■フェイズ〇三「南海の決闘」

 一九四二年四月一八日、ジミー・ドーリットル中佐率いるB25爆撃機十六機が日本本土を空襲した。
 一般的にこの攻撃は、「東京初空襲」と言われる。航空母艦に陸軍の中型爆撃機を搭載して行うというコロンブスの卵的な発想により実現可能となった、まさに奇襲的な攻撃だった。
 ここにアメリカ側の窮状を見ることができると同時に、アメリカという国家の持つエネルギーも垣間見せていると言えるだろう。
 なお、アメリカ側の指揮官の名を取り「ドゥリットル空襲(またはドーリットル空襲)」と言われる事もある。

 アメリカ軍による奇襲的な日本本土爆撃では、東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸が爆撃された。わずかな数の戦術爆撃機による物理的な損害は統計学的に意味のあるものではなかったが、五〇人の死者、家屋二六二戸の被害を出す結果が残った。
 また、ドゥリットル隊は国籍を示すマークを日本軍のもので覆い、爆撃直前に取り外した。これは国際法上認められていないため、報告を受けた日本政府は中立国を通じてアメリカ側の国際法を無視した無差別テロ爆撃として強く非難した。アメリカ国内での反応以外と後世に与えた影響から、むしろ長期的には逆効果だったという評価が今日では一般的である。
 だが、この時の日本政府、軍部が受けた精神的ショックは極めて大きかった。だからこそ日本本土の安全圏確保のために、敵空母殲滅も視野に入れたミッドウェー島攻略作戦が発動される事につながる。
 しかしその頃、日本側の既存の作戦が実行に移されていた。日本海軍主導によるポートモレスビー攻略作戦、海軍作戦名称「MO作戦」だ。
 本戦闘は、一九四二年(昭和一七)五月七日に珊瑚海で起きた海戦と五月九日から始まったポートモレスビー攻略作戦総称して「モレスビー攻防戦」とも言われる。

 なお、モレスビーを巡る戦いは、日米双方とも問題が山積していた。
 極論してしまえば、日米双方とも機動航空戦力が不足していたのだ。
 日本側は、開戦から現時点に至る自らの攻撃力の限界を超えた攻勢作戦の連続で、連合国の重要拠点に殴り込むべき有力な該当戦力が見あたらなかった。アメリカ側(連合国側)は、日本側の連続した攻撃により自らの戦力が枯渇していたのが戦力不足の原因だった。
 日本海軍は、これまでの快進撃の原動力だった南雲艦隊が、特にインド洋での航空隊の疲労と消耗から全ての母艦を一度、航空隊ともども再編成が必要になっていた。また基地航空隊も、広い戦域に散らばってしまったため、ある程度前線に集結する時間が必要であった。
 幸いにして、日本側の南方最大の前線基地となりつつあったラバウル基地群は、日本軍の攻略後一度も連合国側の大規模な攻撃を受けなかった事から、基地の整備と戦力の集結・物資の備蓄がある程度進んでいた。すでに南太平洋地域に対して、大きな圧力をかけつつあった。
 この象徴が同基地群に派遣されていた零戦隊の活躍で、三ヶ月の間のキルレシオは一対十五以上となった。あまりの圧倒的な個体戦力差に、連合国側に戦力の誤認をさせたり、あえて交戦を避けるなどの副次的効果すら発揮している。一対十五というのはレシプロ戦闘機と初期型ジェット戦闘機のそれとほぼ同じなのだから、この当時の零戦パイロットの質の高さは驚くべきだろう。
 また、主力空母が動けない聯合艦隊だったが、この頃の日本海軍は世界一航空母艦を保有する海軍だった。大型空母以外の軽空母も豊富で、さらに戦時建造(もしくは改装)空母も多数就役しつつあった。そこで軽空母のうち速力がある艦を第三航空戦隊を基幹に再編成し、著しく不足していた母艦パイロットを訓練前倒しで投入するなどして、何とか帳尻をあわせて部隊を編成して作戦にこぎ着けていた。
 これにより、第三航空戦隊は支援戦隊を加えて第二機動艦隊に昇格し、それまで戦隊指揮官だった角田提督は中将に昇進のあと横滑りでこの新たな艦隊の司令官に就任した。角田提督の指揮下には、それまで所属していた《龍驤》と実戦配備されたばかりの《祥鳳》、そしてこの作戦の為前倒しで実戦配備された《隼鷹》の三隻が配備された。合わせれば、正規空母二隻分に近い艦載機が搭載できる計算だった。
 もっとも、もとから貧弱な生産力と後方支援態勢しか持たない日本海軍の陣容では、艦載機とパイロットの手当までは十分にはつかなかった。最も旧式の軽空母《鳳祥》の航空隊を、そのまま《隼鷹》に配属するなどして帳尻をあわせても、軽空母三隻合計で九〇機程度(充足率八〇%以下)の艦載機を揃えるのがやっとだった。
 また、母艦戦力の不足から、攻略船団の側に空母部隊が付いて直接護衛する事となった。それでも不足する攻撃力・索敵能力については、ラバウルを起点とする基地航空隊(稼働機約八〇機)がソロモン諸島に進出した水上機部隊と共にカバーする事になった。
 いっぽう、日本海軍以上に戦力の不足するアメリカ軍は、戦力が不足するが故に偵察と情報収集に熱心になった。そしてトラック泊地を出撃した日本艦隊が軽空母数隻だけという情報を手にした事から、当時南太平洋で防衛任務に就いていた唯一の空母《レキシントン》を中心にした機動部隊による阻止攻撃を決意する。
 かくして空母《レキシントン》は、日本軍が目指すであろうポートモレスビー近海の珊瑚海へと進路を向けた。
 連合国側にとっても、ポートモレスビーは貴重な正規空母を投入する価値のあるストロング・ポイント(要衝)なのであり、攻略の阻止だけなら空母一隻でも何とかなるだろうと考えられていた何よりの象徴だった。

