■フェイズ十一「機動部隊激突」

■フェイズ十一「機動部隊激突」

 一九四三年も夏に入ると、本格的に稼働し始めたアメリカの戦時生産によって、前線に出てくる連合国戦力は膨大なものとなっていた。南太平洋に展開している航空機の総数が、一千機に達するという事象一つとっても明らかだった。
 連合国将兵にとっては、ようやく反撃の時が来たと言ったところだろう。
 これまで新規戦力増強の例外だったのは、開戦以来の度重なる打撃で消滅してしまうほどのダメージを受けていた水上艦艇だが、大型艦艇建造でもアメリカの巨大な生産力は及んでおり、ようやく南太平洋での打撃から立ち直ろうとしていた。
 そしてこの時、アメリカ軍司令部で議論された機動部隊の投入先が二つあった。これが太平洋での連合国軍(アメリカ軍)に、後々大きな溝を作り上げることになる。
 陸軍が主張した目標がポートモレスビーであり、海軍が求めたのがミッドウェーだった。
 調停の結果、「カートホイール」という全体的な両面作戦が採択されると同時に、まずは合衆国領土の奪回という国民にも分かりやすい勝利を得るため、ミッドウェーが最初の局地反撃(限定攻勢)の目標として選択された。
 なおポートモレスビーは、この間同方面の戦力備蓄に努め、航空撃滅戦の強化の後、四三年十月に高速空母部隊を投入しない奪回作戦が行われることで調整が行われている。
 ナグモの空母部隊さえいなければ、日本軍への対処は、既に程度問題だと考えられていたからだ。

 この頃ミッドウェー島は、日本海軍の懸命の努力にも関わらずアメリカ軍の封鎖により、ほぼ孤立状態となっていた。
 補給が比較的順調だったのも、連合国の戦力が低かった一九四二年の秋頃までだった。同年暮れになると、潜水艦とハワイより飛来する重爆撃機により、ミッドウェーを目指す輸送船の損害は大きくなり基地の損害も増加した。日本側がいかに護衛を多数付けようとも、高速優秀船舶をあてようとも変化はなかった。むしろ、護衛や優秀船舶の消耗は海軍の作戦全体に大きな齟齬をもたらすようになり、一九四三年春に入ると現地航空隊の残存部隊は、内地へと撤退せざるをえなくなっていた。そしてその後は、駆逐艦や潜水艦を用いた補給が細々と続くだけになっていた。
 つまりこの時点でミッドウェー島は、太平洋に浮かぶただの石ころと化していたのだ。
 当然日本側も、奪回されるのは時間の問題と考えていた。またアメリカ軍も、すでに無力化された島など純戦術的には飛び越えてもよいぐらいだった。
 だが、日本側はハワイの前庭を押さえ、真珠湾にプレッシャーを与え続けることに戦略的意味を見いだし、合衆国領土という事がこの島に星条旗を再び掲げさせる事を強要していた。そしてここに、次なる日米決戦のステージが用意される。

 なお、既に同地での劣勢が明らかな日本軍だったが、どうせ放棄を余儀なくされるのならと、一計を案じた。この島の最後の利用として、この島からの撤退作戦を利用して相手に一杯食わせ、ノコノコと現れるであろう米機動部隊を撃滅しようと目論んだのだ。
 何しろ自分たちの空母機動部隊は、いまだにほとんどが健在であった。空母を根城とする搭乗員たちも、いまだ真珠湾をその目で見た者達が人事異動を除いても半数以上残っているのだから、聯合艦隊は自らの育て上げた戦力に自信満々だった。
 以下がこの頃の艦隊概要になる。

・第一機動艦隊(第一群)
 (実働艦載機:約三〇〇機)(小沢中将)
第二航空戦隊:《蒼龍》《飛龍》《龍驤》
第三航空戦隊:《翔鶴》《瑞鶴》
戦艦:《比叡》 重巡洋艦:《利根》《筑摩》
軽巡洋艦:《阿武隈》 駆逐艦:十一隻

・第一機動艦隊(第二群)
 (実働艦載機:約三〇〇機)(角田中将)
第一航空戦隊:《赤城》《加賀》《瑞鳳》
第四航空戦隊:《隼鷹》《飛鷹》《龍鳳》
重巡洋艦:《最上》《三隈》《熊野》《鈴谷》
軽巡洋艦:《神通》 駆逐艦:十二隻

 ・第二艦隊(栗田中将)
戦艦:《大和》《武蔵》《長門》
戦艦:《金剛》《榛名》
重巡洋艦:《高雄》《愛宕》《摩耶》《妙高》《羽黒》
軽巡洋艦:《阿賀野》 駆逐艦:十四隻

