著 者:林信吾 清谷信一
発行日:2001年2月20日〜2004年8月15日
発行所:ベストセラーズ
真・大東亜戦争 World War I《1915》帝国陸海軍欧州ニ征ク 真・大東亜戦争 2(以下副題略) 真・大東亜戦争 3 真・大東亜戦争 4 真・大東亜戦争 5 真・大東亜戦争 6 真・大東亜戦争 7 真・大東亜戦争 8 真・大東亜戦争 9 真・大東亜戦争 10 真・大東亜戦争 11 真・大東亜戦争 12 真・大東亜戦争 13 真・大東亜戦争 14 真・大東亜戦争 15 真・大東亜戦争 16 真・大東亜戦争 17
さて今回は、21世紀に入り結果として長期シリーズとして刊行され続けた作品を紹介したいと思います。
さて皆さん、この作品の最大の特徴は何でしょう? いったい何を最も評価すべきでしょう? 私が最も感じる点は、これだけの長編作品を常に一定の文章量と娯楽作としての一定レベルに達する内容、一定のペースで刊行し続けた事であり、長編物語全体をたった3年半で完結させてしまったと言う点ではないかと思います。 また、それでいて作品の密度はそれほど過疎ではなく、むしろ細部に渡って作者のこだわりのようなものを見ることができる点も、刊行ペースという視点から見ると高い評価をするべきだと思います。 何しろ、週間連載漫画の単行本並のスピードで出し続けられた作品というのは、私の知る限り架空戦記の中では極めて希で(単なる思想本と化したブラウ・サロンな作品(?)とスペック羅列作品(?)は論外ですよ(笑))、この点に関して私は最大の賛辞を送りたいと思います。 最初に挙げた3つの「一定」を満たす事は、娯楽作を作る側としては重要な事だと思います。ハイ。
ただし、私のようなひねくれ者の視点から見ると、その内容に必ずしも満足がいくかと言えば、こればかりはYesとは言えず、私がこの小説を中盤以降も買い続けた最大の理由は、いつの日かこのような場で思いっきりツッコンでやろうと思ったからに他なりません(自爆)
「あえて言おう、片手落ちであると!」
これが私のこの作品に対する一番の感想であり、あとがきや本編においてグランド・ストラテジーやポリティカルな事を、あれ程大上段から語っていながら肝心なところが欠落しており、しかもごく一般の読者に対して戦略的な視点で物語が締められておらず(終戦と戦後処理がキーワードを提示しただけで曖昧なまま)、最終巻において「竜頭蛇尾」という言葉が私の脳裏をよぎりました。起承転結の「結」が弱いんですよね。 もちろん、小説としてなら十分許容できる終わり方なのですが、この作品内やあとがきなどであれ程大上段から大洞吹いている割には・・・という気持ちが大きく頭をもたげざるをえませんでした。 だから、多分今回もかなり叩くと思いますので、気に入らない人はこのまま閉じてください。 (もちろん、叩くだけの価値があると言うことの裏返しでもあります。)
ま、取りあえずあらすじを見ましょう・・・と思いましたが、あまりにも巻数が多いので、「イーエスブックス」のあらすじ紹介を丸ごと転記させていただきますので、小説全部読んだぜ、という勇者の方はあらすじは読み飛ばしてください。(ハッキリ言ってこんな長い作品の紹介などやっとれんよ(苦笑))
あらすじ
論評・批評?
