
その7
| 後遺症…… | 宝塚の山の上に「ラ・ビスタ」と言うマンション群が立っている。宝塚市としてはかなり大きな 事業だ。と言っても別に市が作っているわけじゃないが。5年近く続いている建設工事は 終わっていなかった。建設中の震災。鉄骨とか大丈夫かと思ったら作った長○工の仕事とは 最初からふにゃふにゃの鉄骨なので逆に振動を吸った様だ(^^)作業員の一人は 「自分で作っていて何だけど長○工のマンションは住みたいと思わんなあ」と言っていた。 この頃目前を走る国道176号は西方から山越えして大阪へ入る唯一の道で(警察推奨) 連日の大渋滞。2km進むのに4時間以上はざらだった。途中には抜け道も無く乗用車は 六甲山を越えようとする者もあったが分断された六甲縦貫道路が開通するにはそこからさらに 数年の月日を要するのだった。176号の渋滞の中付近の家は臨時の食料品屋に早替り。 少し小さくてもおにぎり1個100円焼きソバ300円は良心的な値段だと思う。 神戸市内では暴利を貪る輩が出始める。 |
| 消えない疑問 | 連日神戸に仮設住宅資材を搬送。この時は既に大和ハウスからの通行許可証があったので 比較的スムーズに神戸入りする。震災直後に比べれば、だが。学校のグラウンド、公園、 空き地になった所、あらゆる場所にプレハブを建てていく。無論郊外も例外ではない。神戸の 産業は今稼働率10%以下にまで落ち込み崩壊した岸壁には貨物船の接岸もままならない。 そんな時に打ち出された「神戸空港」の建設工事提案。ポートアイランドの沖を埋め立てて 新しい人口島を作るのだそうだ。肝心のポーアイは神戸大橋が倒壊してやっと架設の橋が 架けられたばかり。わざわざライフラインが分断される物をまた新しく作ろうと言う考えは 何処から来るのだろう。「埋め立て資材はどうするんです?」と記者達に問われた時の返事は 「いや、埋め立て用の瓦礫は幸いたくさんありますから」と言うものだったそうな。 ちなみにこの法案はその後上程された議会で拒否されたと聞く。そりゃそうだろうよ。 そう言えばこれを言った馬鹿は震災の朝市役所に出勤したのは昼をかなり過ぎてからだった らしい。理由は「だって公用車が迎えに来なかったから」だそうだ(怒) コラ、テメーの家は市役所から歩いて15分ほどだろうが!垂水の向こうから半日歩いて 出勤した職員を見習えってんだ!!こんなんで本当に神戸は復興できるのだろうか。 私は疑問が湧いてくるのが止められなかった。 |
| お前ら来るな | 総理と閣僚の一部が形だけの視察をして帰った後日官僚達が神戸入り。さすがに今度は ヘリで来る事もできなかったので車で来たらしい。途中で中の一人が「昼食は○○の弁当が 良いな」と言い出して場を凍らせたらしい。ちなみに○○とは神戸でも有名な高級料亭で 事前にチェックして来たらしい。あげくに途中の渋滞を見て「混んでるね−。用が無ければ 来なけりゃ良いのに」と言い放つ。お前らが来るな!! |
| 市内ほぼ終了 | 神戸市内中心部の仮設住宅がほぼ建て終わった。とは言え絶対数は全然足りない。 あとは周辺に土地を確保してから話だ。会社の遊休地や新興住宅地の空いた所に搬入は 続く。そうこうするうちに神戸市内の某公園でテント生活していた人々に対し「仮設住宅が できたのだから場所空けて」と役所の偉い人。仮設は抽選だったので当選しない限り 入れないのに、である。公共の場所をいつまでも占拠し電気を使っているのは法律違反とまで 言い出す。当初一時的な避難所にすら入れずにやむなく自腹でテント(と言っても基本的には ブルーシート。野宿者が良く使っているアレだ)を買って住み情報が届かず食料の配給も 満足に受けられなかった彼らにそれを言うのは差別ではないのか?だから役人は嫌いだ。 |
| 思いで(怒 | そう言えばブルーシート一枚に数万円の価格をつけて売っていた店があったな…… 先述のように仮設のテントにしたり半壊家屋の屋根を覆ったりブルーシートは確かに ひっぱりだこで神戸では常に品薄の商品ではあった。しかしそれを逆手に取るのが商売人と 言うものか?自分も被災者ではないのか?あの震災を命からがら逃げてきて金どころか 明日のいや今日の食事にも事欠く生活をしている同じ神戸の仲間に対する仕打ちか、 それが?何日もしないうちにこの店は姿を消したらしいが神戸港に沈んでたりして(笑 |
| トラックとは 直接関係ないが 10 |