 戦闘は、ラバウルなど基地航空隊の陸上攻撃機(戦術爆撃機)と水上偵察機を活用した日本側がアメリカ海軍の二つの艦隊(空母部隊と補給部隊)を捕捉した事で開始される。
 それぞれの部隊は、特に申し合わせたワケではないが、一番の脅威である空母部隊殲滅を目的として準備を行い、出しうる限りの攻撃隊を解き放った。この点、実に日本海軍らしいと言うべきだろう。
 いっぽう先に発見された米艦隊側も、珊瑚海をニューギニアを迂回しつつポートモレスビー目指していた二つの艦隊を捕捉する。そしてうち一方を攻略船団、そのすぐ前を進む艦隊を複数の空母で構成された有力な機動部隊と正しく認識した(※アメリカ側偵察機は《隼鷹》を新型の大型空母と誤認している)。だが、この時空母攻撃を優先すべきか、すぐ後ろの船団を攻撃すべきか司令部は一時紛糾した。極論すれば、ポートモレスビーを守るか自らの空母を守るかの議論だ。
 だが、作戦目的がポートモレスビー防衛である以上、船団撃滅が優先される事になった。そして自艦隊の防衛については、敵攻略船団撃滅後に雲を霞と逃げることが基本方針とされた。
 この時日本側は、ラバウルからは九六中攻が十七機、一式陸攻が十八機と護衛の零戦が十八機が出撃した。角田艦隊からは、零戦十五機と艦爆九、艦攻二十四機が振り向けられた。対するアメリカ側は、戦闘機十二、艦爆二十四、艦攻十五を日本艦隊に向けて放った。単純な戦力比は、二対一で日本側が圧倒的に優勢だった。
 そして日本側の空母艦載機隊が一番最初に敵上空に到達し、待ちかまえていた十数機の防空隊と激突する。
 日本側は若干の艦攻が攻撃前に被害を受けるも、敵の中心に位置する空母《レキシントン》目指して集中攻撃を行う。大きな煙突が特徴だし空母は一隻だったので、攻撃を間違うこともなかった。攻撃隊は練度に不安はあったが、アメリカ側の対空陣形の薄さと、日本側の集中攻撃が功を奏して爆弾三発(+至近弾一)、魚雷二発を命中させ、一時的に《レキシントン》の航空機運用能力を奪った。だが、攻撃隊指揮官は、魚雷複数の命中と噴き上がる煙のため、撃沈確実と打電した。(※正しくは中破させただけ)
 さらに日本側空母機が、帰投しようとした攻撃開始から二十五分後に、ラバウルからの攻撃隊が第二波として駆けつける。中型攻撃機群は、撤退のための最後の戦闘を行っていた空母艦載機の戦闘機隊の援護もあったため、対空砲火の妨害だけをを考えながら十分なゆとりを持って水平爆撃と雷撃を敢行する。
 そして激しい対空砲火を受けながらも噴煙をあげる《レキシントン》に魚雷二発と五〇〇kg爆弾一発の命中弾を得て攻撃を終了した。
 これにより《レキシントン》は缶室が三つ破壊され浸水が増えた事から速力が大幅に低下して判定大破の損害となり、アメリカ軍司令部に撤退を決意させる。
 いっぽう、攻略船団を主目標とした米攻撃隊は、練度の不足から編隊がばらけ、二つに分かれた状態で攻撃したの。
 しかも先に進んでいた戦闘機と雷撃機隊が日本艦隊上空の手前で約二〇機の零戦隊に遭遇した。フリーハンド状態となった日本軍戦闘機の半数が米攻撃隊にまとわり付いたため、アメリカ艦隊から見て少し後方(※日本艦隊は、それぞれ別の進路を取っていた。)の攻略船団に到達するまでに、大きな損害を受けて全く効果的な攻撃ができなかった。このため現場の判断により、近くにいた空母部隊への突撃が行われた。
 そして一部進撃の遅れていた急降下爆撃隊が、ちょうど眼下にあった空母《祥鳳》に攻撃目標を変更。《祥鳳》に一〇〇〇ポンド爆弾三発を命中させ、飛行甲板と格納庫を破壊するだけでなく、動力部の破壊にも成功して大破・漂流させる戦果を挙げる。
 しかし、主力の攻撃隊が攻撃力を消耗して不本意な帰投を余儀なくされた。そして既に自らの母艦が大きく傷ついている為、残存した全ての機体は艦隊の周囲に着水不時着して、全艦載機を失う。
 もちろん日本側船団に損害はなかった。