さて、本の紹介では何だか堂々と完結されてしまいましたが、何から話しましょうか。何からツッコミましょうか。厨房的視点から見るなら指摘すべき点が多すぎて、何から話してよいのやら書く前から混乱してしまいそうです。 まあ、やはり冒頭で言った「あえて言おう、片手落ちであると!」と言う言葉に対する、私なりのコメントをもう少し書くべきですね。 と言っても書き出すとまた長くなると思いますので、気長におつき合いください。
さて本作ですが、第一巻に第一次世界大戦の日本積極参戦というファクターを持ってくる事で「総力戦」というものに大きなスポットライトを当てて、特に日本軍の近代的な軍隊への道のりについてはかなり詳細まで突っ込まれています。特に陸軍に対してこれが顕著のように見受けられました。まあ、それは問題ないでしょう。よく考えられていると思います。 インフラの整備についても安価な労働力として軍隊を建設に導入するなどという面を絡めつつ多少は触れています。様々な場面で見られる歴史・文化・風俗に関する小ネタも光ってました。さすがに海外で活躍されている方ですね。この点このジャンルの作家さんとは違うと感じさせられます。正直第一巻は面白いと思いました。この点嘘偽り全くございません。だから、続刊も買ったんですから。 ですが、資源問題を始めとする戦略や兵站、武器生産の事を色々な場所で述べているにも関わらず(しかもオリジナルの主人公の西条英俊を軍需大臣に据えるほどのこだわりなうえに(年齢や設定はともかく、政治的立ち位置はドイツのシュペーアに近いか?)、東条英機を第一次世界大戦を体感させる事で近代戦に傾倒させ、さらに佐藤栄作や岸伸介もかなり表に出している!)、この時代の総力戦になくてはならないと私が考える工業分野での「大量生産技術」、「統一規格」の事についての記述を発見する事はできず、しかも日本の生産力はどう見ても異常に拡大しているのに、これを支えうる日本の工業力、工業生産そのものについても作られた兵器以外は殆ど触れていません。日中戦争とやらをしない分のお金が、軍需省という総合的な軍事組織により効率的に「軍備増強だけ」に使われたような節しか見受けられないように思います。 造船についても、既存艦艇の「無茶苦茶な改造」や大量生産の概念からかけ離れてしまったとしか思えない「複雑怪奇な建造計画」がこれでもかと言うぐらい目白押しなのに、日本の造船技術や設備がどう変化したなどという記述は全くなく、何だかこういう視点からみると改造好きのプラモデルマニアがパトスとリビドーの赴くまま書いた「トンデモ系?」と頭を傾けざるをえませんでした。特に日本海軍の武器体系の複雑さは、数ある火葬戦記の中でもトップクラスでしょう。この点に関しては、この世界の造船や海軍の軍需工業、兵站の現場には絶対に関わりたくないと思わせるほどの凄まじさです。 この点については裏ではちゃんと設定してあるんだよ、娯楽作という都合上割愛しただけだよ、って事なんでしょうか?? まあこの点をお遊びとして無理矢理スルーしたとしても、枢軸国が貿易できる間に、日独伊(+仏)の間で大量の武器のやり取りが行われるのですが、その過程で日本の艦艇はまるでプラモデルの改造のような武装変更がいとも簡単に行われており、しかも日本的職人芸で1隻だけ改装したなどと言う抜け道を使うのではなく、大量にそのような兵器が出てくる点から見るに、この作者は戦前日本の生産状況・技術レベルなどの基礎工業力そのものを1960年代以降の日本か、当時のアメリカやドイツレベルに考えていたのではと思わざるをえまえんでした。 大上段から戦略などを語っておきながら、全くの片手落ちです。 偉そうな事言うんだから、ちったぁ語ってくれよ。
もう私の頭は、イタリア製の優れた火砲を装備する日本の艦艇が、大量に戦場に姿を現した時点でオーバーヒートです。皆さん見てください、阿賀野級の主砲がイタリア製の逸品ですよ、そりゃあ量産しか考えていない米軍艦艇に楽勝して当たり前だね! あ、あっちを見てください、イタリア製と日本製の艦艇で編成された超高速水雷戦隊が太平洋の荒波上を速力40ノットで一糸乱れず行動しているよ、さすが連合艦隊だねっ!☆(えー