 一九四三年春頃とほぼ同じ編成だが、数ヶ月の期間を利用して艦艇は可能な限りの改装工事が施されていた。特に機銃を増設したものが多かった。中でも《赤城》と《加賀》は、損傷修理に合わせて特に装備が変更された。二十センチ砲が全て撤去され、《赤城》の高角砲も全て十二・七センチ連装砲となった。機銃も全て三連装型で、数も大幅に増やされた。機銃に関しては、他の正規空母、軽空母も同様で、戦艦や巡洋艦も増設されているものが多かった。
 また駆逐艦には、高い防空能力を持つ《秋月型》駆逐艦が五隻も空母機動部隊に集中配備されていた。さらに新型の攻撃機(彗星、天山)も少数であり問題を抱えつつではあったが導入されつつあり、零戦の多くも、22型に更新された。故に自らのライバルとなる米機動部隊に対して、優位にあると確信されていた。
 そしてこの確信の源は、開戦以来いまだ半数近くが生き残っている熟練パイロットたちの存在そのものだった。
 彼らが自ら率い育て上げた空母機動部隊の圧倒的攻撃力こそが、自信の源泉だったのだ。
 対するアメリカ海軍だが、一九四三年八月の段階で新鋭の《エセックス級》空母三隻が実働状態にあった。建造中の軽巡洋艦から急遽改装された《インディペンデンス級》軽空母も、改装されつつあった九隻のうち半数が動員可能となっていた。新鋭機や新兵器の存在を加味すれば、十分日本艦隊に対抗できると見られていた。
 以下がこの時の陣容になる。

 第三八機動部隊(第一群)(ハルゼー中将)
正規空母:《エセックス》《エンタープライズ二世》
軽空母: 《インディペンデンス》《プリンストン》
戦艦:《アイオワ》
重巡洋艦:二隻 軽巡洋艦:二隻 駆逐艦:十八隻

 第三八機動部隊(第二群)
 (シャーマン小将)
正規空母:《イントレピット》
軽空母: 《ベロー・ウッド》《カウペンス》《モントレー》
戦艦:《インディアナ》《ノースカロライナ》
重巡洋艦:一隻 軽巡洋艦:二隻 防空巡洋艦:一隻 駆逐艦:十七隻

 そしてこの艦隊の腹の中には、総数五〇〇機近い艦載機が収容されていた。うち九割が実働機になるので、確かに新鋭機の戦力価値を考えれば日本艦隊に十分太刀打ちできると判断されていた。
 もっとも、太平洋艦隊司令部や現場指揮官が、この時のミッドウェー奪回作戦に肯定的だったかと言えば、これは全くの逆だった。
 新たに編成されたばかりの艦隊は、まだ成熟のため小さな島の攻撃など補助的な作戦で訓練度と自信を付けさせるべき時期だと考えられていた。そして、さらに大きな戦力が揃う一九四四年夏まで大規模な攻勢は控えるべきだというのが、大多数の意見だったのだ。
 しかも、開戦から前年暮れまで続いた艦艇の消耗に伴うセイラー不足は、現状においても組織としての崩壊の分水嶺を越える寸前にあった。熟練した中級指揮官の不足も酷いままだった。とてもではないが、就役した艦艇全てに熟練したセイラーを配属する事はできなかった。そして船や艦隊(船団)の技術者集団であるセイラーが未熟であるという事は、ソフト面で非常に大きな不安を抱えている事を意味していた。このため新規艦艇の導入に際して、通常よりも多くの時間が割かれ、前線に姿を見せるが遅れているのが常態化していた。特に大型艦において顕著だった。
 そして現場を知る人間にとって、主に感情面で日本の空母部隊の攻撃力が脅威だった事も、不安要素の大きなファクターだった。簡単にモラル・ブレイクする軍隊ほど役立たずなものはない。
 それほどこの頃までの日本海軍は強く、そして恐れられていたのだ。

 一九四三年七月二十五日、トラック諸島に集結していた日本海軍の大艦隊は大規模な輸送船団を伴って、一路ミッドウェーを目指して出撃した。
 この時の日本軍の意図は、可能な限り極秘裏に全聯合艦隊が護衛する大規模な(撤退)船団をミッドウェーに入れ、これに慌てて出撃して来るであろう米太平洋艦隊の撃滅にあった。
 いっぽうのアメリカ軍は、万全の体制を以てミッドウェー奪回作戦を行うため、まずは迎撃に必ず出て来るであろうナグモ・タスクフォース(この頃には人事移動で小沢に変わっていた)に痛撃を与える事を第一の目的としていた。
 そしてここから言えるのは、日本軍は米艦隊撃滅だけを目標としており、対するアメリカ軍は島と艦隊の二つを目標としているという事だ。これは皮肉にも、一年二ヶ月前の攻守逆転した状況に他ならなかった。

