■フェイズ〇一「トラ・トラ・トラ」

 「ニイイタカヤマノボレ一二〇八」。
 一九四一年十二月二日、大日本帝国政府はアメリカ合衆国、イギリス連合王国に対しての戦争を決意した。世に言う『大東亜戦争』開始のベルが高らかに鳴り響いた瞬間だ。
 今回の開戦に至る経緯は、日本政府内においても喧々囂々の議論がなされた。
 日本側にとっての主な外的原因は、アメリカ合衆国が日増しに圧力を強め、当時の外交常識すら無視した信じられないような要求を突きつけた事。内的要因は、右往左往したり個人に引っ張り回されたりして全く無定見だった為というのが、後世での一般的見解だ。そして、この時の日本の感情を表す言葉として、時の内閣総理大臣だった東条英機の「清水発言」が有名だろう。
 たしかに、10倍、計算方法によっては30倍の国力を持つ相手に、自分たちの側から戦争を吹っかけるには、清水の舞台から飛び降りる以上の決意が必要だろう。
 しかも相手は、当時世界の約半分の工業生産力を持っていた超大国なのだ。

 政府中枢より開戦決定の命令を受けた日本の各組織は、既に数ヶ月前から本格的に進められていた戦争に向けての最終準備を実働状態へと移行していった。こういった時の日本の組織は緻密で無駄がなく、時計のような正確さで開戦に向けて動いていた。
 そして、この時最も緊迫した雰囲気に包まれていた日本の組織は、政府中央を除けば大きく二つあった。一つは、開戦壁頭に軍事力を行使する事になる日本陸海軍の各部隊。もう一つは、本国から発せられた暗号電文を外交文書化して、相手国に手渡さねばならない外務省だった。外務も戦争の一部であると考えれば、決して気を緩めてはいけない事だ。外務を疎かにすれば、戦闘での勝敗以上に国益を損ねる事例が過去数多に存在するからだ。
 故に日本本国の外務省では、宣戦布告文書を届ける国々の大使館へ、戦争態勢への移行強化を伝える電文をいくつも送っていた。このため、戦後になって英米などが日本の開戦を事前に察知する大きなファクターになったと証言されている。だが、特にアメリカに対して予定された時間\\日時よりも時間帯が制限される\\に宣戦布告文書を相手に渡す必要性があったのだから、致し方ないと考えるのだ妥当だろう。それに宣戦布告を受けた英米は、実質的に開戦まで何もしていないのだから、結果論的に間違った行動ではなかったと評価されている。

 なお、タイトなスケジュールに従って開戦第一撃を放つ戦力は、大きなものだけで三つあった。
 アメリカ領フィリピンに対する大規模渡洋爆撃(事実上の戦略爆撃)部隊。インドシナ各地に集結した陸海軍両航空隊の主力部隊と、大英帝国東洋支配の象徴シンガポールを目指す山下奉幸将軍麾下の部隊を乗せた大船団。そして長駆六〇〇〇キロの波濤を乗り越え、アメリカ海軍の要衝ハワイ真珠湾軍港に在泊するアメリカ海軍太平洋艦隊を攻撃する、南雲提督麾下の空母機動部隊だ。
 そして南雲艦隊は「奇襲」という戦術要素を満たすため、宣戦布告から三〇分後に最初の攻撃が行われるスケジュールで作戦計画を組み上げていた。まさに、「人事を尽くして天命を待つ」という状況にまで緻密な作戦に齟齬があってはいけなかったのだ。
 このため、艦隊運用に高い経験を持つ南雲忠一提督が艦隊司令官として選ばれたたのであり、彼の任務は麾下の艦艇を予定通りハワイ沖にまで連れてきた事でほとんど達成されと言っても過言ではないだろう。
 航路とされたルートが、あまりに航海が難しいため船の往来がほとんどない冬の北太平洋だという事を考慮すれば、大艦隊が時間通りに攻撃開始位置までたどり着いたことは、人の手による奇蹟とすら表現できるかもしれない。真珠湾軍港に対する攻撃成功よりも、時間通り目的位置にたどり着いた事の方が評価されてもおかしくないほどの快挙なのだ。

