入隊する衆民を除けばその大半が彼らによって占められることとなります。ですが、貴族同様軍人の家は軍人を輩出し、官僚の家は官僚を輩出する傾向が強くあり、一概に士族と言っても同じと考えてはいけません。
 また、今風に分かりやすい近似的存在として説明するなら、彼ら士族は国家に対しての社会主義国の共産党員のような立場にあります。彼ら士族は忠実な手足となり国家に尽くす義務を負います。このためアイヌの中でもとりわけ早く抽象的な国家に対する忠誠心を持っていました。領地を持たない特権階級、それが士族です。さらに極端に言えば、差別的という事で最近で使う者は減っていますが、蟻で言うところの兵隊蟻にあたる存在です。特にこの表現は近代アイヌをあまりにも軍事的組織として酷評する評論家の間では一般化しています。女王蟻は王族、雄蟻は貴族、兵隊蟻は士族、働き蟻は衆民という分け方です。ですが、あまりにも端的にアイヌ社会の一面を表しているとも言えるでしょう。
 次に衆民ですが、これは西洋で云う所の市民階級、日本などでの『士』以下の全ての身分の者という事になります。彼ら衆民は国民の大多数を占め、農民、漁民、牧畜民、職人、工人、鉱人、商人などあらゆる生産階級が含まれました。また他国であったような差別階級は全くありませんでした。常に他国の侵略に怯えていたアイヌにそのような階級を作る人的余裕はなかったのが最も大きな理由です。ですが、密航以外の移民者には2年の定住の後、他と同様に衆民の資格が与えられました。この間のみ『移民』としての扱いを受けるのが特例としてあり、移民には徴兵義務がないのが特徴でした。このような特殊な階級分けがされていたのは、やはりアイヌが強い軍事偏重社会だったからです。そして、本国以外の衆民も当初は準国民として『移民』と同様の扱いとされ、政治制度が整うと順次本国と同様の扱いになりました。これは士族以上の階級のものには当てはまらず、士族以上の身分を叙されたものには当初から本国の者と同じ義務が伴いました。
 初期の衆民は、普段は生産の維持をしますが一朝有事があり、国からの要請があればただちにその手に武器をとり、取り決められた軍隊区分へと駆けつけました。このため、衆民にも定期的な軍事訓練が施され、また組織をスムーズに動かす為に高い教育が早くから施されていました。この影響でアイヌの国民全体が古代ギリシアのように高い国民(市民)意識を持っていたのです。これが市民革命などに発展しなかったのは、国が民に手厚い施政を施していた事、常に日本や中国という大国の脅威に怯えていた事、アイヌ全てが職業による棲み分け意識を持ち、その成り立ちの影響で政治に携わる事をしようとしなかった事にありました。また、スムーズに組織を運営するため、建国時から続いている徒弟教育の限界から、16世紀の頃から衆民階層向けの基礎教育を目的とした学校組織の建設も国、民間を問わず盛んに行われ高い教育レベルを持つ事となり、これがアイヌを17世紀以後大国へと押し上げていく最大の原動力となっていきます。
 17世紀まではこの状態が続き、享徳の役では衆民は兵としてとても勇敢に戦いましたが、その後の日本などを初めとする海外との衝突や、海外の膨張による人口の増大と、その前後に起こったチコモタイン・アイノ王朝の成立による軍隊の常備軍化により多少の変化を見せます。軍隊は一般的には士族によるものとなり、衆民は完全な予備軍的な扱いとされていきました。もちろん、志願により軍に入隊する事はできましたが、軍隊の中に衆民が占める割合は激減する事となります。これはアイヌの職業による棲み分け意識が強くなった事と、豊かになった社会の進歩によるものです。この傾向は年を増す事に強くなり、18世紀には軍人は士族から出るのが完全に定着しました。これは、15〜17世紀に軍人で功績のあった衆民が、士族として取り上げられた事が強く影響していますが、世界的な流れにアイヌも乗ってしまったことの現れでしょう。アイヌが再び国民皆兵の国民軍として復活するのは1789年の革命を待たねばなりません。そして、支配地域の極端な増大が、国民皆兵制度を崩壊させたのは間違いないでしょう。


第四節 貴族  第六節 王国の政治制度