発行人 向江強/編集 和田義久
目 次 発刊にあたって 第25回例会報告 はじめに (1)二月廿日出届出 (2)大坂騒動始而申来節留 (3)大坂無名氏之書付 ○大塩平八郎の乱、あれから160年展」
『塩逆述』を読み始めてこの2月で2年が過ぎた。遅々たる歩みではある
が、巻之三を読み終え、巻之四に入った。この間、例会は向江先生による史
料説明と会員の疑問に答えるという形で進められてきた。私は例会での議論
はほとんどメモをとらず、テキストに少し書き込む程度で、読む会とつき合っ
てきた。しかし、大塩事件への関心が深まってくるにつれ、聞き終わるだけ
ではもったいないような気がしてきた。そこで一念発起、例会での議論を記
録して、会報のような形でまとめみようと思い立ち、向江先生に了解を得て、
発刊することにした。
会員各位のご協力を切にお願いするしだいである。
2月24日開催の例会には 人の参加があり、いつも通りの参加者で盛会 の例会になった。例会は『塩逆述』巻之三のうち若干残っていた史料を読み 終えて巻之四に移った。巻之四では、(1)「二月廿四日出届出」、(2) 「大坂騒動始而申来節留」を読み終え、(3)「無名氏之書」の2丁まで進 んだ。
今回は4丁ほどの分量であったが、いつも以上に疑問や意見が出された。 簡単に報告しながら、その後わかった部分は補足説明し、不明な点は次回の 例会での会員の報告に期待する。
読み残した巻之三で「湯武」についての疑問が出されたので、少し調べて みた。湯武とは、殷の湯王と周の武王のことで、湯王が夏の桀王を放ち、武 王が紂王を伐ちしことを意味し、「湯武放伐」という成語がある。湯武につ いては、大塩平八郎は『檄文』のなかで、我等が所業は本朝にては平将門、 明智光秀、漢土にては劉裕、朱全忠のごとく、天下国家を奪わんとする欲念 より出でたるにあらず、湯武、漢の高祖、明の太祖が民を弔い君を誅し、天 罰を行いたる誠心に同じと書いて高く評価している。
(1)二月廿日出届出
誰から誰への届けであるかわからないが、大塩の乱の概略が記されていて
特に注目に値する記述はなかったが、最後に「高名で仁たる大塩平八郎がか
かる大事を引き起こしたのか、趣意相わからず」というのは、当時の人々誰
もが持った感想だったと想像される。
「三社の託」についての質間があったが、三社託宣とは、天照大神・八幡
大菩薩・春日大明神の託宣を一副に書いたもので、室町時代に作られ、江戸
時代を通じて吉田神道によって弘られ世に尊崇された。(史料1)
幕府方は大塩軍の南下を防ぐため天満橋を破壊したが、その破壊の意味あ
いがわからなかったが、この史料で「中板ヲ切落し」とあり、橋板をはずし
た程度であったと思われる。
(2)大坂騒動始而申来節留
二番目の「大坂騒動始而申来節留」は大塩の乱が伝わった際の幕閣の動向
を記録した貴重な史料である。今まであまり研究者の関心を引かず、研究さ
れてこなかった。そのこともあって、将軍の動向も含めた幕閣の動向を誰が
書き留めたか会員の関心を集めた。今にいたるも推定さえできないでいる。
それはおいといて、まず当時の幕閣の陣容から確認し、史料に出てくる人
物を確認しておこう。
将軍 家斉 老中 大久保加賀守忠真 松平和泉守乗寛 水野越前守忠邦 井伊掃部頭直亮 勘定奉行 明楽飛騨守茂村 矢部駿河守定謙 神尾備中守元孝 御用番 松平伯耆守宗秀 太田備後守資始 西丸 脇坂中務太輔安薫
(3)大坂無名氏之書付
まず第一に、この史料は無名氏となっているが、「或云市中堀氏属吏之所記」
とも書かれており、内容からみても堀伊賀守の家来のものと思われる。
さて、(3)の史料にかかわる意見として出されたのが、大塩与党の与力・同
心の役職が一部表記されており、あまり知られてないのではということであった。
史料では数人だけしか記載されていないので、「天保8年の浪華御役録」から補
うと以下の通りであった。
与力 大塩格之助 御普講 瀬田済之助 御普請 小泉淵次郎 同心、 庄司義左衛門 川役 近藤梶五郎 地方役 平山助次郎 地方役・町目附 吉見九郎右衛門 川役 河合郷左衛門 寺社役・ 渡辺良左衛門 地方役・唐物取締定役なお、参考に「大坂袖鑑」の天保7年と8年分を比較すると、当然というべき か瀬田・小泉・大塩の役宅が空欄になっている。この史料は大阪府立中之島図書 館で閲覧した。
史料1『続徳川実記』抜 史料2「三社託宣」 史料3『大坂袖鑑』 天保7申歳改正 抜 ○「大塩平八郎の乱、あれから160年展」3月18日〜5月24日 講演会 4月19日(土)1時30分〜大阪市立福島図書館 内山彦次郎と大塩平八郎 関西大学教授 藪田 貫氏 大塩平八郎と大坂町奉行 天理大学教授 酒井 一氏