他にも色々ありましたよ。 もちろん「銀河」と「モスキート」によく似た「一式陸攻」がインド洋を席巻している事など序の口以下です。 特に水上艦艇がスゴイ事になってますね。 戦艦大和が副砲の配置の変更だけで艦幅を小さくできて速力が上昇するなど、戦艦というシステムを知らないとしか思えません。いや、表面的事象以外は、知らないんでしょう。だから色々プラモデルのような事が出来たに違いないでしょうし、意図的に無視しているとしても無茶苦茶です。
まったく、伊勢級を簡単に長門級に準じた16インチ砲戦艦に改装しないでください。16インチ砲戦艦と14インチ砲戦艦の船体強度と艦齢20年を越える船の装甲材質の劣化を考えたら、おそらく船体全部に手を入れねばならず、そんな事は無駄遣いもいいところですし、取りあえず軍の造船所を複数箇所徹底的に強化してから改装工事に着手してください、史実日本の建造能力じゃあ、これだけ大規模な改装している間に戦争が終わってしまいます。史実の伊勢級の(航空戦艦への)改装がどれだけ苦労したかご存じですか。 それに金剛級を3隻もいとも簡単に装甲空母に改装しないでください。大鳳の建造過程や、信濃がどれ程苦労して空母に改装されたかご存じですか先生。 まあ、先生のオリジナル艦艇をドイツ風のポケット戦艦にするのは別に結構なんですが、日本海とドイツの工業規格(と言い難いか?)の違いとかちゃんと調べられましたよね、ね。商船と軍艦はまるで違うんですよ。 あ、あと、日本海軍の火砲が、史実の三倍ぐらいの種類(数えるのも莫迦莫迦しいので挙げませんが)になっていますが、この辺りの管理の面倒さからくる補給・兵站面の負担とかちゃんとご理解されていますよね、ね、ねっ! ・ ・ ・ あの〜、ここで一言だけ言っていいですか。 先生が専門家として様々な事象について一家言持たれていることは十分理解しますが、お願いですから日本の零戦がどのように「量産」されていたか、一度ちゃんと調べて見てください。それをご存じなら、土台をしっかり作らずにこのような事はしない筈ですよ。それとも確信犯として、お遊びとしてこのような事をなされているのですか? エエ、もちろん私は後者だと妄信させていただきますよ・・・と読みながら心の中で唱えつつ、日本兵器のファンタジックな装備については読み流すことしきりでした(えー
でまあこのような「お遊び」と理解(もしくは曲解)できる作品内の事柄だけなら娯楽作としてスルーしても全く構わないのですが(いいなら突っ込むなよ!)、あとがきにおいて「読者の中には、史実における日本の艦艇建造能力をご存じで、『こんなに造れるか?』と思われた方も、あるいはいらっしゃるでしょう。実は、おそらくもっと造れるのです。航空機や戦略物資、陸軍装備の近代化にも予算や生産力を振り向けることを考えて、妥当なシュミレーションをしてみました。」や「中国戦線向けの臨時予算だけで、105億2626万円を浪費しました。」(4巻あとがきより)と書かれています。 あとがきで書いている以上、これは看過できません。
さて、お立ち会い。 まず以て、何がどう妥当なのでしょうか。 ちまたに溢れるトンデモ系と比較してでしょうか、それとも陸海空の予算配分が妥当なのでしょうか。恐らくは後者でしょう。 と言うことはつまりこの作者は、兵器のお値段の分だけ予算を投入すれば、いとも簡単に大量の兵器が生産できるとでも思っているのでしょうか。 先生、お願いですから兵器作る前に兵器の素材を作る工場と兵器を作るための基礎技術から何とかしてください。 いやマジで。 私がこの作品にズッコケてしまったのは、このあとがきを読んだ時です。
