Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.6.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『一日十銭生活』(抄)

赤津政愛

磯部甲陽堂 1918

◇禁転載◇

五 天明と天保の饑饉年
     常時の主食物にはならぬ

管理人註
   

 ばくはん                       そう  麦飯も悪くはないが、まだ徹底的でない、今少し廉価で而して営養に富 む者が欲しいと、私はふと思ふた。昔交通の発達しない時代に於て、凶歳                               しき 稔らざりし時、所謂饑饉年には窮民が如何にして飢を凌いだか。天荐りに           すさ 雨を降らし、暴風地に荒んで五穀悉く不作の時、其地方の恐慌は今日想像                      きょうさい し得ざるものであつたらう。今日では如何なる凶歳に遭遇しても、食物が ないといふやうなことは有り得べからざることであるが、其の当時は、其 の地方に収獲がなかつたならば、他の地より流用するといふことが全く不 可能であつたから、其の悲惨は非常なものであつたらう、私は其の時分の 食物に関して調べて見た。  遠い時代の事に措いて、徳川時代にても天明の饑饉と天保の饑饉との二 回ある。此時は重に東北地方が凶饑であつた。米がなくなると雑穀に代へ る、雑穀もなくなると、雑草木皮まで食ふやうになつた。其の間、彼等は                               あら 苦心して、何うしたら一日も長く米を絶たぬことが出来やうかと、有ゆる 方法を講じた。  草や木の皮を食ふまでに至らぬ間に、様々の方法をやつて米の減少を防 いだが、遂に米はなくなつた、而して其の次の頼みの綱である雑穀もなく なつた。此に於て食ふべき何物もない。壁土に塗り込んだ、藁まで食ふや うになつたとさへ聞く。                             きざ  東北の或地方では藁餅といふものを案出した、それはわらを刻んで水に ひた 浸し、之れに石灰を加味して置くと、藁は奇麗に漂白されて真白になる、                   やわらか 之れを臼に入れて搗くと、恰も綿のやうな柔軟な繊緯になる、之れを普通 の餅米へ交ぜて餅を搗くと、一升の米が十倍の量に増加する、必要は人を して苦慮せしめる、誠に面白い方法であると思つた。私はこの餅を製して 食して見た、食へぬ事はないが、無論美味でない、而も一時の凌ぎとして は用ゐられるかも知れぬが、到底常時の主食物とすることは出来難い。  饑饉で雑穀までもなくなつた時の状態は、生活以外の生活であるから、 今日に応用するが如き食物は全くない。藁餅が食はれぬやうに、草や木の 皮は如何に廉価でも、仮りに営養分があつたとしても食はれない、少くと も今日の世間で食物としてゐるものを、応用の方法に依つて主食物になし 獲るものでなければならぬ。夫れには饑饉の度に至らぬ凶年の農家に於て            おほい の水呑百姓の生活などは大に参考とすべきものが多いだらうと思つた。  私は此の目的を以て一昨年の秋、農村を歩いて見た。然し今日の農村、 而も豊かに稔つた秋の農家からは、私の参考となるべきものを発見するこ とが出来なかつた。  敷島の袋が若い作男の懐から出る所には、何の得るものもない。純朴な 田舎気質は次第に地を払つて、其生活も複雑になつて行く、常総の北部に                               もたら 行つた時、鬼怒川沿岸を数里西北に入つた一農村は、文化の悪風を齎す汽 車の線路には遠く、其他の交通も余り便利でない所であるから、こんな土                    ひそか 地には変つた生活もあらうかと思つて、心窃に期待しつゝ、村外れの土橋 を渡ると、点在する農家の藁葺きも思ひなしか、古風が見へて、鶏犬の声     のどか             ひとひら も自から長閑である、小川に流るゝ紅葉の一片にも秋の既に深きを覚えた。                            ほたび  白髪の長い老農から質素な簡易な生活を聞きつゝ、爐辺の榾火に秋凉を 凌ぐことは、如何に趣きの深いことであらうかと、此の世からかけ離れた 桃源郷裡へでも入つた様に、独り嬉しがつて土地の故老を尋ねんと歩いて 行くと、路傍に一軒の茶店があつた。       つひで  幸ひ物問ふ序に渇を癒やさうと、其の処に憩はんとして、店頭を見ると、       渋茶に、豆捻ぢ煎餅を売る家と思ひきや、棚には麗々しく正宗とビールの 瓶が並んで、紙棚の下には三味線がかけてある、怪しげな女中らしきもの も二人ばかり居た。  驚いた、これは料理屋である、而も達磨といふ枕言葉を冠せるお茶屋で                                ある。聞くに此の部落は僅かに三四十しかない所だといふ、それに恁んな 楽園を所有してゐる。沙汰の限りである。私の楽して空想は破れて、足を 止める気にならなかつた。

   
 


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