 「北太平洋海戦」もしくは「第二次ミッドウェー沖海戦」と呼ばれる一大海上決戦の舞台の幕は、最初の天王山と言われた戦場で再び切って落とされた。
 一九四三年八月二日、既に出撃報告が寄せられていた日本艦隊がミッドウェー海域に達した事が、偵察に出ていた《B24》爆撃機によってアメリカ軍に報告される。
 しかも報告では、日本艦隊は輸送船団を伴っており、ミッドウェー島の空軍基地も息を吹き返して航空機の発着が行われようとしていると言うものだった。
 その象徴として、日本軍の大型飛行艇が長駆ハワイ諸島の偵察に数ヶ月ぶりに訪れた。夜間に飛来した機体は機雷を投下したらしく、駆逐艦一隻が被雷撃沈するなどして、小さな混乱を呼び込んでいた。
 この時アメリカ軍は、日本軍の意図を掴みかねていた。
 既に時機を逸している筈のハワイ攻略作戦を開始しようとしているのか、それに類する新たな攻勢作戦のための増援なのか、それとも全く逆に撤退のための大戦力の投入なのか、である。
 これは、聯合艦隊がほぼ全力でミッドウェー近海に出現しているという報告によって引き起こされた混乱でもあった。同時に、本来なら自らの攻撃(八月五日開始予定)によっておびき寄せられる日本艦隊を撃滅する筈が、手順が大きく狂ってしまった事から来る混乱でもあった。そしてアメリカ軍の混乱は、日本艦隊がトラックを出撃した時から始まり、念のためハワイ防衛を優先した機動部隊は、全ての作戦準備を延期して、この時ハワイとミッドウェーの中間海域を所在なげに滞在しているとい有様だった。
 そこにきて、日本軍のミッドウェー増援の報告である。ここで米司令部は、自らの作戦が大きく漏洩している可能性を考え、一時は作戦そのものを延期しようとすら考えられた。
 だが、ミッドウェー島への大幅な増援の放置と、ハワイ近在にある敵大艦隊を無視する事はできないとの判断が下った。既に洋上に出撃していた艦隊に迎撃が命令されると共に、ハワイでほとんど無為にたむろしていた多数の重爆撃機に、ミッドウェー島と敵艦隊に対する総攻撃が命令された。
 日本艦隊の意図は不明だが、彼らがノコノコ自ら出向いて来た事は千載一遇のチャンスであった。今後の作戦とハワイ防衛のためにも、重爆と機動部隊により痛撃を与えておく事は、後の戦局にも有効に働くだろうと考えられた。
 
 いっぽうノコノコと現れた聯合艦隊だったが、進出する少し前から血眼になって米機動部隊の所在を捜索していた。
 事前に進出した潜水艦群、空母艦載機、艦艇搭載の水上機、ウィーク島やマーシャル諸島から長駆進出してきた大型飛行艇などによって濃密な偵察活動を展開しており、その日の午後四時三十六分に米機動部隊を自らとの相対距離三二〇海里の場所に捕捉した。
 この報告をもとに偵察のための潜水艦シフトの配置変更が行われ、艦隊主力は一旦ミッドウェー近海から待避して明日の決戦に備え、その間ミッドウェーに進出していた航空隊による夜間奇襲が企図された。米艦隊の接触は、電探搭載の大型飛行艇(二式大艇)によって、夜間でも維持できる体制が整えられた。
 米機動部隊の方でも、自らの位置関係から激突は明日と考え、潜水艦を警戒しつつ一旦進路をミッドウェーと反対側に取って日本軍同様明日の決戦準備に入った。
 そして双方のパイロットが明日に備え深く眠っている午前一時頃、日本軍の夜間奇襲攻撃が決行された。
 夜間攻撃と言えば英航空隊による空襲が有名だが、この時の日本軍の攻撃は双発の大型機複数(一式陸攻十八機)による夜間雷撃だった。南方から引き抜かれた熟練パイロットをさらに訓練を施して編成された特別攻撃隊は、電探情報で敵艦隊上空に到達。その後、照明弾と闇雲に打ち上げられる対空砲火の中敵艦隊への突撃を行い、半数の未帰還と引き替えにそれなりの戦果を残した。
 この日本軍の無謀とも言える攻撃は、第二群に対して行われた。軽空母《モントレー》と戦艦《インディアナ》、防空巡《サン・ファン》がそれぞれ魚雷一本を受け、炎に包まれた自爆機の突入を受けた駆逐艦一隻がその後の誘爆によって波間に没した。
 この攻撃で《モントレー》、《サン・ファン》が脱落を余儀なくされ、ダメージコントロールに失敗した《サン・ファン》は燃え盛るまま自沈処分とされた。
 米艦隊にとって、まったく予想外の大損害だった。
 この予期せぬ攻撃によって艦載機の一割が早くも減少し、防空力の一角を突き崩されてしまい、これから始まるであろう日本艦隊主力との対決に大きな不安を投げかけるものとなった。
 しかも、夜間雷撃という突発事態で第二群は大きく陣形を乱してしまい、この再編成と損傷艦艇の後送だけで三時間近くを浪費した。その頃には偵察機を解き放つ時間となっており、日本側の後塵を拝したのは間違いなかった。
 アメリカ軍の遅れを象徴するように午前六時四六分、日本軍高速液冷偵察機二式艦偵(通称「彗雲」)が艦隊上空に飛来し、スズメバチの斥候のように凶悪な針を持った仲間たちを呼び寄せ始めていた。
 そして偵察機の半数が出遅れたアメリカ側は、この時点で日本艦隊を確認しておらず、艦隊を率いるハルゼー提督の血圧は上がる一方だった。