そんな中で震災当時いち早く炊き出しを敢行し近所の瓦礫から人々を救い出したのは 他ならぬ山○組の組員達だったそうだ。そりゃ組からすれば「シノギ」を出してくれる人や 彼らの店……要するに「資金源」が無くなったら困るし普段落としている評判を上げる チャンスでもあったかもしれないけれどさすがに体力有り余っているのかその働きは 自衛隊にも劣らぬものだったようだ。何だかんだ言われてもそこはやはり日本一の 組織なのだなあと妙に感心。しかし炊き出しがすっとできるほど普段から貯めてんのね。 被災した人々の現状を知りもしないで「被災者は自分達で炊き出しすれば良いのに」等と ぬかした当時の大阪府知事を組本部の行儀見習いに行かせてみたかったと思う。 私ゃやくざを推奨する訳ではないが。 |
| 霧の中の出来事 | 長尺と呼ばれる荷物がある。例えそれ専用のトレーラーでも全長20m以上になる場合は許可が 必要だ。この場合は実際に積める荷物の長さは17mくらい。運転席の長さを差し引くのだ。 許可を貰うとこれよりさらに長いものが積める。しかしその分通る道も制限されるし回転半径も 大きくなる。例えば阪神高速や名神、東名等の高速道路は通行許可が出ない。 しかし一般道路を走るより高速のほうが安全なのは誰でもわかるだろう。この日早朝 トレーラーは25mのパイプを積んで堂島入り口より阪神高速に入るべく四ツ橋筋を右折した。 無論長さが長さなので北行き4車線を目一杯使いながら。所が、曲がってすぐの料金所は 無情にも「濃霧の為阪神高速通行止め」の表示が・・・いまさら退がる事もできず高速の側道を 抜けて行こうとしたが違法駐車の列。やむなくそのまま通過する事にしたらしい。 トレーラーが進むたびに後方から聞こえる金属の擦れる音、何かのパーツが飛ぶ音、それらが 朝靄の中ノ島川にこだました。 このあと何処からか苦情が来たとかそう言う話は一切ない。文句言える立場でもないけどさ。 |
| ダイビング | 早朝2時頃舞鶴へ向かう為に国道173を走っていると後ろから乗用車がパッシングしながら 迫ってきた。時間が時間だし別に急いでもないので追い抜きたければそうしな、と言う感じで 走っていたらなかなか追い越さない。どうもたまに来る対向車にびびっている雰囲気。 続いているパッシングは「前が見えんから左によってスピード落とせ」みたいな 意味だったのかもしれないと思った私はさらにマイペース←オイオイ 乗用車がもたもたしている間にバイクが一台追い越しざまに軽く左手を上げて抜いていった。 さすがだね。礼儀を心得ているよ。さて逆上したのか乗用車、軽い左カーブでやっと覚悟を 決めて追越をかけてきた。タイミングもスピードも申し分ない。やればできるじゃないか。 唯一の失敗は対向車がトラックだった事。……正面衝突をかろうじて逃れた車は空を飛ぶこと 数m、そして田んぼのオブジェと成り果てた。ちなみに帰り道でもまだ同じ状態だったので もしかしたらオブジェとして契約されたのかも知れない。 |
| 寒い…… | その日は特に寒かった。そんな冬の夜中に私は事もあろうに国道19号線木曽福島の辺りを 走っていた。外灯すらない山の中、澄み渡った空の上に凍りつくような満月が輝き 照らし出された道路はまるで宝石を散らしたように美しくきらめいていた……つまり凍結して いるんですが……。それでも目的地へ向かうため黙々と車を走らせているとサイドウインドウが 曇り始めた。温度差が激しいと仕方ないんですな、これが。窓拭きを持ってそれをふき取ろうと したら……「シャリ」……待て!なんだ今の音は?あわてて指でそこを触って見た。 ……霜だった。ヒーターたいてる車の中に霜!?外気温が何度かなんて知りたくもないが わかっている事が一つある。「エンジンとまったら死ぬな……」 事故もガス欠も絶対にできない……。 |
| 目的地で | 現地についても肝心の現場は教えてもらっていない。仕方なく駅のロータリーで仮眠を 取っているとドアを叩く音。たまたま通りかかった工事業者が見つけてくれた(笑) うっすらと雪化粧しただけのようだが異様に寒いところだった。場所は栂池スキー場。近くには 白馬とか有名なところがある。一山越えれば糸魚川だ。 スキー場のリフトを建て替えていて昼頃に全部降ろして帰り道の算段。 「糸魚川から日本海側を帰ろう」と北へ向いたら途中の道路が雪崩と地滑りで通行止めに なっていた。指示に従い川原でUターン。やむなく来た道を帰る。翌朝枚方で荷物の積込みが あるので頑張って走っていたが考えて見れば昨晩からろくに寝ていなかったのに無理をした おかげで彦根の南側で自己記録歴代最大の事故を起こすこととなった。 金額的には、だけど。追突ではあったのだが特に相手からの難癖もなく物損で済んだが、 この時はまだヘンな方向へ行くとは思っても無かった。これからが実は大変だったのだ。 |
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