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『大塩の乱関係資料を読む会会報 第2号』


1997.4.28

発行人 向江強/編集 和田義久

◇禁転載◇

目  次
第26回例会報告
はじめに
(3)大坂無名氏之書付(承前) (4)御舟手本多ノ臣ノ書 (5)幸右衛門書状 ○「荻生先生を囲んで」の感想 和田義久 ○資料・幸田本より白井の項抜・焼失町名 組割・読みなど

第26回例会報告

はじめに

 第26回例会は3月24日に開催、14人が参加した。向江先生が欠席のため、野市氏にチュータ役を受け持っていただき、5丁から15丁まで進んだ。

 読み始める前に2月例会での宿題に関して、Nさんから4点について、B4判2枚にわたる資料提供があったので、報告していただいた。報告は、例会で関心をよんだ史料「大坂騷動始而申来書留」に集中した。


(3)大坂無名氏之書付(承前)

2月19日暁七ツ時、吉見永太郎と河合八十次郎が西町奉行に出訴、家老中泉撰司から事の次第を聞いた堀伊賀守が跡部山城守へ知らせるのだが、この手配をこの史料の書き手である堀伊賀守の家来が行なったようだ。両町奉行揃って捕り方を差し向ける手筈であったが、東町奉行所では大塩与党の瀬田済之助、小泉渕次郎が泊番であったため真相を糺そうとして逆に事の露見を察せられ、渕次郎を切り倒したものの済之助には逃げられ、平八郎に注進させてしまった。「此始末無之候ハヽ、手筈之通り此方より押掛可相潰処残念之事」とくやしがって いるのも頷けるところである。

(4)御舟手本多ノ臣ノ書

本多大膳成孚は天保7年4月から御船手(御船奉行)に就いている。3200石で、与力6騎・水主五十人が配下に属していた。

ところで、この史料では「大坂出火焼失場」とて町名が記されているが、間違いが少なからずある。Nさんが正誤を交えた一覧表を作成されたので、P4(資料l)に掲載した。

(5)幸右衛門書状

京都伏見で捕まった守口町の白井幸右衛門の自白状である。幸右衛門と同道の杉山三平の召捕りの経緯は、幸田成友『大塩平八郎』に譲って(史料2)、ここでは自白の内容を簡単に紹介する。

自白の内容をそのまま受け取ることは危険で、今日では自白調書だけでは起訴できない。まして確信犯においては、真実をあえて語らず、嘘の供述をすることさえある。といって、すべてを否定すこともできない。そこに自白調書を読むときの難しさがある。

では、幸右衛門の自白はどうだろうか。私は、幸右衛門の自白に嘘はないと思う。三井や鴻池を焼き打ちした理由など、大塩与党の共通の認識だったこと思われる。

興味深かったのは、神力か大塩の運かと神に迫り、天満宮を焼打にしたことだ。このような二者択一の発想は、陽明学に由来するのだろうか。知りたいところだ。

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「荻生先生を囲んで」の感想 和田義久

去る3月29日、大塩事件研究会主催「大塩中斎忌、記念行事」のあと、記念講演された荻生茂博先生を囲んでの食事会があった。運よく先生の近くに座れたので、不躾な質問をした。

「研究者の間で陽明学会といった研究会があるのか」、「陽明学派の位置づけについての中国と台湾との差異」、「陽明学派における石崎東国の位置づけ」、「陽明学と日蓮宗との関連」など、酒席をも顧みず、日ごろ疑問に思っていたことをお聞きしたところ、丁寧にお答えいただいた。

何分酒席での話で、メモを取らずにお聞きしたこともあって、不確かな記憶をたどって再現して、聞き違いがあってはと思い質問の答えは又の機会にと思っています。

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○編集後記
大塩事件への関心が強くなるとともに、必読文献が欲しくなり、古本屋で血眼になって捜していたところ、『大塩平八郎一件書留』と石崎東国『大塩平八郎傅』を手に入れることができた。
△会報への投稿をお願いします。読む会での疑問や感想を何でも結構です。(久)
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資料1
   塩逆述巻之四   正?            天満組 北組 南組 川崎村  備考
1 天満与力町  与力町     ヨリキチョウ                     ○  
2 今川町      今井町     イマイチョウ     ○
3 長柄町                 ナガラマチ     ○
4 善庵筋      善安筋     ゼンナンスジ                          宝暦町鑑にカナと漢字
5 鈴鹿町                 スズカマチ     ○
6 御祓町      御祓筋     オハライスジ    
7 持薬町      典薬町     テンヤクマチ     ○
8 骨屋町筋    内骨屋町筋 ウチホネヤマチスジ
9 板橋丁      板橋町     イタバシチョウ   ○
10 唐崎町                 カラサキチョウ    ○
11 釣鐘町                 ツリガネチョウ        ○
12 岩井町                 イワイチョウ     ○
13 内平野町               ウチヒラノマチ         ○
14 立町        石町       コクマチ            ○
15 内淡路町               ウチアワジマチ        ○
16 河田町      河内町     カワチマチ      ○
17 錦町                   ニシキチョウ          ○
18 濃人町                 ノウニンマチ     ○
19 北軒町      北新町     キタシンマチ          ○   ○            北組1、2丁目 南組3丁目
20 滝川町                 タキガワチョウ   ○
21 徳井川      徳井町     トクイチョウ          ○
22 内本町                 ウチホンマチ               ○            焼けていない?
23 天神社
24 宮前町      宮之前町   ミヤノマエチョウ   ○ 
25 千葉        船場       センバ            ○   ○            北組 北船場  南組 南船場
26 菅原川      菅原町     スガハラチョウ   ○
27 北浜町      北浜       キタハマ            ○
28 旅籠町                 ハタゴマチ     ○
29 今橋町      今橋       イマバセシ          ○
30 越後町                 エチコ゚マチ     ○
31 高麗町      高麗橋     コウライバシ         ○
32 天神筋町               テンジンスジチョウ○
33 本王寺町    東西寺町   トウザイテラマチ                ○        東寺町 西寺町    
34 堀川        堀川町     ホリカワチョウ    ○
35 道修町                 ドショウマチ         ○
36 平野町                 ヒラノマチ           ○
37 淡路町                 アワジマチ          ○
38 瓦町                   カワラマチ           ○  
39 備後町                 ヒセンゴマチ         ○
40 西境筋      西堺筋     ニシサカイスジ 
読みなどは『角川日本地名大辞典』による。
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