 午前九時三分、日本軍と思われる大編隊が、艦隊前方に広く展開するレーダー搭載のピケット艦によって捕捉される。
 大きく四つに分かれた大編隊は、それぞれ一〇〇機程度の艦載機から構成されていると見られた。この報告を受けた米艦隊司令部は、攻撃隊用に温存されていた艦載機の追加発進を命令し、襲来する日本艦載機の前面に二〇〇機以上の戦闘機を展開してこの攻撃を防ぎきろうとした。こちらが攻撃できない以上、全てを投入して防ぐのがもっとも合理的だからだ。
 この時米艦隊を目指していたのは、村田中佐(この時期の総飛行隊長)率いる第一機動部隊から発進した大編隊だった。それぞれ五〇機程度の戦闘機と攻撃機から編成され、熟練者から編成された彼らは自信満々だった。
 今回も巨大な渦巻きを描きつつ海底に引きずり込まれる米空母の姿を見られるものと確信していた。
 だから眼前に展開する米艦載機の群を見ても全くひるまず、零戦(主力は二二型)を手足のごとく操る搭乗員たちは、敵新鋭機に対してもほぼ互角の戦いを演じた。数に押されて攻撃隊にも被害が多発するも、戦闘機隊が切り開いた空路を自らも出血しつつ突破すると、米空母目指して突撃を開始した。なお、日本軍が突破できたのは、まだこの頃のアメリカ軍の航空管制能力、無線通信指揮能力が発展途上だった事も大きな要因だった。
 日本軍第一波の目標となったのは、正規空母二隻と新型戦艦二隻を中心に据えた第一群の方だった。米戦闘機のインターセプトによって七割程度に減らされた(装備を投棄して待避した機体もある)攻撃機は、思い思いの方向から輪形陣に入り込んだ。
 だが、それまでとは比べものにならないと言うより、全く異質の対空射撃が彼らを出迎えた。
 飛来する高角砲弾の一部は驚くほど近くで炸裂するモノがあるにも関わらず、一部は見当違いの場所を突進する砲弾はそのまま通り過ぎてその後水柱をあげるだけという異常さだったと、対空弾幕の外から戦果確認のため攻撃に参加しなかった村田隊長によって帰還後報告させる事になる。
 そして濃密な高角砲による弾幕を抜けると、今度は連合国軍の基地でもよく見かけるようになったヴォフォース社製の四〇ミリメートル機関砲多数による激しい弾幕射撃を受けた。
 このた迎撃のため特に雷撃隊の損害は大きく、最終的な損害は全体の半数近くに達するのではと思われた。
 だが、熟練した彼らは、かつての自分たちがそうだったように、敵砲火を無視するかのように敵艦に自らが抱えてきた荷物を叩きつけ、次々に火焔や水柱を突き立てていった。
 そして、三〇分後ろを進軍していた第二波は、第一波により大きく乱れていた米インターセプターを比較的簡単に振り切ると、艦隊上空で半数に分かれて、一方は第一波が叩いた艦隊に向かい、もう一方は一隻の大型空母を抱える無傷の艦隊に向かった。
 そして第二波の攻撃が十五分という短時間で終了して、インターセプターがしぶとく攻撃隊を守る日本軍戦闘機をようやく見送った時、一時間ほど前威風堂々と進軍していた艦隊はそこにはなかった。艦隊の中心部は半数以上の平たい板が煙を噴き上げていたのだ。
 しかも、小さな板の幾つかは速力も大きく減じており、そればかりかどう数えても一つ見あたらなかった。
 数十分の戦闘の間に沈んでしまったという事だった。
 それを証明するように、小さなゴミのようなものと重油の広がりが第一群が通ったあたりに存在し、駆逐艦数隻がノロノロとその辺りを彷徨っていた。
 アメリカ軍将兵は、「日本海軍いまだ健在」であると身を以て思い知らされる事になったのだ。