 さて、「我奇襲ニ成功セリや!」と攻撃隊指揮官がお国言葉で叫んだかかどうかは定かではないが、日本時間十二月八日午前三時一五分、攻撃隊の総飛行隊長・淵田少佐率いる攻撃隊が有名な『トラ・トラ・トラ』の電文を送ると共に真珠湾軍港に対する攻撃が開始された。
 世界史レベルにおいて、日本側呼称『大東亞戦争』が開始された瞬間だった。
 この時ハワイ真珠湾軍港を攻撃した日本艦隊は、南雲忠一中将麾下の『第一航空艦隊』と呼ばれていた。彼らは、それまで海軍の主力と信じられていた戦艦を中心とする編成の常識を覆し、六隻の航空母艦《赤城》《加賀》《蒼龍》《飛龍》《瑞鶴》《翔鶴》を主力とした先進的な編成を持っていた。
 そして第一次攻撃隊第一波一八三機、第二波一六七機、合計三五〇機\\零式艦上戦闘機七八機、九九式艦上爆撃機一二九機、九七式艦上攻撃機一四三機\\という圧倒的な攻撃力を以て、世界中の海軍が主力と信じる戦艦を中心とした大艦隊が安穏と停泊する真珠湾へ破滅的な攻撃を行ったのだ。
 この時アメリカ太平洋艦隊は、八隻の戦艦(※もう一隻の戦艦《ユタ》は、標的艦のため除外)を中心として一〇〇隻近い艦艇・軍徴用船舶が拠点として完成して間もない『真珠湾軍港』に停泊していた。
 だが、同基地への日本海軍の攻撃を全く予期していなかった事、水深の浅い海面での魚雷攻撃の可能性を深刻に考えていなかった事など様々なファクターにより、全くと言ってよいほど無防備な状態だった。しかも現地時間では十二月七日・日曜日の早朝にあたり、艦隊乗組員の半数は休暇で上陸していた。おかげで休日の眠りをむさぼる者もいれば、日曜の礼拝に行く途中のものも多かった。
 ハワイを守る筈の数百機いた陸軍航空隊も、日系人ゲリラを警戒するためと言う理由で、軍事的常識を無視して滑走路の真ん中に集中して機体を鎖でつないでいた。早期警戒用のレーダーサイトも、宣戦布告前に発見した日本軍艦載機の大編隊を友軍と誤認するというほど、警戒感を持っていなかった。
 そう、オワフ島全体が、まるで攻撃してくれと言わんばかりの状況だったのだ。それだけアメリカが、ハワイが攻撃される事を予測していなかった証拠と言えるだろう。
 このため、ワシントンで日本代表がアメリカ側に宣戦布告文書を手渡した時、真珠湾では太平洋艦隊司令長官の所在すら定かでないという最悪の状態だった。
 「コレハ演習ニアラズ」という日本軍機大挙襲来を告げる緊急放送も、最初は何かのジョークだろうと考えていた者も多くいたほどだ。

