Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.3.9

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「林 良 斎」

井上哲次郎 (1855−1944)

『日本陽明学派之哲学』冨山房 1900より
(底本 1908刊 第6版)



改行を適宜加えています。

第三篇 大塩中斎及び中斎学派
第三章 林良斎

林良斎、名は久中、字は□□、林良斎は其号なり、

又自明軒と号す、讃州多度津の人、其先世々藩老たり、

良斎亦初め藩主に仕ふ、然れど早歳多病にして仕ふること能はず、因りて其職を致して堀江の弘浜の原に弘浜書院を立てゝ此に居り、力を姚江の学に専にし、吉村秋陽、春日潜庵、池田草庵等と交を結べり、草庵の如きは、良斎を以て千古の心友となせり、良斎嘉永二年五月四日を以て歿せり、塩逆述に中斎門人として良斎を挙げ、注して云く、

此れに由りて之れを観れば、良斎は中斎を師とせしなり

草庵、嘗て弘浜書院記を作り、良斎を形容して曰く、

其超脱の状覩るが如し、

良斎著はす所自明軒文鈔一巻あり、彼嘗て潜庵に与ふる書に曰く

又秋陽によふる書に云く、

其言甚だ味あり、此れに由りて之を観れば、亦胸中独り得るところありしこと疑なきなり、

吉村秋陽が良斎に答ふる書に曰く、

其相許すこと此の如し、乃ち彼我交情の密なる、畧々想見するを得べきなり、


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