 そして翌日にも積極的な日本側の攻撃は行われ、ラバウルからの基地機による攻撃で、空母と誤認されたアメリカ軍タンカーとその護衛の駆逐艦一隻が撃沈された。この結果、日本側の戦力が非常に強いと判断した現地アメリカ軍上層部も、戦闘後に発生した空母の損失もあって艦隊の退却を決定している。
 なお、この海戦にて空母《レキシントン》は大破し戦闘力を完全に喪失したのだが、その待避の途中に漏れだしたガソリンが艦内全域で気化して誘爆、多数の犠牲者を出して沈没していた。日本側は、復旧の甲斐なく《祥鳳》が自沈処分とされている。両軍共に空母の脆弱性を思い知る結果だった。

 その後、五月九日から始まったポートモレスビーの攻防戦は、制空権、制海権を得た日本軍の圧倒的優位に進む。
 日本軍艦載機と基地機による共同の制空権奪取が行われ、ポートモレスビーの現地航空隊と基地が一時的に機能を失ったところに、攻略船団と上陸支援の巡洋艦部隊が突入した。そして護衛の巡洋艦部隊が現地の小規模な艦隊を撃破(※現地の連合国主力は既に撤退している。)、その後艦砲射撃が行われる中、上陸戦に長けた第一四四連隊を基幹とする日本軍上陸部隊がモレスビー一帯にある三つの飛行場をはじめとする主要部を三日間で占領した。
 結果、山間部に逃げた連合軍将兵を除く多くの捕虜と、遺棄された大量の軍需物資を得ることに成功している。文字通り制空権、制海権の有無がもたらした勝利だった。
 そしてこの作戦成功によって、日本側が既に確保したラバウルは前線拠点として安定し、逆に連合国側は北東豪州も日本軍の空襲圏に入った事から航空戦力の再編成を余儀なくされる。連合国は、豪州本土も防衛しなくてはならなくなり、大きなハンディキャップを背負う事になったのだ。
 また、ポートモレスビー陥落によって、日本側が意図していた「米豪分断」の可能性がより高まった。これは日本軍の積極攻勢を誘うと共に、連合国の形振り構わない防戦を南太平洋に呼び込もうとしていた。

 

 

■解説もしくは補修授業「其の参」へ 

■フェイズ〇四「MI作戦」