 日本軍機が真珠湾への攻撃を開始した時、緊急離陸に成功したアメリカ軍戦闘機の数は二〇機程度と言われる。休暇でパイロットが不足し、加えて機体を鎖でついないだり、滑走路を塞ぐ形で密集しているため発進に時間がかかったためだ。
 しかも上昇途中の無防備な状態だった迎撃機がほとんどだったため、熟練した日本軍機の前にアッという間に撃墜されていった。加えて各地の飛行場では、たくさんの飛行機が離陸したり、待避しようとして大混乱だったため、正確無比な急降下爆撃が始まると大損害と共に機能を次々と停止していった。
 僅か二十数分前に発令された日本との宣戦布告を告げる知らせと、十数分前にもたらされた日本軍来るという緊急報告により、人の移動が混乱を極めていたため人的被害も甚大だった。
 そして、開戦早々に空からの脅威がほとんどなくなった日本軍攻撃隊は、慌ただしく湾外に脱出しようとしている米艦隊の頭上に殺到した。そして次々と訓練を積んだ熟練者だけができる正確な投弾を開始する。
 なお、ワシントンでの日本側の宣戦布告の通知から約十分後に戦争状態を告げられた真珠湾軍港では、各現場指揮官(主に当直士官と艦長レベル)の独断により艦艇の緊急出航準備と洋上待避が命令された。だが、日本軍が来ることを警戒したのではなく、念のための措置であった。アメリカ海軍も、潜水艦の襲撃程度は警戒していたからだ。
 命令により、湾内にたむろしていた各艦艇は、半舷上陸で乗員の数が大幅に足りない状態のまま急ぎ出航の準備に入った。それでも、日本軍機が最初に爆弾を投下した瞬間、動き出している艦艇がいくつも存在していたのだから、太平洋艦隊の将兵の練度についての酷評は見当違いと言うべきだろう。蒸気ボイラーは、待機状態から稼働状態に持っていくのに、多くの労力と時間が必要だからだ。
 しかし、各艦の稼働当初は、本格的な戦闘はまだないと考えていた事が徒となった。

 狭い湾内をタグボートを使わずに自力でノロノロと航行し、運の悪いものは外洋に続く水道上の狭い水路を通過しているときに日本軍機の集中攻撃を受けてしまう。このため、回避するゆとりもないまま、自艦の貧弱な防空火器を振り立てるのが精一杯だった。しかも、全員が教官と務められると言われるほどの腕前を持つ日本軍パイロットの前では、中途半端な攻撃はかえって自らの健在を知らせ寿命を縮めるだけとなった。
 当然、危険回避のため最初に動き出していた戦艦群が集中的に狙われた。この時すでに繋留場所から離れていた戦艦《ネヴァダ》《オクラホマ》《アリゾナ》《カリフォルニア》《ウエストバージニア》が次々に被雷もしくは被弾した。また、誰も動かなければ他の艦艇の影になるはずだった戦艦《テネシー》《メリーランド》も、僚艦が動き出したため日本軍自慢の浅沈度魚雷の攻撃を受けることになった。そして魚雷とは、例え標的を沈めるに至らなくとも、修理に非常に手間のかかる損害を発生させた。
 そして、それぞれ一〜五発の魚雷を受けた主力戦艦群は、二〇分程度しかなかった緊急出撃の時間と乗員双方の不足のため水密が不十分だったものが多く、またダメージコントロールや隔壁閉鎖もままならず、ほとんどが短時間で魚雷による浸水が進んでいった。
 かくして、出航途上だった《ネヴァダ》《カリフォルニア》《ウエストバージニア》は狭い水道上で大破・座礁して、自ら真珠湾軍港の機能を大幅に低下させてしまう。また、特製の大型徹甲爆弾を受けて主砲の弾薬庫が誘爆した《アリゾナ》は、その場で爆沈。フォード島と対岸の中程というやっかいな位置で即席の魚礁と化してしまう。
 三〇分遅れて攻撃を開始した日本軍第二波が飛び去ったとき、海軍力の象徴たる戦艦の無力化に加えて、破壊された戦艦により軍港機能すら一時的に喪失していた。
 真珠湾に在泊していた八隻の戦艦は、全てが損傷を受けて、そのうち五隻が沈没または大破着底状態。三隻が中破壊以上。乾ドックにいた《ペンシルヴァニア》だけが一発の被弾で比較的軽微な損傷だったが、修理にも使うドック内も数発被弾したため、修復どころかしばらくドックから引き出すことすら出来ない状態となった。
 この時、真珠湾軍港と太平洋艦隊は最も重要な期間、軍事的価値を消滅させたのだ。
 日本側が期待した以上の結果だった。
 真珠湾に対する攻撃の完全な成功は、東南アジアでの作戦行動中に横合いからアメリカ軍に攻撃される事を阻止する点を最重要に置いていた日本側の意図は完全に達成された事になる。当然だが、危険を冒しての再度攻撃は行われず、史上空前の壮途を成し遂げた南雲艦隊は日本本土への帰投を開始する。
 だが、ハワイでの戦闘は、まだ幕が降りていなかった。
 真珠湾から帰投の途中、自らの位置を失った日本側の航空機が偶然と必然により、付近海面を航行していたアメリカ海軍の艦隊を発見したため第二幕の幕が上がったからだ。
 そして《利根》の偵察機が発見した艦隊こそが、真珠湾に艦隊を送り込んだ山本五十六が優先目標と考えていたとされる空母を含む機動部隊だった。