もう数字を挙げるのも莫迦莫迦しいのですが、取りあえず造船だけ少し見ましょうか。 大神海軍工廠を建設するのに見積もりで24億円、信濃を建造した横須賀の第六ドック建設だけで1500万円かかっています。それ以外にも、1930年代半ばから10年ほどの間に戦後日本を作り上げた日本中の民間造船所の改修、建設にも約6億円が投資されています。日本経済の発展に反比例するように、1930年代半ばから関係冷却化で英米の船舶が使えなくなったので、このあたり産業界は敏感に反応していたんですね。別に戦争するためにダケに民間造船施設がこの頃急速に拡大したワケじゃありませんよ。この時代の日本は650万トンの船舶を有していましたが、それ以外に150万トン程度の外国船舶の存在がなければ、健全な経済活動できなかったんですからね。 そして戦前・戦中に建設された造船施設をフル稼働させれば、年産最大300万トンの造船が可能と見られるので、これを使えば16巻冒頭で自信満々に掲載された大艦隊も建設できるかもしれませんが、これらを揃える前に取りあえず日本の鉄鋼生産力をもう5割ばかり拡大(生産増大ではない。既存施設での生産は既に限界に達している)させてあげなくては、建造するための鋼材がどうにもなりません。史実じゃあ鋼材の不足で年産最大150万トンが限界だったんですからね。 しかも、陸軍も陸海の航空装備も史実よりもずっと増強されているように見えますので、史実のままの鋼材生産能力だと、どこをどうやってもこれら全ての鋼材が確保できません。戦争は鉄量こそが全てです。
つまり日中戦争とやらで浪費された100億円を使って、スキップしながら兵器の買い物競争をする前に、まずその商品を揃えている商店街をきちんと作り上げてください、と言うことです。分かりますかせんせー。 あと、「中国戦線向けの臨時予算だけで、105億2626万円を浪費しました。」と書かれていますが、正確な数字まで割り出して「臨時予算」と自ら書かれているんですから、この当時の日本が戦争のためにどれだけ増税を行い、無茶な国債を発行したか十分以上にご存じですよね。あの高橋是清が匙を投げたんですよ。知ってますよね、ね! 1941年には、日中戦争とやらだけで日本経済は傾いたんですよ。GDPはマイナス、赤字なんですよ。真っ赤っか! しかも、1937年秋から約4年間に使われた対支那軍事予算なんて、多く見積もっても60億円ぐらいですよ(いや、これでも当時の日本にとっては、気の遠くなるような凄い額なんですけど)。 しかも、工場の機械やら何やらを更新すべき時期に無茶な生産をしたから、1941年には工場そのものがくたびれだしていて、一見生産高は最高数字を示していたけど、生産そのものは既に限界に達していたんですよ。 まあこんな事は、教科書レベルの資料を少し突っ込んで調べれば簡単に見えてきますから、この辺りも日中戦争について戦略面から調べられたのなら、簡単に突き止められた筈ですよね、ね、ねっ! ・ ・ ・ あ〜〜、疲れた。 ハイ、つまりは、日中戦争とやらをしないのなら、1937年からの3年間は、軍事費そのものすら削減して、全ての余力を社会資本と基礎工業力の建設、統一工業規格、24時間操業体制のための労働環境の整備など総力戦に本当に必要なファクターを揃える事に全てを投入しなくては、この作品にあるような強大な日本軍を生み出すことはほぼ不可能です。その過半は画餅に帰します。そしてアメリカの例を見るまでもなく、生産施設以下の環境さえ存在すれば巨大な軍隊は比較的短期間で建設できます。人材の育成を考えなければ、短期間で揃える事が無理なのは、戦艦などどうやっても手間のかかる兵器だけでしょう。 この点に関しては、断言してもかまいません。無理矢理ひねり出した国費を突っ込んで、大上段から生産調整したぐらいでどうこうなる問題ではありません。そもそも作るインフラとファクトリー、そしてテクノロジー、ノウハウがないんですからね。 だからこそ、史実の岸伸介(以下一部の官僚)は偉大で、一部の架空戦記作家は時間犯罪に躍起になるんです。 そして、作品内では軍隊を用いた安価な社会資本の拡充以外、特にこの点取りざたされていないようです。もちろんこの効果を無視するわけではありませんが、総力戦を語る以上あまりにも杜撰な描写と言うべきでしょう。 少なくともこれが私が簡単に思い至った、総力戦という命題を掲げた作品内での戦略面での致命的欠陥であり、この作品に登場した軍備は砂上の楼閣の上に全てが構築されている事になってしまいます。
まあこれ以上話していても、悲しくなるだけの戦前の日本の貧弱な工業生産体制だけ見ることになるので、そろそろ戦争(戦闘)面をぶった斬ってみましょうか(笑)