 しかしその頃、一つの朗報がアメリカ軍司令部にもたらされていた。日本艦隊が予想よりも離れた海域に確認されたのだ。
 報告を受けた米艦隊は、直ちに攻撃隊出撃の準備に取りかかる。迎撃に全て送り出してしまった戦闘機の半数を収容して再出撃させるのに時間を取られたが、午前一一時過ぎに航空機運用能力を残していた四隻の母艦から順次攻撃隊が発進していった。
 この時送り出された米攻撃隊は、二波に分かれた約一八〇機。正規空母の《イントレピット》の格納庫が大火災に見舞われていた事による戦力減少が大きく響いていた。
 なお、この時点で戦力を残していた空母は、《エセックス》《エンタープライズ二世》《インディペンデンス》《ベロー・ウッド》の四隻だけだった。すでに戦力は戦闘開始当初の六割程度にまで低下しており、本来なら撤退を考えなければならない損害だ。
 いっぽう第一撃をこれ以上ないぐらい成功させた日本艦隊だが、帰還してきた攻撃隊の損害に愕然とし、さらに着艦した集計を確認して驚きを新たにした。
 送り出した攻撃隊約四三〇機の三割近くが失われており、損傷機体を含めた戦力減退を考えると一撃で半数が消耗された事を意味していたからだ。
 だが米艦隊は、半数近くの母艦が依然として健在だった。日本側の二つの空母群を率いる指揮官のどちらもが攻撃を続行すべきだとして、昼を迎えるまでに第一、第二波を再編成した第三波約二三〇機を送り出していた。
 そして前日それほど待避を行わず空母部隊よりも一〇〇海里近く先行していた第二艦隊から敵大編隊接近の報告を受けると、残り全ての戦闘機が十一隻の母艦から送り出された。報告により、約一〇〇機の零戦が米艦隊迎撃の為に空へと解き放たれた。
 そして戦艦部隊などいつでも始末できると無視して進撃を続行した米艦載機パイロットは、眼前に広がる光景に驚く番となった。今回の相手も自分たちを遙かに上回る艦隊と言われていたが、目の前に展開するゼロ・ファイターは自分たちと同数程度と見られた。しかも眼下と少し先に見える大艦隊の姿は、どう見ても自分たちのものよりはるかに大規模に映ったからだ。
 もちろん米攻撃隊も、日本軍機同様にそれらにひるむことなく突撃を続行したのだが、実戦経験の少なさから制空戦闘機のほとんど全てがゼロ・ファイターに飲み込まれた。制空隊が防ぎきれなかったゼロの多くが、攻撃隊へと突進してくる事になった。数にしてしまうと約三〇機という大戦力で、米編隊が日本艦隊を攻撃する突入位置に入るまでにはまだ十分近く必要だった。
 そしてここでも、米艦隊上空で日本軍機が受けたと全く同じ試練を米編隊も受けることになる。約六〇機あった攻撃機は、投弾するまでに三分の一が撃墜・撃破され、さらにかなりの数が投弾を邪魔されたため効果的な攻撃を行う事ができず、半数程度にまで磨り減らされた攻撃隊は、二手に分かれるとそれぞれ手近な空母を集中攻撃する事になった。
 攻撃の対象とされたのは、第一群の《蒼龍》《龍驤》と第二群の《加賀》《飛鷹》だった。
 なお、日本海軍の空母はアメリカ軍に比べてソフト、ハードの両面で脆弱だった。米攻撃隊の生き残り、つまりラッキーな者と熟練者で構成された攻撃機によって《蒼龍》《龍驤》《加賀》《飛鷹》はそれぞれ一〜二発の魚雷か爆弾を受けただけだったが、軽空母並の防御力しかない最少サイズの正規空母「蒼龍」は、魚雷と一〇〇〇ポンド爆弾一発ずつの被弾で大破と言ってよい損害を受けてしまう。爆弾だけの被弾で済んだ《龍驤》《飛鷹》も、航空機発着能力を失う。しかも運の悪い事に世界最大の空母「加賀」はスクリューに重大な損傷を受けたため、高速発揮ができなくなっていた。
 なお、この時の米攻撃隊の命中率が25%近くに達していた事は、特筆に値するだろう。

