
その6
| 地震の予兆? | 1月15日深夜、東京の首都高速渋谷線の高架下で我々は待機していた。目前には交通量の 都合で休日の深夜しか仕事ができない現場があった。今日は日曜、明日は代休である。 連休の最中に仕事。正直嫌だったがこの際仕方ない。許可が下りたのがこの日だけと言うので その当時いた10トン全部が参加していた。最初の車が下りたのが午後11時頃、しかしこの車 悲惨な事に「あとから必要な荷物」を積んでいたばかりにもう一度我々の後ろに廻って待機。 2台目が現場に入ったのでしばらく仮眠しようとトラックの運転席の真後ろにあるベッド スペースへ潜り込んだ。どのくらいの時間が過ぎたのか。 突然の轟音と振動、地震でも来たかとカーテンを開けると そこにはフロントガラスに突き刺さった鉄骨が! 私の前にいた車が順番が来たので車を出そうとして何故かバックしたのだった。 ちなみに前車は例の「年上の後輩」君である。この時既にろれつが廻らない程酒を飲んでいた。 ガードマンに文句を言うがみんなの見ている前で言い訳にもならない。私はやむなく夜中だが 社長に電話して休み明けに修理に入る旨を連絡した。荷物が降りてから高速へ登る。完全に 割れてはいないが視界が極端に悪い状況で一般道を走っても事故を呼ぶだけだ。……しかし 高速でもゆっくりとしか走れない。時折小さな音と共にガラスの欠片が落ちて行くのがわかる。 夜中だがサングラスをかけて走った(笑 |
| 後日 そして震災 |
振替休日の午前中に車庫に帰りつく。幸い雨も降りそうにないのでそのまま帰る。 翌日夜明け前何か妙な気配に目を覚ましたが何も無いので目覚しが鳴るまでもう一眠り…… と、布団に潜ったその時!突如として 空中に放り出されるような感覚と共に激しい振動が 近畿を直撃。思った以上にたいした事も無く車の修理のために車庫へ。 途中の道が陥没していて車が通れない。しかし私のデリカは平気で通過。 が、そこを越えて見たものは淀川河口の向こうにある筈の神戸市の様子だった。そこだけ黒く 立ち込めた雲のような物に覆われて街は見えない。それがこの時6400人以上の犠牲者を 出した阪神淡路大震災の結果だとは後から知る事となる。黒かったのは煙。全焼した長田区 一帯の煙が作り出した雲だったのだ。とりあえず修理のためにトラックを出して近くの メーカーへ。しかしこの時トラックを出した事がこののち仕事に大きく役に立った。 車庫への道は私がトラックを出した直後封鎖されてしまったからだ。その先に行くには 道が無いので事実上我社で動ける10トントラックは私の車だけだったのだ。おかげでしばらく 忙しかったが……さてメーカーに到着してガラスが割れたと言うと「地震で?」と聞かれた(笑) しかし地震のせいでガラス屋の商品が全滅と知る。 だがふと見ると空き地に大破した佐○急便のトラックが置いていた。しかもフロントガラスは 無事だ。交渉してこれを中古扱いで使う事に。しかし今夜からトラック何処に置いたら 良いんだろう・・・・・・(笑 |
| 連日の仕事 | 南港から神戸へクレーンの部材運搬を皮切りに神戸の復興作業が始まる。 しばらく不況続きで店をたたもうかと言うクレーン業者も多かったが言い方は悪いが震災の おかげで一気に持ちなおした所さえ沢山あった。その当時南港の「あ○は組」と言う会社は 偶然日本に2台しかないと言う油圧の550トンクレーンを持っていて震災の仕事だけで原価を 償却したらしい。値段は「億」単位である。ちなみに、それを買ったのが震災の1ヶ月ほど前で しばらく「地震はあそこが起こした」と陰口を叩かれた(^^;) |
| 懐かしい顔 | 倒壊した阪神高速神戸線が次々と解体されて行く。 橋脚を立てるようになったら仕事が廻ってくる。コンクリの内部に入れる鉄筋を積んで現場へ。 交通規制の警官ともめたりしていた。混雑の緩和の為通行証を出すのは良いが復興資材を 積んだトラックにそれを出さないのは間違ってる。偉い人か何か知らんけど高級乗用車 (運転手付)に「緊急物資搬送車両」の許可証がのっていると「嘘つき!」と文句言いたく なるのは私だけではなかったはずだ。ところで現場に行くと何処かで見た顔が。しかし何処で 見たのかが思い出せない。お互いに記憶をさかのぼっていると向こうが「思い出した! 蓮ダムに鋼材引取りに来た兄ちゃんや」ああ、そう言えば。 互いに現場を渡り歩く商売。覚えてるのには訳があった。 |