さて再びお立ち会い。 この作品世界と私達の世界は何なのか。この作品はどこで最初の大規模な歴史変革が行われたのか。この国の為政者達は何を考えているのか。 この多くは第一巻でその過半が書かれており、以後続刊はそれを実現すべく、以後の経過を述べているに過ぎず、第一巻を読めばおおよそのストーリーラインは見えてきます。そう、第一巻こそが作品の中枢であり、他は飾りと言っても過言ではないでしょう。ラピュタの中枢とその上のお城の関係と同じです(笑)
そしてそのキーワードは
・第一次世界大戦への積極参戦 ・日本軍事力の総力戦態勢の整備 ・政府レベルでの人種差別撤廃のより強い主張 ・国際連盟への不参加 ・白人との対決と白人至上主義・植民地主義の打倒
おおよそこんなところでしょうか。 流れとしては、第一次世界大戦に積極参戦して、日本帝国の発言力を大きくして自分たちを含めた有色人種の一つの目標である人種差別撤廃を強く訴えようとするが、それが適わない事を思い知らされた事で、一度西欧(アングロ陣営)との徹底した対決を行わなくてはならないと覚悟を決めてその準備を着々と行う・・・というところでしょうか。 そしてこの流れだと、ある程度現実的な基盤の上に甘いヒロイズムを満足させるという道筋を読者に見せる事が、ストーリーのガイドラインとして見る事ができるのですが、私の自身の視点から見ると実に奇妙な点が散見できます。 もうお気づきの方もいらっしゃるでしょうか。 この世界の日本は、「第一次世界大戦への積極参戦」という対英(対欧州)追従外交をこれ以上ないぐらい行い、そこで相応の犠牲を払う事で自分たちは欧州列強と対等のゲームプレイヤーだと言うことを示しています。 外交的には、恐らく欧州各国も「まあ、仕方ないか」ぐらいの気持ちで、この後日本と何とか折り合いを付けようとするに違いありません。それが人種偏見を排除した場合の、当時の欧州外交の筈です。そして有色人種とは言え、軍事力を伴ったそれなりの国力を持つ近代国家ですので、日本だけの生存を考えれば日本側にも妥協の余地はある筈です。 にもかかわらず、「人種差別撤廃のより強い主張」というある種幼稚な、そして時代を考えると実現の極めて難しい理想主義を掲げて西欧との対決姿勢をしめしてしまって全部パーにしてしまいます。 また、総力戦を体感するためダケに数万の日本人の血を流すというのは私の理解を超えているのですが、人種差別撤廃と東洋の夜明けの為には是非とも必要だったみたいです。 この世界の日本の為政者の幾人かが、全ての有色人種のために日本人全てが犠牲になってよいと考えているようです。
違うでしょ。 お説そのものは実にご立派なんですが、そんなの一国を預かる為政者の考えていい事でも、ましてや政策として実行してよい事ではない筈です。 もちろん、国家そのものに余裕があって自国の利益に根ざした外交を行うとか、それしか選択肢がないのならこの選択肢を選ぶ事も結構ですが、どう考えてもこの時点で日本がそこまでデスペレートな事をしなければならないほど追いつめられているとは考えられませんし、白人全てを敵に回して何かが出来るほど日本は強大ではありません。見栄を張るにしてもやりすぎです。 そして日本だけの国益を何よりも第一に考え、日本人の生存を第一において、万難を排してこれを実行するのが国家を預かる者がすべき事で、その為の手段、方便としてあえて幼稚なスローガンを掲げるのなら問題ないのですが、ここまでされるとハッキリ言ってお笑いです。 厨房レベルのジャスティスなメンタリティーで大戦争されたら、国民はたまったもんじゃありません。
と、思わずこちらも厨房的反論をしてしまいましたが、どうにもこの流れは不自然かと思います。 と言うより、この世界の日本人は、やたらと自己犠牲精神が旺盛すぎて辟易させられました。巻を重ねるにつれて戦死間違いなしの戦闘しかけるパターン(事実上の特攻)も増えていきますしね。
ま、これ以上書いても愚痴しか出てこないので次に進みましょう。 と言っても、これより先は作者が読者が驚くような展開というような事をあとがきで書いていたように、「サプライズ架空戦記」という名称を送りたいぐらいのレベルの戦術面しか見るところがないのですが、ある程度は順番に見てみましょうか。