 そして、日本艦隊が米艦隊同様混乱に襲われているとき、第二波の約五〇機が押し寄せ、依然として大量に存在するゼロを無視するかのようにそれぞれ損傷していた空母に襲いかかる。そして《蒼龍》《龍驤》に致命傷となるダメージを与えていた。
 また《加賀》は、いち早く戦場から待避を始めるが、その日の夕刻近くに米潜水艦の雷撃を受け、魚雷三本が命中してこれが致命傷となって被雷から3時間後の総員退艦の後に沈没している。
 だがこの時の攻撃は、アメリカ軍機にとっても大きな試練となった。二波合計で約一八〇機送り出された艦載機のうち、母艦まで帰り着いたのは半数以下の七〇機強に過ぎなかった。帰還した過半も、ゼロ・ファイターにさんざんに追いかけ回され、それを振り切っての帰投だったため被弾機も多かった。未帰還機には、ゼロを振り切った後墜落したものも多く含まれ、しかも命からがら帰ってきた彼らを出迎えたのは、出撃する時より酷い艦隊の惨状だった。

 日本軍の第三波は午後二時十三分に襲来したのだが、この時二三〇機の攻撃隊は最初の失敗を教訓として可能な限り各編隊を近づけて巨大な挺団を組んで空を圧して進撃した。
 インターセプターに現れた約八〇機の米戦闘機隊も、零戦約一〇〇機によってそのほとんどを封殺すると、最初の攻撃を教訓としてさらに苛烈な突撃を敢行していった。
 そして攻撃隊は二手に分かれ、同時に米艦隊全てを葬り去ろうとした。特に雷撃隊は火焔をあげている大型空母と脆弱な事が判明した軽空母に集中され、一方急降下爆撃隊は大型空母に的を絞った攻撃を仕掛けた。
 そして操艦もままならないほどの大火災に襲われていた大型空母の《イントレピット》は、為す術もなく両舷に魚雷複数を突きつけられて大きく傾斜した。同様に炎と煙を吹き上げていた《カウペンス》と《インディペンデンス》にも魚雷複数が叩きつけられ、日本機の撤退前に『撃沈間違イナシ』と報告させるに至る。無傷だった《エセックス》にも多数の大型爆弾を命中させ、大火災を発生させると共に航空機運用能力を完全に奪っていた。
 そして嵐のような日本軍機が去ったとき、何とか航空機運用能力を残していたのは、直撃弾一と至近弾複数を受けながらも戦闘力を維持していた《エンタープライズ二世》だけとなっていた。
 このためヨレヨレになって帰還してきた攻撃隊は、《エンタープライズ二世》に収容されるそばから機体を捨てる事で何とか収容されるという惨状に陥っていた。

 そして半日の戦闘でガタガタとなったアメリカ艦隊は、攻撃隊の報告を総合して依然として日本艦隊は攻撃力を残していると判断した。対して自らの戦力は、正規空母一隻以下の戦力に陥っているため、この時点で作戦の続行は不可能と米機動部隊司令部は判断し、撤退の打診をハワイの司令部に送った。
 そして三十分ほど後に撤退の命令が艦隊司令部に伝えられたのだが、ここに問題が発生していた。
 大きく損傷した大型空母の《エセックス》が、多数の至近弾を受けた時に舵とスクリューを傷つけてしまい、大規模な修理を施さない限り速力は十八ノットが限界となっていたのだ。しかも十八ノットに回復するのにも数時間必要で、太陽が傾きかけたその時、速力は十二ノットしかなく、必然的に艦隊全ての速力も大きく低下していた。
 そして、この状態を最悪のものとしていたのが、日本海軍の戦艦部隊がすぐ近くまで接近しているという事だった。しかも夕陽が没するまでに捕捉されるのは間違いなかったのだ。
 貴重な大型空母を自沈処分にして残りの艦隊全てを撤退させるか、護衛艦艇を総動員して日本艦隊を防ぎきるかが議論されたが、ここで太平洋艦隊司令長官自らの強い命令が伝えられた。
 その命令とは、ここで一隻たりとも大型空母を失うことは許されないというもの、つまりは事実上の死守命令だった。
 このため、第38機動部隊から抽出された打撃艦隊が臨時編成される事になり、既に三十海里近くにまで接近していた日本艦隊へと艦隊編成もそこそこに急ぎ向かっていった。
 