| 思いで(笑 | まだ今よりもぼろな車に乗っていた頃和歌山と三重の県境からさらに山奥、ダムの工事 現場に鋼材を引取りに行った。幹線道路を外れて狭い道を進むと工事現場には専用の 仮設道路が作られていた。崖をブルで削っただけの道である。入ってく私のトラックをたまたま 見ていて「しまった、来る時バックで入って来る様に言っとくのを忘れた」と思ったら何故か私が 現場にバックでやってきたのだ(笑)「どうやってバックで?」と聞くので「向こうから見たら Uターンできそうじゃなかったんで途中で廻って」「いや、だからどうやって?」「えー…途中の 待避所で…」途中に車がすれ違えるように待避所が作ってあったのでそこで廻ったと言うと 随分驚かれた。道幅は8mも無かっただろう。全長12mのトラックを方向転換させるには荷台の 部分を崖の外へ出してしまえば良いのだ。トラックはリヤタイヤからの突き出し、いわゆる オーバーハングが長いのでこう言う場所なら廻れるのだ。周囲が田畑だったりして そこそこの巾がある道路ならUターンできるのである。もっとも、今やれと言われたら 多分やらないと思うが。 |
| 瓦礫と廃材 | 神戸市内の瓦礫や解体された資材は大半が須磨の水族館の隣で仮置きされていた。 このままでは置き場所が無くなると言うのでそこから山奥の押部谷へ瓦礫を粉砕する機械を 運ぶ事に。朝6時から積込開始、10時頃トラック3台4トン1台トレーラー2台で出発。しかし 下ろすためのクレーンは積込したクレーンがそのまま行くとか。でかすぎて夜しか走れないから 我々だけで走る。しかし途中の道はほぼ例外無くどこもかしこも大渋滞。残骸を積んだダンプが シルクロードのキャラバンと見まがうほど長蛇の列を作っていた。途中で昼を過ぎる。 この時点で食料を積んでいたのは私だけ。出る前に弁当を買っておいたのが役に立った(^^) そう言えば飲み物も誰も持っていなかった。予測が甘すぎる。 |
| 始まり | 基本的に建設現場が我々のフィールドなのでそう言う現場があれば当然仕事は多くなる。 まず神戸にそしてその周辺に仮設住宅の資材搬入が始まる。数年前島原の火砕流災害の 復興事業で今回同様仮設住宅を建てに行ったがこの時の比ではないほど運ぶ事になる。 合間を縫って鉄骨や壁、その他の資材を運ぶ。しかしこの段階になっても通行許可証の 発行がきちんとされてなくてあちこちで警備の警官や機動隊ともめる姿もよく見かける。 みんな疲れていて余計カリカリしていたんだろう。 |
| 珍しい荷物 | 基本的に鉄骨と鋼材が主の会社に何をとち狂ったか「水」の搬送依頼が。専用の車が 出払っていて数が足りないとかで依頼が来たのだがどうやって運べと?行って見ると トラックサイズの鉄製の水槽が準備してあった。これ、土木用の…… 「あー、いいのいいの。飲み水ではないから」ああ、工業用水ね。 蓋が無いのが欠点で行くまでにこぼれるだろうな。「その分は見越してる」あっそう(笑 「一番こぼさずに運びそうな運転手」と言う事で指名されたらしい。 嬉しくない…こんな面倒な荷物(爆 |
| 珍しい荷物その2 | たたんだテントのような物を某大学のグラウンドに運ぶ。何かと思ったら仮設ヘリポートを 設置するため地面に広げるのだそうな。臨時の「的」みたいなものか。数日前まで 「ヘリポート以外に着陸したら法律違反だからしないように」とふざけた事を言ってた割には 早く許可が下りたものだ。と、思っていたら実は政府の視察団が来る為の特別措置だった とか。ふざけるにも程がある(怒) 某歌で「村山総理が来たのはスイスの犬より遅かった〜♪」と 歌われていたが東京以外には興味は無いのだろうな。 そんな中数人のお供だけで車で神戸入りして避難所を巡ってひざをつき手を握って 被災者達を激励した天皇皇后両陛下は凄いと思った。かなり反対もあったらしいが 「見舞う」事を優先された由。自分達の懐ばかり気にしている政治屋の連中にも見習って もらいたい。私は別に右翼でも何でも無いけどさ。 |
| ヤバかった…… | 神戸方面の仕事に出ると間違い無く1日つぶれる。道路が渋滞してほとんど動かないからだ。 先述した押部谷から機械の一部を淡路島へ運ぶ事に。どうしても神戸とかに比べると復興が 置き去りにされてる部分があるんだよな。それはともかくこの日は運悪く食料調達ができない まま走っていたのだが最終の荷物を積んで淡路に渡った頃はもう夜。仕方なく明日の朝まで 現場で止まる事にして遅い夕食。が、すきっ腹にいきなり食ったもので腸が急激に動き回って 途中で曲がったらしい。つまり「腸閉塞」である。食堂わきにあった長椅子に横になり耐える。 薬は飲んだが果たして間に合うのか。ともかく同僚には「10分経って起きなかったら救急車 呼んで」と言っておいたが5分ほどで薬が効いたらしく復活。(汗 |
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