 真珠湾攻撃において南雲艦隊は、未帰還機三四機、損傷六二機を出していた。だが、まだ攻撃隊用として二四〇機以上の機体は使用可能だった。搭乗員の損失、損害も、負傷を含めて約百名程度でしかない。しかも、損傷機も簡単な修理によりすぐに使用可能な機体も多く、まだまだ圧倒的な攻撃力を保持していた。全ては、日本海軍の軍事力を結集した、空母六隻という革新的な戦力集中が生み出した効果だ。
 これに対してハワイに最も近かったアメリカ艦隊は、空母《エンタープライズ》を中心としたそれなりにバランスのとれた艦隊だった。だが、ミッドウェー島に対する航空機輸送任務の帰投途中のため搭載機の数は定数より少なく、さらに真珠湾奇襲攻撃の報告を受けて同方面に航空機を派遣したため、戦力は通常の半数以下の状態だった。一部で言われるアメリカ陰謀説とは逆に、《エンタープライズ》が戦争を前提とせず出撃していたのは間違いなかった。
 しかも、日本側がその後の偵察でアメリカ艦隊の正確な位置を掴んでいるのに比べて、相手の姿はまったく不明だった。この時アメリカ側にできた事は、危険なレベルにまで少なくなった戦闘機を全て艦隊上空に上げて防空に専念するだけだった。多数の空母とその艦載機が相手では、逃げることすらままならないし、オワフ島の基地群は機能を停止しており、何の役にも立たなかったからだ。
 そして午後二時半、米艦隊上空に空を覆い尽くすような日本軍機の群が現れる。
 俊敏な日本側戦闘機は、わずかな数の米海軍の「F4F・ワイルドキャット」戦闘機を手もなく捻ると、安全となった空を通って攻撃機が艦隊の中心を占める空母へと殺到した。
 その後の戦闘はまさに一方的であり、少数の敵戦闘機を駆逐した戦闘機隊までが低空に降りてきて、艦艇に機銃掃射するほどの有様となった。実弾の対空砲火が浴びせられる以外、実弾訓練と何ら変わりないほどのものだったと、攻撃側の日本軍パイロットに言わせるほどだ。
 パイロットの証言は、開戦頃のアメリカ軍の防空能力がその後のものと比べると著しく貧弱だった事を物語っていたが、それにしても一方的結果を象徴していると言えるだろう。

 なお、『ハワイ沖海戦』と両軍から呼称された海戦で、アメリカ軍は空母《エンタープライズ》と重巡洋艦《ソルトレークシティー》《チェスター》、駆逐艦二隻を喪失して壊滅している。重巡洋艦《ノーザンプトン》の中破を始め無事だった艦はほとんどなく、無傷の艦は駆逐艦数隻に過ぎなかった。これに対して日本側は、八機の航空機を主に対空砲火により失っただけで、この損害すら母艦帰投後の廃棄を含めた数に過ぎなかった。
 そして、重巡洋艦のうち一隻が弾薬庫に付近に被弾した事から短時間で爆沈し、また多数の魚雷、爆弾を被弾した《エンタープライズ》も最初の命中弾からわずか三〇分で沈没したため犠牲が大きかった。ここでのアメリカ軍の戦死者の数は、三〇〇〇名近くに達した。
 また、真珠湾の戦死者数は、戦艦多数(5隻)の沈没と航空基地壊滅などにより四〇〇〇名以上に達している。
 つまり、開戦一日でのアメリカ軍の戦死者は七〇〇〇人にも達しており、戦艦の多数撃沈よりも大きな損害となった。
 以後米海軍は、四四年に入るまでセイラー(水兵)の不足に悩むようになる。

 

 

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