 ・第二艦隊
 ・第二艦隊(栗田中将)
戦艦:《大和》《武蔵》《長門》
戦艦:《金剛》《榛名》
重巡洋艦:《高雄》《愛宕》《摩耶》《妙高》《羽黒》
軽巡:《阿賀野》 駆逐艦:十四隻

 第三四任務群
戦艦:《アイオワ》《インディアナ》《ノースカロライナ》
重巡:二隻 軽巡:二隻 駆逐艦:八隻

 以上がこの時激突した日米双方の艦隊になる。艦載機による攻撃や妨害がなく、海面状態もよく視界がクリーンでまだ太陽が昇っていたことを考慮すると、第二次世界大戦において初めて発生した正統的と言える艦隊決戦だった。しかも規模は、欧州戦線を含めた第二次世界大戦開始以来、最大規模のものとなった。加えて、日米双方共に最新鋭戦艦を投入していた。
 戦闘は、距離三五〇〇〇メートルから砲撃を開始した日本艦隊によって火蓋を切られる。しかも、基本的に西日(夕日)を背に突進する日本艦隊を、大きく二つに分かれたアメリカ艦隊が傘をかぶせるような形で迎撃するという、アメリカ軍にとって不利な位置関係と有利な陣形となっていた。
 さらに日本艦隊は、アメリカ軍に有利な陣形で戦闘するつもりはなく、二手に分かれている一方に進路を傾けて砲撃を集中した。
 対するアメリカ艦隊は距離三二〇〇〇メートル(35000ヤード)で砲撃を開始し、遠距離砲撃を回避する気のない正面対決を望んだ。

 最初の命中弾は、アメリカ艦隊の二斉射目のすぐあと、距離約三〇五〇〇メートルで発生した。
 《大和》もしくは《武蔵》が《アイオワ》に向けて統制射撃で放った十八発の砲弾のうち一発が、彼女の艦橋横に命中して艦底付近でその効果を発揮した。砲弾は、自らの持つ圧倒的な破壊力がもたらした衝撃によってボイラーの四分の一を破壊すると共に、新鋭戦艦の射撃管制システムにも大きなダメージを与えた。
 この攻撃で勝敗が決したと判断する戦史家もいると言われるほど、効果があったとされる一撃だった。
 万全の態勢でレーダー射撃を開始した筈のアメリカ艦隊は、西日を背に迫ってくる日本艦艇に対して初期の段階から戦力的劣勢で戦わざるをえなかった。しかも観測機を上空に上げていた日本艦隊は、砲撃を重ねるごとに照準が正確になっていき、それは距離を詰めると共に上昇していた。
 もちろんアメリカ艦隊も距離が詰まると共に正確な射撃となっていたが、戦闘開始当初に《アイオワ》の戦闘能力が大きく低下し、数に劣る米艦隊は航空戦がそうだったように日本側の物量に圧倒されつつあった。しかも日本艦隊の先頭艦に集中射撃したものの、ソロモンでの戦闘がそうだったように《大和》《武蔵》には一発や二発の16インチ砲弾では効果が薄かった。反対に《アイオワ》は《大和》《武蔵》の集中射撃を浴びる事となる。しかもソロモン海で姉妹艦を失った《長門》は、ベテラン艦特有の正確さで乗員が引き抜かれて練度に難点がある《インディアナ》に砲弾を叩きつけ、《金剛》《榛名》も格上の筈の《ノースカロライナ》に数と手数で勝る優位を生かして多数の命中弾を浴びせかけていた。
 そして次なる変化は、意外なことに《金剛》《榛名》がもたらす事になる。
 種々の偶然から高落下角で突入した14インチ砲弾が、《ノースカロライナ》のバイタルパート部の装甲甲板を突き破って機関部の半分を破壊したのだ。
 《ノースカロライナ》は突如として速力が半減し、動力を失った事で電力の供給が低下して戦闘艦としては動くだけの鉄屑と化してしまった。これにより戦力バランスが大きく変化した日本艦隊は、複数の戦艦が一隻の戦艦を集中攻撃を行う状況になる。

 戦闘開始から約一時間後、夕陽が没しようとしていた頃、米艦隊は夜陰に乗じて撤退した。だが、速力が落ちて取り残された《アイオワ》と《ノースカロライナ》は日本艦隊に袋叩きにあって、抵抗力がなくなったところに接近した水雷戦隊の魚雷によりトドメをさされた。
 そして《アイオワ》の撃沈によって、二日に渡った激戦の幕が下りる。
 なお、この米艦隊の犠牲によって、日本艦隊も撤退を決意したので戦略的には大きな効果があったと、アメリカ側の公文書に書かれる事となる。アメリカ側の思惑通り、空母部隊は無事撤退に成功していたからだ。
 いっぽう日本軍の方では、戦闘からしばらくしての情報収集で付近には大きく傷ついた米機動部隊が存在し、十分に夜戦で撃滅可能にも関わらず徹底した追撃を行わなかった事が非難された。
 だがこれは、戦闘終盤に栗田提督以下司令部の半数が、アメリカ軍の攻撃によって艦橋に飛び込んできた砲弾の破片によって負傷していた事に起因しているため、以後ソフト(人材)面でのダメージコントロールを日本海軍内で問わせる事になる。なお、負傷した栗田提督はこれで第一線から離れざるを得なくなり、復帰後も体調不良から海軍学校の校長へ就任、終戦に至っている。
 ちなみに、何とか日本艦隊の追撃を逃れた《インディアナ》は、大破に近い損傷を受けつつもその後ほぼ自力で真珠湾へ帰投している。
 では最後に海戦の総決算を紹介しておこう。

日本
 撃沈
《加賀》《蒼龍》《龍驤》、軽巡一、駆逐艦二
 損傷(中破以上)
《大和》《長門》《金剛》、重巡三、駆逐艦二
 航空機:約三五〇機損失

アメリカ
 撃沈
《アイオワ》《ノースカロライナ》
《イントレピット》
《インディペンデンス》《プリンストン》
《カウペンス》
軽巡一、駆逐艦五
 損傷(中破以上)
《インディアナ》
《エセックス》
《モントレー》
重巡二、軽巡一、駆逐艦二
 航空機:約四五〇機損失

 なおこの海戦は、日本では豪州総攻撃(「い号」作戦)以来数カ月ぶりの大勝利として大きく宣伝された。町中は提灯行列が行われ、アメリカでは再びの大敗北として議会と日本軍の攻撃に怯える西海岸では大騒ぎとなる。またアメリカ側にとって、死傷者が再び一万人以上に達した事も大きなショックで、これ以後アメリカ軍の限定攻勢戦略にブレーキをかける事にもなる。

 海戦後の日本側は、勝利と勝利宣伝のために、事前の予定とは裏腹にミッドウェー島から引くに引けなくなっていた。結果、撤退予定だった守備隊は、補給を受けただけでそのまま残留した。一時的に現地に進出していた航空隊も、陸攻隊が再びハワイ夜間空襲をするなど積極的な行動を示した。
 そして真珠湾軍港に対する政治的意味を持った基地航空隊による攻撃は、真珠湾軍港一部破壊(潜水艦区画が三ヶ月機能低下)と大規模炎上(重油タンク群の一つが爆撃と自爆機によって破壊)という成功をもたらすも、膨大な数の高射砲と迎撃機によって作戦参加した二十六機全機未帰還という悲劇をもたらした。そしてこの日本側のアクティブな行動が、アメリカ軍のさらなる反応を呼び込む。
 より一層政治的要求が強まったアメリカ軍は、同海戦から三カ月後の四三年十一月に何とか太平洋艦隊が再建されると、すぐさまミッドウェー攻略を再開したのだ。
 これに対し日本軍は、大量に消耗してしまった艦艇への燃料問題と戦力の消耗激しい機動部隊が投入できない事もあり、効果的な迎撃が全くできなかった。トラック諸島に用意されていた航空隊と一個混成旅団の増援部隊も、アメリカ軍の妨害と距離的な関係から送ることが難しかった。そしてアメリカ軍の再攻撃から一週間を待たずして、ミッドウェーを守備していた一木支隊を中心とする日本軍守備隊は奮闘の末全滅し、ここにミッドウェーは奪回される。
 そしてここで大本営は、初めて『玉砕』の発表を行う事になり、これ以後大本営の虚飾に満ちた報道が多発するようになる。
 なお、形として勝利した二度目のミッドウェーでの戦いが、同諸島からの撤退を拒み、これが捨て駒としての玉砕に繋がっている点は、日本らしい結末と言えなくもないだろう。
 そして後世に於いて、この日本軍の体面を取り繕うためのような無意味な徹底抗戦に対して、昭和天皇が一木支隊全滅後に現地に電報を打たせた事が、これ以上ない批判とされている。

 

 

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